123話「音を置き去りにした拳」
金森家の血筋のみが習得できる秘術、『無上・金は時なり』。
現在保有している金銭や今後金銭が得られる可能性を対価にすることで、指定した空間内の時間を加速する術である。
ちなみに、保有している金銭を対価にした場合はすぐにお金を失うわけでなく、不要な買い物をしてしまったり投資に失敗してしまったりといった形でお金が減っていくそうだ。
「本来ならもっと加速できるんやけど、今は精々3倍ってところやな」
「3倍って、5日から15日に伸びたってことですか?」
「せやで。代謝や傷の治りも加速したままや。ただ、世界の修正力の影響で体の成長だけは加速せえへん」
「ここで3日過ごしても体の成長は1日分っていうことですか?」
「そういうことや。どちらかといえばむしろメリットやろうけどな」
確かにメリットではあるが、それって大丈夫なのか?
医学的なことは全然分からないけど、時間は加速してるのに体の成長速度は普通って、ちょっと怖い気がする。
「不安そうな顔しとるけど、時間のズレによる体への悪影響は一切ないから安心してええで。金森家の術師が何代にもわたってこの術の影響を受けてきたけど、なんの問題もなかったわ」
「あ、そうなんですね」
「金稼ぎの前提は健康やからな。そこら辺は抜かりないで」
不安を察した謙蔵さんが自信満々にそう説明してくれた。
どうやら、本当に悪影響は一切ないらしい。習得できないのが残念に思うほど優秀な術だ。
「前々から気になってたんですけど、この術発動するのに一体いくらくらいかかっているんですか?」
潤葉さんが不思議そうな表情でそう聞いた。
煉さんも気になっているようで、謙蔵さんの答えを待っている。
「条件によってピンキリなんやけど、この人数がいるそれなりの広さの空間を5日間3倍速やから……今回は大体30億くらいやと思うわ」
「30億円!?」
想像よりも遥かに桁外れな金額に思わず叫んでしまった。術の発動に30億円……とんでもない対価だ。
習得できてたとしても金銭的な問題で使えない。
「あれ?でも、そのお金ってどこから出ているんですか?謙蔵さんの貯金からとかですか?」
術式の発動に使用された30億円という莫大な金額。それの出所をふと疑問に思ってしまった。
俺の修行のために発動してくれた術であるため、誰かが30億円を肩代わりしてくれたとしたら申し訳なさすぎる。
「貯金はもうないで。遺産は全部叶恵や親戚に分けられたはずやから、今は亡くなる時に持ってた金以外何もあらへん。もちろん、こんななりじゃ将来稼げる可能性もほぼゼロやな」
そう苦笑しながら、謙蔵さんは説明を続ける。
「実はな、『無上・金は時なり』の対価は誰かに貸した金銭からも捻出できるんや。こんな事態を想定してたわけやないけど、生前は利子なし返済期限なしで色んな奴らに金を貸しててな。今回の分はそいつらに対価が降りかかるわけや!」
「儂が亡くなって踏み倒そう思うとった奴らもおったやろうけど、そうは行かんでぇ!」と、謙蔵さんが満面の笑みで説明してくれた。
ちなみに、対価の支払いは返済意思のない人が優先的に選ばれるようになっており、謙蔵さんが大切に思っている叶恵さんや金森家の人達に何らかの形で恩義を返した人は対象から外れるそうだ。
どこまでも良くできている術だと思う。
「それでも、この修行のために30億円が動いたんですね……」
「一応言っとくけど、結城くんが悪く思う必要は一切ないで。儂らの都合を押し付けてしまったんやから、これくらいの協力は当然や」
「そうさね、変な気を使う必要はないよ。30億なんて謙蔵の坊主にとっちゃ端金さね」
「いや、流石にそんなことはないで?結構な金額やで?」
謙蔵さんのツッコミをスルーしつつ、スエさんが言葉を続ける。
