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グルース航空基地襲撃

 早朝、缶に詰めた砂にガソリンを染み込ませた簡易コンロで干し肉のスープを作っている所に、本部からの通信が届いた。クラーク・モラン将軍率いるリナリア第八軍団が、前線に攻撃を開始したというものだった。暗号化されていない、平文での通信だった。一つ分かったことは、リナリア軍と我がアルストロ軍の歩調は未だに合っていないという事だ。

 戦争とは非常に高度な外交手段だ。たとえそれが友軍であっても、戦場の主導権を握らせるわけにはいかない。敵が同じというだけで、決して仲間だとは思っていない。特にアルストロとリナリアの将軍たちは、後に歴史に語られるのではと思う程に馬が合わなかった。私にしてみれば、どちらも言葉一つで大勢の人間の生き死にを左右する殿上人である。そこに大きな差はない。どちらも等しく、悪魔の化身だ。


 問題なのは、これで大きく戦線が動くだろうという事だった。アルストロ軍も黙ってモラン将軍に華を持たせるつもりはないだろう。何か大きな事を考えているはずだ。それらが敵地の深くにいる私たちにどれほどの影響を及ぼすのか、想像もつかない。

 はっきりしている事は、のんびりとスープで身体を温めている時間は無くなったという事だ。一刻も早く仕事を片付けることが、私たちが前線で戦う兵士たちの為にしてやれる唯一の事だ。頭上を飛び交う大空の猛獣がいかに恐ろしいかは、私自身が鉄の棺桶の中で何度も味わっている。

 数日中には、ここも戦場になるだろう。私たちの働きによってこの地域におけるゲニア北アリウム軍団の継戦能力は大きく削がれている。リナリアの紳士たちは、前線のゲニア兵をいともたやすく蹴散らすに違いない。


 私たちはすぐにオアシスを後にした。冬の砂漠の朝は凍てつくような寒さだ。桃色に染まった砂の大地に這う朝靄が、揺れながら空へと立ち昇っていく。私にはそれが、この砂漠で散っていった幾万もの将兵たちの魂のように思えるのだ。何度見ても、呼吸も躊躇われるほどに幻想的な光景だった。一つ夜を超えるたびに、私は世界の裏側を覗き込んだ気持ちになる。

昼前に、私たちはゲニア航空基地の監視地点に辿り着いた。腹ばいになって砂の斜面を登る。目の前を、地面と同じ色をしたトカゲが素早く横切った。


 ゲニアの航空基地が見渡せる場所まで来ると、私は双眼鏡を覗き込んだ。滑走路の脇にはいつでも飛び立てるように、整備を終えたシュトルヒとメッサーシュミットが並んでいる。屋根と壁に囲われた整備工場や指揮所の間を、何台もの車両が忙しく行き来していた。

「出撃準備中……とは、少し違うようですね」

 隣で同じように地面に伏せているイリスが、呼気で砂を散らしながら言う。

「そうだな。私にも正反対なように見えるぞ、イリス」

 ゲニア兵は手当たり次第に荷物をトラックやジープに放り込んでいる。書類、武器弾薬、救急セット、そして煙草の箱に、中身の良く解らない缶詰。フライパンやブーツまで一緒くただ。

それは出撃のような勇ましいものではなく、まるで間男が突然の旦那の帰宅にパンツも履かずに飛び出すようなものだった。

 誰が見ても同じ結論に至るだろう。ゲニアは、グルース航空基地を放棄しようとしている。

 イリスが私の名を呼び、判断を仰ぐ。

 グルース航空基地はゲニアにとって重要な拠点だ。無傷で手に入れることができるのであれば、連合軍にとっても大きなギフトになるが……。

 いや、と私は頭を振る。ゲニアのクソッタレどもがそんなに甘い奴らでないことは、十分に知っているはずだ。ここで奴らを見逃せば、明日には別の部隊に合流して前線に死をばら撒くだろう。今ならばスズメバチを巣ごと一網打尽だ。奴らの企みがどのようなものであれ、動く前に仕留めればどうという事はない。


