火種
進むごとに渋滞は酷さを増していき、やがて前線へ向かう道路は休日のブロードウェイを思わせる混雑ぶりとなっていった。道には同じく前線へ向かうトラックや将兵を乗せたジープ、そして戦車を乗せた運搬車などが、苛ただしげに煙草をふかす乗員と同じように煙を吐き出している。しかし、私たちはこの混雑に多くの時間を取られる事は無かった。
私たちは砂避けのフードやマスクに鍔広の帽子で顔を隠し、女神たちの特殊砲科車両も幌で偽装されていたが、出会う兵士たちはすぐに私たちの正体を察した。砂漠では優秀な迷彩色として機能する桃色の塗装も、薄汚れた人混みの中では目立ち過ぎていた。
私たちの荷物はあっという間に重くなった。前方の車両は左右に分かれて私たちに道を譲り、横を通り過ぎる際、彼らは感謝と期待を込めた言葉と共に紙巻煙草や缶詰、コークとチョコレート、時にはシャンパンの小瓶といったご馳走を私たちの荷台に投げ込んだ。
私たちがエリゴス・ライン攻略の最前線に辿り着いた頃には、既に戦場は焼け爛れていた。
ゲ二アは多層陣地を築き、縦深防御による徹底した遅延戦闘を行っていた。防御が強固でない前線を突破することは容易だったが、少し進むたびに新たな前線から抵抗を受ける。我らアルストロ合衆国軍は地形を利用したゲ二アの巧みな防御戦術と、敵陣後方からの対戦車砲や迫撃砲からの強力な砲撃、そして凶悪に配置された地雷原に多大な損害を強いられていた。ゲ二アは鑢のようにこちらの戦力をごっそりと削り取ると、すぐに再戦の為に後退した。そして十分に準備がされた次の前線で私たちを迎え撃つ。我が軍は、殆ど一方的に高い犠牲を払わされている。
それでも攻撃の手を緩めることはできなかった。後方へ回り込もうとしているリナリア第八軍団の動きを支援するために、ゲ二アの戦力を少しでも多く引き受けなければならない。リナリア第八軍団の作戦に対して、大勢の兵士の命をチップのようにうず高く積み上げているのだ。この非常識な賭けに勝てば連合軍は北アリウムの覇権を手に入れ、今後の戦争を有利に進める事ができる。しかし、もし負けるようなことがあれば、その時は全てを失う事になる。勝利、誇り、命、未来。何もかもだ。
エリゴス・ライン攻略戦における機甲砲科特務隊の仕事は単純だ。ゲ二アの防御拠点、砲撃陣地、そして抵抗する前線に砲撃を加え、攻撃部隊の支援をする。つまりは、砲兵としてごく当たり前のことをするという訳である。
だが、その当たり前が難しい。売り上げ目標を達成できないバーガーショップと一緒だ。望まれる成果を常に生み出せるのであれば、どんな戦争も一週間で終わる。
私たちが広大な防衛線に与えられる損害は、ごく僅かだ。しかし機甲砲科特務隊の真価は別にある。〝アルテミス〟の名を連合軍は勝利をもたらす英雄として称え、ゲ二ア北アリウム軍団は逃れえない死を降らせる悪魔として忌避している。更には航空部隊を返り討ちにするという離れ業をやってのけ、両軍ともにからアルテミスの名は伝説的な扱いを受けていた。アルテミスが戦場にいる。それだけで連合軍の士気は高まり、ゲ二ア北アリウム軍団は死の恐怖に慄く。名乗りは必要ない。油脂焼夷砲弾が上げる黒煙と、大地を抉る収束爆砲弾がその存在を知らしめるだろう。
私はルディの待つ、大きな二張りのテントに前線の情報を持ち帰った。本隊の指揮所からは十キロ以上離れた場所だった。たとえ私たちの正体が誰の目にも明らかであっても、彼女たちの存在を衆目に晒すことだけは避けなければならない。彼らも砂の大地に名を轟かせる部隊の隊員が、年端も行かぬ少女たちであるとは思いもよらないだろう。守るべきはずの存在が、戦場に駆り出されている。多くの者は受け入れることができないはずだ。初めて彼女らに出会った私がそうであったように。無用な混乱は、双方にとって良い結果をもたらさない。
