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砂狼

 崖越えを終えた私たちが最初に取り掛かった事は、マーテルたちの埋葬だった。ここならば鉄砲水に遺体が流されたり、砂漠の獣に掘り返される心配は少ないと思えた。


 沈む太陽の残光とヘッドライトの明かりを頼りに、小降りになった雨の中で苦労して人数分の穴を掘る。口を開くものは居なかった。どこか厳かな雰囲気の中で、私たちはスコップを振るい続けた。

 シーツにくるんだ遺体を収めていく。私たちは土の窪みに横たえられた一人一人に別れを告げ、プリムラが彼女にとっての宝物であるバタースカッチキャンディをその胸にのせていく。今や二度と目を開かなくなった仲間たちへひと掬いの土を被せるたびに、誰かが耐えきれずに嗚咽を漏らす。十回も繰り返すころには、誰も涙を躊躇わなくなった。

 埋葬を終えると、私たちは直ぐにその場を離れた。兵士とは迷信深い生き物だ。ようやく訪れた彼女たちの平穏を邪魔する事は、誰にもできなかった。

 この時の私の心情を、どう言葉にしたらいいのだろう。アリスンやマーテルにミュエルの死は、私たちにとって大きすぎる損害だった。部隊の指揮官としては言うまでもなく、戦友としても、一人の人間としてもその死を悲しんでいた。

 だが、私には彼女たちのように涙を流す事は憚られた。その死を正面から深く悲しむには、私はマーテルたちという〝人間〟を知らな過ぎた。目の前で実際に起きている事なのに、まるでニュースペーパーの記事を目で追っているような、自分一人が遠い場所に居るような違和感が消えなかったのだ。

 もっと会話を交わすべきだった。それは今まで他人との繋がりを避けてきた事への罰のように思えて、私は胸の中に黒くて重い滓が渦巻いているような気持になった。

 私は冷酷な人間なのだろうか? そんな事を考えるのも、初めての経験だった。


 定時連絡の時間になって、プリムラの縄張りである無線機へ本部からの通信が入った。

 ゲニア追撃部隊の動きが鈍いのは、雨だけのせいではなかった。涸れ谷での通信の後にリナリア空軍のハリケーン攻撃機が近くの敵拠点を襲撃し、ゲニア兵を細切れにして砂の大地にバラまいた。私たちはその帰還の途中に遭遇したのだろう。この攻撃によりゲニアの航空部隊は空に目を向けざるを得なくなり、地上部隊は嵐を恐れて身を潜めた。私たちの追撃どころではなくなっていたのだ。


 もう一つ、装甲車を破壊した異常なまでに正確な砲撃痕を見て、ゲニアはアルテミスが支配地域に潜入していると確信しているようだった。傍受したゲニアの無線に何度も〝アルテミス〟の名が出てくるらしい。更には我々の存在だ。ごく少数でガガ・メニス燃料集積場を完膚なきまでに破壊した私たちを、ゲニアはただのアルテミス付きの砲撃観測部隊だとは思っていなかった。

 残されたタイヤ痕から、僅か十両足らずの非装甲車両。最低限の装備で数十両の戦車の群れに飛び込み、見事ゲニアの心臓部を食い破って戦線の一つを脅かしている。ゲニアは私たち強襲偵察隊を〝砂狼〟と呼んでいた。私たちを狩猟の女神に付き従う猟犬ではなく、群れを為した狼のような、強力な特殊部隊として認識しているのだ。「気の利いた事を言うゲニア野郎もいたものですね」と、イリスはつまらなそうに笑った。


 ゲニアの我々に対する恐怖と、砂狼という呼び名は雨に溶けていた自信を呼び戻すのに大きな役目を果たした。

「俯いて自分のつま先を見つめるのはまだ早い。なんたって私たちは、まだ生きているんだからな」

 夕食時、僅かな食料を分け合いながら私がそういうと、ニーナが頷いた。

「何もかもが始まったばかりです。最後の一瞬まで敵の喉元に食らいつく。それが生きている者の務めです」

 その言葉には全員が同意していた。空を覆っていた雨雲は消え去り、蒼い月明かりと星々が私たちを照らしている。


 崖上の、偽装網の陰で行われた静かな大喧嘩は、私と彼女たちの間に蟠っていた最後の遠慮とでもいうべき靄を吹き飛ばした。

 ラナは私の命令を無視して、仲間全員を危険に晒しかねない行為をした。私はラナをその場で射殺する事もできた。部隊の生存を最優先とするならば、きっとそうするべきだった。実際に同じような状況になれば、引き金を引く指揮官も少なくはないだろう。

