作戦前夜
数日後、整備工場に砲撃部隊と偵察隊の各車の車長、そして作戦に関わる将校が招集された。これから始まる『サンドキャッスル作戦』の説明を行うためだ。ついに時期が来たというわけである。
「さて諸君、舞踏会へのご招待だ。といっても、踊るのはゲニア野郎だけさ。私たちは扱いなれた物騒な楽器でメロディを奏でるのみだ」
私がそういうと、小さな笑い声が上がった。リラックスした空気が流れている。幾度かの実戦経験と、我々を英雄と称賛する声は確実に少女らの自信へと繋がっていた。早く大きな任務へ繰り出したくて、うずうずしているのだ。
「砂漠での戦いは、海上での戦闘に似ている。戦場は広大で、身を隠す場所もない。勇気と大胆さが勝敗を決する大きな決め手になる。腹立たしいが、ゲニア野郎にはそれがあった。リナリア軍の紳士たちにもだ。だからここまで持ちこたえた。しかし、我々アルストロ軍にはそれが欠けている」
私は全員の顔をぐるり、と見まわした。私の言葉に不満を口にする者はいない。我々がもう少し賢く勇敢な軍隊であったのなら、ここまで戦況が泥沼化することは無かった。それは全員が理解している事実だった。
「しかし、ゲニアも無敵の軍隊というわけではない。〝アルテミス〟の名は、今やゲニア野郎どもの間でも知れ渡っているらしい。何度も鼻先を焼かれ、やっとの思いで二〇二防衛線を突破した指先も消し炭にされて、震えあがっているようだ」
そこかしこで口笛と歓声があがった。私は手で静まるように示す。
「だが、浮かれてはいられない。奴らは紛れもなく精強な軍隊だということを忘れてはならないのだ。我々が支援できる戦場は限られている。奴らはすぐに我々がごく小規模な部隊であると気が付くだろう。いまに勇気を取り戻し、銃口を揃えて向かってくるはずだ。そこで」
私はホワイトボードに張り付けられた、北アリウムの地図を赤ペンで示した。そして我々が居る地点から大きく弧を描いて線を引き、ゲニア前線部隊の遥か後方まで伸びたペン先がバツ印を書き込む。彼女たちの予想を超えていたのだろう。初めて困惑するような声が上がった。
「奴らのケツを蹴りあげてやるのだ。ラムリア大砂海を横断し、敵陣奥深くの飛行場や物資集積場を叩く。奴らがアルテミスの名におっかなびっくり頭上を伺っている合間に、後方との連絡を絶って孤立させる」
他の部隊と連絡し、連携している部隊は持ちこたえる。連絡を絶たれ、孤立した部隊はすぐに崩れる。それは我々連合軍が、この身で何度も経験してきたことだ。
海上での戦闘がそうであるように、砂漠戦でも一つの拠点を失うだけで広大な地域が空白地帯となる。補給を絶たれた部隊はすぐに困窮し、大きく戦線を後退せざるを得なくなる。前線部隊を支える為の物資とその補給線はゲニアにとっての文字通りの生命線であり、それを叩くことができれば物量で勝る連合軍は大きく優位に立つことになるのだ。
敵の弱点を的確に叩き、こちらの長所を前面に押し出す。いくら奴らの〝虎〟が強力であっても、腹ペコでは戦えない。ごく小規模の部隊で素早く背後に回り込み、大火力をもって敵の急所を叩く。それこそが機甲砲科特務隊の任務だ。
「何百キロも走って大砂海を横断するなんて、本当に可能なんですか? 砂海のどまんなかで立ち往生して干物になるのはごめんですよ」
一人の少女が声をあげた。砲撃部隊特殊砲科車両三号車の車長、カネット准尉だ。
「もちろん簡単ではない」私は言う。「しかし不可能ではない。リナリア軍紳士のとある特殊部隊がそれを証明している。我々は彼らの残した轍の上を往くのさ」
「しかしリナリアの紳士たちも、ドン亀の特殊砲科車両を引き連れては居なかったはずです。あのデカブツは、砂海を越えられるのですか。サミュ?」
手を上げて特殊砲科車両四号車の車長兼、炊事監督のブレンダ准尉が口を開く。
「問題ない。先ほど言ったリナリア紳士の特殊部隊員が残した、戦車や火砲が内陸砂漠を通り抜ける為の地形状態評価報告書がある。キャプテン・キッドの宝の地図よりは信頼できる代物だ」
いつの間にか姿を消していたルディがふらりと現れ、少女たちに紅茶とコーヒーを振る舞った。「バタークッキーも必要かね?」私がそういうと笑い声が上がり、張りつめていた空気が緩んだ。
