北アリウム戦線
酷い雑音交じりの無線に、私は耳を傾けていた。三時間前からM4中戦車の硬い車長席に張り付っぱなしの尻には、もう感覚がない。
観測部隊からの通信によれば、予定通り第七十七機甲連隊第一大隊第十七機甲中隊は、ゲニア防衛線に〝ちょっかい〟を出し、ケツをまくって撤退中。ゲニアは第十七機甲中隊を追撃する形で進軍。こちらの防衛線に楔を打ち込むつもりだ。攻撃部隊の先頭は対戦車砲を牽引した装甲車やハーフトラックに、サイドカー付きのオートバイ。そしてⅢ号戦車と七十五ミリ長砲身対戦車砲を備えたⅣ号戦車。その後方にゲニア本国からの最悪なギフトである、ティーガー重戦車二両が続いている。ティーガー重戦車は、我々にとっては勇敢な兵士を臆病な羊に変える恐怖の舌であり、ゲニア兵士にとっては心の支えとなっている。M4中戦車四両からなる私の戦車小隊は、このティーガーを叩く。
私の小隊は細長い涸れ谷に身を潜めていた。岩壁に張り付くように縦一列に並び、偽装網の上に枯草をかぶせ、息を殺して機を待っている。冬の砂漠は肌寒いが、それでもむさ苦しい男たちの詰め込まれた戦車の車内は三十度を軽く超える。奇襲前の興奮と長時間に及ぶ待機による苛立ちで、車内の空気は濁っていた。
「マジにやるんすか。こんなの、作戦とは言えないっすよ」
声は副操縦席から上がっていた。五日ほど前に補充要因としてやってきた新兵だ。
「我々の役目は、一人でも多くのゲニア野郎のケツに三十七・五口径の砲弾や焼けたブローニングの銃身をねじ込んでやることだ。ビビれば逆に八十八ミリを突っ込まれるぞ」
私がそういうと、装填手の唇から甲高い音が上がる。
「流石、歴戦の勇士であられるサミュエル・〝マッド〟ウッド少尉は言うことが違いますなぁ」
私は返事の代わりに鼻を鳴らす。気狂いとは随分な愛称だが、荒くれ者揃いの戦車兵にとっては勲章のようなものだ。
北アリウム上陸後の幾度かの戦闘は、私に少尉という階級と戦車小隊長という地位を与えたが、戦友というものには恵まれなかった。負傷や戦死で人員の入れ替わりが激しいため、大抵は名前を覚える前に消えてゆくからだ。私を含めて二十名を数えるこの戦車小隊の中にも、名前を憶えている者は殆どいない。だが彼らの方は〝マッド〟という愛称を含めて、私の名を悪い意味でよく知っているようだった。自己紹介の手間が省けるという点だけは有難い。
北アリウム戦線におけるゲニアとの戦闘は、泥臭いの一言に尽きる。
ゲニアの北アリウム軍団は、主にリナリア軍により構成される連合軍との戦いで大きく消耗していた。我がアルストロ合衆国は、勝ち馬に乗るような気持ちで連合軍に参加し、圧倒的な物量と共に我が物顔で北アリウムに上陸した。そして、手痛い反撃を受けた。単純な戦力という数字の上ではゲニアを圧倒していた我が軍だが、経験豊富で砂漠という特殊な地形を熟知したゲニアの八十八ミリ砲に、簡単にバラバラにされてしまったのだ。
ウェイナー峠での大敗の後、アルストロ軍は小隊規模の指揮官までも入れ替える等の大規模な対策を行い、以降はそれなりにゲニア軍と渡り合えるようにはなったものの、ゲニア軍の戦車運用の巧みさと強力な火砲は依然として脅威であった。ゲニアのちょび髭総司令官の関心が薄れ、後回しにされていると思われていたゲニア北アリウム軍団に燃料などの補給物資と増援部隊が届き始めると、戦局はさらにゲニア側に傾いた。アルストロ軍、リナリア軍を始めとする連合軍は大規模な防御線を築き、ゲニアの進撃を抑え込もうとした。しかし、ゲニアの巧みな戦術と強力な火砲、そして最新戦車であるティーガー重戦車の過大な攻撃力と防御力に手も足も出なかった。
