おばあちゃん
「おばあちゃん、お久しぶり。元気やったか?」
「はいはい、どうもおおきに」
車の後部座席に乗り込んできた祖母と挨拶を交わす。祖母に会うのは数年振りだ。しかし齢八十八にして、祖母の髪は染めてもいないのに黒々として、頬も艶やかに健康そうだ。と、しばらくもじもじしていた祖母が、やがて実に申し訳無さげに小さな声で尋ねた。
「……誰やったけえな?」
「イズミだよ」 と笑いながら答えると、「まぁ、イズミちゃんけえ?!」 と祖母が驚いた声を上げた。良かった。私の名前はまだ憶えているらしい。
「アメリカから来たんか?」 お、スゴイ。祖母の脳細胞がパチパチと発火し、シナプスに伝達物質が行き渡る。
「うん、そうだよー」
「まあまあ、遠いところをよお来たなぁ。おおきに」
祖母の記憶が曖昧になり始めて十年にもなろうか。最近は私の顔を見ても名前が出てこない。まぁ仕方が無い。私はアメリカに住んでいて、日本に帰ってくるのは精々2ー3年に一度。憶えておいてくれなどと言う方に無理がある。
祖母は元来明るく社交的で、器用で、そして昔の人らしく働き者だった。しかし物忘れが酷くなり始めた頃から段々と怒りっぽくなり、何かをしようという気力が無くなり、鬱々とすることが多くなった。祖母は毎日欠かさず日記を付けていたのだが、その日記に有る事無い事を書き始めたのもその頃だ。
獣医学校の春休みに十日程日本に帰って来た時の事。私は従姉妹のあーちゃんと街にショッピングに出た。
「何をイイもん買うてきたん?」 と興味津々の祖母に、友達へのお土産に買った簪風の髪留めなどを見せた。あーちゃんはグッチで散々悩みまくって買った小さな財布を見せていた。
「まああ、可愛いこと。ええの買うて良かったなぁ」と楽しげな祖母。
そしてそのまま何事も無くアメリカに帰り、数週間後。
「もうちょっと聞いてーーーーっ」 と悲鳴混じりであーちゃんが電話を掛けてきた。
「おばあちゃんったらな、私がおばあちゃんに15万借りて、20万もするグッチの鞄買ったとか言うんやで! それでお父さんとお母さんに『お前そんなことしよったんか?!』とかごっつい勢いで問い詰められたんやで! それで私が違うって言っても、おばあちゃんったら、『でも日記に書いてある』とか言うんやで!」
「うわ、あーちゃんグッチの鞄なんていつ買ったん?」
「そんなん買うわけないやろっ! おばあちゃんの妄想やっ」
「妄想?! 妄想でグッチの鞄が出て来るとか、おばあちゃん凄いなぁ。オマケにちゃんと鞄の値段が適切やん。すすんでるなぁ」
あはははは、と笑いながら床を転げ回っていると、「笑い事やないっ」と従姉妹が切れた。
「言うとくけどな、イズちゃんだってシャネルの鞄買った事になってるんやで!」
「マジっ?! それどこのイズちゃんや? 羨ましいなぁ」 益々笑い転げる私。
しかし祖母は親戚中に私と従姉妹の『散財』を言い触らした為、私達はその後しばらく火消しに走り回る羽目になった。
祖母はアルツハイマーではなく、外に一人で出て迷子になるというような事もなかった。症状が進むのもゆっくりだった。そして数年経って症状が更に進むと、祖母は苛々することも無くなり、にこにこと優しいおばあちゃんに戻った。ただ自分で出来る事が少しづつ減り、人の名前を忘れたり混同することが多くなった。そして祖母の作る草餅が無くなり、高菜漬けが消え、梅の実が中庭に日干しされることも無くなった。
❀
久し振りに遊びに来た田舎で、私は祖母と一緒に風呂に入った。
