05
「お前のあんな声初めて聞いた」
「いいからボールをかせ」
俺にボールをとられた林は、何を思ったか下のグランドで遊んでいる数人の野球少年めがけて一気に階段を駆け下りていった。
「いまから、野球の勝負がはじまる。少年たちよ、少しの間この場所を貸してくれ。それから君はグラブを貸してくれ」
林は、野球帽をかぶった少年からグラブを奪い取り、無理やり子供用の青いグラブを手に押し込んだ。あんなグラブで俺のボールを捕るつもりなのか? 林は、階段から降りてきた俺から、18メーターほど離れた場所で腰を落とした。まちくたびれたように岬が金属バットを二、三回振ってから林の左側に立った。ボールは一球しかないが、これで十分だ。打たれない自信が俺にはあった。
林のグラブめがけてボールを投げた。肩が温たまっていなかったが、ちょうどいいハンデだ。ボールの球速に騒ぐ少年たちとは対照的に、岬はバットを動かす気配もない。
「ワンストライクね」
林は、子供用グラブで球を受け、ボールカウントを叫びながら、なんでもなかったかのように俺にボールを軽く投げ返してきた。俺は、呼吸も置かず続けざまにボールを投げ込む。岬は、ボールの軌道を読んでいたかのように、金属バットをボールの流れてくる方向に合わせて振り込んできた。バットから僅か数センチの隙間をくぐりぬけるようにボールは林のグラブに吸い込まれる。
「ツーストライク」
キャッチャーマスクもなしで、目の前でバットを振られ、ボールを補給することは、キャッチャー経験のある奴でも難しい。だが林は、あの小さなグラブで難なく補給した。あれなら大丈夫だろ。俺はバッターの岬に集中した。タイミングは合っていた。ならもっと早い球を投げればいい。
俺は、久しぶりに力いっぱい本気でボールを投げていた。渾身のストレートが岬を打ち取るはずだったが、ボールは俺の頭上を越え、大霧川に消えていった。ボールの落ちた付近に波紋が徐々に大きく広がっていく。
「センターフライで引き分けかな?」
林の声に岬が頷いた。岬は何も言わずそのまま土手に通じる階段を登っていく。土手の上には舞がいた。舞を見ていると、林が駆け寄ってきた。
「塚本、俺のグラブのこと考えて本気で投げなかっただろう? でも岬も、本気をだしていないぜ。あいつはスイッチヒッターなんだ。本気で打ちにくるときはいつも右打ち……」
本気で投げた球を打たれた。初めての経験だった。なのに、右打ち? 岬はただのうぬぼれやではなかった、実力を確かにもっている。林の言葉に反応を示すことができないまま、俺はしばらくその場に立ちつくしていた。




