狩猟の女神
機甲砲科特務隊に配属されてから五日が経ったころ、私はマグヌス中佐から呼び出しを受けた。中佐の執務室には、ルディの姿もあった。
「悪い知らせがある。少尉にとっては、良い知らせかもしれないが」
眉根を寄せて中佐が言う。南端に位置する第二〇二防衛線がゲ二アの攻撃により壊滅的打撃を受けた。包囲を警戒した連合軍は南部防衛線を後退させ、ゲ二アの攻撃を受け止める姿勢であるという。これにより、作戦の行動ルートに見直しが必要になるということだった。
「ベンチでのんびりと眺めているつもりも無いが、作戦に数日、あるいはそれ以上の遅れが生じることになる。少尉の頭がクラッカーのように弾ける心配は無くなったという訳だ」
それが中佐のいう〝考えようによっては良い知らせ〟らしかった。ルディのそよ風のような笑い声が流れる。一日でも早く戦線に復帰することは私の願いではあるが、確かに、中佐が言う通り知識の詰め込みには少々無理を感じていた。隠せていると思っていたのは私だけだったようだ。
中佐は私にとある名簿を手渡した。総勢四十名。四名ないし五名ずつのグループに分けられたそれを、中佐は強襲偵察隊と呼んだ。そして、それが私の率いる部隊であるとも。
「少々予定は狂ったが、じっくりと準備を整える時間があるのは良いことだ」
中佐によれば強襲偵察隊は三両の中型トラックを一小隊とし、三小隊で行動することになるという。
「一体我々に何をさせようというのです、中佐?」
私が問うと、中佐は我々がこれから行うことになる『サンドキャッスル作戦』の概要をルディと私に説明した。もとから今日この日に伝えるつもりであったらしい。状況は変わってしまったが、作戦自体に大きな変更は無い。最終準備は予定通りに行われ、少女らには作戦開始直前に私とルディの口から説明することになる。
「さて少尉、どう思うかね」
「命がけの二番煎じ、というのが率直な意見です。私には危険なように感じられますね。むろん、望むところでありますが」
「よろしい」中佐が大仰に頷く。「しばらくは戦線が騒がしくなる。砲撃部隊には、もう何度か働いてもらうことになるだろう。大尉は部隊をいつでも動かせるようにしておくように。少尉は、そうだな」
小さく咳払いをし、中佐が続ける。
「もう少し、彼女らと積極的にコミュニケーションを取りたまえ。信頼関係を築くのも、指揮官の大切な務めだ」
私は呻きを抑え込むので精一杯だった。大きく年の離れた、それも異性の子供との信頼関係だと? 私にとっては、どんな任務よりも困難に思えた。私は食事の席で少女たちと楽しそうに会話を弾ませる、中佐の穏やかな横顔を思い出していた。あの境地に辿り着くことが、果たして私にできるのだろうか。
私は本部敷地内にある物資集積場へと足を向けていた。作戦に必要になる水や食料に、隣接する弾薬庫で弾薬などの備蓄状況を確認する為である。物資の運搬と管理を担当している少年らを疑う訳では無いが、何事にも確認は必要だ。仮にガソリンとディーゼル燃料を取り違えでもすれば、我々は砂漠の真ん中で立ち往生し、ただ干からびるのを待つことになる。
通り道にある射撃場には、小さな人だかりができていた。事故でも起きたのか? 無理に弾詰まりを解消させようとして銃を暴発させ、自身や他人に風穴を開けてしまうというマヌケは少なくない。
「何事だ」
私が姿を現すと少女らは身を固くし、お手本のような敬礼をした。新兵丸出しだ。擦れた所が無いのは美点でもあるが。
「夕食のデザートを賭けて、狙撃コンテストを行っているんです。これから決勝戦です」
見ればコークの瓶が二つ、離れた地面の上に置かれている。参加者は一人ずつこれを撃ち、成功するたびに狙撃距離を伸ばしていくというルールであるらしかった。周囲にはおびただしい量のガラス片が散らばっている。
「少尉殿も一口乗りませんか?」
私は狙撃手の姿を探した。指で示された先を見遣ると、遠くに二つの人影があった。まさか、あの距離から撃とうというのか? スプリングフィールドM1903の最大有効射程ギリギリだ。馬鹿馬鹿しい。私はその場を立ち去ろうとしたが、中佐の言葉を思い出して踏み止まった。
「無理だ。当たらんよ」