「もう早う出たらええんとちゃう?」
ろくに温まりもしないうちに風呂から出たがる祖母をまぁまぁと引き留め、背中を流していると、彼女は突然昔話を始めた。祖母は若い頃、婦人会の会長をしていて、天皇陛下がいらした時に何かの歓迎役のようなことをしたらしい。約7分毎に同じ話が繰り返されるが、しかし段々と話が複雑に発展し、韓流ドラマのようなシーンが混ざり始め、中々面白い。つまり半分以上創作になっているわけだが、まぁいいではないか。彼女も楽しんでいるし、私も面白い物語だと思っているのだから。
祖母の背中を流し終え、彼女が湯船につかっているうちに手早く自分の髪を洗う。早春で寒かったので、祖母にはゆっくりと温まって欲しかった。だから、何か祖母が夢中になりそうな話題は、と考え、「おばあちゃん、おじいちゃんってどんな人やったん?」 と尋ねた。祖父は私が幼い頃に他界したので、残念ながら私には祖父の思い出と言えるものがあまりない。
「おじいちゃんか?」 と言ったきり、湯船につかった祖母はしばらく何も言わなかった。数分後、私が質問したことさえ忘れかけた頃、祖母は突如口を開いた。
「……ワンマンなヒトやった」
「は?」 一瞬何の事やらわからず、ぽかーんとする私。
「おじいちゃんはワンマンなヒトやった」 と何やら憮然として繰り返す祖母。
「え? あ、あぁ、おじいちゃんね。って、ええっ?! ワンマン?!」
「そうや。気儘なヒトでな、毎晩毎晩、外でお酒をのんで、夜遅うに帰って来るんや。それでわがままなヒトやから、おじいちゃんが帰ってくるまで私は寝られへんかったんや。いっつも着替えもせんと、遅くまで待っとらんとあかんかったんや。ほんまにごっつう迷惑なヒトやった。おまけに酔っ払うと財布でもなんでも、とうに失くしてな……」
暖かく優しい思い出を語るのかと思いきや、祖母の口から飛び出すのは祖父が如何に飲兵衛で我儘で迷惑な人であったかばかり。祖母が私に向かって祖父の悪口を言ったことなど、それまで一度もなかったのだが、どうやら呆けることによって抑制が外れたらしい。まさか死後二十年以上経ってから孫にこんな話を聞かれるとは、祖父も草葉の陰で苦笑していよう。
「まぁ、でも、おじいちゃんってハンサムだったんでしょ?」
祖父は背が高くハンサムだったと祖母が昔よく自慢していたことを思い出し、それとなく良い思い出話を引き出そうとする私。確かに仏壇に飾られている写真の中の祖父は細面で整った顔立ちだ。しかし祖母はふふんと鼻を鳴らすと、「まぁそうやけどな、でも私も美人やったで、美男美女でおあいこや」 と言い放った。
❀
そしてまた二年経ち、祖母は九十になった。
祖母は九人兄弟姉妹の次女だ。長女(当時九十二歳)を筆頭に、なんと全員元気。長寿健康の家系らしい。そして彼等は毎年一度、皆で集まり、日本中をあちこち旅行している。そしてその年の旅行には私も御一緒させて頂いた。旅行の感想は一言で言えば、『シルバーパワー凄まじい』
皆さん元気過ぎて、私は何やら生気を吸われたような気がする。
当り前だが、二年振りに会った祖母は、やはり私が誰かわからなかった。
「つる子ちゃん、この娘さん誰の子や?」 と姉妹の一人が私を指差すと、祖母はまじまじと私の顔を見つめ、しばらく考えた挙句、一言。
「わたしの子」
なんだか胸の内側がほっこりと温かくなった。
あははははと楽し気に笑う祖母の姉妹達。
「まぁええやん。似たようなもんや」 と答える私。
「なんや? 誰の子じぇえ?」 答えが違うらしいと気付き、やや不満気な祖母。
