第2章 3
3.
翌日、啓司が朝食を摂るため食堂へ行くと、何やら緊張した面持ちの遠夜と、その遠夜を面白そうにニヤニヤしながら眺めている貴彦がいた。
何だ??と思っていると、遠夜の横にトレーを持ってきて座ったのは、あ!黒髪ポニーテールの女の子だ!
あの娘か!大神医師が言ってたのは。
「おはよう、貴彦、遠夜」声をかけると、遠夜はホッとしたように「啓司」と言って、ポニーテールの女の子に「こいつは啓司。俺のマネジメントとかやってくれてる」と紹介した。
「啓司、この人は技術の恭香さん」
「初めまして、恭香です。貴彦さんと遠夜さんと、よく3人でいらっしゃるのお見かけするわ」
大きな黒い瞳で啓司を見つめながらにっこりする。
「初めまして。啓司です。お見舞いに来てくださったそうで」
〔貴彦の〕とは言わずに、啓司もにこっと笑う。
恭香は一瞬、焦ったように瞳を揺らしたが「お元気になられたようで何よりだわ」と微笑んだ。
「二人は?もう食ったのか?」啓司が訊くと「いや、これから」という返事があったので三人で席を立つ。
「あの子か?大神医師が言ってた…」小声で啓司が訊くと貴彦は笑みをにじませて頷いた。
「遠夜ったらもうオカシイくらい緊張しちゃって」クククと笑う。
「恭香さんは貴彦に会いに来たんだから、貴彦が横に座れ!」遠夜は半ば本気で怒っている。
「いやいやいや。恭香さん自ら君の隣に座ったじゃないか?」貴彦はからかう。
貴彦はその端正な容姿と洗練された物腰、優しい性格で、幼いころから女子・女性たちからの絶大な人気を誇っていて、視線には慣れっこになっている。
恭香が自分に好意を寄せているとしても、それは単に憧れみたいなもので、本気の思いじゃない。
現に恭香は先ほど、まっすぐに遠夜をめがけて声をかけてきた。
貴彦を意識したのは、遠夜があたふたして貴彦に救いを求めるような視線を送ってからだ。
でもこれは、遠夜が喜んじゃうから教えてあげない。
内心でぺろっと舌を出す。
朝食のトレーをそれぞれ選び、席に戻ろうとすると恭香が同い年くらいの男に話しかけられている。
恭香の様子から察するに、あまりいい感じではない。
割り込んだ方がいいか…貴彦はそちらへ行こうとしたが、遠夜が足を止めた。
「誰かと話してるね。別の席にしよう」遠夜は傷ついたような安堵したような複雑な表情で言うと、向きを変えた。
貴彦が「いや…」と言いかけた時、「遠夜さん!」と恭香の大きな声がした。
遠夜がはっと振り向くと「こっち、こっち!一緒に食べるって約束してたじゃない」と手招きする。
その表情が必死で、遠夜は急いで恭香の隣へ行った。
「ごめん、恭香。そうだった。…こちらは?」内心の動揺を押し隠し、笑顔で言う。
「技術の裕太。裕太、こちらは頭脳の遠夜さん。
いろいろ話があるから。また今度ね」
恭香は話を切り上げようとしたが、裕太は諦められないように「また今度っていつもじゃないか、今度っていつなんだよ」と言い募る。
「今日じゃないってことだろ。今日は俺と話があるから、別の機会にしてくれるかな」遠夜はせいぜい余裕を見せて、上から目線で言う。
裕太は舌打ちして遠夜をにらみつけると「必ずだぞ!」と言って食堂を去っていった。
その姿を見送って遠夜と恭香は、はーっと大きく息をついた。
「ごめんなさい、巻き込んじゃって…ありがとう」恭香は大きな瞳を潤ませて遠夜を見つめた。
「いや…怖かった…」遠夜は胸に手を当て正直に言った。
「遠夜よくやったなぁ。偉い偉い」
「姫を守る騎士だったぞ~」
向かい側に貴彦と啓司がトレーを置き、拍手した。
「お前ら…そこでただ見てたのか?」遠夜は睨みながらギリギリと歯ぎしりする。
「だって…なあ?」「うん。出る幕なかったし」
二人で頷きあう。
「それにしても、あの裕太?ずいぶんしつこいね。どういう経緯?」
席についてパンをちぎりながら貴彦が訊く。
恭香は沈んだ表情で俯いた。
「裕太は技術者としては優秀で、小さいころからチームを組んで実習や仕事をすることが多くて…
私に好意を持っているのは判ってたんだけど、一緒に仕事をしていくうえで関係をこじらせたくないと思ってずっと曖昧な態度を取っていたら、最近強硬になってきてひとりでいると付きまとうような感じに」
「コーディネータには相談した?」啓司が訊いた。
チームでやるような仕事の場合、必ずチーム外に中立的な立場のコーディネータがつくことになっている。
能力で分けるとチームメンバーが毎回ほぼ変わらないので、もめごとを防ぐためだ。
「いえ…」ポニーテールを揺らして恭香は首を振る。
「これ以上エスカレートさせないためにも、一度相談した方が良い」啓司が言った。
「そうだね。あの様子だと、場合によっては俺たち精神の出番かも」貴彦も同意する。
さっきの遠夜への激しい憎悪。あれは放置しては良くない。
「判りました。今日は朝、時間があるのでコーディネータに言ってみます」
頷いてウェアラブル端末を操作する。
さっきの裕太は本当に怖かった。遠夜を巻き込んでしまったのも気にかかる。
「何かあったら言って」遠夜は恭香がすごく心配で言った。
あんなに怖い奴に好意持たれてるとか…可哀相でならない。
「うん、俺たちで力になれることがあったら協力するから」
「ひとりで無理しないで」貴彦と啓司も言う。
「ありがとう」恭香は心から言って、頭を下げた。
「遠夜さんにもすごい迷惑かけちゃって…ほんと、ごめんなさい」
「いや…俺は別に」遠夜は耳まで赤くなった。
貴彦と啓司がニヤニヤしてこっちを見ているのが判る。
恭香が見ていなければ殴ってやりたい。
コーディネータからすぐに返信が来て、今日これからすぐに会えることになり、恭香は席を立った。
「じゃあ、また」
大きな瞳で遠夜を見つめて微笑み、トレーを持つと三人に会釈して歩いて行った。
「さて、俺たちも仕事仕事!」啓司が言ってスプーンを置き、
「大神医師に提供するネタもできたことだし」満足そうに言って笑う。
「あはは、そうだねぇ。微に入り細を穿ってどうぞ」貴彦も楽しそうに言った。
「お前ら…オーカミも…俺で遊びやがって」本当に殴ってやろうかと立ち上がると、啓司がふっと真顔になって言った。
「昨日の真人の検査と試験の結果が今日の午後送られてくる予定だ。
仕事が終わったら、俺の部屋に集合で」
「了解」と言って貴彦が立ち上がる。
「…わ、判った」遠夜も勢いを思い切り削がれて頷いた。
恐怖で大きな瞳を潤ませていた恭香を思い出すと、遠夜はぎゅっと胸をつかまれたような気持ちになる。
守ってあげたいと、本気で思った。