出航
夜明け前の静謐な空気の中を、強襲偵察隊と砲撃部隊の各車両がゆっくりと走り出す。ただ静かだった。無事と勝利を祈る言葉もない。型通りの敬礼をする大人たちに見送られ、少女たちは戦場へ赴く。
始めは緊張した面持ちであった彼女たちも、夜明けの朝日の前では子供に戻っていた。平原はどこまでも広く、朝日に照らされた砂漠は満開の花畑のような桃色に輝く。地平線から顔を出す太陽は途轍もなく偉大で、何よりも頼もしい存在に思える。誰もが太陽に手を掲げ、生まれたての光と澄み切った空気の中で歓声を上げていた。彼女たちは解き放たれた子犬のようにはしゃいでいる。強襲偵察隊第一小隊一号車、つまり私のすぐ後ろの荷台でプリムラが立ち上がって、全身で朝日を受け止めていた。その小さな身体を、イリスが隣で支えている。不意の揺れでプリムラが尻もちをつかないように。
私の気分は晴れやかとはいかなかったが、砂漠迷彩を施した可愛らしさと勇ましさが同居する車列が、広大な砂の大地に航跡を刻んで駆けていくさまは、実に壮観だった。
車両にフロントガラスは無い。全ての車両から光を反射する物は極力排されている。速度計の針はおよそ六十キロ。我々は丘も茂みもない、滑らかな地表を飛ぶように進んでいく。冬の砂漠に降り注ぐ日差しは強いながらも柔らかく、吹き抜ける風は爽やかだ。先頭は私の車両を含む強襲偵察隊の第一小隊〝オリオン〟、向かって右側に第二小隊〝アルカディア〟、左に第三小隊〝エペソス〟が三角形になって進路を切り開いている。そして後方に砲撃部隊の特殊砲科車両一号車〝アルテミス〟、二号車〝セレーネ〟、三号車〝ディアナ〟、四号車〝ヘカテー〟と砲弾運搬車が方陣を組んで続いている。更に後方には少年らの操る二両の補給車両が追従していた。彼らは我々の勢力圏内の端にあるミヌラ・グルと呼ばれる涸れ谷まで同行し、そこで私たちの車両をもう一度満腹にして送り出してくれる。
時計の針が朝と昼の合間を指し示す頃、車列はシュプロム街道に差し掛かった。リナリア軍の長距離砂漠挺身隊も通過したことのある街道だ。報告書の文字列でしかなかった景色が現実に目の前に現れたことに、私は少しだけ感慨深いような気持ちになった。
ここはまだ内陸砂漠からは程遠いが、ここから先の我々のルートにまともな文明は無い。街道にはラクダやロバの荷車で込み合うバザールが開かれている。そこから逸れて街道を通り抜けるつもりだったが、手押し車に様々な商品を積み込んだ少年らは我々を見逃さなかった。彼らが手慣れた様子で恐れずに車両の前に出るので、我々は減速をせざるを得ない。
「決して止まるな」
私は指示を出す。止まれば、我々は瞬く間に取り囲まれる。余計な時間を過ごす羽目になるだろう。彼女らは顔を見られないように鍔広の帽子を目深にかぶり、あるいは砂と日差し除けの頭巾を身に着けて俯いた。
歩くような速度で街道を抜ける合間に、私は彼らの懸命な商売の相手になってやることにした。必要はないと思っていたので手持ちの金は少なかったが、彼らは軍支給の戦闘糧食、特に缶詰を欲しがった。私は引き換えに新鮮な卵やオレンジ、そしてメロンを手に入れた。悪くない取引だった。
「しかし驚いたな。まるで我々が来るのを知っていたようではないか?」
私がそういうと、少年は「わかるのさ。あんたたち軍人が走り出すと、風が騒ぐ」と前歯の欠けた笑顔を見せた。
昼食のメニューが気になりだした頃、地形の様子が変わり始めた。地面は大粒の砂利で覆われて、洗濯板のようになっていた。車体は小刻みに揺れ、顎と脳を激しく揺さぶる。「舌を噛んだら駄目ですよ?」と衛生兵であり、今は運転手を務めているラナ・ハリス曹長が野花のように笑う。後ろで一つに纏めた長い髪が風に攫われて踊っている。彼女はエーデルワイスのように可憐で、隣に居るだけで他人を元気づける明るい生命力に溢れていた。そのすらりとした肢体は少女たちの憧れの的だが、闇に紛れ込めば彼女は悪魔の爪先に変貌する。彼女はナイフと潜入の達人で、特に屋内戦闘を想定した模擬選では彼女を敵に回したが最後、ゴム製のナイフの刃に仕込まれたインクの跡をつけられずに帰って来たものは居なかった。ラナの能力は〝発火能力〟である。『サンドキャッスル作戦』では発揮される機会は無いかもしれないが、旅の中にあっては有用な能力だ。
振動に耐える首とケツの痛みが限界に達しようとしていたころ、航法係と機銃手を兼任するマーテル・ヴィネット少尉が休憩を提案した。方位を測定する為のサンコンパスに落ちる影が短くなりすぎたのだ。太陽が頭の真上に居る間は移動をすることができない。内陸砂漠へ入るまでは標識を頼りに道に沿って走れば良いのだが、標識の間隔はとても大きい。常に速度と方位に目を光らせ、自分たちの現在位置を把握し続けることが重要だ。我々には道に迷って右往左往するような時間も燃料もないのだから。
各車両は航空攻撃に備えて分散し、野営地を設営していた。炊事監督のブレンダがてきぱきと指示を飛ばし、昼食の準備に取り掛かっている。ルディの姿は見えない。どうせ居眠りでもしているのだろう。