 私とイリスは隊に戻り、すぐにでも攻撃を開始すると伝えた。

「周辺の敵部隊は?」

「今は感じられませんが、狼煙が上がれば殺到してくるでしょう」

 ニーナが言い、クレアがそれに頷く。私は作戦時間を二十分以内と定めた。ルディたちの砲撃に続いて突入し、少しでも多くの車両や航空機に損害を与え、燃料や食料を少しばかり拝借してサッと立ち去る。

まるで山賊ね、と誰かが言い、笑い声が上がった。まったくその通りだ。どれだけ勇敢な理由を連ねてみても、戦争などはとどのつまり、殺し合いと奪い合いに他ならない。


 五分で準備は整った。私たちは空っぽな腹を抱えて、同じように空っぽなシボレートラックの荷台に乗り込んでいる。

 唯一幸運だといえるのは、病気などで体調を崩している者が一人も居なかった事だ。これは殆ど奇跡のようなものだった。

 問題はルディだ。彼女は私の意図を汲んでくれるだろうか? 私は再び砂の斜面を登り、手を組んで祈る代わりに、空に向かって腕を回してみた。

 三十秒ほどで返事が返ってきた。遠くの空から、巨人が咳き込むような砲撃音が轟いた。黒い砲弾が、弓なりの軌道を描いて飛来するのが見えた。大気を切り裂き、甲高い音を上げて飛来した四発の砲弾は航空基地の上空で炸裂し、巨大な火の玉となって全てを飲み込んだ。


 油脂焼夷砲弾――。彼女らが〝ビックアップル〟と呼ぶ広域破壊兵器は、ゲニア航空基地に対して、ただの一撃で致命的な損害をもたらしていた。濛々と立ち昇る黒煙の中に浮かび上がったのは、まさにこの世の地獄だった。

 滑走路で飛び立つ寸前だったメッサーシュミットはバラバラの残骸に成り果て、修理工場は壁と屋根を吹き飛ばされて、千年の時を経た遺跡のような姿に変わった。横倒しになったトラックは元の色も解らないほどに焼け焦げ、荷台に被せられた幌は骨組みだけになっている。

 流石の私も少々気の毒だと思ったのは、屋外に出ていた多数の将兵たちだ。誰もが、ただの黒い炭の塊となっていた。それが人だとわかるのは、辛うじてそのような形をしているからだ。


 再び咳払いのような音が轟いた。飛来した四つの果実は、驚いて屋外に出てきたゲニア兵を、残らず消し炭にした。私はしばらく双眼鏡を覗いて航空基地を観察していたが、最早動くものは何もなかった。腕を上げて合図すると、砲撃はそこで途絶えた。

 改めてルディの〝俯瞰する千里眼〟は驚異的だと思う。攻撃部隊と支援砲撃部隊をダイレクトに繋げるルディの能力は、戦争の常識を超えている。無線連絡による連絡が行えないのは困りものだが、こと戦闘においては何ら問題は無い。

 ルディたち砲撃部隊は、もしかしたら本当に女神なのではないか? そんな馬鹿げた妄想は、無線機の故障により言葉を交わせなくなった事で、かえって私の中で真実味を帯びてしまった。私が祈るように空を見上げるとき、きっとルディも私を見下ろしている。そして圧倒的な破壊をもって私たち強襲偵察隊に加護を与えてくれる。遠くで見守るだけの神などより、よっぽど頼りになる存在だ。


 作戦ではこのグルース航空基地を襲撃した後は、私たちは四十キロを北上し、ハニ・スルースを経由してナスルという街へ補給と休養の為に向かう事になっている。そこは連合軍の支配地域で、まだ街としての機能を維持している土地だ。

 ナスルにつけば、砲撃部隊も私たちと合流する。私はルディに気の利いたプレゼントの一つでも送ってやろうと考えていた。女神に対する捧げものでもいいし、私の個人的な感謝の証としてでもいい。何を送るのかは、ニーナにでも相談しよう。きっと良い知恵を授けてくれるはずだ。