「敵は車両の通行できる街道の全てを抑え、歩兵が通れそうな脇道には地雷が敷き詰められている。防衛線は何重にも重ねられて、まるでパイ生地のようだ」
私は広げられた地図を指でなぞる。机の周りには私とルディにサヴィナ。そして特殊砲科車両の車長たちである、カネットやブレンダなどの姿もある。
「そして防衛線の数か所に、本部が〝ハードポイント〟と仮称している堅固な防御拠点が設けられている。私たちの最も重要な仕事は、こいつを潰す事だ」
私は地図を指で叩きながら言う。
多層陣地を突破する際に気を付けなければならないのは、突出した部隊が敵に側面を晒すことだ。最悪の場合は後方との連絡を絶たれて包囲され、殲滅されてしまう。敵はどこに潜んでいるか解らない。故に攻撃側は密に連絡を取り合い、足並みを揃えて進まなければならないが、トーチカや砲撃陣地で固められたハードポイントがアルストロ軍の進攻を妨げていた。そしてハードポイントは側面に回り込まれないように、互いが支援し合える位置に配置されている。
「気に入りませんね」カネットが栗色の髪を耳に掛けながら言う。「別に、無理に前進などしなくても良いではありませんか。ゲ二アの創り上げた舞台劇に、どうして律儀に付き合ってやる必要があるっていうんです?」
ブレンダが頷き、同意を示した。ルディが小さくため息を漏らす。
「どうやら軍のお偉方は、エリゴス・ラインを突破するつもりでいるようですね」
ルディの言葉に、カネットたちが目を見開く。「話が違うではないですか」と声を上げたのはサヴィナだった。
「私たちは、リナリアの紳士たちが背後に回り込むまでの時間稼ぎだったはずです。それがどうして」
「既に政治屋どもは、この戦争が終わった後の〝取り分〟について計算を始めたのさ」
と私は言った。
リナリアは同盟国ではあるが、決して完全な味方という訳では無い。アルストロ合衆国は戦後交渉を有利に進める為に、解りやすい戦功を欲しがっていた。そのために、秘匿部隊である私たち機甲砲科特務隊までも前線に投入したのだ。戦争の行く末を決める戦いの最中に、本国で葉巻を吹かしている奴らはお気楽なものだ。私はそれを腹ただしく思うが、遠く離れた砂の大地で不満を並べても仕方が無い。私は私のなすべき事をなす。
「ハードポイントの配置は不規則で、巧みに隠されている。どこにあるのかは、結局出くわすまで解らない。私たちは支援要請を受け、戦場を駆けずり回ってこれを叩く。昼時のダイナーよりも忙しくなるだろうな」
「私たちの護衛の部隊は――」そこまで言って、ブレンダは苦笑いを浮かべながら首を振った。言うまでも無く、私たちの護衛に回す程の余剰戦力など、望めるはずもなかった。
「明朝、重砲による弾幕射撃の後に行動を開始。リナリア第八軍団も迂回路を進軍する。私たちは陽が沈む前にエリゴス・ラインを突破し、マルヴァ連邦という国が存在するうちに北アリウムを手中に納めなければならない」
大出血を覚悟した力押し。お偉方は奮発してヴィンテージワインを注文する程度の覚悟で、それを命じる。ボトルに詰まっているのは名も無き、しかし現実に生きている兵士の血だ。
「いつも通りという訳ですね。無謀こそが我らが本分、でしたっけ?」
強襲偵察隊の誰かから聞いたのだろう。カネットが肩を竦めて、私の声真似をしながら舞台女優のようにおどけて言う。ルディたちから明るい笑い声が溢れ出した。
