平和の味を知るがいい
人は平和に恐怖する。
それが、1914年から1918年にかけて巻き起こった世界大戦を生き延びた、父の口癖だった。
人は口々に平和賛美を謳いながら、その実、平和でいることに耐えられない。
戦時中は平和を望みながら、実際に平和な時代が長く続くと、今度はこの平和を誰かが打ち壊しにやってきはしないかと不安にかられることになる。そうした不安が不信に変わり、やがて不和を生み、存在もしていなかった敵を自ら作り出し、武器を手に取り、いつしかまた戦争が巻き起こる。規模の大小はあれど、人類の歴史の中で戦争が絶えたためしは無い。
私は父に質問した。「私たちは永遠に、戦争の陰に怯え続けなければならないのですか」と。
「その通りだ」と父は頷き、こう続けた。
「サミュエル。お前は戦争を学び、そして戦争がいかに陰惨な代物を人々のケツからひり出させるのかを知らなければならん。人類の汚物を手に取り、臭いを嗅ぎ、口に含み、やがて平和の味を知るがいい。そして、その尊さを忘れるな」
またいずれ、世界を巻き込んだ戦争が起こる。毎日のようにそう言っていた父は、私が十五歳になった夏に、ちんけな追剥ぎ強盗に撃たれて死んだ。銃弾と爆撃の嵐を生き延びた英雄が、日常の平和の中で口紅より小さい二十二口径の弾丸に倒れたのだ。
平和に暮らすという事は、積み重ねたコインの上に立つようなものだ。今は身体を支えてくれていても、次の瞬間にはもう解らない。この世には、他人の足元を脅かそうとする輩が多すぎる。私には、それが耐えがたいほどに許せなかった。
個人による小さな強盗事件も、国同士の大きな戦争も、引き金になるのは結局のところ懐事情だ。もし父の言う通りに平和に味があるのだとすれば、それはコインを舌に乗せたような味がするのだろう。辛くて、金臭くて、涙が出てくる。
1939年9月。父が生き延びた世界大戦の敗戦国であるゲ二アが、再び戦いの火蓋を切った。二十歳になり、父の製紙業を受け継いでいた私は、来るべき時が来たと感じていた。当時は不戦の姿勢を見せていた我がアルストロ合衆国にも、戦争の足音は聞こえていた。父の言葉は現実になろうとしていたのだ。
私は会社を知人に預け、志願兵として陸軍に参加した。父から受け継いだ会社を他人に任せる事に何の呵責も無かったとはいえない。しかし私には、それよりも優先するべき事があった。平和を脅かす敵を一人でも多く始末する事。そして、父の言う〝平和の味〟を確かめる事だ。
平和はきっと、辛くて金臭い。そう思っていた。それを確認するだけだと考えていた。しかし私の思い込みは、とある部隊に配属されるの切っ掛けに、大きく揺らぐ事になる。
アルストロ合衆国第一機甲師団、第一旅団戦闘団、第三十七機甲連隊、第一大隊所属、機甲砲科特務隊。〝アルテミス〟の名で呼ばれていたその部隊は1940年9月から始まり、我が国は1942年11月より参戦した北アリウム戦線において目覚ましい活躍をし、兵士たちから英雄と讃えらながらも公式には〝存在しない〟とされている長距離砲撃部隊である。
戦場の砂塵に舞った、桃の花びら。
誰よりも勇敢に戦い、報われる事も無く歴史の波間に消えた、戦争の仇花。
彼女たちがその細い指で必死に掴もうとした平和の味を、私は決して忘れない。