銃弾は様々なものの影響を受け、直進することは無い。銃弾は放たれた直後から空気抵抗を受け、重力に引っ張られ、砂漠の強い風の中では更に弾道がぶれる。針に糸を通すような狙撃などは到底不可能であるし、ましてや最大有効射程ともなればオリンピック選手ですら匙を投げるだろう。
少女の一人が上着を振ると、ややあってコーク瓶のすぐ隣で小石が弾け飛んだ。やや遅れてやって来た銃声と共に少女たちは残念そうに声を上げるが、私は戦慄していた。着弾誤差は僅か数センチ。的が人間であれば、ど真ん中とはいかなくとも十分に命中弾だ。
少女がもう一度上着を振る。息を飲む気配が伝わった。次の瞬間、瓶はメーカーロゴを撃ち抜かれ、粉々に砕け散った。湧き上がる歓声の中で飛ばされた瓶の飲み口が回転しながら輝いている。
悔しそうに顔を真っ赤にした少女と、対照的な表情の少女がやって来る。二人はたちまちに取り囲まれ、口笛交じりの賛辞と慰めの渦に揉みくちゃにされる。私がそれを茫然と眺めていると、やがて人混みを押しのけるように涼しい顔をした少女が進み出て、私に向かって面倒そうに敬礼をした。
「君は……」
私は彼女の名前を思い出そうとしたが、少しも浮かんでは来なかった。彼女は「イリス・バルナジア。階級は軍曹です」とつまらなそうに自己紹介をした。強襲偵察隊のリストにあった名だ。
「見事なものだ」
「ま、天才ですから。私」
肩まで伸びた癖っ毛を跳ね上げてイリス軍曹が言う。その通りだな、と黙っていると、イリス軍曹は半眼になって私を睨みつけた。
「……冗談ですよ。つまらない人ですね」
そのような反応をするとは予想外だった。私は不快感よりもその新鮮さに驚いた。
「君は砲手か?」
「いいえ」と軍曹が首を振る。
「それだけの腕前があるのにか」
軍曹は呆れるように肩を竦めた。
「砲撃と狙撃は別物です。直射と曲射では求められるセンスが全く違います」
軍曹は〝話は終わった〟と言わんばかりにくるりと向きを変え、立ち去っていく。途中で「あ」と何かを思い出したように声を上げた。
「賭けは私の勝ちなんで、デザートはプリムラにでもくれてやってください。懐かれたいのなら、ですけれど」
「聞こえていたのか? あの距離で?」
軍曹は肩越しに振り向き、唇を指先でトントン、と二回叩いた。まさか、唇の動きを読んだとでもいうのか?
私はもう呆れるしかない。うちの狙撃手は、本当に眼が良い。
私はルディの提案で、砲撃部隊の支援砲撃任務に同行することになった。四人の少女を引き連れ、観測班として働く。第二〇二防衛線を突破し、進軍を続けているゲニア攻撃部隊の頭を抑えるのと同時に、ルディは『サンドキャッスル作戦』が開始される前に私をビーコンとして千里眼を使うリハーサルを行いたいとのことであった。
観測任務は初めてだったが、訓練は受けてきた。定点観測に適した地点を見つけ、双眼鏡を覗き込む。戦場はヴィンテージ物の鉄火場に仕上がっていた。ゲニアの機械化歩兵は既にこちらの前線陣地を突破している。あちこちに煙を上げる非装甲車両や破壊、または放棄された野戦砲に迫撃砲や対戦車砲が転がっていた。奴らの後方から、安全を確保された戦車が悠々と進軍し、時折砲弾を戦車や砲撃陣地に打ち込んでいる。控えめに言っても、防衛部隊は壊滅寸前だ。
しかし、これほど優位に戦いを進めているというのに、ゲニア野郎共にいつもの勢いがないように感じられた。ゲニアは戦力を小出しにすることは無い。戦車はいつも縦隊か方陣を組み、戦力を固めて前に押し出し、僅かでも突破口を開くと容赦なくそれを拡張させる。だが今の奴らはどうだ。戦車は不自然に散開し、陣地転換をする対戦車砲の砲兵もしきりに辺りを気にしている。
〈展開完了です。いつでも始められます〉
無線からルディの声が響く。
「状況説明は必要か?」
〈いいえ。サミュのおかげで良く視えていますよ。まずはいつも通りに足を止めます。通常榴弾装填!〉
私は一度砲撃部隊の訓練を見学させてもらったことがあるが、砲弾の装填速度もまた驚異的であった。ルディが指示を飛ばすと、僅か十秒足らずで装填が完了する。通常であれば筋肉を盛り上がらせた屈強な兵士が数人で持ち上げるような重砲弾を、〝念動力〟の能力者である装填手は軽々と操って見せる。そして砲撃を行う間に、次弾が既に宙に浮いて準備されているのだ。
