07
最終回は、七番から始まる下位打線。隙は与えないと気持を込めたボールが、初めて外野に飛んでいった。風は逆風。ボールは思った以上に伸びていきライトが後ろ向きに下がりながらフェンス手間でようやくキャッチした。「あと二人」俺は心の中で呟いた。
長打力はないが、ミートのうまい八番打者が打席に入る。過去二回、粘り強くバットを合わせてきていたが、変化球にタイミングが全くあっていなかった。変化球主体で攻めるキャプテンのサインにうなずくと、あっというまにツーストライクに追い込むことができた。遊び球を投げるほど体力は残っていない。三球勝負の決め球フォークボールを投げるとバットがむなしく空を切った。その瞬間、信じられないことが起こった。完全に打ち取ったはずのボールが、ミットに届く手前で急速に落ちた。ホームベースに当たったボールが大きく跳ね上り向きを変える。予測できないバウンドにキャプテンが後ろにボールをそらしてしまう。ボールは、バックネットのフェンスめがけて転がっていく。
「振り逃げだ」
マウンドからかけよりホームへ俺は向かうが、ランナーは、既に一塁ベースまでの距離を半分以上駈けぬけていた。ようやくボールに追いつたキャプテンが送球する。
「セーフ」
無情にもこの試合初めてのランナーが出てしまった。おもわぬ事態に球場が一瞬どよめいたが、すぐに三塁側の藤崎学園の応援団が活気づく。ホームに、ベースカバーに入った俺の前で、代打を告げる藤崎学園の監督が目に入った。ネクストバッターサークルにいた選手がしりぞくのを見て藤崎学園のベンチに視線を向けると、あいつが白いヘルメットをかぶり金属バットを握りしめていた。
『九番、鈴木くんに代わりまして、岬くん。バッターは岬くん』
三塁側のベンチからゆっくりと歩き、ホームベースの後ろを周った岬が右バッターボックスに立った。本気だ。俺は、岬と視線を交わした。
「データはないが一年生バッターだ」
キャッチャーミットで口元を抑えながらキャプテンが俺に話かける。タイムがかかりマウンド上には内野手全員が集まってくる。先輩たちが「どんまい。大丈夫。まだリードしている」と励ましてくれたが、楽観視はできない。一点もやれない場面で一番対戦したくない奴がでてきてしまった。岬には全力で投げて互角。右打ちの場合の岬の力は未知数。九回まで投げスタミナをほほ使い果たしたいま、岬を抑える自信がない。俺は、初めて弱気になっていた。岬がスタメンで出てこなかったことが、試合の心理的負担を軽くしてくれていた。
一塁側から林が伝令で走ってきた。もしかして、林がキャッチャーだったら、ボールを後逸することはなかったのでは? 考えてもしかたがないことが脳裏をよぎる。
「監督がお前たち。いや選手にここはまかせるそうです」
林の笑顔が憎たらしい。
集合した選手全員なにも言わなかったが、勝負しかない。俺たちは無言でうなずき確認しあうと、マウンドから各ポジションに散っていく。ベンチに帰りかけた林が振り向いた。
「舞ちゃん来ているぜ」
俺に気づかう林らしい嘘だった。ここからスタンドの舞を確認することはできない。
「腕の傷、事故のものだろ。俺ならあんな笑顔きっとできない……」
林は知らないはず? 傷のことを。
「塚本。絶対勝とうな!」
目を閉じると、ベンチに戻る背番号十五の視線の先のスタンドに見える気がした。夏服を着て炎天下のなかで応援する舞、「頑張って」と俺を後押ししてくれている姿がはっきりと見えてくる。
目を開けてバッターボックスの岬を見た。汗は止まっていた。いままで抱えていた不安が汗と一緒に消えていた。迷いはもうなかった。己を信じて投げるのみ。
外野は定位置。内野はゲッツー体制の守備にシフトしている。サインに頷き、一塁ランナーに目をやる。大きなリードだが気にしない。俺には打たれない自信があった。プレートに足をかけ、セットポジションから足を上げ始めたとき、親子のキャッチボール姿が鮮やかに蘇える。あの日、俺が憧れた光景、父と子の姿。
踏み出す左足をバッターに向けると、全体重を移動させながら俺は大きく腕を振りぬいた。魂を込めた運命のボールがミットめがけて駆け抜けていった。