「キミちゃんの子やん」
「へえっ?!」 と驚いて目を剥く祖母。「キミコの子けえ?!」
キミコとは私の母、つまり祖母の娘だ。
「なんや、イズミちゃんけえな。誰かと思うたわ」 祖母が不意に私の名を思い出した。
「アメリカから来よったんか?」 記憶の光が差すのはいつも突然だ。
「うん、そうやで」
「まあぁ、遠いところからおおきに。大学はどないしたん?」
「え? どないって……?」
「卒業したんか?」
「うん、したで」 お陰様で十年近く前に。
「まぁ、ほんまけえ、そしたら今は何しよるんや?」
「獣医学校行って獣医になって」
「まあぁ、獣医になったん? まああ、ほうけえ、獣医けぇ」 と繰り返し驚く祖母。
「この子ときたらな、ちっさい時から虫やらカエルやら、そんなもんばっかし可愛がっとったんやで」 と祖母が大叔母達に説明する。皆勿論そんな事は知っているが、しかし祖母の言葉にうんうんと嬉し気に頷いている。しかし、「ほんに、いっつもいっつもキタネェもんばっかり集めよったで」 の一言で一斉に吹き出した。
「まぁ、つる子ちゃん、よお憶えとりよ」 と笑う大叔母達。
「そうけえ、獣医さんけえ」 と繰り返す祖母。
「うん、そうなんだけど、でも今は研究してるよ」
「研究?! 研究ってなんの?」
「うーん、まぁ脳の研究だけど」
「どこで?」
「大学で」
「……あんた、まだ学校いきよるん?」 と呆れたように私を見る祖母。
「うん、まぁそうやなぁ」 あはは、と力無く笑う私。そうですよ、確か大学卒業して獣医学校入る時も、獣医学校卒業して院に行く時もソレ言われましたよ。因みに院が終わったら、今度は脳外科の研修医として更に4ー5年ほど……とは流石に口が裂けても言えない。
「まぁ、そしたら早うエライお医者様になって、おばあちゃんのアタマも治したって」
「あははは、そうやなぁ」 ごめん、おばあちゃん。脳外と言っても獣医の脳外です。
「イズミちゃん、周りに年寄りばっかりようけおるで、人間の医者になっとったら、ごっつう儲かったのになぁ、惜しいことしたなぁ」 とヤスシおじちゃん。
「あははは、そうやなぁ」 ヨカッタ、動物のお医者さんで。
❀
一昨年の秋、田舎にアメリカ人の友人を三人連れて遊びに行った。
私が手洗いから帰ってくると、応接間に座った祖母が私の友人達に何やら色々と話しかけていた。うんうん、と真剣に頷いている友人達。因みに彼等の知っている日本語は、ハッカイサン・トロ・オイシイ程度だ。
「何話してるの?」 と尋ねると、「あのね、イズミの話を聞いていたんだよ」 と友人達がにこにこと答えた。
「私の話?」
「うん、日本語はわかんないけど、でも『イズミ』っていう言葉だけはわかるからね。何度も何度も『イズミ』って言ってるから、きっとイズミの話をしてくれてるんだろうなぁ、と思って、みんなで聞いてるんだ」
「母さん、そんなん幾ら話しよったって、この人らぁは、日本語わからへんのやで」 と伯父が笑いながら祖母をたしなめると、「そんなことあらへん」 と祖母は真面目な顔で答えた。
「言葉なんか少しくらいわからんでもな、いちばん大切な心のもんは、ちゃんと通じるんやで」
祖母の言葉を伝えると、友人達は、うんうん、と満面の笑顔で頷いた。
❀ ❀ ❀
今年の秋、祖母に会う為に、二年振りに日本に帰ろうと思っている。
自分の息子を弟の名前で呼ぶようになった祖母は、恐らく私の顔も名前もわからないだろう。
別に構わない。
だって、そんなことは、いちばん大切なことじゃないからね。