129話「木庭縁/火野山大」
北海道札幌市某所。
水上の本家にある当主の執務室には、分厚い書類を片手に指示を飛ばす木庭家当主——木庭縁——の姿があった。
「北見市に待機している術師はまだ動かさないで。網走や羅臼にも不穏な動きがあるから、層雲峡には旭川市にいる術師を向かわせなさい」
「了解です!」
「元凶の妖がいる周辺の山は、警察に連絡して立ち入り禁止にしてもらいましょう。登山届を調べて登山客がいないかの確認も忘れないようにね」
「かしこまりました」
木庭の指示に従い、水上家の術師達は即座に行動を開始する。
通常であれば、龍海から指示を受けていても他家の当主に使われることを快く思わない者は多い。
各家によって指揮系統や基本方針が異なるため、普段とは違う指示に不満を持つことも多いのだ。
しかし、龍海の妻である潤葉が木庭の従姉妹にあたるため、木庭は水上家の術師と関わる機会が多かった。
潤葉が亡くなった後も毎年墓参りに訪れては、水上の本家に顔を出してから帰っている。
そんな背景もあり、木庭は水上家の当主代理として快く受け入れられ、水上家の術師達もその指示に信頼を置いていた。
「それにしても、こんなマニュアルがあるならわざわざ私に頼まなくてもいいでしょうに……」
龍海が事前に用意していた分厚い資料を見ながら、木庭はぼやく。
この資料には道内の各地に待機している術師や協力者の情報だけでなく、不穏な動きのある妖の勢力図やその分布、今後予想される動きとその対応策までもが詳細に記されていた。
そのため、木庭がやることは実際に問題が起こった際に書いてある対応策通り指示を飛ばすだけだ。
もちろん、不測の事態も少なからずあるため、その時には木庭の判断で別の指示を飛ばすこともある。しかし、それは木庭以外の者にもできることだ。
道内の地理に疎い木庭よりも、地元の術師のほうが適切な指示を送れるのではないかと疑問を感じていた。
「術師の世界も大変ね〜。ざまぁないわ!あっ、この番組面白そう」
そんな木庭の悩みを他所に、執務室に設置されているテレビを見ながら陽気な声を上げる猫のぬいぐるみがいた。
ぬいぐるみは柔らかい手を器用に使い、リモコンを操作しながら番組表を見ている。
「……あなたならどのタイミングで使役している妖が動き出すのか知ってるんじゃないの?」
木庭は溢れそうになる感情を抑え、そのぬいぐるみを睨みつけながら問いかけた。
「私だってわからないわよ。もう何度も言ってるけど、暴れる場所もタイミングも、使役した妖達が勝手に考えて決めるように命令してるんだから。分かりようがないわ」
猫のぬいぐるみ——千年将棋の1体である香——が木庭に視線を向けながらそう答えた。
犬井の発動した『果ての二十日レプリカ』で捕えられた後、水上の本家地下に存在する封印の間に移送されていた彼女は、本来であれば千年将棋の討伐が終わるまで封印されたままの予定だった。
しかし、彼女の持つ情報を引き出すことができれば討伐作戦で大いに役立つ。そう考えた木庭が『結び』の術を駆使することで香の意識だけを猫のぬいぐるみに移し、今の状況へと至っている。
「……今の言葉も本当みたいね。ならいいわ」
「だから本当だってずっと言ってるじゃないのよ」
木庭は『結び』で繋がった相手の感情の変化を感じ取ることができる。そのため、精度は100%ではないものの、高確率で対象者の嘘を見抜くことができた。
今の質問もすでに3度目であったが、そのどれにおいても香の心に動揺や騙してやろうという悪意は感じ取れなかったため、木庭は真実を言っていると判断した。
(もしかして、この状況を予想して私に当主代理をお願いしたのかしら……?)
