第1章 3
3.
課せられたノルマがやっと終わり、バックアップを取っているとインタフォンが鳴った。
「遠夜!開けてくれ」と啓司が叫んでいる。
「…なんだよ~」
見ていたかのようなタイミングに恐れを抱きながらドアを開けると、両手に何やら箱を持った啓司と両手に袋をぶら下げている貴彦がいた。
「…何、何なのいったい」思わず避けながら遠夜が呟くと「入るぞ~」と啓司がどかどか入ってくる。
「お邪魔さん」貴彦がニッコリ笑って入ってきた。
「汚い部屋だな。毎日掃除入ってんだろう?」ゴミだらけのテーブルをざっと片付けて箱を置きながら啓司がブツブツ言う。
「寝てたいからあんまり掃除はしてもらってない」と遠夜が言うと「なんっだそれ!」と激怒し「判った。明日から俺が起こす」指を遠夜に突き付けて言った。
「え~~~嫌だ!」安眠まで妨害する気か!
「ヤダじゃないっ!俺だって何が悲しくて野郎にモーニングコールしなきゃならんのだ!」
「遠夜、朝食に来ないことも多いよね」貴彦が心配そうに言う。
「この莫迦!朝食を食わないとお前の場合、作業効率が6.7%も落ちるって何度も言ってるだろう」
「寝ないともっと落ちるんだよ~~」遠夜は情けない声を出す。
「それはただの怠慢だ!お前のバイオリズムではそんなに寝なくて大丈夫だ」啓司は決めつける。
「お前の作業プログラムが変わるかもしれない。本当に朝寝坊なんかしてる場合じゃなくなるかもしれないぞ」
「…え?」今なんて言った?
「まあまあ。遠夜、今度こそ仕事終わったんだろ?
お菓子とか飲み物持ってきたから。皆で食べよう」
取りなすように貴彦が言って、啓司の持ってきた菓子の箱を開ける。
色とりどりのプティフールに上生菓子。クラッシュゼリーをあしらった小さなパフェもあればミニホールのショートケーキもある。
「何だこれ…」女子会かよ。遠夜は度肝を抜かれて呟く。
「今日、国際経済学会でな。トウキョウが開催地だったんで、手伝いに駆り出された。
で、本宮教授への差し入れが全部こっちへ回された」
「女子棟にあげれば良かっただろ?!」
「女子にも神奈川先生へのすごい量の貢物が回されたんだ。仕方ないだろう」
「神奈川先生、グローバルに人気あるもんね」貴彦が苦笑して言う。
「遠夜は何を飲む?」グラスを取って、貴彦が袋の中身を見ながら訊いた。
「何があるの?」
「んー、コーラとオレンジとミルクティ」
「甘いよ!このお菓子食べながらそれ飲めないよ!」遠夜が悲鳴のように言うと、貴彦と啓司は「確かに…」と笑った。
「じゃあ、ご自慢のコーヒーをふるまってくれ。ジュースは俺がなんとかする」啓司は言って、袋の口を閉じた。
遠夜がコーヒーを淹れて出すと、それぞれ思い思いにお菓子を取ってつまむ。
しばらくして、啓司が口を開いた。
「遠夜、さっき食堂で貴彦に話していた件だけど」
「うん…」何だろう。食堂がざわついていたのと関係あるんだろうか。
「地上都市東京から、新しく頭脳が来ることになった」
「ふうん…別に珍しいことでもないだろ」
「赤ん坊や幼児ならな。それが俺たちと同じ17歳なんだ」菓子を口に入れているはずなのに、苦いものでも食べているかのような顔で啓司は話す。
「えっ…!」遠夜は口に運ぼうとしていた菓子を取り落としそうになった。
「そんなことあるの?」
「前例はない。でも実際に起こったことだ」啓司はマグカップを持って、コーヒーを口に含む。
「さっき検査結果を見せてもらったんだ。非常に稀有なケースだ。今まで見落とされていたんだな」
貴彦は沈んだ声で言う。
「だったら今更、トウキョウに来なくても…」17歳でいきなりここに来てこの監獄のような生活に耐えられるのか?
