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冬の雨

 誰もが憔悴しきっていた。もはや勝利の喜びなど一かけらも無く、私たちは徹底的に打ちのめされていた。細長い枯れ谷の日陰に身を潜め、殆どは膝を抱えたり力なく横たわっている。

 クススに向かい、そこでルディたちと合流するという案は完全に古いものになってしまった。今や私たちの頭上にはゲ二アの攻撃機や偵察機がひっきりなしに飛んでいる。街道も全て封鎖されているだろう。少なくとも、太陽が出ている間は動きようも無い。身を隠せるような窪みや稜線、そして枯れ谷はどこにでもあるとは限らないし、タイヤの跡も隠しようがない。


 私は各車の荷台で砂地脱出用の鉄板に寝かせられた、もはや何も言葉を発さなくなった戦友たちに目を向ける。彼女らを連れだすのは、大変な苦労だった。

 地雷というものは、必ず単独で仕掛けられてはいない。対戦車地雷があれば、その周辺に動けなくなった戦車から逃げ出す乗員や、救助や牽引の為に近づく歩兵を狙って対人地雷が埋められているのが普通である。そして、そのようなポイントが密集しているのが地雷原だ。

 いくら敵意や害意を強力に察知する共感覚能力者といえども、殺意を持たない地雷を感知することはできない。私たち二次爆発に怯えながら、念動力の能力者たちがどうにかミュエルたちを荷台に収容するのを見守った。もし彼女らが遺体を他の地雷の上に落としでもすれば、別の地雷が炸裂してしまう危険があった。どうにか全員を収容すると、次は自分たちの残したタイヤの跡を辿って、来た道を安全と思えるまで引き返した。

 目安は撃破されたゲ二アの八輪装甲車だ。奴らはあの地雷原の存在を承知していたはずで、少なくとも奴らの後ろには地雷が埋まっていないということになる。今にして思えば奴らは私たちを追い立てて、地雷原に頭を突っ込ませるのが目的だったのかも知れない。

 そうして我々が足踏みをしている間に、ゲニアはこちらを包囲しているだろうと思われた。あちこちから捜索と追撃のための部隊が出され、血眼になって私たちを探しているはずだ。少なくとも、私ならそのようにするだろう。


 私たちは、追い立てられた野ネズミのように涸れ谷に逃げ込んだ。

 私のシボレートラックは酷く痛んでいた。ギアボックスにヒビが入り、オイルが絶えず漏れ出していた。エンジンはまともにガソリンを燃焼させることができず、パワーが出せない。ギアは二速がおしゃかになり、走れば車体のボルトやリベットは残らず軋んだ。僅かな工具を駆使して修理にあたっていたイリスとラナが、ラジエーターに穴が開いているのを見つけて声をあげた。予備はガソリンやエンジンオイルと共に置いてきてしまった。その時は最善と思って取った行動に、後々になって苦しめられることは良くある。今がまさにそうだった。

 車両へのできる限りの応急処置を済ませ。私たちは食事をとる。火は使えないので、メニューはビスケットと缶詰と、少しの蜂蜜だった。コンビーフの缶詰もあったが、焼け焦げた戦友の隣で肉料理に挑む勇気のある者は一人も居なかった。


 ビスケットを齧りながら、私はエペソスを解体すると伝えた。元より我々は最小構成の部隊だ。隊長車を乗員ごと失ったエペソスをそのまま運用するよりは、オリオンとアルカディアに一両ずつ編入するほうが良いだろうと考えた。反対する意見は上がらなかった。

 車両の行き先を決定する航法係は各車に居るが、敵を察知する共感覚能力者は各部隊に一人ずつしか居ない。オリオンはマーテルを失った。その穴を埋める意味でも必要な措置だった。航法係の変わりは私にも務めることはできるが、共感覚だけはどうしようもない。共感覚が無ければ我々は群がるゲニアどもの気配に気が付けず、追い回されるはめになるだろう。それは避けなければならない。我々はハンティングゲームの獲物になるために砂海を越えてきた訳ではないのだ。


 雨が降ってきた。冷たい冬の雨だ。

 雨脚は次第に強まり、雨粒がボンネットの上で踊り始めた。私たちは防水シートの下に潜り込み、僅かな体温を持ち寄って互いを温め合わなければならなかった。私とイリスの間に潜り込んだプリムラの身体は、微かに震えていた。

 私たちは惨めだろうか? 貴重な車両と多くの燃料や食料。そして掛け替えのない戦友を六名も失い、泥に塗れて息を潜めるしかできない私たちは。

 いや、惨めさも兵士の本分だ。泥を啜り、地を這いつくばって蠢く。そしていつか敵の喉笛を噛み千切る。彼女たちは損害を受けることで、自分たちが何をしているかを本当の意味で理解したのだ。今までは頭では理解していても、心のどこかでは家族で出かけるピクニックの延長という気持ちが拭えていなかった。

 それがどれだけ馬鹿げた認識違いであるかは、言葉で説明しても腑に落ちないものだ。だから私は何も言わなかった。恐らくはルディも。知らぬままで居られれば、それが一番良かった。そう願っていた。