「作戦の大まかな流れを説明します」ルディが前に出る。「この状況説明後、強襲偵察隊と砲撃部隊の各車両へ一月分の食糧、燃料、エンジンオイルに弾薬を搭載。翌朝、日の出前に出発します。私物の持ち込みは極力控えるように。コスメも我慢してください」
大きな不満の声が上がった。私が「堪えてくれ。私も好きに髭を剃ることができないのだから」というと、彼女らは渋々といった様子で口をつぐんだ。
「砂漠ではサミュが率いる強襲偵察隊が先行し、後に砲撃部隊が続きます。敵基地へ到達後、強襲偵察隊はこれを監視。砲撃部隊の砲撃後、強襲偵察隊が敵基地を襲撃。敵司令部、火砲、車両、航空機を優先して〝掃除〟してください」
つまるところ、私の率いる強襲偵察隊の任務は砲撃部隊のエスコートと、砲撃の討ち漏らしを綺麗に片付けることだ。ルディの砲撃部隊は正確無比であり、特殊砲弾の攻撃範囲は広いが、虱潰しという訳にはいかない。最後にはやはり、直接叩くしかないのだ。
少女らの表情は悪くないものだった。揺れるような興奮と、水面のような恐怖が入り混じった兵士の顔だ。
「君らが予想している通り、これは危険な任務だ。恐らくは、全員で無事の帰還とはいかないだろう」私はもう一度、彼女らの顔をゆっくりと見回す。胸に刻み込むように。「しかし重要な任務だ。我々の働き一つで、北アリウム戦線の趨勢が決するといっても過言では無い。タフな仕事になる。総員、奮起せよ」
常識では考えられないような、自殺的に近い任務だった。敵地の奥深くに一切の援護も受けずに侵入し、砂粒ほどの支援も無しに任務を遂行する。一つのトラブルが死に繋がりかねず、そして戦場はあらゆるトラブルで溢れている。窮地に追いやられても救援は期待できず、頭上を守る味方の航空機も居ない。しかし彼女たちは、熱意をもってこれを受け入れた。
「そうそう。車両の整備も終わったと報告を受けています。せっかくなので、みんなで見に行きましょう」
ルディの提案で、私たちは連れ立って整備工場の裏手にある車両置き場へと向かった。重い鉄扉を開いた私の背後で、少女たちが大きな歓声をあげる。
砲撃部隊の特殊砲科車両、そして強襲偵察隊が使う一・五トン積みのシボレートラックの全てに、淡い桃色の砂漠迷彩が施されていた。一見するとファンシーに思えるそれは、過去に行方不明車両を中々発見できず、ようやく発見した時には茶色の塗装が退色して桃色になり、それが日差しに照らされた砂漠に溶け込んで見事な迷彩色になっていたことに由来するものだ。私たちが最も警戒するべきなのは、敵の航空機に空から発見されることである。それを避ける為に、この迷彩は最適といえた。
少女らは喜々として、各々が搭乗する車両に駆け寄っていく。そこかしこで「可愛いー!!」という声が響いている。どうやら、いたくお気に召したようだった。万全の整備をされ、出撃を今か今かと待ち構える桃色の車両は、私の目にもプレゼントボックスのように輝いて見えた。
装備の積み込みは全員で行った。作戦には直接参加をしないマグヌス中佐も積極的に協力し、それでも全てを積み終えるのにたっぷり八時間を要した。どうやら化粧をしなくとも、女性は準備に時間を掛けたがる生き物らしい。私はといえば、個人的な準備は自室と車両置き場の一往復で事足りた。ヘアブラシも愛用のマグカップも必要ない。私の荷物は剃刀と拳銃、そして数冊の本だけだ。
夕飯を掻き込み、私は早々に床に就く。しかし眠りは酷く浅い。緩やかな覚醒を何度も繰り替えし、やがて私は安眠を諦めて硬いベッドから這い出た。
自然と足は車両置き場へと向かっていた。燈火管制下にあるので灯りを手にすることはできないが、それは少しも必要では無かった。降るような星空に照らされた砂漠の夜は明るい。
トラックに掛けられた防水のキャンパスカバーに指を這わせると、ひんやりとした感触が伝わった。冬の砂漠は、砂漠という言葉のイメージとは正反対に寒い。特に夜間は凍えるようだ。私は厚手のセーターにオーバーコートを身に着けている。
胸からラッキーストライクを取り出し、手で隠すようにして火を付けた。煙草の先で煌々と光が灯る。空も地面もこれだけ明るいのだ。問題は無いだろう。
