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勇者と神官  作者: 千幸
3/4

神官と戦闘

 聖獣アルティスは主神リトに付き従う聖なる獣だ。気高く賢い、はるか高みより人界を見守る稀有な獣。その瞳は善悪を正しく見通し、その爪牙は悪しきを裁く聖なるつるぎとなる。


「がぁ! ガルっ、ぐがぁ!!」


 ーーぐぎゃっ、ずしゃあ! ぶちっ、ぶちぶちぶち……ぐぎゃああああ!!


 魔物の断末魔が鼓膜を震わす。詠唱を続けながらちらりと視線を横に移せば、べちゃりとゴブリンの右半分(・・・)を噛みちぎって放り投げた聖獣(アルティス)の横顔ーー汚れなき真白の毛皮は魔物の体液を受けてとんでもない色に変わっている。前肢で踏みつぶしているのはおそらく先ほどのゴブリンの左半分ーー今は物言わぬ骸と化してしまっているが。


 うおっぷ。

 本来体内に収まっているべき色々なものが飛び出したそれを直視し、思わずえずいてしまった。私が顔を背けている間にもガァァ! と嬉々として次の獲物に飛びかかっているアルティスを目で追うことは最早できない。魔物たちの怯んだような声が耳に届いた。次の悲鳴が聞こえるまでさほど時間は掛からないだろう。


(うう……私のもっふもふ聖獣……)


 旅を始めてから何度も目にしてきたが、アルティスの戦いを見ていると泣きたくなる。強く賢く気高いうえにもふもふキュートな聖獣は、戦闘になると鬼と化すのだ。子ども向けの昔話のように身体から聖なる光を放って敵を消し去ったりは勿論しない。爪と牙を駆使したぶっちぎりの肉弾戦だ。炎を吐いてこんがり焼いてしまうこともあるにはあるが、賢い聖獣は周囲への延焼を考慮してか森の中ではあまりブレスは吐かない。いやはや頭が下がります。

 私の手ずからご飯を食べるその口で、もふっとキュートな前肢で、魔物を裂いて砕いて噛みちぎるのだ。ピンクの肉球がたまらなく愛らしい前肢から繰り出されるのは妙な擬音のついた犬パンチではないし、普段はきゅんきゅるきゅんきゅる騒がしい口元から飛び出すのは決して甘噛みではないのだ。魔物の体液で口元を染める聖獣の姿こそが魔物にしか見えなかったなんてことは誰にも言えない。だって神官だもの。

 

 というかこれではだ「ガルァ!」めだ。気を散らしては詠唱にさし「グルァァ!」つかえてしま「グギャアアァァ」って……。


「えぇぇいうるっせえ!!」


 気が散って仕方ねえっつーの!!

 せっかくの(普段は皆無な)見せ場だというのになんだこの雑音は。もう少しで発動できるというのにこんちくーー。


「しょ……」


 まずいーーそう思ったときにはゴブリンの醜悪な顔がすぐ近くまで迫ってきていた。嗜虐の笑みを浮かべたその個体は、いっちょまえに手に剣まで握っている。どこから調達したのかぼろぼろに錆びたその剣は、どう見てもひと思いにはいかせてはくれなさそうな代物だ。しかし、人間のやわな肌にはそれなりの殺傷能力を伴って、じわじわと何度も何度も苦痛を与え続けるには、最適のーー。


 ひっ、と喉の奥がひきつる。一歩後ずさったと同時、ゴブリンが右手を掲げた。


「ーー!!」


 思わず目を閉じる。しかし、覚悟した斬撃がこの身を襲う瞬間はいっこうに訪れず、代わりに降ってきたのは多分に呆れを滲ませた低い声。


「アホかお前は」


 戦闘中にぼさっとしてる馬鹿がどこにいる。そう続けた勇者の顔は思ったよりも厳しいものだった。その足下には一太刀で斬り伏せた先ほどのゴブリンが転がっている。

 助けられたーーそう理解したと同時に勇者の背後に新手の魔物が迫っているのが見えて瞠目する。危ない! 慌てて叫ぶのと勇者が振り返ってゴブリンを斬りつけるのはほぼ同時だった。

