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決断の責任

 世界は一変してしまっていた。地面は黒く焦げ、赤黒い血液に塗れ、紅の炎を灯した死体や鋼鉄の残骸が散らばっている。元の色を保っているのは、私たちの周囲数メートルだけだった。

 私たちは一刻も早くこの場を立ち去りたかった。この地獄から、さっさと逃げ出したかったのだ。

 私は道を探すが、辺りは〝グレープスカッシュ〟――、収束爆砲弾からバラまかれた子弾の破片だらけだった。そのまま通行しようとすれば、タイヤは瞬く間にズタボロになってしまうだろう。私たちはまず、撤退ルートの確保から始めなければならなかった。


 比較的地面の状況がマシだった滑走路側に向かい、手作業で破片を取り除いていく。念動力はこうした細かい作業には向いていなかった。私たちは板状の残骸などを探し、破片を寄せて道をつくる。アルカディアの面々も同じ作業を行っていた。

 全員が無言だった。勝利の喜びなど微塵もなく、黙々と逃げるための作業を行っている。

 私を含め、誰もが参ってしまっていた。また何人ものかけがえのない仲間を失い、その代わりに私たちが手にしたのは、少しの食料と燃料だけだ。

 確かに作戦目標は達成した。この成果は、多くの将兵の命を救ったことになるのかもしれない。しかしそれは、私たちにとっては慰めにもならない。将来失われるかもしれなかった命よりも、既に失われてしまった命の重さが心に圧し掛かっていた。


 私がスクラップになった装甲車の隣を通ると、微かな呻き声が聞こえてきた。一人のゲニア兵士が、横倒しになった装甲車の残骸に足を挟まれて呻いていた。オイルで黒く汚れた軍服はあちこちが破れ、露出している肌は焼け、赤黒い肉が見えている。

 私は迷った。まだ生きている。この男は確実に、現実に生きているのだ。他の者たちと同様に、止めを刺してやるべきか? いや、見た目ほど状態は酷くないのではないか? 助かる見込みはあるかもしれない。

 私は腰の拳銃に伸ばしかけた手を止め、男の隣に屈み込んだ。

『私の声が聞こえるか? 聞こえていたら唇を動かせ』

男にゲニア語で声を掛ける。微かに反応があった。震える唇に耳を寄せる。


『――カ、リ……、ナ――』

 カリナ。この男は、カリナと言ったのか? ゲ二アの女性に多く見られる名だ。恋人か、妻か、娘か? あるいは妹の名かも知れない。ともあれ、私の心は決まった。

私は声を上げ、念動力の能力を持つ者を呼ぶ。装甲車の残骸を持ち上げるように指示を出すと、念動力能力者の一人であるサヴィナから戸惑うような声が上がった。

「わざわざ敵を助けようというのですか、サミュ」

「そうだ」

「意味があるとは思えません。ゲ二アの援軍に任せれば良いのではないですか?」

「確かに、奴らの方が私たちよりこの男を助けられる可能性は高いのかも知れん。だが、本当に援軍はここにやってくるのか? 私が奴らの指揮官なら、間違いなく撤退する」

「しかし――」

 サヴィナは言葉を詰まらせた。ゲ二アが貴重な兵力をわざわざアルテミスの狩場に送り出すかといえば、可能性は低いと思えた。ゲ二ア兵は負傷兵を見殺しにするほど冷血ではない。しかし、奴らもあの執拗な砲撃を見たはずだ。生存者の捜索は諦め、貴重な戦力を少しでも無事に撤退させる方を選ぶだろう。そもそも、ゲ二アはこの航空基地を放棄して罠にするつもりだった。今更取り返そうともしないはずだ。サヴィナにも、それはわかっていた。


 不意に、ズン、と重い音が響いた。私とサヴィナが驚いて振り向くと、装甲車の残骸が移動されていた。その隣で、プリムラが腕を組んで鼻を鳴らしている。

「だーめですよ、サヴィナ。サミュは私たちの隊長なんですから、命令は守らないと」

 プリムラに言われてしまっては立つ瀬がない。サヴィナは困ったような表情で「……そうね」と呟き、足早に立ち去ってしまった。イリスがプリムラの隣で肩を竦めている。

 酷な事を命令してしまった、という自覚はある。これは戦争だ。ゲ二ア兵が私たちの仲間を殺し、私たちもゲ二ア兵を殺している。そしてゲ二アの兵士一人一人にも愛する者がいて、帰りを待つ者がいる。同じ人間なのだ。命に価値を付けるとするならば、その二つに違いは無い。

 戦争における殺人とは、戦いの結果でしかない。そこに罪は無い。それは罪では無い。戦争が彼女たちを殺した。彼に非があるわけでは無いのだ。

 だがそれでも、手を差し伸べて命を助けるという行為ができるほどに感情を割り切るのは、やはり難しいだろう。どれだけ否定を重ねても、仲間たちがゲ二ア兵に殺されたという事実は変わらない。かく言う私も、なぜそのような気持ちになったのか、自分の感情を理解できていないのだ。




