スチール・ゲヘナ
「装填完了!!」
ガゴン、と尾錠を閉める音と共に装填手が叫ぶ。私は砲塔ハッチから頭を出したまま、周囲を確認した。何両もの鉄の獣が吐き出す煙のせいで酷く息苦しいが、歩兵が展開していないこの状況では狙撃の心配も無い。
敵は混乱していた。怯えてすらいる。私にはその気配が手に取るように感じられた。背後に回った私の戦車を追って車体と砲塔を旋回させる車両もあれば、後続のM4中戦車を警戒してケツを向けたままの車両もある。中には車体と砲塔の動きがちぐはぐなマヌケまでいる始末だ。
「好きなケツにぶち込んでやれ! 喰い放題だ!」
砲弾が放たれ、こちらに背面を向けたままだったⅢ号戦車のエンジンルームを撃ち抜いた。風通しの良くなったガソリンエンジンは炎を吹き出し、車内からバラバラと乗員が飛び出す。私は砲塔の上部に据え付けられたブローニングM2重機関銃で奴らを撫でてやっても良かったが、それよりも今は全てのⅢ号戦車を撃破する方が先だ。
Ⅲ号戦車の一両が砲身を細かく動かし、こちらのフラッペや銃眼などの弱点を狙撃する動きを見せていた。この近距離でも、旧型の三十七ミリ砲でM4中戦車の傾斜の効いた装甲を確実に貫徹させるには、それしかないからだ。しかし砲弾を放たれる前に、その後頭部を僚機が撃ち抜いた。砲塔内に飛び込んだ砲弾が車内で暴れ、Ⅲ号戦車の車体が揺れるたびに湿った断末魔が響く。気が遠くなるような騒音の中で、その声だけは、妙に私の耳朶を震わせた。
次々に砲撃音が轟き、Ⅲ号戦車は瞬く間に殲滅された。車内から逃げ出したゲ二ア野郎共は放っておく。我々には次の仕事が迫っていた。我々の背後に回り込もうとしていた敵部隊が、大慌てで引き返してくる。
土煙を巻き上げて、Ⅱ号戦車と八輪装甲車の群れが猛然と迫ってきていた。奴らの怒りと憎悪の雄叫びが聴こえてくるようだ。我々はⅢ号戦車の残骸で車体を隠し、戦車で一番装甲の分厚い砲塔正面だけを露出させる。大盾を構える重装兵のように。
Ⅱ号戦車と八輪装甲車は機関砲の砲口をこちらに向けてはいるが、攻撃に躊躇している様子が見られた。当然だろう、スクラップになったⅢ号戦車から仲間を助けようと、ゲ二ア野郎共があちこちで救出作業の真っ最中なのだ。撃てるはずが無い。
顔を煤で真っ黒にしたゲ二ア野郎が拳銃の銃口を私に向けながら、何かを大声で叫んでいる。恐らくは私を口汚く罵っているのだろう。敗者の遠吠えなどそよ風のようなものだが、流石にこの距離では拳銃の弾でも胸の赤丸を撃ち抜ける。私は唾を吐き捨てて砲塔内に引っ込み、ペリスコープを覗き込んだ。
拳銃の発砲音が鳴り、跳弾が怒り狂った蜂の羽音のような音を立てる。五匹目が飛び出す前にタタタン、と僚機から同軸機銃の音が響き、拳銃の銃声はそれっきり聞こえなくなった。
「よく狙え。周りこまれたら仲良くハンバーグだ」
「食い物に例えるのはやめてくんねーすかね。食えなくなるじゃないすか」
口端を歪めながら、砲手が砲弾を放つ。砲弾はⅡ号戦車の前面装甲に大穴を開け、被弾したⅡ号戦車は右に大きく曲がって停車した。飛び込んだ砲弾が、操縦手に深刻なダメージを与えたのだろう。念のためにもう一発砲弾を撃ち込ませ、別の目標に照準を合わせるように指示を出す。
僚機も次々に砲撃を開始し、その度に敵車両は肉の詰まった狭苦しい棺桶に変わり果てた。機関砲弾が暴発したのか、ポップコーンマシンのように震えているⅡ号戦車もいる。私は内部の惨状を想像しかけて、途中でやめた。本当にハンバーグが食えなくなりそうだ。
「こりゃ良い。まるで鴨撃ちだぜ!」
仕事の無くなった副操縦手が奇声を上げ、操縦手はハッチを開けて震える指で煙草に火を付けた。それで良い。こうやって、少しずつ殺しに慣れて行くのだ。