「さて、それじゃあとっとと修行を始めようじゃないか。煉、ちょっと来な」
「……はい」
何をされるのかと少しビクビクした様子で、煉さんがスエさんのもとに近づいていった。
「少しだけ我慢しな」
「……ゴフッ!」
直後、煉さんの腹部をスエさんの手刀が貫いた。
まさかの衝撃展開に、俺だけでなく謙蔵さんと潤葉さんも目を見開いて驚いている。
「安心しな。今のあたしらの体はこのぐらい平気なのさね。そうだろう煉」
「……は、はい」
全然平気そうな様子ではない煉さんは、穴の空いた腹部を手で押さえながら立ち上がった。
「今のあたしらの体は、常世結界の効果を応用して作っているのさね。簡単にいうと、式神や妖と似たような状態だね」
「霊力で体が作られてるっていうことですか?」
「そういうことさね。だからこそ、この常世結界内であれば木っ端微塵にされても問題はないんだよ。多少修復には時間がかかるけどね」
そう言いながらスエさんが指差すほうを見ると、煉さんの腹部の穴はもう治りかけていた。
凄い修復速度だ。
「修行中に遠慮する必要はないよ。常世結界を傷付けるような攻撃は控えて欲しいけど、それ以外は本気で挑んでくれて構わないさね」
「わ、わかりました」
これを伝えるために煉さんは腹部を貫かれたのか……。
「そういえば、俺も身代わり札を作れるので、本気で挑んでもらって大丈夫です」
「身代わり札を作れるって……本当かい?」
「は、はい」
「1日に何枚くらい作れるのさね?」
「えっと、修行に必要な体力を残したとして……少なくとも10枚くらいは作れると思います」
「少なくとも10枚……ふふふっ、それは本当に素晴らしいね。こんなに教えがいのありそうな弟子は初めてだよ」
不敵な笑みを浮かべながらそう呟くスエさんの顔がめちゃくちゃ怖い。
謙蔵さん達も僅かに怯えている。
「時間が勿体無いから早速始めるとしようかね。今は身代わり札を貼ってるかい?」
「一応、3枚貼ってます」
「それは重畳さね。2回は死ぬくらいの威力で試せるね」
「えっ……?」
そう呟いた直後。周囲の景色がものすごい勢いで過ぎ去り、いつの間にかコンクリートの壁にめり込んでいた。
「……なっ、痛っ……えっ?」
身代わり札の効果ですぐに消えたが、少し前まで腹部に痛みを感じていた。
おそらく、腹部を殴られた衝撃で建物を幾つも貫通しながらここまで吹き飛ばされたのだろう。
「まさかあたしが加減を間違えるほどとは思わなかったよ。身代わり札は何枚残ってるさね?」
「スエさん!?」
気がつくと、目の前にスエさんが立っていた。
さっき立っていた場所から数百メートルは離れていそうだが、何らかの方法を使い一瞬で移動したのだろう。
「身代わり札は何枚残ってるさね?」
「あ、はい。えっと……2枚、です……」
スエさんの一撃は見えなかったが、無意識に反応はできていた。
ディエスとの訓練のおかげか、攻撃を受ける瞬間に全力で『強化』の異能を発動していたのである。
しかし、それでも身代わり札を1枚消費した。
つまり、一度死んでいたのだ。
「ふふふっ、ますます見所があるね」
「いや、見所って、今の一発で身代わり札1枚失ってるんですけど……」
「あたしは2枚失わせるつもりで殴ったんだよ。もちろん、拳を当てる瞬間に妙な術を発動していたから、それに合わせて威力も上げた。でも、坊主はそれを上回った。見事だよ」
褒められているはずなのだが、スエさんの笑顔が怖すぎて素直に喜べない。
「さて、身代わり札はあと2枚残っているね?」
「そ、そうですけど、もう少しお手柔らかに……」
「さっきの自分を超える覚悟で防ぎな。でないと、死ぬさね」
スエさんがそう話した直後。音を置き去りにした拳が俺の顔面に叩き込まれたのだった。