 私はイリスたちを呼び寄せた。トラックに乗り込み、慎重にグルース航空基地へと踏み込む。

「ゲ二アの動きは?」

荷台の縁に腰掛けて辺りを見回しながら、青い顔をしているニーナに問う。

「わ、解りません。基地から、湧き上がってくる、死の間際の、感情が、は、激しすぎて――」

 そういうと、ニーナは荷台から顔を出して朝食の干し肉を残らず吐き出した。ニーナたち機甲砲科特務隊の共感覚能力者は、向けられる敵意や悪意を優先して感知するように訓練されているが、死の間際のような激しい感情にかき乱されてしまう事もあるらしい。丁度、今のニーナのように。


 基地の有様は、黙示録に描かれる世界の終末を思わせた。辺りには煤とガソリン、そして焼けた人肉の脂っぽい臭いが充満している。薄い酸素を一呼吸するたびに、耐え難い臭気で肺が腐っていくようだった。

 私たちは転がった輸送トラックの荷台を覗き込み、使えそうなものはなんでも自分たちの車両に積み込んだ。すっかり加熱された缶詰はラベルが焼けて中身が解らないが、食べ物であるのならなんだって構わない。火の通ったザワークラウトであろうと我慢する。

 書類は全て焼け、残骸すら見当たらなかった。こればかりは仕方が無い。コンクリートの壁に囲われた司令部から、銃声が鳴り響いた。ゲ二ア兵の生き残りと、内部の調査に向かったアルカディアの三、四号車の隊員が銃撃戦を行っている。援軍をと指示を出す前に、決着がついていた。ゲ二ア兵はまともに抵抗できるような状況では無かったらしい。


 崩れ落ちたシュトルヒの横を通り過ぎた時、コックピットから上がる呻き声を聞いた。砕けた風防から這い出そうと伸ばされた腕は焼け爛れ、捲れた皮膚が布のように垂れ下がっている。私は拳銃を抜き、トラックを降りてスライドを引きながら近づいていく。そして銃口をその頭に押し付け、引き金を二回引いた。中途半端に生き残ってしまった者の惨劇に、幕を下ろしてやったのだ。地面に落ちた空薬莢が澄んだ音を立てた。同じような鎮魂歌が、あちこちから響いてくる。

 惨い事とは思わない。どのみち助かりようのない火傷だ。下手に苦しみを引き延ばすよりは、楽にしてやるのが情けというものだ。


「さ、サミュ。敵が……」

 ニーナが声を上げる。距離は? と振り向くと、彼女は酷く怯えたような表情をしていた。

「ち、近いです。そんな、どうして。まるで最初から、ここに向かっていたような――」

 同じように敵の気配を察したのだろう。こちらへ向かってくるアルカディアの一号車の荷台で、クレアが大きく腕を振っている。

 その腕が、突然千切れ飛んだ。

 二十ミリ機関砲だった。三百メートルほど離れた岩陰から姿を現したゲ二アの装甲車は、機関砲弾を撒き散らしてアルカディア一号車を数秒で穴だらけのスクラップに変えてしまった。


 ラナが仲間たちの名前を叫びながらアクセルを踏む。アルカディア一号車の隊員たちは、見るも無残な姿に成り果てていた。クレアは右腕が千切れ飛び、腹部の横半分を砲弾に持っていかれていた。まだ息をしているのが信じられないくらいだ。リビー、ルシンダ、そして車長であり、アルカディアの小隊長であるメリンダは頭部や胸部に砲弾を受け、即死の状態だった。

 私たち以外の全ての車両が、ゲ二アの装甲車に銃撃を加えていた。ゲ二ア装甲車が地面の窪みに身を隠している間に、彼女らを荷台に乗せる。千切れた腕や足の全てを回収している余裕は無かった。

 航空基地の周辺の地形は起伏が激しく、緩やかな坂があちこちに点在している。坂を上りきった別の装甲車が姿を現した。今度は一両では無い。少なくとも五両、二十ミリ機関砲弾を撒き散らしながら近づいてくる。直撃を受けたオリオン三号車の機銃手、レジーナの頭部が弾け飛ぶのが見えた。


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