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神の指先

 翌日から始まった私の訓練は、砲撃部隊とは別にメニューが組まれていた。教官たちは極秘に徴兵された現地人で、言葉が通じる以外はコミュケーションなどというものとは無縁の人物だった。そのような契約なのかもしれない。なにせ我々は秘匿部隊だ。

 訓練は複数のグループに分かれて行われる。マグヌス中佐は特務隊の七割が女性だと言っていた。つまり三割は男性ということだが、その三割の大半は整備兵たちを指していたようだ。共に訓練を行う数十名メンバーのうち、男性は一人もいなかった。

 そして何より私が驚いたのは、少女たち全員が既に三十六週にわたる基礎訓練課程を修了しており、そこらの不良兵士などよりも、よっぽど兵士としてモノになっているということだった。若さゆえのひた向きさか、祖国の為という妄信的な感情がそうさせるのか。ともあれ、彼女たちに足りないのは実戦経験だけだった。彼女らはアルストロ合衆国軍が戦争に参戦する遥か以前から、兵士として戦う準備をしていたのだ。


 訓練ではいかにして砂による銃の誤作動を防ぐか、という点が重視された。体育訓練は陽も昇りきらぬ早朝に行われる。氷点下を下回ることもある冬の砂漠、加えて足首まで埋まりそうな柔らかい砂の上を走り続けるには、大変な労力を必要とした。

 車両を用いた砂地の走行訓練には特に多くの時間が割かれた。車体をしっかりと支えてくれる平地での走行とは違い、柔らかい砂の上では容易にタイヤがハマり込んでしまう。無理に脱出しようとアクセルを踏むと、回転するタイヤが更に砂を掘り進めてしまい、あっという間に車軸まで埋まる。そういった事態を防ぐために、柔らかい砂地ではハンドルを小刻みに動かしてジクザグに走行したりするのだ。

 とくに砂丘を越えるときは注意が必要で、ギアをセカンドに入れ、タイヤにたっぷりとパワーを伝えて一気に登りきる必要がある。しかし、力任せでは無い。アクセルを踏み込みすぎればタイヤが砂を掘ってしまうし、浅すぎれば車体の重さで沈んでいく。大変に加減が難しいのだ。砂丘の角度によっては危険と思える程に車体が傾くが、ビビったらお終いだ。たちまちにタイヤが沈み込んで、自力では抜け出せなくなってしまう。

 しかし、真の危険は登りきった後に待っている。フロントタイヤが五十センチでも頂点を越えると、前につんのめって転がり落ちるはめになる。それを防ぐには頂点に達した時点でタイヤを九十度回転させ、意図的にタイヤをハマり込ませるのだ。そして車体をソリのようにして、砂丘を文字通りに滑り降りる。


 私は子供たちに交じり、居心地の悪さを感じながら来る日も来る日も野良犬ですら同情しそうなほど砂まみれになる。訓練を終えた後は、私はひたすらに教科書を読み込む。教科書の持ち出しは固く禁じられているので、中佐の執務室に籠ることになる。キャンベルスープか缶詰めのビーンズにでもなった気分だ。

 教科書の内容は多岐に渡り、ゲ二ア語の教本が特に多く、他には航海術に関する書籍も多い。その中でも特に目を引くのは同盟軍であるリナリア軍の、とある特殊部隊の作戦に関する資料だ。その特殊部隊は砂の海を渡り、ゲ二アの後方に侵入して基地や補給線を襲撃したり、積極的な偵察行動によりリナリア軍の進軍を支援するのが主な任務だったらしい。そしてその任務の中には、ゲ二ア北アリウム軍団長、エルミダート・スマイツの暗殺も含まれていた。

 現状を見るに暗殺任務の成否を語るまでもないが、彼らの勇敢さは多くの成果と教訓を残した。このような極秘資料を如何にしてアルストロ軍が手に入れたのか、などということには興味も無い。だが、それがここにあるという意味は理解できた。私は、我がアルストロ合衆国の国民性を思い出していた。自然という強大な敵を相手に戦ってきた、開拓民の血がそうさせるのだろう。相手を倒すこと、打ちのめすこと、支配すること。その為ならば、どんなものでも利用するのだ。それが他人のパンツでも、年端も行かぬ少女たちでも。