 しかし私はそうはしなかった。ラナを罰する事もしなかった。軍規に照らせばこれは大きな過ちだ。〝戦場での臨機応変〟の範疇を逸脱した私に対し、彼女たちは信頼をもってそれに応えた。


 グルースという町の南西三十キロの位置に、ゲニアの航空基地がある。そこを襲撃する前に、私たちはシッテ・オアシスを目指していた。そこは放棄された無人のオアシスで、上手くいけば水を手に入れることができる。飢えはある程度我慢できるが、渇きは耐えがたい。

 シッテ・オアシスに向かう道中や休憩時間のたびに、彼女たちは私と会話をしたがった。崖上での一件以来、彼女たちは私に対して不平や不満を口にするようになっていた。

 私が髭を剃らないので日増しに年齢不詳になっていくだとか、水浴びまでとはいかなくとも、せめて身体を拭かせてほしいなどの些細なものだったが、彼女たちが私にそのような事を要求するなど、それまでは考えられない事だった。それだけ私に心を許しているという事だ。

 私に向けられる彼女たちの笑顔には、部下が上官に向けるような含みが一切ない。少なくとも私にはそう感じられる。あれほど彼女たち上手くやっていると思っていたマグヌス中佐だが、実際に〝上手くやっている〟のは彼女たちの方だったのだ。自分を道具のように扱おうとする大人たちに囲まれて育った彼女たちは、大人の扱いと嗅ぎ分けに長けている。


 二日間ほどシボレートラックを走らせると、辺りに低木のアカシアなどの植物が現れ始めた。自然の緑は心を穏やかにするというが、それは本当らしい。ようやく生きた世界に帰ってきたような気がした。

 やがて私たちはシッテ・オアシスにたどり着いた。オアシスには無人の離れ屋が散在し、ヤシの木がまばらに生えている。時代から忘れ去られたような風景だった。井戸は四角い石を環状に並べてモルタルで固めたもので、メイトと呼ばれる鉄の蓋で砂が飛び込まないように守られていた。

 私は跳ね上げ式の蓋を開け、ランプを片手に井戸を覗き込む、幸いにして井戸は枯れていなかった。たっぷりと湛えられた水がランプの光を反射し、私の顔を映し出す。


 私たちは古い水を全て捨て、新鮮な水を補給した。その一滴一滴が輝く宝石のように感じられた。タイヤに身体を預け、鉄帽に水をためて髭を剃っていると、井戸の方から黄色い笑い声と水を掛け合うような音が聞こえた。

「水遊びは結構だが、はしゃぎ過ぎて井戸を枯らすなよ? 警戒も怠るな」

 肌寒いくらいの気温だというのに、よくやるものだ。無理にでも気持ちを切り替えようとしているのがわかる。背中に元気の良い返事を聞きながら、私は離れ屋の一つへ剃刀と水を持って行く。まったく、こういう時の男の立場は酷く弱い。

 交代で一時の休息を取り、せっかくなので私も身体を拭いた。年頃の娘たちに臭いと言われる事は、銃弾以上に胸を貫く。


 日暮れ前、私たちは今後の行動について話し合った。未だ食料や燃料は不足しているが、休息のおかげで泥のような疲労感はかなりやわらいでいた。

「ニーナ、クレア。ルディたちの位置は?」

「正確には解りませんが……」

 ニーナが地図に指で円を描き、クレアが頷く。およそ四十キロの距離だ。しかしそれは、あくまで直線での距離である。二つの部隊の間に渡る乾いた渓谷が部隊の合流を阻んでいる。

「やはり、無謀ではありませんか?」

 声が上がる。その通りだ。燃料は片道分しか残されておらず、食料も底が見えている。弾薬も十分とはいえない。

「もちろん、厳しい戦いになる。だが、私たちは無茶をするために砂海を越えてきた。そうだろう?」

 物資に乏しいゲニアにとって、燃料集積場と前線飛行場を失うという事は両腕を切り落とされるに等しい。連合軍はすぐさま前線に開いた小さな穴を拡張させ、これを食い破るだろう。ゲニアは包囲殲滅を避けるために他の前線も大きく後退させざるを得なくなる。私たちはその切っ掛けを作るのだ。あと一歩、グルース飛行場を叩ければ戦況は変わる。

 そう、戦況が変わるのだ。私たちにとって間違いなく良い方向へ。秘匿され、闇から闇へ消え去る運命でしかない私たちの手で、戦争が動くのだ。これほど愉快な事が他にあろうか?

「明朝、日の出前に出発する。スズメバチの巣を踏みつぶし、砂の大地に我々が生きた証を刻む」

 私は彼女たちの顔を見回し、口端を歪めて見せる。

「無謀こそが我らが本分だ。女神の加護のあらんことを


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