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砂漠の蛇

 最初にするべきことは、自分たちが今、地球のどのあたりに居るのかを把握することだった。かなりの強行軍だった。ただ砂海を横断することだけを考えて突っ走ってきた。辺りには親切な標識や、道を教えてくれる酒場の一つも無い。あるのは砂利ばかりの灰色の景色だけだ。目印になりそうな物は見当たらない。


 果たして、我々は水先案内人であるマーテルの実力を再確認することになった。彼女は我々を集合場所に定めていた物資集積場へと正しく導いた。我らが航法係は周囲を砂に囲まれた世界で、それでも自分たちがどこに居るのかを少しも見失っていなかったのだ。

 集合地点である物資集積場は所謂拠点と呼べるような代物では無く、名も無き道路の脇に突き立てられた杭と、それにぶら下がるバケツだけが目印の小さなものだ。土を掘った塹壕のような細い空間に、ガソリンやディーゼル燃料を詰め込んだジェリカンと、缶詰や煙草が収められ、石の板を敷き詰めて蓋がされている。北アリウムの戦場には、このような物資集積場が多数存在している。不測の事態に対する備えとして、リナリアとゲ二アの両軍が拵えたものだ。それが、たとえ敵兵の命を救うことになろうとも。

 砂利を払って石畳みを持ち上げると、燃料の缶が財宝のように暗い穴蔵に納められていた。残念なことに、燃料の缶は殆どが空だった。中身が残っていたものも、全てディーゼル燃料だった。我々のガソリンエンジンには使えない。暗がりから二号車の機銃手、リビア・スティッキン軍曹が蜂蜜の瓶をみつけた。燃料が補給できなかったのは残念だが、それだけは喜ばしい収穫だった。


 夕飯の準備をしていると、夜陰の向こうからエンジンの音が響いてきた。急いで簡易コンロの火を消す。各車の機銃手はブローニングM2重機関銃に飛びつき、レバーを引いて弾を送る。それ以外の者は小銃を構え、地面に伏せたり車体に身体を隠して息を殺している。

 ヘッドライトの光は、迷いなくこちらに向かってくる。小さな煌めきだったそれは、今では視界を覆わんばかりだ。近づいてくるのは、一体何者だ? 我々の仲間だろうか。それとも、ゲ二アの偵察隊か?  十分にあり得る話だ。ここは紛れも無くゲ二アの支配地域なのだから。


 目の前がチカチカするような緊張感に私が身を固くしていると、マーテルが「なんだ」とほっとしたように息をついてブローニングから手を離した。「大丈夫です。良く知った気配ですよ」

 やがて現れたのは、強襲偵察隊第二小隊〝アルカディア〟のシボレートラックだった。一両も欠けることなく、全員で砂海を踏破して合流地点に辿り着いたのだ。

「申し訳ありません。遅くなりました」

 アルカディアの小隊長、メリンダ・ポーラー少尉が眉尻を下げて言う。私は叱責などしなかった。上機嫌で彼女らを迎え、全員分のコーヒーを用意させた。我々には水も燃料も貴重だが、これくらいは許されるはずだ。

「シュプロム街道で手に入れた卵もあっただろう。まだ残っているなら振る舞ってやれ」

 私がそういうと、イリスが呆れたようにため息をついた。

「何日経っていると思っているんです? とっくに平らげていますよ。腐った卵を口にして、砂漠に肥しをまくつもりはありません。サミュが砂漠の緑地化に貢献したいというのであれば、別ですが」


 定時連絡の時間になって、プリムラが二つの知らせを私にもたらした。一つは第三小隊〝エペソス〟も無事に砂海を横断したが、合流地点からは大きく離れているというものだった。私は地図を確認する。攻撃目標であるゲ二アの拠点の位置は把握している。私はエペソスに待機を命じた。あちらの方が目的地には近い。無駄な燃料を使わせる必要も無かった。

 もう一つの知らせは、私に決断を迫るものだった。砲撃部隊と無線連絡ができないというのだ。いくら呼びかけても雑音ばかりで、応答が無いらしい。マーテルによれば、ルディたちの気配はまだ砂海の中にあるが、距離が離れすぎていて詳しくは解らないということだった。

 砂塵嵐の影響で足止めをくらったのか? まさか、ゲ二アから航空攻撃を受けたということは――。

いや、それなら共感覚能力者の誰かが気づくはずだ。無線機は故障したのだろうか。修理不能なほどに? ルディたちに何かしらのトラブルがあったのは、間違いないのだろう。

 本部の指示は〝作戦の続行〟だった。既に作戦は大きく遅れている。敵基地を壊滅させることはできなくとも、襲撃の事実は敵戦力を防衛に回させることになり、結果として前線部隊の支援になる。ゲ二アの戦力は日に日に増大しており、連合軍の防衛線が食い破られるのも時間の問題と思われた。猶予は無い。

私は、一体どうするべきだ? ルディたちを迎えに行くべきだろうか。それとも、まだ人に向けて銃弾を放ったことのない新兵を引き連れて、敵のど真ん中にピクニックに行くのか?


