122話「すでに勝敗の決した戦い」
本来幸助が泊まるはずだった旅館の一室には、温泉や食事から戻ってきたクロ達と潤叶の姿があった。
その全員の視線は、部屋のテーブルの上に置かれていた小指の爪ほどしかない小さな紙に書かれたメッセージに向けられている。
『心配しないで、戦いまでに戻る。幸助より』
小さい字ではあるが、筆跡と紙から香る匂いが幸助のものであることはニアとクロがすでに確認済みだった。
「裏面には、『結界に干渉ダメ。勝つために修行中』……ですか。情報は少ないですけど、幸助くんは無事なんですよね?」
「おそらく無事だ。主従の繋がりによって幸助の感情の起伏を微かに感じとれるのだが、危機的状況には置かれていないように思う」
潤叶の問いかけにクロはそう答えた。
驚愕や焦燥感といった様々な感情の変化を感じはするが、危険な状況ではないことも感じとっていたのである。
「以前、幸助が護衛のバイトをしていた際に格闘術の訓練を受けていた。その時の感情の変化に近い状態のように思う」
「幸助くんはどこかで訓練を行なっているということですか?」
「おそらくそうだろう。複数の術が絡み合っていて正確な場所は掴めないが、そこまで遠くないどこかで、外界と隔絶された結界の中にいるようだ」
クロと同じく、主従の繋がりを持つシロ達も幸助の感情の変化を感じ取っており、同じ考えに至っていた。
「もしかするとその結界への影響を最小限に抑えるために、この小さな紙を小型の式神とかに持たせて送ってきたのかもしれないですね」
「そうかもしれんな」
常世結界脱出時の短距離転移を利用してメッセージを送ってきたのだろうとクロは考えていたが、その点を除けば潤叶と同じ考えであるため同意を示した。
「それで、このことをお父さんに伝えるために私を呼んだんですか?」
「いや、逆だ。このことは誰にも伝えずに、幸助が普通に存在しているよう過ごして欲しい」
「えっ、どういうことですか?」
疑問を口にする潤叶へクロが説明を始める。
「今回の作戦において幸助の存在は重要となってくるはずだ。そして、千年将棋は幸助の存在を警戒していると儂は考えている」
「たしかに、それは私も思いました」
幸助が常世結界を破壊しながら脱出し、駒の一体である桂や切り札の一体だと思われる大儺を倒したという情報は、すでに千年将棋の全体に共有されているはずだ。
その場合、千年将棋は幸助を警戒している可能性が高いと潤叶は考えていた。
「仮に内通者がいた場合、幸助がどこかで修行しているという情報が知られてしまえば……」
「それを妨害するために刺客を送り込んでくるかもしれませんね」
そう答えた潤叶の言葉を聞き、クロは首を縦に振った。
「幸助くんがいないことを隠す理由はわかりました。ですけど、実際に幸助くんの姿がないので隠し続けるのは難しいと思いますよ」
「その点は考えてある。ウル、ニア頼む」
「りょーかい!」
「任セテクダサイ」
そう答えながらウルとニアが隣の部屋に向かうと、しばらくして潤叶の予想していなかった人物がその部屋から戻ってきた。
「こ、幸助くん!?」
その人物とは、見た目も雰囲気もそのままの結城幸助だったのである。
「やっほー潤叶っち。幸助だよ〜」
「ぜ、全然幸助くんじゃない!」
しかし、口調と仕草は似ても似つかなかった。
「ウルのゴーレムに儂の幻術を合わせて作った幸助の偽物だ。細かな制御はニアだが、操作はウルが担当している。見た目はよほど詳細に調べられない限り誤魔化せるはずだ」
「確かに雰囲気はそっくりですけど……」
潤叶が部屋へ訪れる前に用意していた偽物幸助だが、当初はニアが操作を担当する予定だった。
しかし、幸助を演じられるという貴重な機会を逃したくないウルのわがままによって、操作はウルの担当になったのである。
「大丈夫大丈夫。潤叶っち、任せてくれい」
「ウルさん本当に似せる気あります!?」
潤叶はクロのほうを向きながら目で助けを求めたが、「大丈夫だ」という力強い目線しか返ってこなかった。
「えっと、まずは幸助くんの口調を真似する練習から……」
「おーい!結城幸助はいるか!?」
突然部屋の外から聞こえてきた幸助を呼ぶ声に、潤叶は少し驚いた表情で入り口を見つめた。
