08
舞と別れ、不思議に気分がよくなっていた。少し駅前をぶらついても悪くない気さえしてきた。アーケード内の古い商店街をぬけるとぷっつりと途切れたように閑静な住宅街にでた。細くて小さな道に古くからある家が立ち並ぶ。その中でポツリ、ポツリと新築の家をみつけることができた。「ここも時期に新しい家が立ち並ぶ通りになるかもしれない」と感じていると、不意に足元に野球のボールが転がってきた。反射的にボールを拾うと小学生くらいの男の子が、声を掛けてきた。
「すみません、おねがいします」
拾ったボールを俺が投げてやると、男の子は通りの反対側の公園にいた、父親らしき人物にボールを投げた。
「あきら、お礼をいったのか?」
「ありがとうございました」
男の子は思い出したかのように礼をいい、父親とキャッチボールを始めた。野球のボールが交互に行ききする。時折、投げ方のアドバイスを男の子にしているか、父親が膝をまげ踏み出す足を確認しいるそぶりをみせる。男の子はそれを吸収しようと真剣に父親の膝の動きをまねしていた。時間もわすれるほど二人のキャッチボールを公園のベンチに座って俺は見ていた。ボールが見えなくなるまで親子のキャッチボールは続いた。
暗くなり、寮に帰るため自転車をとりに行った後、舞がいるはずのない時計台に自転車を押していく。時計台は、18:42とデジタルの数字を青く浮かびあがらせていた。自転車のペダルに足をかけ、時計台の下に目を向けると舞の姿が飛び込んできた。いやな胸騒ぎがした。自転車に乗ったまま俺は、舞に近づいた。足元にはバックが落ちている。
「どうした、こんな時間まで」
声が聞こえないのか、舞は答えない。自転車をその場に止め、俺が両手で肩を揺らすとようやく舞は顔を上げた。
「約束は? 何かあったのか?」
交番が横にある。おかしなことがあればすぐ警察官が飛び出してくるはずだ。
「なんでもない」
俺が、舞のバックを拾うと、バラバラに砕けたガラスの破片が、こすりあうような音がバックの中から聞こえた。
「ケガはないのか?」
「うん、大丈夫。家に帰ろうとしていたところ」
俺はバックを前カゴに入れ自転車に乗った。
「乗れよ、送っていく」
てっきり断れると思っていたが、舞は素直に自転車の荷台に横向きに腰を乗せた。舞の家は知っていた。白い建物の病院「神崎整形外科医院」が舞の家だと、林がランニング中に話していたのを覚えている。俺は、駅前から土手に続く暗い道を、舞を乗せ自転車をこいだ。自転車のライトがよわよわしく当たりを照らす。空に星はなく土手につくまでは、街灯と家の玄関口のわずかな明かりを頼りに道を進んだ。舞は一言もしゃべらなかった。妹との間に何かあったのか? それとも待ち合わせ場所で、心無い奴に何か言われたのか? ききたいことは山ほどあったが聞くことができないでいた。土手に続く長い坂道をようやく登りきった俺は、自転車を止めた。
「お前の家この先の病院だったよな」
「うん」
返事をした舞の声に、昼間出会ったときの明るさを感じることはできない。俺は再び自転車をこぎだした。土手にあるグランドのナイター用設備がオレンジ色の光を落とす。二人を乗せた自転車の影が、少し遅れて追いかけてくる。後ろを振り向こうとした刹那、背中にぬくもりを感じた。舞が俺に手を回して顔をうずめていた。俺はもたれかかった舞の手からそっと杖をとり、斜めにカゴにのせた。
「少しの間こうしていていい?」
祈るような声に、俺は無言でうなずき、ペダルをこぎ続けた。