突然、敵装甲車がびっくり箱のように弾け飛んだ。どうやら僚機が榴弾を撃ち込んだようだった。中から飛び出した人の形をしたものが冗談のような高さまで跳ね上がり、地面に墜ちた。歪な形に折れ曲がったそれは、ピクリとも動かなかった。
その光景はゲ二ア野郎共の胸を埋め尽くす怒りを恐怖に塗り替えた。生き残ったⅡ号戦車と八輪装甲車は踵を返し、撤退して行く。
私が砲塔ハッチから頭を出すと、各車の車長も同じように頭を出していた。私の指示を待っているのだ。
「中々のダンスだったぞ、クソッタレ共。だがパーティーはまだ終わっちゃいない。作戦を継続する」
右往左往しているゲ二ア野郎共を後に残して、我々は砂の海に再び漕ぎ出した。あくまで我々の目的は敵の背後を突き、憎きティーガーを葬ることだ。捕虜を捕っている余裕など無く、奴らを一列に並べてブローニングでミートパテをこさえる時間も無い。口惜しいがね。
しばらく砂の海を進んだところで、私は腕時計を覗き込む。タイムロスのせいで予定に狂いが生じるだろう。これ以上、問題が起きなければ良いのだが。
突然、砲弾が装甲を貫徹する鈍くて甲高い音が響き、僚機のM4中戦車がガクンと揺れた。僚機は惰性で動き続けたまま炎上し、本当に走るストーブのようになってしまった。
「何が起きた!?」
口にしてから、自分の間抜けな発言に舌打ちをした。ゲ二ア野郎の攻撃に決まっている。
双眼鏡を覗き込み、素早く辺りを見回す。十時の方向、一両のⅣ号戦車がこちらを向いて停止していた。狙われている。七十五ミリ対戦車砲の長砲身が、私の首筋を舐めるようだった。
一両の僚機が、真っ直ぐにⅣ号戦車に向かって突き進む。装填の間隙を突いて、少しでも距離を詰める腹積もりだろう。やけっぱちの独断専行だが、判断としてはそう悪いものでも無い。私ともう一両の僚機は足を止め、突撃する僚機を援護する体勢を取った。
爆音と共に、我々の砲弾がⅣ号戦車に襲い掛かる。しかし私の車両から放たれた砲弾が装甲の一部を削った程度だった。Ⅳ号戦車の砲塔が旋回し、突撃する僚機に砲口を向けた。次の瞬間、僚機は爆発、炎上する。貫通した敵弾が弾薬庫を誘爆させたようだった。吹き飛ばされた砲塔が空中でクルクルと回り、逆さまに地面に墜ちて鍋のようになった。
「くそっ! 挟み込むぞ!!」
僚機にサインを送り、我々は前進する。次弾の装填完了まで、あと何秒だ? 酷い綱渡りだが、我々にはこれしか選択肢が無い。
背中が泡立った。Ⅳ号戦車の砲口がぞろり、とこちらを向いたのだ。砲口の暗い穴が目の前に迫るような錯覚が私を襲う。
「停止!!」
私の指示と同時にガクン、と車体が停止する。その鼻先で徹甲弾が派手な土煙を上げた。単純な偏差射撃とはいえ、何という腕前だ。背筋が凍る思いだった。
再び走り出して更に距離を詰めると、Ⅳ号戦車はのろのろと後退を始めた。その動きに不審なものを感じたが、足を止めるわけにはいかない。Ⅳ号戦車が今度は僚機に砲口を向け、不意に停車した。まずい、と思った瞬間には僚機のM4中戦車は転輪に榴弾を撃ち込まれ、車体をぐっ、と沈み込ませた。足回りを破壊され、サスペンションがヘタると戦車はそうなるのだ。
再びⅣ号戦車はのろのろと後退を始めるが、もう私の戦車は奴の側面に到達していた。Ⅳ号戦車はまだ足回りを破壊された僚機へ砲口を向けている。
「とったぞ、阿保め!!」
砲弾がⅣ号戦車の横腹に突き刺さり、奴を鉄の棺桶に変える――事は無かった。こちらの攻撃より早く、一度聴いたら忘れられない砲撃音が私の耳に届いた。八十八ミリ砲だ、と気が付いた時には、大きく身を乗り出していた私は弾着の衝撃で車外へ放り出されていた。