 私たちは灰色の大地をのろのろと駆ける。酷使され続けたシボレートラックは限界をとうに越え、リベットは残らず軋んでいる。今すぐにバラバラになっても誰も驚かないだろう。まるで私たちのようだった。

 だが燃料は十分補給できていた。空から襲撃を受ける可能性も低いだろう。歩みは遅いが、ナスルまでは問題なく辿り着くことができるはずだ。

 オリオン一号車の運転をラナに任せ、私は荷台で連れ出したゲ二ア兵と二人になっていた。

他の車両が私の周りを囲うように展開している。荷台ではイリスやニーナたちが小銃を抱え、私とゲ二ア兵の様子を油断なく見つめている。ゲ二ア兵に何か不審な動きがあれば、直ぐに銃弾を撃ち込むためにだ。


 私たちは荷台で横たわるゲ二ア兵ーー彼の為に、ありったけのグリセリンやバターを用意した。火傷に塗る為だ。その上から包帯を巻き、身体が冷えないように防水シートをかぶせてやる。それが私たちにできる精一杯の事だった。

 彼は何度も浅い覚醒を繰り返し、呻き声を上げた。うわ言のようにあの名を呼び、しばらくするとまた眠りに落ちた。

 グルース航空基地から十五キロほどの地点で、クレアたちを埋葬した。クレアとレジーナはともかく、リビー、ルシンダ、メリンダの三人は一つの穴に並べて埋葬するしかなかった。仲間の遺体をパズルのように扱う気にはなれなかったのだ。


 更にどうにか数時間進んだところで、陽が傾き始めた。彼女たちが即席のコンロでソーセージを炒めているのを眺めていると、不意に隣から声が上がった。見遣ると、目を覚ましたらしい彼が身体を動かそうとして、激痛に悲鳴を上げていた。

『動かない方が良い。死神に気付かれるぞ』

『ここは……。あんた達は……?』

 母国語に安心したのか、彼の表情が少しだけ柔らかくなった。

『助けられたようだな。俺は礼を言うべきか?』

 掠れた声で彼が言う。

『求めてはいないし、言われる筋合いも無い』

『俺を、女神への供物にする気なのではないだろうな』

 彼はくつくつと喉を鳴らす。この状況で笑ってみせたのだ。気丈な男だ、と私は思う。

『名を聞かせて貰えるかな』

『……マルセル・シャハナー』

『階級は?』

『アルテミスの矢に撃たれる前までは、少佐と呼ばれていた。今では君の捕虜だ』

『では、カリナというのは?』

 彼は、マルセルは眼を細め、『――妻だ』と呟いた。

『結婚したばかりでな、春には子供が生まれるんだ』

 そういうと、マルセルは顔を顰めた。声を出すだけで激痛が走るのだろう。ラナから預かっていたモルヒネを打ってやると、直ぐに呼吸が落ち着いた。

 もう一度声を出そうとして、しかしマルセルは目を閉じた。どうやら眠ったらしかった。


 夜明けと共に出発する。天気は良好。風は強いが、砂嵐がおきるほどでは無い。私はマルセルの包帯を解き、グリセリンを塗って新しい包帯を巻いていく。マルセルはかなりの重傷だった。左足を失い、深く裂けた腹の中で腸が千切れ、身体の半分以上を焼かれていた。彼がまだ生きているのは、生への執着心の強さゆえだろう。

 私は彼の軍服に残されていた手帳を手に取る。彼が大事に抱えていたおかげで、焼け残ったのだ。表紙を捲ると、一枚の写真が挟まれていた。何度も眺めたのだろう。写真はあちこちが掠れ、バーガーに挟んだチーズのように柔らかくなっていた。

『美人だろう?』

 いつの間に目を覚ましていたのか、マルセルが口端を歪めながら言った。

『まぁまぁだな』私は丁寧に写真をしまった。『うちの女神たちには負けるがね』

 煙草をくれ、とマルセルが言った。

『咳き込みでもしたら、ショック死するかも知れないぞ』

 望むところさ、と彼は笑った。『男の死に方としては上等だ』

 胸ポケットから、くしゃくしゃになったラッキーストライクを取り出す。火をつけて咥えさせてやると、マルセルは不味そうに味わった。


『一つ、聞いてもいいか』

『クソのように美味い煙草の礼だ。妻のスリーサイズ以外なら、何でも答えよう』

 マルセルは煙草を唇で揺らす。私は彼の手に手帳を握らせた。

『なぜ戦う。愛する者と結ばれ、子供を授かり、誰よりも死にたくないと願うはずのお前が、なぜ銃を手に取る。なぜ戦争なんかに加担するんだ』

 マルセルはしばらく黙り込み、やがて喉を鳴らした。

『参ったな。俺を恥ずかしさで殺すつもりか?』まぁ、とマルセルは言葉を続ける。『国のため、家族のため、誇りのため。色々と言い訳はできるがね。その中でもあえてあげるとすれば、〝明日〟のためだ。安っぽい言葉で恐縮だがね』