以降、連合軍はジリジリと防御線を下げざるを得なくなり、戦況は悪化の一途を辿った。やがてゲニア側も補給線が伸びきってしまうと、ゲニア北アリウム軍団長エルミダート・スマイツは進撃を一時停止。ゲニアは未だ大きすぎる物量差の為に、我々は戦略、そして戦術的敗北の為に足を止め、戦況はさらに泥沼化した。果ての見えない小競り合いばかりを繰り返し、両軍共にその泥沼に肩まで浸かりきっているといった状況だった。
私がこれまでに実際にゲ二アとの砲火を交えて感じた事は、正面から戦っていては敵わないということだった。先に述べた様にゲ二アは戦車運用に長けており、装備の性能も我が軍を大きく上回っていた。ゲ二ア北アリウム軍団の代名詞ともいえる八十八ミリ対戦車砲は、千五百メートル以上の距離から我々の全ての戦車を撃破できた。対する我々はティーガーを相手にする場合は、最低でも五百メートルまで接近しなければならなかった。難しいなどという問題では無い。正面からでは挑むだけ無駄というものだ。こちらの有効射程まで接近する前に、奴らの火砲は我々の戦車を走るストーブに変えてしまう。
ならばどうするか。正面が無理ならば、側面や背面を狙えば良い。これから我々がそうしようとしているように。第十七機甲中隊の攻撃はフィッシングだ。敵部隊を引きずり出し、私の小隊が敵部隊の背面を突く。そして第十七機甲中隊はタイミングを合わせて反転し、混乱したゲニア野郎どもを包囲殲滅するという算段だ。我が小隊の主な目的は、ティーガーの背面を取ってこれを叩くこと。正面からでは相手にならないが、後ろを取れば勝機はあるはずだ。
本来、待ち伏せからの奇襲や迂回戦術はゲニア野郎共の得意とする所だ。奴らは我々がそのような作戦を取る可能性など考えてもいないだろう。我々は時代遅れの用兵術に則って、物量頼みの力押しばかりを行ってきた。もし我々がもう少し賢い軍隊であったなら、今のこの状況のようにゲニア防衛部隊を釣る事はできなかったはずだ。ある意味で腹立だしい状況だと言えるが、それで一人でも多くのゲニア野郎を始末できるのであれば、文句はない。
砲塔ハッチから顔を出す。乾いた涼風に救われた気持ちになった。偽装網と被せた枯草の隙間から鋭い陽光が差し込み、M4の車体を斑に照らし出している。空を見上げた。名も知らぬ大きな鳥が翼を広げ、優雅に飛んで行く。地上で行われる人間の愚かな行為は、彼の瞳にはどう映っているのだろう。
「昼寝の時間はお終いだ。エンジン始動!!」
砲塔を叩き、私が声を上げると戦車は唸りをあげ、それに合わせて他の車両もエンジンに火を入れた。作戦前の興奮した歓声は無い。彼らはこの馬鹿げた作戦を生きて終えられるのか、神にでも問うているのだろう。この砂と砂利ばかりの荒廃した大地に花でも咲いていれば、花弁を千切って未来を占いかねない雰囲気だ。
私は胸ポケットから煙草を取り出し、煙と共に「女々しい奴らめ」と言葉を吐き出す。兵士の仕事は殺す事だ。私を含め、兵士など所詮は盤上の駒に過ぎない。
殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。
一人でも多くの平和を乱す敵を葬れ。ただそれだけを考えれば良い。敵の骸で大地を埋め尽くせば、その上に平和は訪れるのだ。
ふと、手にした煙草の箱に目をやる。ラッキーストライクはパッケージの塗料に使われるチタンや青銅が軍需品として供出され、材料が枯渇してしまった為にデザインが変更されていた。元々は緑地に赤丸で、その丸の周りは金で縁取りされていた。今はシンプルに白地に赤丸だ。〝緑のラッキーストライクは戦場へ行きました〟とは気の利いたキャッチフレーズだと思うが、出来の悪いジョークのようでもある。白地に赤丸の新しいパッケージは、まるで射撃の的ではないか。
私は箱を握りつぶそうとして、思い直してそのまま胸ポケットにしまった。
面白い。射撃の的? 結構ではないか。ゲ二ア野郎がこの的を射抜けるのか、試してやるのも一興というものだ。
「さぁ、虎狩りの時間だ」