私は車両の点検をしていた。ナットやボルトに緩みは無いか? リベットやステアリングロッドは? タイヤに少しでも歪みは生じていないか? 僅かな異常も見逃したり放置すれば、いずれ致命的なものとなるかも知れない。車両の故障は想定内であるが、スペアパーツには限りがある。機械的な故障が原因で戦場から引き返すなどという事態は勘弁願いたかった。
無線機の置いている台座に付けられた折り畳み式の書き物机で、マーテルが地図にペンを走らせていた。「熱心だな」私がそういうと、マーテルは「プリムラほどではありません」とマーキングをするように落書きだらけにされた無線機を、ペンで叩いて微笑んだ。プリムラは無線手として私の部隊に組み込まれている。
マーテルの能力は共感覚と呼ばれるものだ。言葉や風の音に色を感じたり、物の形に味を感じたりする、一つの物事を複数の感覚をもって知覚する能力である。機甲砲科特務隊にあっては特に人間の感情に対して発揮され、敵意や殺意、あるいは悪意を限りなく敏感に察知する。
強襲偵察隊の各隊と、砲撃部隊に一人ずつ配置されている航法係は全員が共感覚の能力者であるが、特務隊の全体を見てもその数は少ない。訓練の段階で脱落してゆくのだ。大抵の者は常に不特定多数の負の感情に晒される訓練に、精神が持たないのだという。マーテルは他の共感覚能力者がそうであるように、年齢にそぐわないほどに大人びている。豊満な肉体も相まって、私から見ても魅力的だと思える程だ。綺麗に着飾ってバーにでも繰り出せば、夜は彼女のものになるだろう。
マーテルたち共感覚能力者の精神が休まる時は無い。彼女らは常に速度計とサンコンパスに目を光らせ、意識は空や地平線の向こうへ走らせて敵の気配を探っている。我々にはそれぞれに役割が与えられているが、共感覚能力者に頼る所は大きい。敵の攻撃機や装甲車に追い回されて兎のように逃げ回る羽目になれば、作戦どころでは無くなるのだ。
塩味のビスケットと干し肉のスープ、そして鉄鍋で温めたミートパイで昼食をとった。交代で見張りをしながら昼寝をし、太陽の傾きに合わせて再び走り出した。二日目の昼過ぎには地図に記載されているとおりの地点に井戸を見つけた。最初のチェックポイントだ。それは滑車とバケツが二つあるだけの、地面に開いた石の穴に過ぎなかったが、我々は最初の山場を乗り越えたようにほっとしていた。私は飲料水の缶のうち、満杯でないものは中身を全て入れ替えるように指示を出した。作業を終えた少女たちは井戸の前に列を作り、砂に塗れた髪を洗ったり、身体を拭くための水を得ようとしていた。私も水を得られるうちに髭を剃りたかったのだが、とにかく待つしかなかった。
夏の砂漠では日差しだけでスクランブルエッグが作れるほど車体が熱くなるというが、冬はそれが信じられない程に過ごしやすい気候だ。それは我々にとっては数少ない幸運の一つである。だが顔に帽子を乗せて荷台に寝ころび、はしゃぐ少女らの声を聴きながら待ち続けるだけというのも退屈なものだ。私はジャックダニエルの瓶を散歩に連れ出した。足は自然と砲撃部隊の車列に向かっている。
女神の名を冠する特殊砲科車両は点検の為に幌を取り払われ、その威容を晒していた。初めは悪ふざけとしか思えなかったこの車両も、今では頼もしく思える。
砲兵は山なりの軌道を描く砲弾を遠矢に見立てて、弓兵の延長線上にあるものとされている。狩猟の女神、アルテミスの名もそこに由来するのであろう。しかし神話では山野を駆け回り鹿を射っていた女神たちも、砂漠では勝手が異なるようだ。タイヤを砂にハマり込ませたり、パンクさせることもしばしばだ。もちろん、それはどの車両でも同じことではあるが。
車両がトラブルに見舞われた時、頼りになるのは念動力の能力者たちだ。彼女らはジャッキも無しに車体を持ち上げ、我々は砂に頬を擦らずともパーツの交換を行うことができる。特に力を発揮したのはプリムラだ。他の能力者が額に玉の汗を浮かべて車両を持ち上げている一方で、彼女は軽々とそれをこなして見せる。彼女は自分の価値を認められたと感じたようで、それをとても誇りにしていた。とはいえ、「全部のくるまが壊れちゃえばいいのに」と物騒なことを口癖にするのは控えて欲しいものではあるが。
だが、この先はプリムラの願う通りになるかもしれない。明日には我々は南進を終え、そこから西に転じてラムリア大砂海の東端に達する。前例はあれど、未だ踏破は難しいとされる砂の海に挑むのだ。間違いなく、苦難の連続であろう。
私は、我々より先にラムリア大砂海を踏破して見せたリナリア軍の特殊部隊〝長距離砂漠挺身隊〟のとある将校が残した地形状態評価報告書の一文を思い出していた。それを知っているのは私の把握している限りではマグヌス中佐にルディ、そして私だけだ。彼女らには伝えるつもりはない。それは士気に大きくかかわると思われるからだ。
だから私は、彼女らに嘘をついた。ブレンダの『特殊砲科車両は砂海を越えられるのか』という質問に対して、問題ないと答えた。しかし実際には、それは大きな誤りだ。
その地形状態評価報告書の一文にはこう記されている。
『自動車輸送の通行に適さず』と。




