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今まで動いていたはずの足が動かない。上半身を起こし両足を見る。足は両方ともあるのに一センチも動かせない。トイレに行きたくても、わたし一人ではどうすることもできない。リハビリは、絶望を認識することから始まりました。
リハビリ担当の高橋さんが、わたしの足を日に何度もマッサージしてくれました。右足を伸ばし、ゆっくりと膝をまげ、数秒数えてまた伸ばす。次は左足と、交互にそれを繰り返していきます。「血行をよくして、筋肉が弱るのを防ぐため」と高橋さんは教えてくれました。何の感覚もないまま、足の動きを見ていると、テレビでリハビリを受けている別の子の映像を見ているような不思議な感覚に襲われました。
痛みを感じないのに、痛み止めの薬を飲み。体にいい数種類のサプリメントを飲む。特別な治療法のないわたしには、それしかなく、ただ歩けるようになると信じてリハビリをするだけでした。
リハビリから四か月目。初めて、右足にわずかな感覚がうまれました。わたしはとても喜び、パパは「リハビリを続けてよかっただろ」とわたし以上に喜んでくれました。それからも毎日毎日高橋さんが、マッサージを続けてくれました。
半年が過ぎたころには、両足に感覚を感じるようになりました。感覚がもどると痛みが増してきました。つらかったけど、痛み止めの量を増やし対応しました。
痛みに慣れ始めたころ、車いすを使いベッドからはなれることができるようになりました。本当にうれしかった。車いすだけど、体を動かし移動できる手段を手に入れ、生きていることを実感しました。
一年が立ち、わたしの歩行訓練プログラムがはじまりました。まず立ちあがることが第一の課題になりました。高橋さんが、車いすの正面に立ちわたしを支える準備をする。足を乗せている車いすのプレート部分を左右に開き、肘掛部分に力をいれ、両腕で支えながら立ち上がる。でも立ち上がれない。一歳の赤ん坊でもできる簡単なことが、わたしにはできませんでした。何度も何度も力をいれて頑張るのに立つことができない。「舞ちゃんあせらなくていいよ。ゆっくりやれば」高橋さんの優しい言葉を聞いて、「わかっています」といらだった声でしか答えられませんでした。明日、高橋さんに謝ろうと思います。
立つまでにそれから二か月かかりました。立つことができると、平行棒を使う訓練を開始しました。5メーターのステンレス製の二本の平行棒の前に車いすをつけます。車いすから立ち上り、1メーターほどの平行棒の間を両端の棒に体重をかけながら歩いていく。立つことができても歩くことができない、最初の一歩がなかなか踏み出せませんでした。歩くことに怖さは感じてないのに……。「大丈夫。私が支ええるから」高橋さんの声は、普通に聞こえているのに、わたしの下半身はいうことをきいてくれません。自由を奪われストップモーションのようにしか動かない。この日歩くことができたのは、2歩だけでした。それでもあきらめず、少しずつ歩く歩数をゆっくりと増やしていきました。
平行棒の訓練を続けることで足の歩行機能が徐々に回復していくのを感じました。その間、何回転び、高橋さんに受け止め、支えられたことでしょう。わたしと同じようにリハビリを頑張る人たちと一緒に励ましあいながら続けました。小さな子供からお歳よりまで、みんな歩きたい一心で歩く練習を繰り返しています。この部屋でリハビリをする人全員の歩数を足しても、普通の人の一日分の歩数にも満たないでしょう。それでも続けました。必ず歩けるようになると信じてリハビリを続けました。
リハビリからもうすぐ二年になろうかという日、パパと結衣の前で杖を使って歩く姿を見せることができました。二人が涙を流して喜んでくれたことを、わたしは一生わすれないと思います。
パパの車でママのお墓に行きました。二年間のつらかったリハビリのこと、ママがわたしを助けてくれたこと……わたしを支えてくれたみんなに感謝していることを伝えました。