「そういう意見も多かったんだけどな」啓司もため息をつく。
「見過ごすには能力が高すぎる。加えて精神の数値も高いから、ちゃんとコントロールできるように訓練しないと」
「遠夜みたいにポルターガイストの嵐が毎日巻き起こることになる」貴彦は当時を思い出したように片手で目を覆った。
遠夜はタルトを噛みながら「なるほどね」と呟いた。
俺みたいなのが来るのか。そりゃ大変だ。
「それで、だ」
啓司は遠夜の方を見て、厳しい表情と口調で言った。
「俺と貴彦は、その年食った新人の教育を担当することになった。お前っていう実績があるからな」
ああそうですか。遠夜は無視してコーヒーを飲んだ。耳も塞いでやりたいくらいだ。
「だからお前の方に今までのように注力することはできない。もっと自覚を持って仕事なり生活をしろ」
「はいはい」投げやりに呟く。べつに頼んでないしー。
「それとね、遠夜にも協力を仰ぎたい」
貴彦が遠夜を見つめて言った。
「俺に?」
「うん。性格はまだよく判らないけど、能力のタイプ的には君に似てるんだ。君ほどの高い能力は勿論持ってないんだけどね」
「だから、遠夜にはその新人のメンタル面でのフォローをしてもらいたい」無理だろうけどな…と思いながらも、啓司は一応頼んでみる。上層部と貴彦の意見だから仕方ない。
「俺にそんなことができるわけないだろ?!」
案の定、遠夜は即座に否定する。
貴彦は遠夜の感情に、不安定な色が濃く混ざるのを感じる。
これは、不安な感情。
「大丈夫だよ、別に彼を救えと言ってるわけじゃない。話を聞くとか、食事を一緒にするとか、そんなことでいいんだ」
なだめるように、貴彦は言う。
「友達になってやれってことだよ。難しいことじゃないだろう」
啓司は殊更にさらっと言う。遠夜には難しいよな。判ってるけど。
「無理。二人とも判ってるくせに!」遠夜は激しく首を振って拒否する。
不安な感情が濃密になり、怒りの感情が混ざり始める。
潮時か。貴彦は決断した。
「判った。すぐにとは言わない。時間をかけてやっていこう」
遠夜の肩に手を置いて言った。
ヒーリングの精神波をほんの少し送り込む。
遠夜の感情が少し落ち着いた。
「とにかく、明日の朝から俺が起こす。覚悟しとけよ」啓司が言って立ち上がった。
「え~~~」遠夜は不満そうに口を尖らせた。
「明日に備えて早く寝ろ。明日も仕事がてんこ盛りだ」
「うげ。どーなってんだよこの頃。おかしいだろこの仕事量」
「うるさい。皆増えてるんだよ。お前だけじゃない!」イライラして啓司は言った。
まったくコイツは何も解ってない!
ぶつくさ文句ばかり言う遠夜を叱りつけながら3人で食べ散らかしたお菓子を片付け、貴彦と啓司は遠夜の部屋を辞去した。
廊下を歩きながら啓司は貴彦に
「やっぱり遠夜には無理なんじゃないか?」と話しかけた。
しばらく無言で歩いていた貴彦は
「うん。でもやっぱり、これからの遠夜の人生というかここでの生き方を考えたら、必要不可欠な挑戦だと思う」きっぱり断じた。
「それはそうだけど…」啓司はため息をつく。
地下大都市トウキョウにおける将来の幹部候補。
それはここに来た時からの遠夜の運命だ。
なにしろ、17年間ずっとこのトウキョウでブレインの最高値をマークし続けている。
トウキョウ始まって以来の天才と言っていい。
「しかしなあ、性格に難ありすぎだろ」いつまで経っても子供のようなあの幼稚さ、感情の表し方。
「まあ確かに…」貴彦も苦笑する。
「だけど俺たちしかいないんだよ、遠夜には。
ああいう天才と同時代に俺たちがトウキョウにいるっていうのは、天の配剤なのかもしれない」
自分だってサイキックでは過去に例を見ない程のずば抜けた能力を持つ貴彦は、考え込むように言う。
啓司はその端正な横顔を眺めながら、自分の感情に嫉妬が混ざるのを抑えることができなかった。
俺なんか、ブレインとしては2流だ。
この事務処理能力と、遠夜に対しての指導力(何故かあの遠夜が啓司の指示にだけは従う)によって多少上層部に重用されているだけの話だ。
貴彦と別れて自分の部屋に入ると、啓司は余った菓子の入った箱をごみ箱に叩きつけるように捨てた。
こんな負の感情は良くない。
俺は、俺の役割を果たすだけだ。
地下大都市トウキョウの未来とか、地上都市東京の行く末とか、俺には関係ない!