 だが、彼女たちはそれを知った。自分たちが何者で、何をしにここに来たのかということに、改めて気が付いたのだ。


 私たちは、戦争をしている。


 私は方針を決める必要があった。どうにかしてルディたちと合流を目指すのか、このまま攻撃を続けるかだ。撤退という選択肢はなかった。本部からの許可が下りないのは間違いないし、そのつもりもない。そもそも、そのための燃料も無いのだ。

 彼女たちの顔を見渡す。シートの暗がりで表情はよく見えないが、瞳に宿る光は強い。それが怒りなのか憎しみなのかは解らないが、少なくとも戦意が失われていないのは見て取れた。


 私は唐突に、とある言葉を理解した。出発前夜にルディと交わした会話の中での言葉だ。

 ルディは彼女たちの存在を『とても頼もしく、そして同時に恐ろしくもある』と語った。その時は言葉の真意を掴むことは出来なかったが、今ならば解る。ルディはこの状況を恐れていた。

 機甲砲科特務隊の実働部隊は全員が孤児だ。身寄りもなく、誰にも求められず、必要とされてもいなかった。彼女たちにとっては機甲砲科特務隊という〝家族〟こそが全てであり、自身の存在意義だ。それを守るためであればどんな死地へでも飛び込んでいけるし、殺人という人類最大の禁忌も軽々とこなしてみせる。それも全ては家族の為だ。彼女たちは自身の命と存在意義を互いに依存しあっている。

 彼女たちは強く結束している。魂の深い部分で繋がっている。だからこそ仲間の死は自分の死でもあり、そのツケをゲニアに支払わせるためならば、彼女たちはどんなことにも手を染めるだろう。殺し、殺され、そして最後の一兵まで戦い続けるはずだ。今、私が無謀な突撃を命じてしまえば、彼女たちは少しも迷うことなく応じるのだろう。

 確かに兵士としては頼もしいの一言だ。しかし、一人の人間としては――。


 私は気づかれないようにため息をつき、頭を振った。サミュエル・〝マッド〟・ウッド。そうだ、最初から私はこれを期待されていたのだ。敵も味方もまとめて地獄に叩き込む気狂い兵士。それこそが求められているものだ。

 希望はある。それは文字通りの女神の加護だ。ルディたちに何かしらのトラブルがあったのは間違いないだろうが、攻撃能力を失ってはいないようだ。私たちにも武器は残されている。ならば、取るべき行動は一つだ。

 我々には燃料も食料も無いが、この広い砂漠のとある場所には両方が揃っている。それを頂きに行くのだ。医療品なども手に入れば僥倖である。

 誰もが思いつくが、実際には実行されない作戦というものがある。これなどはまさにそうだった。困窮した部隊が、万全の状態にある後方拠点を襲撃して制圧する。確かに成功すれば小さな戦場では盤面をひっくり返したと言えるだろう。しかしそのような状況に陥った時点で、大局では既に敗北している。戦うだけ無駄というものだ。


 しかし、私たちは違う。大きな枠組みからは切り離された小さな部隊で、常識を超えた武器を持ち、そして勝ち負けには拘っていない。戦うこと、自らの存在を示すこと、それ自体が目的なのだ。

 突然、元エペソス二号車――今は私の車両の新たな一員となっている――共感覚能力者の、ニーナ・アップルトン曹長が何かに気が付いたような声をあげた。私たちは敵襲かと身構えたが、何も伝えずに小さく唸っている。

「何事だ。どんな些細な事でも報告しろ」

 私がそういうと、ニーナはリンゴが突然浮かび上がったとでも言わんばかりの表情をこちらを向いた。

「ルディたちが……、砲撃部隊が移動を開始しました」

 さっ、と部隊に緊張が走った。

「敵の攻撃を受けているのか? それともクススへ向かっている?」

「いえ、ルディの周囲に動いている敵の気配はありません。方角もクススとは重なりません」

 各隊の二人の共感覚能力者は頷き合い、状況認識に間違いがないことを確認し合っている。


 私は考えた。ルディの思考を自分の中で再現しようと試みた。

 ルディには〝俯瞰する眼〟がある。私たちの現状を理解しているはずだ。頭上を抑えられ、退路を塞がれ、ポケットの中身は空っぽ。ルディは私がどのような行動に出ると踏むだろうか。

 おそらく、ルディは私と同じ結論に達したのだろう。だからこそ移動を開始した。雨の中ではエンジン音は響きにくく、航空機からの視界も遮られる。鈍足で大きな身体を持つ砲撃部隊の女神たちは、夜を待たずにこの雨に紛れて少しでも距離を稼ぐつもりなのだ。私たちの次の目的地へ向けて。


「皆、聞いてくれ」

 幾つものぎらつく瞳が私に向けられる。針で刺されるようだった。

「かくれんぼはお終いにしようじゃないか。荷物を纏め、三十分後にここを出る。目的地は当初の予定通りだ」

「やるのね? サミュ」

 イリスが私へ一際強い視線を向ける。

「グルースのゲニア航空基地を襲撃する。小憎たらしいスズメバチの巣を焼いてやろう」


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