第2章 2
2.
隆一が取りなすように言った。
「まあ、紹介くらいさせてくれよ。
まず、俺の隣にいる女性が、悠美。精神のトップで統括責任者だ。
今日は君の簡単な検査に立ち会ってもらう」
「悠美です。初めまして」
悠美は整った顔立ちにほんのり笑みを含ませて、そっぽをむいている真人をじっと見つめながら挨拶した。
綺麗な人だなあ…遠夜はこんなときだけど、悠美の凛とした美しさに見惚れてしまった。
すぐさま貴彦に脚を蹴られる。痛って!そんなに怒ることないじゃん。
「それから、その並んでいる3人は、君と同い年の人たちだ。
これから君がここで暮らしていくうえで、いろいろ頼りにしてくれていい。
左から啓司、遠夜、貴彦」
3人は軽く会釈する。
真人は貴彦の名前が呼ばれた時だけちらっと一瞥した。
「僕は隆一。苗字もあるけど、ここではほとんど使わない。
IDで識別されるからね。
君が所属することになる頭脳の統括者ってことで、直接の上司ではないけれど今日は君と面談することになった」
「真人君も急にこんなことになって、いろいろ思うところはあるだろうが、ここにいる皆は君の仲間だ。
僕らも17歳の新人というのは前例がないので正直戸惑うところはあるが、精一杯サポートしていくから。
なんでも頼って、何かあれば相談して欲しい」
隆一は努めて平易な言葉を使って真人に話しかける。
真人は横を向いたまま、嫌な感じのオーラを漂わせてまったく応じる気配はない。
担任教諭が恐縮したように頭を下げている。
あーあ。先生可哀相に。貴彦は同情した。
その時、頭の中に悠美の声が直接響いてきた。
『貴彦、精神波の波長を変えられる?』
悠美を見ると、微笑みを浮かべながら真人の方を見たままだ。
周りの人間には聞こえてないらしい。
『波長…ですか?』貴彦も真人に視線を戻し、そのまま悠美に精神感応で話しかけた。
『そう。見ていると、貴彦の波長が真人には不快みたいなの。
相性だから仕方ないけど、貴彦がちょっとだけ波長を長くすれば、それほど不快には感じなくなると思う』
『やったことないですけど…』貴彦は戸惑って言った。どうすればいい?
『OK。波をイメージして。…そうそう、もっとはっきり。
それでその波の動きを自分の一番ぴったりくる長さに合わせて』
貴彦はイヤーカフの出力をちょっと落として少しだけ精神を解放し、集中する。
言われた通りに波をイメージして、自分の精神波を乗せるようにして合わせていく。
『…あ、ここだ』
『そうね。よくできた。じゃあ、そのまま波長を広げて伸ばすように。波の間隔を大きくする感じで』
更に集中して、イメージした波をゆっくり大きく波打つように調整する。
『うん、それくらいでいい。初めてとは思えないね。これはいろんな場面で役に立つから覚えておいて』
『はい。ありがとうございます』
その時、真人がふっと顔を上げて、貴彦を見た。
驚いたような表情をしている。
ははあ、真人は精神感応力が少し使えるな。
波長を感じ取るから人の好悪が激しくなるんだ。
貴彦は少し笑いかけた。
真人は戸惑ったように目を伏せる。
担任教諭が話している。
「事前にお渡しした資料などでご承知かと思いますが、この子はとにかく対人関係が不得手でして。
ご両親の話によると幼児のころからだそうで、私どももなんとか指導しようとして参りましたがこのような有様で…」
ハンカチを取り出して汗を拭く。
早く預けて帰りたい気持ちと、残していって良いのかという気持ちが交錯しているのがありありと判る。
「でも、学校には毎日行っているんだね?」隆一が真人に訊く。
真人は俯いたまま黙っている。
「中学生のころ、1年ほど不登校になった時期があったようですが…高校では」
「母親が嫌だから」担任教諭の言葉に被せるようにして真人が口を開いた。
「え?」隆一が訊き返す。
「母親が、俺が学校に行かないとヒステリーを起こして一日中怒鳴り散らしているか、でなければ一日泣いてるかだったんだ。それに耐えられなくなって学校へ行ってる」
「そうか…」
担任教諭も初耳だったようで、驚いたように真人を見ている。
「でもあと1年、我慢すれば成人して義務教育から解放される。
誰のことにも無関心な父親と世間体ばかり気にする過干渉の母親の元を離れられるんだ。
だから俺は、こんなところには来たくない!
なぜ今になって地下大都市なんかに来なければいけないんだ!