Ⅳ号戦車から砲撃音。足を潰された僚機は為す術も無く撃破され、Ⅳ号戦車の砲塔が私のM4中戦車へ向けられる。旋回するⅣ号戦車の砲塔側面に、黒豹のエンブレムが見えた。再び遠方からの砲撃音。シュルシュルと独特の音を立てて飛来した砲弾はもう一度私の戦車を撃ち抜き、M4中戦車は派手に炎を噴き上げた。ハッチから悲鳴を上げて飛び出してきた副操縦手の身体は炎に包まれていた。天を震わせるような悲鳴を上げて、突然パタリ、と糸が切れた操り人形のように倒れ込む。Ⅳ号戦車は興味を失ったように砲塔を旋回させ、その砲口を私に向ける。
思わず息が詰まった。砲弾か、同軸機銃か。どちらを撃たれても私は死ぬ。しかし、そのどちらも放たれる事は無かった。Ⅳ号戦車はゆったりと車体を旋回させ、去っていく。私は見逃されたのだ。殺す価値も無いと判断されたのだ。
屈辱だった。私はホルスターから拳銃を抜き出し、言葉にならぬ声を上げて銃弾を遠ざかるⅣ号戦車に向けて放った。ゲ二ア野郎に、まるっきりやり返されたのだ。はらわたが煮えくり返る思いだった。
Ⅳ号戦車を追って、砂山の稜線を越える。私の目に飛び込んできたのは、無残に撃破されたM4中戦車とM3中戦車。そしてスチュアート軽戦車の残骸だった。私と共にゲ二アの攻撃部隊を挟撃するはずだった第十七機甲中隊は、壊滅寸前まで追いやられていた。
遥か遠方でティーガー重戦車の八十八ミリ砲が火を噴き、また一両の戦車がスクラップにされた。第十七機甲中隊は威嚇にもならない砲撃を繰り返しながら、後退していく。黒豹のⅣ号戦車と狙撃役のティーガー重戦車が、追撃する部隊に合流しようと駆けていく。
ゲ二ア野郎共は、挟撃に気が付いていたのか? そうとしか思えない。我々のささやかな企みは、いとも簡単に踏みつぶされた。
私は砂に両膝を突き、燃え盛る友軍戦車を茫然と眺めていた。完敗だった。我々は戦術的にも戦略的にも、完膚なきまでに叩きのめされたのだ。
こんな何もない砂の海を徒歩で渡り切り基地へ帰り着くということは、ジャンプで月を目指すのと同等に思えた。私に残された運命は涸れて果てるか、ゲニア野郎の捕虜になるという道だけだ。どちらもごめんだった。
私は拳銃の銃口をこめかみにあてた。怒りと屈辱が奥歯を鳴らした。
引き金に掛かる指に力を込めた瞬間、奇妙な音を聞いた。巨人の咳払いのような、遠い音。次いで、怪鳥の鳴き声のような、甲高くて奇怪な声で空が喚いた。
巨大な爆音が轟く。ゲニア攻撃部隊の最前線で起きたその爆発は盛大に土煙を巻き上げ、地面を抉り、密集陣形をとっていたⅢ号戦車をスクラップに変えた。
爆発の衝撃波が私を襲う。私は咄嗟に、恐れるように身を屈めた。ほんの数瞬前まで、自らで死を選び取ろうとしていたというのに。
再び爆発が起きた。今度は三つ連続だ。吹き上がった黒煙と土煙が、まるで塔のように立ち昇り、空を覆い、風に流れて巨大な怪物のようにうねる。重砲による砲撃なのだろうが、これほどまでの火力を持つ野戦重砲には心当たりがない。それに、あまりに正確過ぎた。全てが効力射だ。たった四発の砲撃で、ゲニア戦車部隊の足は完全に止まっていた。航空機からの爆撃でもこうはゆくまい。
遠くから怪鳥の鳴き声のような風切り音を鳴らしながら、更に四つの黒い点が飛来した。
紅蓮が冬の砂漠を埋め尽くす。飛来した砲弾は空中で炸裂し、次の瞬間には赤い炎がゲニア戦車部隊を飲み込んだのだ。
私はゲヘナとなり果てた砂漠と、濛々と立ち昇る黒煙を見つめていた。たとえ戦車内で炎は防げても、あの火力では蒸し焼きだろう。酸欠による窒息死も免れない。このような砲撃など、見たことも聞いたこともない。
「一体、何が……」
今度こそ、私は心からそう呟いていた。