ガガ・メニス燃料集積場襲撃②
こちらへ近づいてくるヘッドライトの集団が肉眼で確認できた。今はまだ小さな灯に過ぎないが、数分後には我々の身を焼く業火になるだろう。
念動力の能力者たちは砂地脱出用の鉄板に、敵車両やドラム缶の残骸、放置された土嚢や敵兵の死体までもを空中に浮かして敵弾を防いでいる。手当たり次第だ。時にそれらは投擲されて武器になった。元は戦友であったであろう数十キロの肉の塊に直撃されて首の骨を折ったゲニア兵の気持ちとは、どのようなものだろうか。
出口はすぐそこに見えている。だが直進はできなかった。地面にはタイヤをパンクさせかねない様々な残骸が散らばっている。
「マーテル、前方の金網を撃て。そこから脱出する」
金網はすぐにボロボロになり、クラッカーを割るように容易に突破する事ができた。各車は後ろ足で砂をかけるように銃弾をお見舞いしながら、私に続いて拠点を飛び出す。
全車が敵拠点を脱出した、とイリスから報告を受けた。運転をマーテルに任せ、私は後方を向いて双眼鏡を覗き込んだ。暗がりの向こうに複数のヘッドライト。すぐ近くには整備工場。
「ラナ!」
ラナは顔を上げ、整備工場の方へ鋭い視線を向ける。その瞳が紅く光ったように見えた。
瞬間、整備工場は爆散して巨大な火の玉になった。ラナの生み出した小さな炎が、たっぷりと気化したガソリンに着火したのだ。次いで、エペソスの設置したタイマー式の爆弾が連続して爆発を引き起こした。大きな爆発が何度も巻き起こり、最後には火山の噴火のような大爆発を引き起こした。生み出された衝撃波でシボレートラックが横転するかと思う程だった。
あちこちから歓声や口笛が響く。彼女たちは拳を突き上げ、夜明け前の空を震わせている。戦死者を出したオリオンだけはひっそりと静まっていた。
「サミュ。警戒班より緊急」無線機に張り付いていたプリムラが声をあげる。「敵拠点を迂回する敵影あり。三両。八輪装甲車。二十ミリ機関砲に注意!」
「気を引き締めろ! まだ終わっていないぞ!」
私は声を張り上げる。敵の二十ミリ機関砲は我々のブローニングM2重機関銃には扱えない、歩兵や非装甲車両に絶大な威力を発揮する榴弾を使用できる。こちらも近距離ならばブローニングで敵装甲車を撃破できる可能性もあるが、その前にこちらがスクラップにされるだろう。そのようなダメージレースを仕掛ける気にはなれなかった。
敵の姿はすぐに現れた。万全の状態であるゲニア車両とは違い、我々の車両は砂海越えや無茶な長距離航行によって不具合を抱えていないものは一つもない。彼我の距離は確実に縮まりつつある。
敵装甲車が射撃を開始した。まだお互いが芥子粒ほどの大きさに見える距離だ、当たるはずもない。だがゲニア兵はラッキーパンチを期待している訳ではないのだろう。攻撃をされればこちらは回避行動を取るしかない。直進する敵装甲車との距離は更に縮まるのだ。
私は脳をフル回転させていた。私はどうするべきだ? ブローニングで反撃? それこそ神頼みだろう。節度のある勇気をもって白旗をあげるべきか? 実際、そのようにする将兵は数多い。だが、私はその選択肢を選ぶわけにはいかない。彼女たちを捕虜にさせるわけにはいかないのだ。
「サミュ! 反撃の許可を!」
ブローニングを構えたラナが狼のように歯を剥きだしにして唸る。アリスンの弔い合戦でもするつもりなのだろう。だがその願いを叶えてやるわけにはいかなかった。撃ち合いは最後の手段だ。
「駄目だ、マズルフラッシュに照準されるぞ。プリムラ、全車に通達。指示あるまで発砲は禁ずる」
リナリア軍は紳士であり、ゲニア北アリウム軍団の連中は小憎らしくも騎士道を重んじる。武装したチンピラと変わらないアルストロ軍のように、捕虜を苛め抜いた挙句に射的の的にするような暴挙は冒すまい。だが、私はともかく彼女たちは捕虜として扱われるのか? 我々は存在しない部隊なのだ。少なくともアルストロ軍は知らぬ存ぜぬを通すだろう。取り戻そうとはしないはずだ。そして彼女たちの特殊性は、いくらひた隠しにしたところですぐに知れるだろう。その時、連中は彼女たちをどう扱う? エルミダート・スマイツ元帥に率いられるゲニア北アリウム軍団は確かに騎士なのであろうが、ゲニアの本国送りにでもされれば、実験動物よりも酷い扱いを受けることになるのではないか? 私にとってそれは、死よりも恐ろしいことに思えた。
数の上ではこちらが圧倒的に有利だ。小回りも利く。散開して反転、取り囲んで銃撃を加える。確かに敵を殲滅することは可能かもしれない。だがこちらにも相応の被害が出る。彼女たちは一人一人が代わる者の居ない重要な兵士だ。
ケツも振らずにまっすぐ逃げる。取れる手段は現実これくらいだが、間もなく行き詰まるのは目に見えている。覚悟を決めるしかないのか? 指揮官らしくせめて胸を張って、彼女たちに死を命令するのか。今まで何度もそうしてきたように。あるいは僅かな望みに賭けて白旗を掲げてみせるか?
