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ユンベ村編7『完成した最悪のシナリオ〜満身創痍の天使に迫る絶望の足音~』



 森に火の手が上がる1時間ほど前。


 すっかり日が落ち、夜の帳が下り始めたユンベ村の裏道。

 冷たい風が吹き抜ける中、シルフィは一人、ひっそりと村の出口へと向かって歩いていた。


「……ごめんなさい、リオさん。ハルさん」


 ぽつりとこぼれた声は、誰の耳にも届くことなく夜風に溶けた。


 彼女は家を出たのだ。

 リオと父親の言い争いを聞いて、これ以上自分がここに居てはいけないと悟ったからだ。


 天使である自分は、この世界においてなぜか「存在してはいけない者」として扱われている。

 その理由は彼女自身にもわからなかったが、自分のせいで優しいリオが家族と喧嘩をしてしまうのは、耐えがたかった。


 ——これ以上、皆さんに迷惑をかけるわけにはいきません……。


 体力はまだ完全に回復していない。足取りも重く、視界は少しぼやけている。

 それでも、シルフィは立ち止まらなかった。


 自分を忌み嫌う冷たい視線には慣れている。

 ただ、少しだけ。

 道中で助けてくれたハルの、あの底知れないけれど穏やかな横顔と、不思議なほど安心感のある声が、胸の奥で小さく疼いていた。


「さようなら……」


 誰にも見送られることなく、本物の天使は歩き出した。


 その時だった。

 ふと、夜の闇の奥——村人が決して近づかない『ユンベルングの森』の方角から、不思議な気配を感じ取った。


 ——これは……純粋な魔力の光?


