第2章 5
5.
翌朝、啓司はいつもより早く目覚めた。
何だろう。
真人との初仕事だから、緊張しているのかな?
そんなタイプでもないと思うんだが…
もう一度眠るほどの時間はなかったので、起きて支度してラウンジへ行った。
コーヒーでも飲みながら一仕事片付けようと思ったのだ。
「おう、啓司。ずいぶん早いな」ラウンジに入るとすぐに声をかけられた。
声のした方を見ると大神医師が笑って手を上げている。
啓司は軽く会釈しながら大神医師のいる席の横に荷物を置き、コーヒーとデニッシュを取って戻って横に座った。
「今日から真人のマネジメントもするんで」啓司がコーヒーをすすって言うと、大神医師は「マヒト…?ああ、地上都市から来た子か。結構大変そうだって?隆一から聞いた」と心配そうに言った。
「いえ、それが悠美さんの魔法のような精神感応でいきなり軟化しまして。
子供ではないし、まあ、大丈夫だと思うんですが。
貴彦も、遠夜に比べれば誰でもいい子ちゃんだと言ってましたし」
大神医師は大笑いして「それもそうだな。あ、それで遠夜その後どうなった?」昨日の朝の騎士ぶりを啓司からの報告で聞いて、その後もぜひ聞かせてくれと好奇心むき出しだった。
「いや、それがですねえ…」昨日の夜の、遠夜と恭香の電話の内容を話すと、大神医師は「ケッサクだなあ~」と腹を抱えてゲラゲラ笑った。
「どうやら相手は手ごわいな」笑いすぎて涙を拭きながら言う。
「うぶな遠夜では太刀打ちできなさそうですね。俺たちもあまり深く関わらないようにとは言ったんですが、どうも振り回されそうな気がします」パソコンの画面を見ながら啓司は言った。
「いや、朝から楽しい話を聞かせてもらったわ。仕事の邪魔して悪かったな。
お前はどうだ?その後大丈夫か?」立ち上がって白衣のポケットに手を突っ込み啓司を見下ろしながら言う。
啓司は大神医師を見上げながら、微笑んだ。
「…はい。遠夜も貴彦も、俺が思っていたよりずっとずっと懐が深いというか度量のある奴らでした。
俺を兄弟だと言ってくれました」
穏やかに微笑む啓司を見て、大神医師は心の中で治療終了、転帰治癒、とハンコを押した。
「そうか、奴らの兄弟というのも結構骨が折れそうだが、お前ならやれるだろ」
「はい」照れたように笑う。
じゃあな、と言って大神医師が去っていくと、啓司は集中して仕事に取組み朝食前にひとつ終わらせた。
一息ついてコーヒーを飲んでいると何やら聞きなれない言葉を話す3人の男性が入ってきて、啓司の隣のテーブルに座った。
ウェアラブル端末に音声を聞かせて検索すると「広東語」と表示された。
ああ、恭香が言ってた梁さんか。どの人かな?
ひとりは20歳前後、二人はもっとずっと年配だ。40代くらい?
講演会を聞いたという遠夜が、やたら感動してたな。歴史と時事と地上都市のことを勉強したいとか言ってたくさんの資料を読み込んでいたが…
ウェアラブル端末がアラームを鳴らし、啓司はテーブルの上を片付けて食堂へ向かった。
「おはよう啓司」貴彦が気づいて手を上げる。
「おはよう。あ、いけね、遠夜起こすの忘れてた」ウェアラブル端末で電話をかけようとすると「あ、俺声かけてきた。たぶんそろそろ来ると思う」と貴彦が言う。
「すまん。助かった」啓司は隣に座りながら言った。
「いや、啓司の部屋にも寄ったんだけど、いないみたいだったから」
「何かあったか?」
「昨日、夕食の後、悠美さんとたまたま行きあって、真人の様子を聞いたんだよ。
簡易精神鑑定の時とか、その後の」貴彦は何故か俯く。啓司には顔が少し赤らんでいるように見えた。
「それで?」
「反抗的な態度はたまにあるらしい。でも、それは単に悠美さんに甘えてるみたいなんだ。
今まで自分を受けいれてくれる人がいなかったから、悠美さんをお母さんとかお姉さんとかそんなふうに思っているみたいで」
「そうか…」生い立ちを考えれば無理もないのかな。
「俺たちとも仲良くするように、悠美さんから言われたから、という側面があるようだ。
だからそれを俺たちも理解したうえでつきあって欲しいと」
「ははあ…自分の意思ではないわけだ」啓司は苦笑いした。
「惚れなきゃいいけどな…」啓司が呟くと貴彦はぱっと顔を上げた。「誰が?!」
「え?いや、真人が、悠美さんに」啓司は驚いて身を引いた。なんだ?この反応…
「そうなんだよね。それはまずいよ」拳を唇にあてて呟く。
あまりに真剣な貴彦の様子に、啓司は違和感を覚えた。どうしたんだ、いつもの貴彦じゃない。
「貴彦…?」恐る恐る、どうしたんだ?と訊こうとすると、貴彦は取り繕うようににこっと笑った。
「ま、俺たちは俺たちでできることをやるしかないよね」
「あ、ああ…」
その時、食堂に真人が姿を現した。立ち止まって戸惑ったように見回している。
「真人!」と啓司が呼んで手を上げると、ほっとした表情になって歩いてくる。
「おはよう。来てくれてありがとう」貴彦が微笑んで挨拶すると、真人は照れたように笑って言った。
「おはよう、一昨日はごめん」
真人の耳には遠夜と同じようなイヤーカフがついていた。
真人の精神感応力が抑えられたことで、貴彦との精神波の不和も気にならなくなったようだ。
「あ、もう一人の人は…?」真人が見まわして言う。
そこへ遠夜がグダグダな感じで「おはよ~」と歩いてきた。
昨夜の恭香との電話のダメージがまだ尾を引いているらしい。
貴彦と啓司は可笑しいのを堪えながら「おはよう遠夜」と言った。
4人で朝食を食べながら、真人にここでの生活について訊いた。
「まだ、何も始まっていないからよく判らないけど…」と言い淀み「君たちはまだ未成年なのに、毎日毎日仕事ばかりしているんだな。決まった休日もない。地上都市では考えられない拘束だ。こういう言い方は良くないけど。なんていうか、奴隷みたいだ」と申し訳なさそうに言った。
3人は顔を見合わせた。
「そうなの?ここではこれが普通だけど。休みの日って何してるんだ?」遠夜が訊く。
「休みの日は…そうだなあ。遊園地とか動物園とかに遊びに行ったり、映画を見たり買い物をしたり、スポーツをやったり観戦したりという趣味のことをやったり、文字通り家でゆっくり休む人もいる」
へえー…3人は同時に声を上げた。
カルチャーショックというのか、自分たちとは違う生活を営む人々の文化に衝撃を受けていた。
「じゃあ、真人はそういう固定された休日が欲しいのか?」啓司は訊いた。もしかしたら上層部との話し合いが必要になるかもしれない。
「いや…まだホント、ここの生活がどんなものか解ってないから何とも言えないけど。
皆が働いているのに自分だけ休むのも悪いし、一緒に遊ぶ人もいなかったら結局一人でつまらないし…」
困ったように首の後ろに手をあてる。
「そうか…それもそうだな。
まあとりあえずここの生活に慣れたら、また相談しよう」啓司は言って、遠夜と真人に今日のスケジュールを伝えた。
その日一日、遠夜と啓司と貴彦はそれぞれの業務に従事しながら真人の『奴隷みたいだ』という言葉を反芻していた。
自分たちの生活に疑問を持ったのは、これが初めてだった。