心の中でそう呟きながら、木庭は考えを整理する。
普通に考えれば、東北の術師に顔が利く木庭を千年将棋討伐作戦に参加させるほうがあらゆる面で効率が良い。だが龍海は、木庭に水上家当主代理として北海道を守ってくれないかとお願いしてきた。
龍海に理由を聞いてもそれっぽい理由を並べるだけでその真意を知ることはできなかったが、香からの情報収集という役目も期待してのことであれば一応は納得できる。
(水上には無理な話だものね……)
誘導尋問による情報収集は龍海が得意とするところだが、今の龍海が香と冷静に言葉を交わすことはできないと木庭は考えていた。
なぜなら——
(——水上の千年将棋に対する憎しみはやばいのよねぇ)
背筋に冷たいものを感じながら、木庭は心の中でそう呟く。
普段はそんな素振りなど一切見せないが、龍海の中に異常なまでの憎悪と復讐心が渦巻いていることを、長い付き合いである木庭は気付いていた。
もちろん、大好きだった従姉妹を殺された強い憎しみは木庭にもある。
目の前でバラエティー番組を楽しんでいる香を苦しめてやりたいという思いに何度も駆られるほどだ。
しかし、そんな木庭も思わず冷静になってしまうほど、龍海の中に渦巻く憎悪の感情は強い。
今の龍海が香と冷静に話ができるとは到底思えなかった。
(でも結局、こいつからは重要な情報をほとんど得られてないのよね……誘導尋問って苦手だわ)
数日前、木庭は香の意識をぬいぐるみに接続する代わりに千年将棋に関する情報を提供するよう取引を持ちかけた。
香も仲間がいない『果ての二十日レプリカ』の中に居続けるのは辛かったため、その条件を承諾。
木庭からの質問に答え続けてはいたものの、自分達が不利にならないと思われる範囲の情報しか話さなかったのだ。
百鬼夜行の兆候を起こすために放った妖の数や能力などといった重要な情報も得られているが、肝心の討伐作戦に役立ちそうな情報はほぼ得られていなかった。
(倒したら王将のところに戻っちゃうから、殺すなんて脅しは通用しない。ほんと厄介な妖だわ。根気強く話続けるしかなさそうね)
状況の整理を終えた木庭は、聞き出したい情報に誘導するための会話の流れを頭の中で組み立て始めた。
余談だが、今の香は千年将棋の能力を一切発動できず、他の駒との繋がりも全て断たれており、水上の本家の敷地から一歩でも外に出ると『結び』の効果が切れて意識が香の本体へと戻るようになっている。そのため、完全に無力な状態だ。
「すっ、すみません!入ってもよろしいでしょうか?」
「いいわよ。どうかしたの?」
一旦考えを止め、焦った表情で入室してきた女性事務員の言葉を聞く。
「じ、実は……」
「木庭はどこだ!話がしたい!!」
女性事務員が言葉を発する前に、開かれた扉の先から野太い声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声に、木庭は頬を引き攣らせる。
「もしかして今のは……」
「……はい。市内の病院で療養しているはずの火野山大様です。木庭様に話があると言い、病院から許可なく抜け出してここまで来たようです」
「そういえば札幌にいたんだったわね。それにしても、話ってなんなのかしら?」
木庭は首を傾げながら疑問を投げかける。
「今は体調が良いから、千年将棋が放った妖の討伐に協力させてほしいとのことです。万が一何かあってはいけませんし、現在は術師の数も足りている状況ですので、病院に待機していた職員が無理だと説得したのですが……話にならんと言ってここまで来られたようです」
「なるほどね……」
火野山業は神前試合のあとに当主の任を解かれており、現在は大が火野山家当主に再任していた。
しかし、まだ療養が必要な体であるため、札幌市内の病院で療養を続けていたのである。
「一応は火野山家現当主だもの。止められないのも仕方ないわ……」
他家とはいえ、当主は当主だ。そんな相手を説得するのは、同じく当主クラスの人間でなければ荷が重い。
「もしかして……」
そこまで考えた木庭は、龍海の真意に気付き頭を抱える。
香からの情報収集だけでなく、火野山大の暴走も抑えてもらうために、龍海は木庭に当主代理を任せていた。
「私をここまでこき使って……討伐作戦に失敗したら絶対許さないんだからっ」
木庭は誰にも聞こえない声でそう呟き、席を立った。
「火野山さんの説得は私がするわ。案内……はしてもらわなくても、声で場所はわかるわね」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
執務室を後にする木庭の背中を見た香は、一瞬だけ同情の視線を飛ばした。
「術師の世界も大変ね〜」
そう呟いたあと、香はすぐにテレビ画面へと視線を戻す。
そこには、『東北のお祭り特集!』というテロップと共に、現在開催中のねぶた祭りの映像が映し出されていた。
(みんな。がんばってね……)
仲間達の計画の成功を、香は心の中で静かに祈り続けた。