 暗闇の中でも、天使の目にはそれがまるで導きの光のようによく見えた。

 それだけではない。


 ——『お母さん……助けて……神様……』


 微かに、本当に微かにだが、誰かの小さくて必死な祈りの声が聞こえた気がしたのだ。


 天使である彼女が、それを見過ごせるはずがなかった。


「……待っていてください。今、行きます」


 危険な夜の荒野へ向かおうとしていた足の向きを変え、シルフィは一人、村の北側——禁足地である暗い森の中へとその歩みを進めていった。


 ◇


 シルフィは、鬱蒼と生い茂る巨大樹の隙間を抜け、暗い森の奥へと足を進めていた。


 村人たちが決して近づかない『ユンベルングの森』。

 だが、彼女の黄金の瞳には、木々の間に漂う微かな光の粒——純粋な魔力の残滓がはっきりと見えていた。


 その光の軌跡を辿った先。

 太い木の根元にうずくまり、小さな肩を震わせている影があった。


「ぐすっ……お母さん……怖いよぉ……」


 可愛らしい村娘の服を着た、幼い少女だった。

 暗闇の中で泥だらけになりながら、その小さな両手には何か大切なものが握りしめられている。

 シルフィが遠くから感じ取った「純粋な魔力」の正体は、そこから放たれていたのだ。


 シルフィは足音を殺して近づき、しゃがみ込んで少女と同じ目線になった。

 そして、いつものように淀みのない、明るい声をかける。


「こんばんは!」


「……えっ?」


 涙で顔をぐしゃぐしゃにした少女が、ビクッと肩を跳ねさせて顔を上げた。

 目の前に現れた、銀髪と黄金の瞳を持つ美しい少女。暗闇の中でも自ら発光しているかのように幻想的なシルフィの姿に、少女は呆然と瞬きをする。


「大丈夫ですか? お怪我はないですか?」


「あ……う、うん。……お姉ちゃん、だぁれ?」


「天使のシルフィです!」


「てんし……?」


「はい! 天使です! あなたの祈る声が聞こえたので、助けに来ました。お名前は?」


「……ミア。ミアっていうの」


 シルフィが優しく頭を撫でると、ミアは少しずつ落ち着きを取り戻し、ぽつりぽつりと事情を話し始めた。

 病床で苦しむ母親を助けたくて、村の禁忌を破って一人で森に入ったこと。そして、完全に道に迷ってしまったこと。


「でもね、見つけたの! これが薬だよ!」


 ミアはパァッと顔をほころばせ、両手を開いて見せた。

 そこに大事に抱えられていたのは、青白く神秘的な光を放つ、ふんわりとしたコケのような植物だった。

 まるで星の欠片を集めたかのように、優しく、そして力強い純粋な魔力が脈打っている。


「すごいですね!! こんなに綺麗な光……これならきっと、お母さんも元気になりますよ! 早速お母さんに持っていってあげましょう!」


 シルフィが自分のことのように嬉しそうに微笑むと、ミアもこくりと力強く頷いた。


「うん……! だって、お兄ちゃんも帰ってこないし、お父さんはずっと怒ってばっかりで……お母さん、死んじゃいそうだったから……」


 お兄ちゃん、お父さん。

 その言葉を聞いて、シルフィはハッとした。


「ミアちゃん。もしかして、お兄ちゃんのお名前は『リオ』さんですか?」


「えっ? うん! お姉ちゃん、お兄ちゃんを知ってるの?」


「ええ、知っています。とても優しいお兄ちゃんですよ。それに、リオさんなら今日、村に帰ってきていますよ!」


「えっ……お兄ちゃんが、帰ってきてるの!?」


「はい! さあ、一緒に村に帰りましょう! リオさんも、お父さんも心配しています」


「ほんと……? よかったぁ……」


 ミアが安心しきった顔でシルフィの手を取った。


 その、直後だった。


 ——ズシンッ。


 突如として、背後の巨大樹がへし折れるような重い地鳴りが響いた。

 シルフィが咄嗟にミアを庇うように抱き寄せる。


「グルルルルォォォォォォ……ッ!!」


 闇の中から姿を現したのは、二つの巨大な影。

 体長は三メートルを超え、四つん這いの獣のような骨格に、鋭い漆黒の刃のような爪。胸の奥には禍々しい紫色の『魔核』が脈打っている。


「ひっ……!」


 ミアが恐怖で悲鳴を上げ、シルフィの背中にしがみついた。


「なんで……? なんで魔物がいるの……? この森は、神様に守られてるから絶対に入ってこないはずじゃ……っ!」


 ミアの震える声に、シルフィは目の前の巨大な脅威を真っ直ぐに睨みつけた。

 なぜ魔物がここにいるのか。そんな疑問は、今の彼女にはどうでもよかった。

 ただ、背後で震える小さな命を守る。それだけだ。


「グガァァァァッ!!」


 二体の凶暴な魔物が、獲物を見つけた歓喜と共に同時に跳躍し、鋭い爪を振り下ろしてくる。


「ミアちゃん、下がって!!」


 シルフィは瞬時にミアを背後へ突き飛ばし——


「——神罰(ネメシス)——第二奏(ディオ)


 自らの両手を天へと掲げた。


「——【聖域の守護盾(イージス)】!!」


 パァンッ!! という清烈な破裂音と共に、シルフィの手から展開された純白の光の障壁が、魔物たちの巨大な爪を真正面から弾き返した。

 強烈な衝撃波が周囲の木々を揺らすが、光の盾は一切の淀みなく輝き続けている。


「すごい……」


 尻餅をついたミアが、その神々しい光に見惚れるように呟く。


 しかし、シルフィの体はすでに悲鳴を上げていた。村を出た時から体力は回復しておらず、今の光の盾を展開しただけで、全身の骨がきしむような激痛が走っている。


 それでも、シルフィは振り返らず、凛とした声で叫んだ。


「ミアちゃん! 振り返らずに、あの光が見える方へ走ってください! あっちがユンべ村です!」


「で、でも……お姉ちゃんは!?」


「大丈夫です!! 天使ですから!!」


 シルフィが肩越しに眩しいほどの笑顔を向けると、ミアは光る植物を胸に抱きしめ、涙を拭って村の方角へと全力で走り出した。


 ミアの小さな背中が見えなくなった瞬間。

 シルフィの顔から無理に作っていた笑みが剥がれ落ち、苦痛に顔を歪めた。


 嘘だ——もうほとんど魔力は残っていない。次が最後の1発になるだろう。


 視界はひどく明滅し、立っているのもやっとの状態だった。

 それでも、彼女の黄金の瞳は鋭く魔物を射抜く。


「この神聖な森を荒らすなら、容赦はしません……」


 魔物の一体が、苛立ちを露わにして再び襲いかかってくる。

 シルフィは残されたなけなしの魔力を右手に集中させた。空へ舞い上がる余力などない。よろける足を踏みとどまり、極限まで圧縮した光の魔力を収束させる。


神罰(ネメシス)——第四奏(テトラ)