 耳に痛い悲鳴と共に袈裟懸けに斬られたゴブリンが地に沈む。それを視線で追って、再び顔を上げる頃にはまたわらわらと新手の魔物たちが徒党を組んで近づいてきていた。


「……きりがねえ」


 ため息混じりの勇者の声には隠しきれない疲労が滲んでいる。無理もない。勇者もアルティスも先ほどから休む間もなしに魔物を倒しているのに、ゴブリンは減るどころか増えていく一方だ。倒しても倒してもまた別の個体が仲間を呼んで、の繰り返し。供給過多で窒息しそうだ。いくら個々の力は大したことがないといっても、このままではこちらの体力が先に尽きてしまう。

 ぐ、と杖を強く握り直す。そうだ、本当に気を散らしている場合ではなかった。詠唱はほぼ終わっているし、魔術構成もおおかた完成している。後は杖を媒介に魔力を具現化して放出すればいいのだが、ここからが大変だ。魔力の具現化から放出までの間、術者は本当に無防備になる。もっと言えば、目を閉じて耳を澄ませて魔力を流れを聴くために視覚も聴覚も役に立たなくなるのだ。おまけに今回発動しようとしているのは広範囲魔術で、その分かかる時間も長い。


「……」


 おもむろに顔を上げると、こちらを見ていた勇者と目が合った。視線が絡む。ややあって、つり目がちな三白眼が伏せられた。


「三分だ」


「え」


「どれだけ長くとも三分が限度だ。確実に決めろ」


 短く告げて、私を背に庇うように勇者が魔物と向き直る。暗い森の奥からは、もう何匹目かも知れない新手のゴブリンたちが近づいてきていた。


「三分間、お前には指一本触れさせねえ」


□□□


 神聖魔術は聖なる魔術だ。神官のみが行使を許された、神の祝福を具現化する、人間に与えられた唯一の(すべ)。神聖魔術が放つ浄化の光は、悪しき魂を闇に葬る聖なる光となる。

 閉じた瞼の裏で強い光が生まれる。天に掲げた両手を伝って杖に流れた魔力が正しく放たれたのを感覚でとらえ、ちいさく息を吐いた。


 ゆっくりと目を開く。そこに先ほどまでの喧噪はなく、拍子抜けするほどの静かな夜の森の風景が広がっていた。それを見渡して息を吐く。新手も見えない。どうやら、魔術は成功したらしい。

 ふと、こちらを振り返っていた勇者と目が合った。半ば呆然と固まっていた彼が、ようやく思い出したように一つ瞬いた。


「すげえな」


 ぽつりと勇者が呟く。

 お? おお? もしや、ようやく私のありがたみに気づいたとか? ふふん。そうだろそうだろ。すっごい頑張ったもの。三分も掛からなかったでしょう。一分かそこらまで短縮するの、ものすごい大変だったんだから!

 得意げに胸を張った私に構わず、独り言のように勇者が続ける。


「辺り一面、光が満ちて、眩しくなって目ぇ閉じて、開いたときには何もなくなってた」


 そうだろそうだろ。


「本当、驚いた。凄いんだな、お前」


 そうだろそうだろ。


「見直した。やるな」


 そうだろそうだろ……ってちょ、ちょっと待て。そ、そんな真っ直ぐに誉められると、なんだかものすごいくすぐったいというか恥ずかしいというか居心地が悪いというか!

 おまけになんだその微笑みは。悪人面がそんな少年のような笑みを浮かべるな! 素直に感動した! みたいな笑みを浮かべるな!


「ぶっ」


 一人で悶絶していた私の顔に突然もふっとしたかたまりが衝突した。それを正しく顔面で受け止め、むんずと掴んで引っ剥がす。息ができねえっつの。

 首根っこを掴まれてぶらぶらと揺れるそれは、案の定アルティスで。というか、いつの間に小型犬に戻ったんだ。めずらしく私の方に飛びついてきたアルティスは機嫌が良さそうにきゅるきゅる鳴いている。くそ、可愛い。

 たぶん、あれか。「やるじゃない!」とか、そんな感じのことを言いたいんだろうな、何となく。たぶん上から目線なんだろうな、何となく。


「……うん?」


 はた、と気づく。なんか、臭い。おもむろに顔に手を当てて感じた、ぬめっとした感触に背筋が凍った。

 ちょっと待てこいつ(アルティス)って、ついさっきまでゴブリンと戦っていたんじゃあ……。


 おそるおそるアルティスに視線を落とすと、やはり身体中をゴブリンの体液でぐちゃぐちゃに汚していてーーてことはやはり、さっきのはーー。


「……!!」


 ぞぞぞぞっと全身に鳥肌が立つ。静けさを取り戻した森の中に私の悲鳴がこだまするまであと一秒。



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