「煙草、吸われるんですね。知りませんでした」
煙を一つ吐くと、背後から聞き慣れた声がした。私は驚かなかった。何となく、ルディもここに居るような気がしていたのだ。私が驚くとすれば、その直感が正解であったことの方だ。
「君らの前では、あまり吸わないようにしている」
「なぜ?」
「プリムラが嫌がる」
少しの間の後、ルディが堪らずといった様子で噴き出した。
「優しいのですね、本当に」
「やめてくれ。その言葉はアレルギーなんだ」
私が首筋を掻く仕草をすると、ルディの笑い声が大きくなった。
「眠れないのですか?」
「無謀で無茶な作戦ばかりをしてきたが、今回はとびきりだ。我々の中に一人も内陸砂漠で活動をした経験がある者が居ない。信じられるか? これから私もルディもあの娘らも、揃って処女を切るんだ。必ず何かが上手く行かない。そうすると、次々とトラブルが起こる」
そうですね、とルディが頷く。
「本来なら、リナリア軍から専門家を派遣してもらうか、現地人をガイドに雇用するべきです。しかし私たちにそれは許されない。手札を変えることはできないのです」
「人生は配られたカードで勝負をするしかない。どこかのキャラクターも言っていたな」
「怖いですか?」
「怖くはないさ。死ぬのは怖くない」
「私は怖いですよ、サミュ」
ルディが背中を預けると、トラックが微かに揺れる。ルディの口元を隠すマフラーから白い吐息が上がった。
「死んだら、何も残らない。消えてしまうんです。跡形も無く。私はそれが恐ろしい」
ルディの言うことは解るつもりだ。どれだけ勇敢な死を迎えても、結局は死んでしまえばそれまでだ。新たな物語は一ページも紡がれず、人々の記憶からもやがて薄れる。
「聞きたいことがあるんだ」
私は思わず口を開いていた。本当は聞くつもりは無かった。聞けば、私は関心と無関心の狭間に居られなくなる。
しかし、やはり私は知るべきなのだろう。戦場は絶え間なく人の心を試す。中途半端なままでは命令に躊躇いが生じる。その隙を見逃す程、戦の神は生温くは無い。
「なぜ戦う。軍に、国にPSなどというふざけた代物に仕立て上げられ、挙句は無謀な作戦に放り込まれようとしている。なぜここまで尽くす。悪意に塗れながら〝正義の為に〟だなんて、言いはしないだろう?」
ルディは考えるように目を伏せた。きっと、その想いを言葉にしたことが無かったのだろう。
「やっぱり、何かを残したいんだと思います」
「残したい?」
「私たちの全員が孤児という話は、聞いていますよね。それぞれ孤児になった理由は様々ですが、結局は孤独なのです。必要とされたい。何かを成し遂げたい。この世に自身の存在を刻み付けたい。それがどんなに歪んだ形であっても、生きた証を残したいのです」
「何かを残したいが為に、消えてなくなるリスクを冒すのか」
「矛盾していますか?」
「そうだな。実に人間らしい生き方だ」
この世が平和であれば、もっと別の選択肢もあったはずだ。彼女らも、きっと違った生き方を選べたはずなのだ。しかしカードは配られてしまった。ドロップは許されない。ならばコールをして勝負するしかない。ルディたちは自分が何を求められ、何を為すべきなのかを正しく理解している。
「言葉にすると、少し照れますね。顔が熱いです」
顔を手であおぐ仕草をしながら、ルディが俯く。
「出発まで、もうあまり時間もない。話の礼に濃いコーヒーでも淹れようか。それとも、紅茶が良いかな?」
少し考える様子を見せて、ルディは「お気持ちだけありがたく」といった。
「寝ぼけた頭で砂漠を渡るつもりか?」
「そんなことにはなりませんよ。砲撃部隊の車両にはベッドがありますから」
ルディはマフラーを人差し指でさげ、私へ悪戯っぽく舌を出してみせる。
では、と踵を返して立ち去る背中に、私は声を掛ける。
「ルディには、こんなに大きな家族があるじゃないか。何も残らないなんてことはないだろう?」
蒼い月明かりに髪を輝かせながら、ルディが振り向く。困ったように首を傾け、少し寂しそうに笑う。
「私にはそれがとても頼もしく、同時に恐ろしくもあるのです。あなたには解りますか。サミュ?」