生まれ持った能力でランク分けされて、努力しても報われず自由もない、仕事漬けの毎日だって聞いた。楽しいことなんか何もないと」
「俺は生まれてから今までずっと、我慢させられてきた。誰も俺を解ってくれないし、解ってもらおうとも思わない。
一人で生きていける、その日を待ちわびて毎日暮らしてるんだ。
もうすぐその地獄から解放されるって時になって、どうして!こんなことになるんだ!」
あ…ヤバイ。貴彦は危惧する。
隣で遠夜も身じろぎするのが判る。これくらい精神波が強いと遠夜も感じるんだな。
悠美が胸のペンダントヘッドに触れて、真人を見ながら目を細める。
精神を集中しているのが判る。
悠美の瞳が反射鏡のように一瞬光ったように見え、ペンダントヘッドから薄いオレンジ色に輝くオーロラのようなオーラが真人に向かって放出され、真人を包み込む。
貴彦は息をのんだ。
悠美のオーラに包まれると、急速に膨れ上がりつつあった真人のギスギスしたやり場のない怒りのエネルギーが、すうっと消えた。
凄い…
真人はビックリしたように言葉を止め、それから息を大きく吐いて胸に手を当てた。
遠夜も周りを見回している。
すごい怒りのエネルギーが消えた。どこ行った?
隆一と啓司と担任教諭は、何があったか判らないというように真人を見ている。
真人は胸に手をあてたまま、悠美を見た。
悠美は真人を見ながらにこっと笑った。
貴彦の胸がちくっと痛む。何だこんな時に…
悠美が口を開いた。
「真人くん、あなたは自分の感情をコントロールする術を覚えなきゃならない。
それは、地上都市ではできないの。今まであなたの周りにいた人たちには理解できない能力を、あなたは持っている。
ここには、あなたに必要なノウハウがすべて揃っている。
あたしや貴彦はそのスペシャリストよ。あなたの能力を正しく導ける」
ようやく隆一と啓司が、今何かあったらしい、と察知した表情になった。
担任教諭はまだポカンとしている。
真人は呆然としたように頷いた。
悠美に目が釘付けになって逸らせないらしい。
無理もないよな…こんなこと初めてだろうし。
貴彦はそう思いながらも、面白くない。
そんなに悠美さんを見つめるなよ!不躾にも程があるだろー!
「あ…じゃあ、とりあえず地下大都市でお預かりするってことで…同意を得られたのかな?」隆一がごほんと咳払いする。
「地上都市からの推薦状やご両親の承諾書などは、私が今持っております」担任教諭は慌てて書類を鞄から取り出した。
「あ、いえそれは、本部にお出しいただけますか?」隆一は苦笑して担任教諭を制し「じゃあ、真人君は別室で検査と試験を受けてもらおう。悠美、良いか?」
「OK」悠美は立ち上がった。
担任教諭はホッとしたように真人へ向き直り「ここで皆さんと頑張れるか?」と念押しするように訊いた。
「はい…」と真人はまだぼんやりして答えた。
「すみません。幸田をどうぞよろしくお願いします」先生は深々と頭を下げた。
いい先生だな。真人のこと、本当に心配してるのが判る。
啓司は真人の家庭環境に同情していた。
あまりいい生育環境ではなかったらしい。
遠夜や貴彦の様子から察するに、かなりサイキックの能力があるようだから、そりゃ普通の人の中ではさぞ暮らしにくかったろう。
ぺこぺこと頭を下げながら担任教諭が出て行き、悠美に誘導されて真人も別室に移った。
隆一は残った3人を見て労った。
「お疲れさん。あとは俺と悠美でやって、報告書を上げておく。
啓司と貴彦のところに結果がいくと思うから、遠夜と3人で、ま、よろしく頼む」
「はい」3人は返事をした。
隆一は悠美と真人が出て行った方向を見やって、頭に手を当て苦笑した。
「悠美が魔法にかけちまったなあ。いわゆる悠美マジックってやつだ。
本当にすごいよ。貴彦には見えたのか?」
「はい。薄いオレンジのオーラが真人を包み込んで、怒りのエネルギーが消えました」
貴彦が答えると、へえーと他の二人も感心したように声を上げる。
「まあ、大変は大変そうだけど、遠夜ほどじゃあないだろ。
あんまり悪気なくクラッシュさせるなよ。一生懸命話し合ってるやつらが可哀相だろう」
遠夜の頭に手を置いて撫で、遠夜はムッとして手を払いのける。
「だから!今日はうまくやったって!」
「わかったわかった。じゃ、またな」
手を振って笑いながら出て行く。
「信じてないな…」恨めしそうに呟く。
「今までの実績があるからね」貴彦も笑いながら言う。
「そういえば、貴彦、途中からなんか…なんだろう雰囲気が変わったような…?」遠夜はうまく表せる言葉が見つからないらしく、考え込みながら訊いてきた。
「あ、気が付いた?そう、真人が俺の波長が合わないらしいって悠美さんに言われて、精神波の波長を変えたんだ」
「え?いつ言ってた?」と驚いて訊き返し「あ、そうか精神感応…」と呟いた。
「すごいな。全然判らなかった。そんなやり取りしてたんだ」啓司も感心したように言う。
そう、俺と悠美さんは口に出さずに会話できる。
貴彦は急に気分が浮上するのを感じた。
「なんか貴彦嬉しそう」遠夜が貴彦の顔を見て言う。
うるさいよ、と言って貴彦は遠夜の頭をポンと叩いて「さ、帰ろう」と部屋を出た。
変に鋭いからな遠夜は。気を付けよう…