迷わず戦え、信じて立ち向かえ。決断を下し、その決断に自信と責任を持て。
私は、ある勇敢な戦士の言葉を思い出していた。彼女たちは既に一人前の戦士だ。私はどうだろうか? 私はマルセル少佐や彼女たちの勇敢さに、少しでも近づけているだろうか。
「さて」とブレンダが手を叩いた。「どうせ出たとこ勝負なんですし、ブリーフィングはこれくらいにしてみんなの所へ行きましょう」
「そうですね。料理は用意できていますか?」
ルディが問うと、ブレンダは豊かに膨らんだ胸を張って親指を上げた。
「ケーキもあるわよ。流石にオーブンは無いから、パンケーキだけれどね」
「ブレンダのお手製なら、絶対に美味しいよ」とサヴィナが微笑み、カネットは「桃の缶詰に手を出さないで良かったわ。ケーキが食べられなくなるところだった」と笑っている。
「ちょっと待ってくれ」私は堪らず声を上げた。「一体、何の話をしているんだ?」
「やだ。誰も言ってなかったんですか?」ルディが驚いたように、わざとらしく口元に手を当てる。「今日は、プリムラの誕生日なんですよ」
パーティは既に始まっていた。彼女らは重くなった荷台を空にする様な勢いで食べ、飲み、騒いでいる。他の部隊に騒ぎを聴かれやしないかとも思ったが、十分な距離と、整備兵が鉄を叩く音や行きかうトラックの騒音にかき消され、彼女らの声は誰にも届いてはいないようだった。
彼女らは九歳になったプリムラと焚火を取り囲み、道中で頂いた缶詰やチョコレートやシャンパンを残らず並べている。ブレンダが料理を持って現れると、一際大きな歓声が上がった。七面鳥の丸焼きが湯気を上げ、食欲をそそる香りを漂わせている。私にはブレンダが、どうやって七面鳥を調達したのか見当もつかない。
私は弾薬の詰まった木箱に腰を下ろし、離れた場所でそれを眺めていた。満面の笑みを浮かべて幸せそうにはしゃぐ彼女たちは、特別な儀式を行っているように感じられた。死を恐れないために、生に後悔しないために、瞬間を精一杯に生きる。彼女たちの姿からは、そのような意気込みすら感じられた。
三本目のバドワイザーに手を伸ばしたところで、小さな影がやって来た。私は横にずれ、座る為のスペースを開けてやる。
「良いのか、主役がこんな所にいて」
「誕生日といっても施設に入所した日の事ですし、私はただの、騒ぐための切っ掛けですから」
そんな大人びた事を言いながら、プリムラが微笑む。胸には誰かのお手製と思われる、金色の星の形をしたバッジが光っていた。プリムラは今日の一番星というわけだ。
「なんだか、凄い事ですよね。大勢の人が死んで行く戦場で、誕生日のお祝いだなんて」
「だからこそ、だろう。こんなひどい場所だからこそ、めでたい事はかけがえが無いんだ」
プリムラはしばらく遠くの焚火を眺め、そして仲間たち一人一人に視線を向けていた。
「来年も、皆でお祝いしてくれるかな」
不意にプリムラが呟いた。
「私、ちゃんと十歳になれるのかな」
私は散々悩んだあげく「心配するな。私たちは誰よりも強い」と小さな肩を抱き寄せてやる事しかできなかった。私はこんな時に、気の利いた言葉の一つも言ってやれない。
やがてプリムラは勢いよく立ち上がり、光る水滴を目端から弾いて「ごめんなさい、弱音を吐いちゃいました」と舌を出した。
「ありがとうございました、サミュ。みんなの所へ行きますね」
そう微笑んで、プリムラは駆けていく。私の胸は無力感に埋め尽くされ、しかし同時に、確かな使命感が湧き上がってくるのを感じていた。想いは闘志となり、炎のように私の心を滾らせたのだった。