クロ達は事前に気配を感じ取っていたため、そこまで驚いた様子はない。
「この声はもしかして……」
「儂も聞き覚えがある声だな」
シロとリンも2人の言葉に頷き、認識を共有した4人は警戒心を高める。
「はいはーい!」
そんな中、陽気な口調で来訪者を出迎えに行く偽幸助。
「ちょっ……!」
不意をつかれた潤叶達はそれを止められず、部屋の扉が開かれた。
「お前が結城幸助か?」
「えっと、人違いです」
「嘘つけぇ!どう見ても本人だろうが!」
「ところで、あなたは誰ですか?」
「チッ、もう忘れられてんのかよ……火野山家の筆頭陰陽術師、気炎剛毅だ!」
「どうも初めまして」
「初めましてじゃねぇ!」
潤叶は突然来訪した気炎の存在よりも、ウルの演技力に驚いていた。
多少緩い感じはあるものの、口調や動作は普段の幸助に瓜二つだったのである。
「……ウルさん、さっきとは全然違いますね」
「先ほどのウルの口調は全て冗談だ。お主が部屋へ訪れる前に練習した際は完璧に幸助を演じていた」
だから「大丈夫だ」という力強い目線しか返ってこなかったのかと納得した潤叶は、偽幸助と気炎のやりとりを黙って見守る。
「まぁいい。まどろっこしい話はなしだ。結城幸助、俺と勝負しやがれ!リベンジマッチだ!」
「えっと……嫌です」
「てめぇ、逃げんのか!?」
「逃げるも何も、戦うことに何のメリットもないですから。嫌です。それではっ」
完璧とも言える幸助ムーブで話を切り上げたウルはそのまま扉を閉めようとするが、気炎は強引に足をねじ込み、それを止めた。
「待て待て待て!」
「まだ何かあるんですか?」
「確かにお前の言う通りメリットはねぇ。そうだな……もしもお前が勝ったら、作戦期間中はなんだって言うことを聞いてやるよ」
「……えっ、なんでも良いんですか?」
「なんだっていいぜ。作戦中は同じ班らしいからな。お前がもしも勝ったら、殿でも囮でもなんでもやってやる」
「殿とか囮とかはどうでもいいです。それよりも、厳密には作戦期間中って準備期間の今とかも含まれますよね?」
「まぁ……そうだな」
「わかりました。その戦い、受けて立ちます!」
「ええっ!?」
「あ?水上潤叶も部屋にいんのか?」
潤叶の声に気付いた気炎は、不敵な笑みを浮かべながら更なる提案をした。
「ちょうどいいな。三鶴城も参加する予定だったんだ。こちらとしては水上潤叶も参加してくれると助かる」
「いや、潤叶さんが参加する必要はないよ」
「んだと?」
部屋の奥から出てこようとする潤叶を手で制した偽幸助に対して、気炎は鋭い視線で不機嫌そうな声を上げた。
「そのかわり、シロとリンを参加させてもいいですか?もちろん、そちらは三鶴城さんっていう人を参加させてもいいので」
「シロとリンってのはお前の式神だろ?んなもん参加させて当然だろうが!その上でもう1人呼んでいいっつってんだよ」
「その必要はないです。こっちは俺とシロとリンを、そちらは気炎さんと三鶴城さんで戦いましょう」
「……随分な自信じゃねぇか」
幸助と式神を含めて1人とカウントしている気炎は、ハンデを与えられていると感じて怒りを滲ませる。
しかし、偽幸助の背後でその話を聞いていたクロ達は、ウルとニアとシロとリンの4人対2人という圧倒的な戦力差に苦い顔をしていた。爆鬼や三刀像を含めても、その戦力差は非常に大きいだろう。
「あ、どうしてもと言うのなら、リンに刀をもう一本持たせてもいいですか?最近二刀流になったので」
「チッ、こっちは2人がかりなんだ!いくらでも持たせりゃいいだろうが!」
偽幸助一行にカルが加わった。
「それじゃあどこで戦います?早く終わらせたいんですけど」
「お望み通りさっさと終わらせてやるよ!一緒にこい!」
何でも言うことを聞くという気炎の言葉を思い出し、不敵な笑みを浮かべるウル。
取り返しのつかないことにはならないだろうと思い、一連の流れを黙って見守っていたニア。
新技の訓練にちょうどいいと感じ、実は待ちきれない様子のシロとリン。
術師との初の戦闘に、何か得られるものはないかと思案に耽るカル。
それぞれの思いを胸に、すでに勝敗の決した戦いが始まろうとしていた。