 それに、と思う。マグヌス中佐か、あるいはもっと上に座っている制服組の思惑が透けて見えた気がした。リナリア軍紳士たちの作戦は、とても都合が良かったのだろう。他の部隊とは遠く離れ、いわば〝隔離〟された状態で活動し、敵に痛打を与えうる。機密性を重視する機甲砲科特務隊としては、理想的な部隊運用法だ。成果を残せればそれで良し。彼女らを人間兵器に仕立て上げたイカレ野郎共は面子を保てる。仮に特務隊が壊滅したとしても、制服組が失うものは無い。いくらかの欠陥兵器と共に、闇が闇へと還っていくだけだ。

 結構ではないか、と鼻を鳴らす。兵士など、ホットドックにかけるケチャップや刻んだピクルスのようなものだ。呆れるほど消費してこそ、意味がある。

 そう、消耗品。それが兵士の本来の姿だ。私のその考えは、今も変わらない。

しかしルディは、私とは異なる考えを持っていた。その意見の相違は、私の頭痛の種になっている。とりわけ私を悩ませているのは、毎朝夜明けと共に訪れる朝日の使者だった。


 足元に闇が蟠るような早朝。部屋のドアが開き、誰かがベッドの脇に立つ気配があった。頭の隅では気配の正体に気がついてはいるが、靄の中にある私の意識は、脳を回転させるに至らない。

「少尉ー? 朝ですよー?」

 鈴の鳴るような声が私の耳朶を撫で、小さな手が身体を揺らす。私は僅かばかりの抵抗として、毛布を頭まで被った。とにかく、朝には弱いのだ。

「もう、ごはんもできていますよ。少尉が来ないと、ごはんが余っちゃいます」

 飯なんていらない、とうわ言のように呟きながら私は寝返りをうつ。背後から、子犬のような唸り声があがる。


 ふわりとした浮遊感。夢の続きか。しかし、妙な違和感がある。うっすらと目を開けると、ゆらゆらと揺れる茶色い土壁があった。状況を理解し『まずいな』と首筋が強張る。次の瞬間、身体がくるりと一回転して、私は床に叩きつけられた。眼を白黒させている私の上に、追い討ちのように簡易ベッドが墜ちて来る。私は踏まれた蛙のような声を出してしまった。

「もう! いつもいつも、面倒かけさせないでくださいよね!」

 腰に手を当て、小さな胸を逸らしてカップ・マフィンのような少女が頬を膨らませる。こうして毎朝ベッドと床でハンバーガーをこさえるのは、若干八歳の機甲砲科特務隊、特殊砲科車両一号車の副装填手、プリムラ・ルテラ伍長だ。


 ミートパテにされた私が目を覚ましたのを確認すると、プリムラ伍長は栗色の髪を揺らして足早に部屋を出ていく。歯ブラシを咥えたキリアン軍曹が「大丈夫っすか?」と顔を覗かせた。

「悪いな、毎朝騒がしくしてしまって」

「いーっすよ。俺もプリムラには何度も転がされたんで、おかげで爺ちゃんみたいに朝が早くなっちまいました。少尉もじきにそうなります」

「ご遠慮願いたものだな」

 キリアン軍曹に手を引かれ、逆さまになったベッドから這い出す。寝癖を撫でつけながら、私は欠伸を噛み殺した。プリムラ伍長は〝(サイコ)動力(キネシス)〟の能力者だ。それも飛びぬけて強力な。中庭で重砲弾を使ってジャグリングをしていた、私が初めて目にしたPSでもある。彼女の念動力は誰よりもパワーはあるが力の制御が得意では無いらしく、今の所は特務隊の目覚まし時計であることが彼女にとっての天職だった。


 私が食堂に顔を見せると、あちこちから朝の挨拶が飛んで来る。朝の食堂といえば、少し前までは無精ひげを生やした筋肉ダルマが煙草を吹かしながら痰を吐き捨てているのが当たり前の光景だった。しかし、この朝日の差し込む爽やかな食堂はどうだ。ソーセージの焼ける匂い。香ばしい香りを放つトースト。黄金色に輝くスクランブルエッグ。色鮮やかなオレンジジュースに、芳香を立ち昇らせるコーヒー。とても賑やかな、しかし騒がしくはない健康的な空間。これが正しい朝食というものだとでも言わんばかりだ。