遥か遠くから、巨人が咳き込むような音が微かに聞こえた。ややあって怪鳥の鳴き声を思わせる飛翔音と共に砲弾が飛来し、ゲニア攻撃部隊の鼻をへし折った。重砲弾の爆発に巻き込まれた歩兵はバラバラになりながら吹き飛び、装甲車は飛び散る砲弾の破片で穴あきチーズになって地面を転がる。
ゲニア攻撃部隊は目に見えて動揺した。誰もが、戦車さえも蜘蛛の子を散らすようにあたふたと駆け回り、車両の残骸や僅かな稜線に身体を隠す。急激に後退をして、随伴歩兵やオートバイを引き潰す馬鹿な戦車までいる始末だ。
〈次弾、グレープスカッシュ。二号車、仰角二ポイント。三号車、左に三ポイント修正〉
彼女らが〝グレープスカッシュ〟と呼ぶのは、多数の炸裂する子弾を搭載した収束爆砲弾だ。子弾は一つが野球のボール程度の大きさで、敵の頭上で時限信管により親砲弾からバラまかれ、炸裂と同時に鋭い破片をまき散らす。
再び遠雷のような砲撃音が轟く。飛来した四発の収束爆砲弾は空中で炸裂し、無数の子弾がゲニア野郎共に降り注いだ。地面が沸騰したかのようであった。次々に炸裂する子弾は身を潜めるゲニア歩兵や砲兵を容赦なくズタズタにした。戦車は履帯を破壊され、運が悪いものは子弾がエンジンルームの真上で炸裂し、車体を炎上させていた。
僅か八発。それだけの砲撃でゲニア攻撃部隊は完全に戦意を削がれていた。もはや攻撃の意思はなく、後退する姿勢すら見せている。
〈仕上げですね。各車、ビックアップル装填〉
油脂焼夷砲弾だ。私の脳裏にはあの光景が広がっていた。黒豹のⅣ号に敗れ、こめかみに銃口を当てた私を死の淵から掬い上げた地獄の業火――。
果たして、ゲヘナは再び私の目の前に現れた。敵の頭上で炸裂した砲弾から燃焼剤が散布され、次の瞬間には、辺りは紅蓮の炎に包まれた。私は強烈な閃光と爆風に、咄嗟に地面へ伏せる。再び顔を上げた私の目に映ったのは天高く立ち昇る、バベルの塔を思わせるほどの黒煙だった。
砲撃開始から数分の時間で、ゲニア攻撃部隊は壊滅した。混線した無線から、友軍の興奮した雄叫びが聞こえてくる。後方に控えていた後詰めの機甲部隊も撤退を始め、このたびの戦いは我々の勝利に終わった。
彼女らの装備する十インチ榴弾砲のような野戦砲とは、小銃や対戦車砲のように標的に狙いを定めて撃つような代物では無い。観測班からの情報を頼りに、敵の居るであろう地点に砲弾をばら撒くのが主な運用法だ。そして砲兵は観測班からの誤差報告を受けて適時修正をし、効力射を得る。多数の野戦砲を並べ、点では無く面での制圧攻撃。それが火力支援砲撃というものだ。
しかし十インチ榴弾砲を搭載した特殊車両は、僅か四両。通常であれば、いくら一撃が強力とはいえ敵に効果的な打撃を与えるのは難しい。だが彼女らは普通では無い。砲弾が届く範囲であれば、何処へでもピンポイントで重砲弾を叩きこめる。ルディが捉えさえすれば、敵の遥か後方に控えた、彼らが〝マンモス〟と呼ぶ装甲指揮車両を吹き飛ばすこともできるのだ。
とはいえルディの千里眼は消耗が激しいらしく、ある程度位置のはっきりしている敵前線以外にまで意識を向けて自ら索敵するのは難しい。そして砲弾も百発百中とはいかない。その不利を克服する為のパーツがルディの〝眼〟を補助する私と、一撃で広範囲を攻撃できる特殊砲弾だ。
これまでに彼女らの上げてきた戦果は凄まじい。私が参加していた第十七機甲中隊の戦闘を含め、僅か四回の出撃で機甲砲科特務隊の砲撃部隊が撃破した敵戦車は、確認できるだけで六十を越えていた。どこからともなく飛来し、ゲ二アの部隊をあっという間に粉砕する謎の砲撃。敵戦車を棺桶に変え、憎たらしい歩兵や、凶悪に配置された対戦車砲陣地を悉く焼き尽くす。私がシルバースター勲章の授与式の為にファルレ・リードに赴くと、いまや街は正体不明の砲撃部隊の噂でもちきりだった。
驚異的な砲撃精度。瞬く間に敵を撃滅する新型砲弾。敵にも味方にも姿を見せず、戦場を更地に変えて去っていく謎の砲撃部隊。下士官や将校は言うに及ばず、街のバーテンや辻馬車の御者ですらその話題を口にしていた。
彼らは謎の砲撃部隊を、賛辞と畏怖を込めてこう呼ぶ。
狩猟の女神、アルテミスと。