『……どういうことだ?』

『戦わなければ、ゲニアの滅亡は眼に見えていた。世界大恐慌の対策だとして、君たちアルストロ合衆国が歪んだ経済介入を始めたせいでな。ゲニアの経済が立ち行かなくなるのを、解っていたはずなのにだ。俺たちは、ただ黙って死んでいくのだけは、ごめんだった』

『だからといって、戦争を肯定する理由にはならない』

『わかっているさ。戦争の是非を討論したいわけじゃない。だが理解してほしいのは、明日を考えることができるのは、君たちのように黙っていても明日がやってくる者だけだ。ゲニア国民は、今日を生きるのですらままならない状況だった。明日が欲しかった。君たちが当たり前のように享受している、明日という宝物を勝ち取りたかった。自分のためだけじゃない。次代を担う子供たちのためにも。それは、命を懸けるに値する』

『そのために、大勢の明日が失われた』

 そうだな、とマルセルが眼を閉じる。

『戦争は大いなる矛盾だ。より良い明日を求めて、数えきれない未来を犠牲にする。しかしな、人は争う生き物だ。矛盾を抱えて戦う戦士。それが人間の本質だ』

 それこそ言い訳だ。しかしマルセルのいう事は、ある面では正しいのかもしれない。どんな時代、どんな場所にも奪う者がいて、奪われる者がいる。私の父の命が、小銭のために奪われたように。その事を憎んでいたはずなのに、私とて、既に大勢の命を奪っている。


『そういう君は、何のために戦場へやってきた。ベッドの上で寝ころべば明日を迎えられるアルストロ国民が、どうして』

『〝平和の味を知れ〟。父の遺言だ。私はそれを確かめるために戦場へやってきた』

『君の父上は哲学者か、そうでなければ詩人かな』

 私は訂正しなかった。似たようなものだ。人は皆、経験を重ねるうちに哲学者や詩人になっていく。

『平和を搔き乱すゲニア野郎を一人でも多く殺せば、それだけ答えに近づけると思っていた』

『素敵な宗教観だ。それで、何か掴めたかね』

 私は首を振る。自らの手で平和を勝ち取れば、父のいう〝平和の味〟、平和の価値を知ることができると思っていた。だからがむしゃらに戦った。気狂い(マッド)と呼ばれるほどに。

 しかし機甲砲科特務隊の彼女たちと出会って、解らなくなった。

圧倒的な脅威であるはずの私たちに果敢に向かってくるゲニアの兵士たちを見て、気が付いた。

 私は、誰よりも臆病だったのだ。臆病な自分を誤魔化すために、苛烈な言動を繰り返してきた。そうしなければ、私は銃をとることもできない半端者だ。

 本当は私が、誰よりも戦争を恐れている。

 理不尽に訪れた愛する父の死に触れ、死の陰に怯え、怯えるがあまりに死を量産する。あまりにも愚かで、不格好で、物騒だ。

 私は気が付いてしまった。

 他の誰でもない、私自身が、最も平和から遠い存在だったのだ。


『礼のついでに、一つアドバイスをさせてもらっていいかな?』

 黙ってしまった私に向かって、マルセルが言う。私は頷いた。戦場で敵として出会い、交わした会話はほんの数分。だが、私は既にマルセルの事を信頼していた。尊敬の念すら抱いていた。この男こそ、軍人だ。彼女たちにも負けないほどに、勇敢な男だ。

 私とは違う。私のような者とは、まるで違うのだ。

『大切なのは、迷わないことだよ。迷いを抱えたまま戦うのは、仲間と敵、双方に失礼なことだ。迷わず戦え、信じて立ち向かえ。決断を下し、その決断に自信と責任を持て。君は兵士である以前に、誇り高き戦士なのだから』

『戦士? 私が?』

『そうだとも。他に誰が居るというのだね』

 はっきりと声を上げて、苦痛に顔を歪ませながらマルセルが笑う。

『君が戦士でないというなら、私は一体何に負けたというのだ? 決断に責任を持つというのは、そういうことだ』


 煙草の火を揉み消し、マルセルは眠りについた。そしてそのまま、二度と目覚めることはなかった。

 彼女たちは、死人にまで敵意を向けるような真似はしなかった。深く穴を掘り、機甲砲科特務隊の仲間たちと同様に、彼を手厚く葬った。マルセルの遺体に土を掛ける前に、グルース航空基地から持ち出したシェリー酒や煙草を隣に寝かせてやった。元は彼らの所有物であるし、きっと彼にとっては欠かせない物だろうから。


 日が落ちて、一人分広くなった荷台で仮眠を取ろうとした時になって、私はマルセルに自分の名を伝え忘れたことに気が付いた。


 名乗る機会は、二度と訪れない。



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