 食事は可能な限り全員で、というのがルディの基本方針だった。隊の結束を強める為か、と私が問うと「食事は家族みんなで。当然です」とルディは言い放った。特務隊は軍隊らしくないとは思っていたが、いよいよもって学生の集まりのようだ。いや、ルディの言葉を借りるとすれば、大家族という所か? 私は思わずため息をついた。家族? 馬鹿馬鹿しい。共に出撃した隣の兵士が、次の瞬間には挽肉になっている。ここはそんなことが当たり前に起こる戦場で、私たちは兵隊だ。隊員同士が団結しているのは良いことだが、過度な慣れ合いは歓迎できない。それは必ず土壇場で足を引っ張る。そして、引きずられて落ちた先は地獄と相場が決まっているのだ。


「何を突っ立っている少尉。早く席につきたまえ」

 私にそう声を掛けるのは、平服のマグヌス中佐だった。この隊では将官も一緒に食事をする。肉体労働が必要な時も、全員で作業をする。こんな部隊は他に聞いたことも無い。現地人の教官たちは絶対に食事に同席をしないが、何事も強要はしないというのも、この部隊の方針だった。

 空いている席を探して辺りを見回していると、一か所に固まった年若い男性隊員たちから熱烈な誘いを受けた。彼らは少年と言って差支えの無い年齢の、PS育成施設の出身者だ。能力の開花は叶わなかったが、兵士としての資質を認められた志願兵だった。

少女たちも〝気狂い(マッド)〟や〝死神〟といった私の二つ名を気にすることなく接してくるが、少年たちのそれはまた一味違ったものだった。どうやら、それらの二つ名が彼ら的には〝イカしている〟らしい。


 彼らはことあるごとに私の経験した実戦の話を聞きたがった。彼らは優秀な聴衆だった。私の言葉を一言も聞き逃すまいと耳を澄ませ、戦闘のくだりでは鼻息を荒げ、敵を撃破したときは腕を広げて歓声を上げ、敗走すると悲しそうにため息をついた。

 彼らの任務は補給品の輸送であり、前線で銃を握ることは無い。戦いへの強い憧れがあるのだろう。戦地に立つ少女たちへの、敗北感混じりの羨望もあるかもしれない。私には彼らの気持ちが痛いほどにわかった。男子として生まれたからには、己の大切なものを守る為に戦いたいと願うものだ。しかし、彼らは出撃する少女らを見送ることしかできない。もちろん、補給もとても大切な任務だ。銃、弾薬、食事。その他の日用雑貨や、時には書籍や手紙。我々は兵士であると同時に、一人の人間だ。人も戦車も軍隊も、補給無しでは一歩も前に進めない。


 彼らを戦場に連れ出すのは簡単だ。いずれ私が率いる部隊のメンバーを決める際に、名前をリストに追加してやるだけでいい。だが戦場はテーマパークではない。敵は木の板とペンキの張りぼてではなく、打ち出される弾丸もコルク製ではないのだ。しかしそれ以上に問題なのは、彼らの戦場に対する憧れそのものだ。

 英雄に憧れる者は英雄的であろうとする。そして英雄的行動というものは、往々にして無謀と呼ばれる代物だ。大抵は現実を知る前に天国へと旅立つことになる。


 食事はいつも決まった時間に、神へ捧げる祈りの言葉から始まる。施設時代からの名残であるらしい。一人でむっつりしているのも息苦しいものだ。私も彼女らにならい、指を組み合わせて祈りの言葉を紡ぐ。

 酷い茶番だ、と私は祈りのたびに思う。神? 神だと? 笑わせる。私は元より神の存在には懐疑的だが、ここに来てからその考えはいっそう強まった。神が本当にいるのならば、なぜ戦争などというものがおこる? なぜこの子らを放っておく? 道理に合わないではないか。

 しかし私は、宗教を否定しない。救いを求めるという行為こそが、救いであるということも確かにあるのだ。透き通った朝日の中で祈りを捧げる子供たちの姿に、私は神の指先を視る。



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