04
大霧川の広くて長い土手をくだると光西高校がある。土手は運動部のいい走り込みコースで、川沿いに面した場所にはいくつも広場がもうけられ、多くの人達が思い思いの運動を楽しんでいる。
光西高校から川を隔てた反対側には、藤崎学園がある。地区大会ベスト4に毎年名を連ねる野球の名門校で、近い場所に位置するためか、なにかと比較されライバル視する傾向にある。ランニングのたび、先頭のキャプテン杉本が「打倒、藤崎学園」と叫ぶが、その言葉を毎回、列のはるか後で俺は聞いていた。野球部の連中は、俺のことを持久力のない短距離走者だと思っていた。早くグランドにもどったところでどうなることもない。それよりも土手に咲いているたんぽぽやつくしでも眺めながら、春を感じるほうがよっぽど気持ちがいい。タイムが遅いとバツとして、土手をもう一度ランニングすることなるが、それも悪くないと考えるようになっていた。土手をゆっくりランニングしていると、いつものように林裕也がまとわりついてきた。
「きもちいいな」
まったくやる気をみせない林は、野球のボールを左右の手に持ち替えながらリズムをとり、土手の端に引かれている白線を平均台の上を歩くようにゆっくりと等間隔で進んでいく。
「俺さ、三年になるまでにレギュラーになれればいいと思ってる。上級生の層あついだろ。それにやっぱ、高校生はラブにも生きなきゃならないと思わない?」
上級生が卒業すれば当然下級生が入学してくる。中には実力のある奴も入ってくるだろう。そのあたりの計算ができず、エスカレーター式にレギュラーになれると考えている林は、所詮レギュラーにはなれないだろう。三年間野球部に在籍するのも無理かもしれない。
「塚ちゃんは相変わらず無視ですか? ところで神崎舞のことはどう思う? なかなか可愛かったと思わない?」
一方通行の会話が楽しいのか林はひとりでしゃべり続ける。
「発表します! 光西高校一年生のベスト3は? 1位、五組の神崎、2位、三組の西田、3位、四組の中島、この三人は外せない。このうちの一人をかならずゲットする」
「神崎は同じ一組だろ」
俺の反応がうれしかったのか、林は顔を近づけてきた。
「残念~、同じ神崎でも妹の方でした。舞ちゃんは年上だから今回の審査から除外しました」
「あら、それは光栄なことね」
神崎舞がこちらに顔を向けていた。気が付かなかったが、土手の斜面から川までを結ぶアスファルトの階段に舞が座っていた。待ち伏せでもしたようなタイミングのよさに林同様、俺も面食らった。舞は、立ち上がると器用に杖をつきながら階段をテンポよく登ってくる。登る階段がなくなると、俺と林の間に割り込んだ。誰が次にしゃべりだすか、互いに牽制していると、「FUJISAKI」のロゴの入ったユニフォーム姿の男が、自転車で近づいて来た。
「お取込み中かな、林」
「岬じゃないか?」
助かったとばかりに林は、笑みを浮かべ自転車の男と話を始める。野球のユニフォームを着ているところからすれば、昔の野球仲間だろうか? 俺と舞が目の前にいないかのように話を続ける。また睨みつけられるのもしゃくなので、この場から立ち去ろうとする俺より先に、舞は歩きだしていた。
「君、塚本君だろ、光西の特待生試験でいい球なげていたよね。まあ打てない球じゃなかったけど」
不意に話かけてきた自転車の男に見覚えはなかった。
「俺も試験受けていた。レベル低くて藤崎にしたけどね。」
林の友達だけあって、こちらに関係なく一方的に話かけてくる。皮のバットケースを背負い、「どんな球でも打ち返せますよ」と言わんばかりの自信にみちた顔は、挫折を知らない能天気なお坊ちゃまのようで笑えた。
「岬やめとけ、塚本にからむなよ」
舞は既に数メートル前を歩いている。
「彼女行っちゃうよ、追いかけなくていいの?」
俺は、相手にするのもめんどうくさくなり、走ることにした。走るのは嫌いだが、こいつと一緒にいるよりましだ。
「舞ちゃんは、塚本の彼女じゃない」
「まさか、林の彼女?」
「違う、ただのクラスメートだよ」
「わかる、わかる、杖ついた彼女じゃカッコつかないよな」
声を聞いて走るのを止めた。舞は下を向き立ち止まったままだ。杖をにぎる手がわずかに震えている。振り返った舞と視線があった。黒い瞳が、差し伸べる手など必要ないかのように睨み返した。舞は泣いてはいなかった、必至で耐えているように見える。気づけば俺は岬に歩み寄っていた。
「打てるといったな、なら打ってみろ」
「いいよ、塚本君の球、打ちたかったし」
「岬も塚本も熱くなるなよ、」
熱くなんかなっていない。一番と思い込んでいる岬が許せないだけだった。
「バットはここにあるし、ボールも林が持っている。三球勝負でどう?」
打ち取られることなど考えてないのか? 岬は、返事も待たず自転車から降りると土手からグランドまで続く階段を下りていく。岬の姿を目で追いながら普段では考えられない、湧き上がる高揚に俺は驚いていた。




