03
朝練が始まり、地区予選に向け野球部の練習はさらに激しさを増した。レギュラー枠の18人からはずれた俺は、バッティングピッチャーとして練習に参加していた。野球部には最新式のピッチングマシンはあったが、監督が生きた球を打つ必要性と微妙なコントロールの精度を勘案して俺を選んだ。
バッティングピチャーは以外と難しい。打者の要求するコースに投げることはもちろんだか、打者のフォームを崩すことなく、打者の得意コースを伸ばし、不得意コースを見極めて改善するための黒子に徹して投げなければならない。俺のせいでスランプになったとなればそれこそめんどうなことになる。俺はピッチングマシンに負けないないほどの正確さで要求されるボールを投げていた。
「いまのコースで速い球を打ちたい。もっと前から投げてくれ」
チームの主砲の谷口さんの要求で俺は、マウンドから六歩ほど降りたところから投げる。マウンドを降りなくても要求される球ぐらい投げることができたが、素直に従った。気持のこもっていない俺の球が気持いいぐらい外野に飛んでいく。満足そうに球の行方を見ていた谷口さんが、バッティングフォームを再確認する素振りを見せた後、再び要求してきた。
「後三歩前で頼む」
舞に会う前の俺なら、熱くなり本気で速い球を投げて谷口さんを怒らせていたかもしれない。だが今は、素直にバッティングピッチャーとしてボールを投げることができる。バッティングピチャーはめんどくさい仕事だが、それも悪くない。
「ストップ、そこから投げてみてくれ」
俺は、要求されたコースに望む速さの球を投げた。
朝練以外に増えた練習に応援練習がある。光西高校には応援団がない。吹奏楽部はあるので応援曲はなんとかなるが、応援の掛け声や型そして全体の統制といったことは野球部のレギュラーから外れた選手が中心になってやらなければならない。甲子園でも出場することにでもなれば変わるかもしれないが、原則として全校生徒のうち三年生は大学受験を見据えて応援に参加する必要はなく、二年生は任意参加、一年生のみ全員が強制参加で応援することになっていた。
野球部の先輩たちの中には、野球の練習より応援練習のために三年間をささげてきたような人たちがいて、段取りよく的確に俺たちを指示して即席の応援団がすぐに出来上がった。声を張り上げ応援練習していると、次第に声がかれ無理やり声帯をいためつけている自分がいた。野球の練習の方がましだと半ばやけくそに俺が声を出していると休憩のストップがかかった。汗が落ちてのどに乾きを覚えた俺は、水飲み場に向かう。蛇口をひねり勢いよく流れる水をがぶ飲みしていると、タオルを差し出された。飲むのを止め、差し出された手をみると舞がそこにいた。
「練習たいへんね」
「ああ」
タオルをかり俺が汗をふくと、舞が笑っている。
「なにがおかしい?」
「声がへんなんだもん」
俺は、応援練習のため声がかれ、風邪をひいたときのようなおかしな声を発していた。舞と話すのは久しぶりな気がした。朝の勉強会は美紀たちと続けているようだが、教室でもほとんど話さなくなっていた。舞の周りには常にだれかがいる。もう舞は一人ぼっちではなかった。
「話していなかったでしょうわたしたち、それで塚本くんを偶然みつけて話してみたら、声がへん。それとも、そんな声だった?」
「応援練習のため声がかれただけ。それより神崎は暑くないのか? そんな長袖のシャツきて」
衣替えも終わり、生徒全員が夏服の半そでシャツを着ているのに舞だけが長袖のシャツを着ていた。夏本番まで日があるが、照りつける日中の日差しに汗が体にまとわりつきシャツが気持悪く感じる。
「平気、日焼けしたくないし」
女は大変だなとのんきに思っていると、野球部員たちがグランドで応援練習再開のため隊列を組み始めるのが見えた。
「俺もういくわ、練習あるし」
「練習頑張って、絶対応援行くから」
「試合にはでない。レギュラーじゃないし」
「じゃあ、一緒に応援」
俺は手を挙げそのままグランドに駈け出した。ふと首に巻いていたタオルを返し忘れたことに気がついたが、明日返せばいいとその時は気軽に考えていた。