 一日。それが私の定めた一線だった。一日待ってルディたちとの合流や連絡が叶わなければ、私たちは出発する。反対する声は多かった。特にイリスとラナは強固に反対の意思を示したが、私は本部の意向には逆らえない。それが軍人というものだ。

 結局私は一日と一晩を待って、物資集積場を後にした。私の頼もしい兵士たちは、初めて不安そうな表情を見せていた。私たちは女神の矢にどれだけ期待し、また依存していたのかを思い知った。砲撃部隊はどこへ行ってしまったのだ? 我々だけで任務は達成できるのか? 初めての実戦が敵拠点の襲撃などという無謀は実を結ぶのか? 


 少なくとも、我々は運にだけは見放されてはいなかった。問題なく第三小隊エペソスと合流し、ゲ二アの装甲車や航空機に発見されることもなくガガ・メニスにあるゲ二ア北アリウム軍団の拠点の手前に辿り着いた。道中、二度敵偵察機とのニアミスがあったが、マーテルが事前に接近を察知してくれたおかげで身を潜めることができた。

 ガガ・メニスにあるゲ二アの拠点は、いわばガソリンスタンドだ。燃料の詰まったドラム缶が山積みになっているのが遠く離れていても確認できる。拠点の一角には腹を空かした鋼鉄の獣たちが静かに食事の時を待っていた。私はラナと三人の隊員を連れて拠点に近づき、高台に伏せて双眼鏡を覗き込む。私たちは太陽の光を双眼鏡のレンズが反射してしまわないように、茶色いシーツを頭からかぶっている。

 ゲ二ア北アリウム軍団の奴らは思い思いに簡易テントを張り、のんきに煙草を吹かしたり、水を溜めたタライを覗き込んで髭を剃っている。我々がすぐ近くまで接近しているなどとは夢にも思っていない。

 車両置き場には二十両以上の二号戦車と三号戦車がうずくまっていた。その隙間を縫うように、鉤十字とヤシの木の部隊章をあしらった中型軍用車のホルヒが軽いエンジン音を響かせている。あの戦車のうち、何両が動ける状態にあるのだろう。ルディたちが居れば美味しい獲物でしかなかったはずが、今では途轍もない脅威でしかない。 

 そして何よりも気がかりなのは、この拠点が事前の情報よりもかなり〝立派〟であるということだ。拠点の中央付近に、しっかりとした屋根を持つ建物がある。整備工場だろうか。あの中には何がある? 敵兵の数も問題だ。数えるのを諦めてしまう程に溢れている。


「どう思います?」

 ラナが視線を敵拠点に向けたままで言う。

「燃料を爆破し、ブローニングの弾をばら撒いてとんずらする。現実そんな所だろう」

 ゲ二アの物資不足は深刻だ。後方拠点に抱え込んだ大量の燃料を失うのは、相当な痛手に違いない。燃料が無ければ、我々人間はこの広大な砂漠では何もできないのだ。戦闘はおろか、自分の家に帰ることですら不可能だろう。

「少し勿体ないですね」ラナが言う。

「人生、欲をかくとロクな目に遭わん」

 私は双眼鏡を整備工場らしき建物へ向ける。

「ラナ。夜の散歩に出かける気は無いか?」

「あら、ロマンティックですね。蒼い月を眺めながらシャンパンでも傾けますか?」

「それもいいがね」私は双眼鏡を降ろし、空を見上げる。「悪いが私は留守番だ。どこかでルディが見ているかも知れんしな」




 その日の夜中、ラナと二人の隊員が潜入偵察から戻って来た。万一に備えて突入準備をしていた待機組は、心底ほっとした。私は報告を元に大まかな敵拠点の地図を作成し、作戦を練っていく。まず、燃料の爆破は絶対だ。何枚ものテントが張られた拠点の本部と思わしき地点を襲撃し、何かしらの情報を強奪するのも作戦目標の一つである。そしてラナのもたらした情報は、私に最も優先すべき作戦目標を設定させた。

「整備工場の中には二両、整備中のティーガー重戦車ありました」

 どうやら整備工場の屋根の下には、虎の姿をした財宝が眠っていたらしい。これを破壊することができれば、大きな戦果だ。

「手持ちの爆薬は足りません。あのぶ厚い装甲を外側から破壊できるとは思いませんね」

 イリスの意見はもっともだ。基地攻撃は砲撃部隊が頼りであったため、爆薬の手持ちは少ない。燃料の爆破はともかく、あの重厚なティーガー重戦車を破壊することは困難だ。

「それなら、良い考えがあります!」勢いよくプリムラが手を上げた。「ラナの発火能力って、直接見えていなくても、位置がわかっていれば火を付けられましたよね?」

 砲撃部隊との連絡は、未だに取れていなかった。私は全員を集め、ガガ・メニス襲撃の作戦を説明する。とはいっても、流れだけの大雑把なものだ。戦場では何かが思い通りになることなど、殆どない。臨機応変にやること。それが最良の結果を生み出すコツだ。私の部隊には、足を出す順番を決められなければ自分で歩くこともできない阿呆は存在しない。

「三時間後に決行だ。飲み食いのし過ぎには注意しろ。敵の拠点でトイレを借りられはしないのだから」

 私たちは敵拠点から十五キロほど離れた、細長い谷に身を潜めている。ここで蛇のように息を潜め、夜明け前に谷を這い出して夜襲を仕掛ける。


 いよいよ、私たちの戦争が始まるのだ。


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