私は命と名誉を天秤の皿に乗せていた。初めての経験だった。私自身を含め、兵士は消耗品。戦争という大惨事を前に釣り合う物などありはしない。そう思ってきた。だが、今はその考えが陰りを帯びていた。
「泣きそうな顔をしてるんじゃないですよ。つまらない男ですね」
私の背中を骨ばった拳が突いた。その衝撃で私は正気を取り戻すことができた。全く馬鹿げた話だ。敵も味方も纏めて地獄に叩き込む〝気狂い〟と呼ばれたこの私が、少し戦場を離れただけで随分と脆くなったものだ。
イリスの言う通りだった。降伏などはつまらない選択肢だ。私はそれを望まないし、彼女たちもその通りだろう。我々は戦争をするために、砂海を越えてここまでやって来たのだから。
「プリムラ。アルカディア、エペソス両隊に繋げ。オリオンの攻撃と同時に左右に展開、弾丸のパンズでデカいハンバーガーを作り上げろ。ただし、射線が重ならないように注意せよ」
オリオン各車の機銃手に目配せをし、腕を掲げる。
意を決して振り下ろそうとした瞬間。不意に何かが私の頬を撫でた気がした。暗い空を見上げる。目には見えない、しかし確かにそこにある、力強い存在を感じた。
怪鳥の鳴き声を思わせる飛翔音で夜気を散らせながら、一つの黒点が飛来した。黒点は敵装甲車の頭上で弾け、無数の子弾をバラまく。地面は沸騰したように沸き立ち、敵装甲車は前につんのめったり車体を横向きにさせて地面を滑りながら止まった。次いで、三発の通常榴弾が敵に死と破壊をもたらした。土煙が風にさらわれ、後に残ったのは燃え盛る不格好な鋼鉄のオブジェだけだった。
二度目の歓声が巻き起こった。隊員たちは勝利をもたらす狩猟の女神を称えて、手のひらを空へかざす。
「まったく、酷い遅刻だ。随分と待たせるじゃないか」
白み始めた空に消えていく星を見上げて、私は小さくつぶやいた。
「やりましたね、サミュ!」
声に視線を向けると、ギリギリまで車体を接近させたトラックの荷台から、ミュエルが身を乗り出していた。ミュエルはめいっぱいに腕を伸ばし、私に手の平を見せている。私は期待に応えてミュエルとハイタッチを交わした。周りの車両から茶化すような口笛が響く。
「爆薬の設置、ご苦労だった。あのデカい花火はお前たちの勲章だ」
「何いってんです。全員の戦果ですよ」
確かにその通りだ。これは機甲砲科特務隊が初めて単独で勝ち取った戦果だ。途方も無く広がる戦場の片隅に過ぎないが、今この瞬間は我々こそが戦争の主役だった。
当初の予定では、ガガ・メニス燃料集積場襲撃後は東北東に三十キロほどの距離にあるクススという集落跡で再集結をする手筈になっていた。未だ砲撃部隊との無線連絡は叶わないが、それは我々には深刻な問題では無い。ルディはどんな顔でこの戦士たちを迎え入れるだろう。
遠ざかっていくエペソス一号車の荷台で、ミュエルは私に手を振っていた。屈託なく笑う少女だった。溌剌としたその笑顔はエペソスの隊員達だけでは無く、我々全員をいつも元気づけてくれる。
その笑顔が突然の閃光に吞みこまれた。咄嗟に身を屈めた私の頭上を、熱風と様々な破片が唸りを上げて飛び去っていく。爆発が近過ぎた。爆風に車体は強く煽られ、耐えきれずに横転して砂の大地に大きな爪痕を残した。
横倒しになった荷台から何とか這い出し、目にしたものを私は生涯忘れはしないだろう。
ミュエルを吞みこんだのは対戦車地雷だった。下からの爆圧に晒されたエペソスの一号車は、もはや車両としての形を保っていなかった。地面に投げ出された隊員たちは、全員が酷い火傷を負っていた。剥き出しになった腕や足はすっかりローストされ、焦げた皮膚から紅い肉が覗いている。
彼女たちは手足が捻じれて糸の切れた人形のようになっていたり、またあるものは服が燃え続けているというのにピクリとも動かなかった。腹部を半分も失って齧られたベーコンのようになっているものもいる。そして何より最悪なのは、彼女たちが一人も生きている気配がしないということだった。地雷を踏んだのが丈夫な戦車や装甲車であったのなら、いくらかは彼女たちを爆風から守ってくれたはずだ。だが薄っぺらいシボレートラックは、少しもそうはしてくれなかった。
はっ、と私は気が付いた。呆けている場合では無い。最後まで希望は捨ててはならない。私がよろめきながらミュエルたちの所へ向かおうとした時、運転席の方からラナの狂ったような叫び声が聞こえた。
ラナは衛生兵という自分の役割を果たすことができないでいた。膝を付いて顔を覆い、衝撃と悲しみと、自分の無力さに泣き崩れていた。イリスはその隣に立ち、震えるプリムラを抱きしめている。イリスの形の良い唇は細かく震え、細く荒い吐息を繰り返している。
そして彼女たちの向こうに、横倒しになった運転席でだらりと崩れ落ちている人影があった。マーテルを襲ったエペソス一号車の破片は、その頭部をバックリと割っていた。即死だった。