 それは瞬く間に、一本の輝く光の槍へと形を変えた。


「——【天蓋穿つ杭(ジャッジメント・パイル)】!」


 放たれた光の槍が、夜の闇を一直線に切り裂き、跳びかかってきた魔物の胸——紫色の魔核を正確に貫いた。


「ギァァァァァァッ……!!」


 断末魔の叫びと共に、魔核を砕かれた魔物は光の粒子に包まれ、崩れ落ちるように絶命する。


「はぁっ……、はぁっ……」


 魔法を放った直後、シルフィは糸が切れたようにその場に膝をついた。

 指先一つ動かすのも億劫なほど、体の中の魔力が完全に空っぽになっていた。


 一体しか仕留められなかった。


 荒い息を吐きながら顔を上げると、残ったもう一体の魔物が、大きく息を吸い込み、その喉の奥を不気味なほど赤く発光させていた。


「——っ!?」


 ゴォォォォォォォッ!!


 魔物の口から放たれたのは—— 灼熱の業火。


 しかし、その標的はシルフィではなく、周囲の巨大樹や乾燥した下草だった。


 炎はあっという間に燃え広がり、夜の森を真っ赤に染め上げていく。

 突然の猛火に視界を遮られ、シルフィが咄嗟に腕で顔を庇った、その一瞬の隙。


 魔物は炎の向こう側で絶命した魔物の死体へと素早く駆け寄り、その巨大な顎で死体を乱暴にくわえ上げた。

 そしてそのまま、燃え盛る森の奥へと恐ろしい速度で逃走していったのだ。


 パチパチと爆ぜる音と共に、神聖な森が業火に包まれていく。


「そんな……」


 (すす)で汚れ、力なく座り込んだシルフィの口から、絶望の言葉が漏れた。

 空っぽになった体は微かな魔力すら紡ぐことができず、立ち上がる力すら残っていない。彼女はただ、目の前で燃え広がる無情な炎を潤んだ瞳で見つめることしかできなかった。


 熱と煙にむせ返りながら、どうすることもできずにへたり込んでいた、その時。


「——おい、見ろ! あそこだ!!」

「森が……神様の森が燃えているぞ!!」


 背後から、無数の松明の光と、怒号が響き渡った。


 振り返ると、泣きながら村へ駆け込んだミアの知らせを聞き、武装した村の男たちが大挙して押し寄せてきていた。

 先頭に立っているのは、顔を真っ赤にして激怒している村長——ガルドだ。


 燃え盛る神聖な森。

 そして、その中心で力なくへたり込んでいる、銀髪の少女。

 逃げた魔物の姿はもうどこにもなく、痕跡すら炎に焼かれて完全に消えている。


 村人たちの目に映ったのは——『忌まわしき異端者の少女が、村の聖域に火を放った』という、決定的な絶望の構図だった。


「き、貴様ぁぁぁっ!! 我が村の聖域に、何という真似をっ!!」


 ガルドの血を吐くような怒声が、燃え上がる森に木霊した。


 シルフィは呆然と座り込んだまま、ただ震えることしかできなかった。


 村人たちの殺気立った怒号と、森を包む炎の爆ぜる音が全てを飲み込んでいった。



 第7話、最後までお読みいただきありがとうございました。


 誰かの悪意によって周到に準備された罠。無垢な天使に罪を被せる、あまりにも胸糞の悪い断罪劇の幕が上がってしまいました。

 しかしこの理不尽で胸糞の悪い台本を、裏で傍観しているだけの「天才演出家」はいません。

 最悪の絶望は、最高の喜劇ざまあへのスパイスです。

 ここからハルがどう動くのか、ぜひご期待ください!


 もし「続きが気になる!」「早くハルに無双してほしい!」と思っていただけましたら、ぜひ【お気に入り登録】と【★での評価】をお願いいたします!


 読者の皆様の評価が、ハルの描く最高傑作の原動力になります。


 次回は明日20:10!! お楽しみに!

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