ユンベ村編6『消えた天使〜迫る魔の手と燃え上がる舞台〜』
木造の素朴な家屋の中から、激しい怒声が響いていた。
「なぜあんな小娘を家に連れ込んだ! よりによって、天使の格好などという神を冒涜する容姿の……!」
リオの家である。
顔を真っ赤にして怒鳴り散らしているのは、恰幅の良い中年の男だった。彼こそがこのユンベ村の村長であり、リオの父親であるガルドだ。
ガルドはつい先ほど、病床の妻を村の医者に診せて帰宅したばかりだった。
久々に顔を見せた息子の帰還を喜ぶ暇もなく、彼が連れてきた『客人』を見るなり激昂したのである。
「なんでそんなこと言うんだよ、父さん! シルフィさんは悪い人じゃない、すごくいい子なんだ!」
リオが必死に食い下がるが、ガルドは聞く耳を持たない。
「ええい、黙れ! あんな不吉な姿の女、今すぐ追い出せ! 聖王国様に目をつけられたらどうするつもりだ!」
「あなた……やめて……。ゲホッ、ゲホッ……!」
激しい口論を制したのは、ベッドに横たわる母親の弱々しい声だった。
咳き込む母の背中をさすりながら、リオは唇を噛み締める。ガルドも気まずそうに顔をしかめた。
「ごめん、母さん……。それより父さん、ミアは? 僕が帰ってきてからずっと姿が見えないけど」
「ミアなら……お昼頃、私たちがお医者様に行く前に『出かけてくる』って言ったきりなのよ。お友達と遊びに行ったと思ったんだけど……少し遅いわね。ゲホッ」
母親の言葉に、リオが不安そうに眉をひそめた、その直後だった。
「……あれ? そういえば、そのシルフィさんは、どこにいるの?」
ふと、母親が部屋の隅へ視線を向けて言った。
ハッと我に返ったリオが振り返る。先ほどまで椅子に座って休んでいたはずのシルフィの姿が、どこにもなかった。
「あれ……? シルフィさん?」
その時、開け放たれたままになっていた玄関の扉から、静かな声が落ちた。
「お邪魔します。……外まで声が聞こえましたが、少し取り込み中でしたか」
礼拝堂での『調査』を終え、戻ってきたハルである。
「あ……ハルさん!」
「初めまして、リオ君のお父様ですね。道中、彼と行動を共にしていたハルと申します。突然の訪問でお騒がせして申し訳ありません」
状況をすべて把握した上で、あえて流れるような所作で一礼するハル。
その有無を言わせぬ洗練された態度に、ガルドは毒気を抜かれたように「あ、ああ……」と口ごもった。
その時、ベッドに横たわる母親が再び苦しげに咳き込んだ。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
「おい、大丈夫か……! 無理をして喋るな」
ガルドは慌てて妻のそばへ駆け寄り、心配そうにその背中をさする。
その瞬間、前かがみになったガルドの襟ぐりから『首の裏』が露わになった。
ハルは目を細め、視線を固定する。
——……なるほど。やはり、あったか。
ガルドの首の裏には、先ほど礼拝堂の魔導書で確認した『広域精神干渉術式』特有の紋様が、黒いアザのようにはっきりと浮かび上がっていた。
さらにハルの興味を惹いたのは、その紋様がノイズのように微かに明滅していることだ。
——『対象の奥底にある強い感情が揺れ動いた瞬間、一時的に術式の拘束力が弱まる』。
病床の妻を案ずるガルドの「愛情」と「焦り」。
その強い感情の揺れが、洗脳の術式を一時的に不安定にさせているのだ。
——村長である父親も、見事に『設定』を刷り込まれているというわけか。しかも、実に悪趣味なやり方で。
ハルは内心で冷たく分析する。
『天使の格好などという神を冒涜する姿』。
先ほど外まで聞こえていたその怒声が何よりの証拠だった。
本物の天使の存在を隠蔽するために、あのような姿をすること自体を「タブー」として民衆に刷り込んでいるのだ。よくできた、そしてひどく三流な洗脳である。
表面上は穏やかな旅人の表情を一切崩さず、ハルは静かに尋ねた。
「……ところで、シルフィの姿が見えませんが」
「わ、わからないんだ。僕と父さんが言い争っている間に、どこかへ……それに、妹のミアもまだ帰ってきてなくて……」
「……探しましょう。彼女はまだ本調子じゃない」
ハルの的確な一言に、リオは強く頷いた。
二人は足早に家を飛び出し、夜の闇が迫る村へと手分けして駆け出していった。
◇
それから、一時間が経過した。
すっかり夜の帳が下りたユンベ村の路地裏で、ハルは舌打ちをこぼした。
村中をくまなく探し回ったが、シルフィの姿はどこにもない。防壁の門番に尋ねても、外に出た者はいないという。
まるで、神隠しにでも遭ったかのように忽然と姿を消してしまった。
「……妙だな。あの体調で、そう遠くまで行けるはずがない」
ハルは暗がりの中で足を止め、自身の足元——影の中へと手を差し入れた。
——【ブック】。
異空間から取り出したのは、先ほど礼拝堂の書斎で密かにスキャンしておいた『天界の書』と書かれた複製本。その古い文献には神や天使の生態についてやけに詳しく書かき記されていた。
月明かりを頼りに、ハルは凄まじい速度でページをめくり、天使という種族の特異な性質を頭に叩き込んでいく。
——『天使は、神の涙(純粋な魔力)に強く惹きつけられる帰巣本能を持つ』。
これほど詳しく書かれているの書物があるにも関わらず、その存在を信じないとは不思議な話だ。
——『そして、弱き者の祈りを見過ごせない、自己犠牲の性質を持つ』。
そこまで読んだ瞬間、ハルの脳内に冷たい電撃が走った。
ページをめくる手がピタリと止まる。
帰巣本能と、自己犠牲。
もし仮に、本物の天使の命を狙う者がこの性質を知っていたとしたら。
——……待てよ。
ハルは、自分がたった今導き出した最悪の推論に戦慄した。
先ほどリオの家で聞いた、「姿を消した妹」の話が脳裏にフラッシュバックする。
——もし誰かが、意図的に『強い魔力』と『助けを求める迷子の声(SOS)』を用意して、危険な場所に罠を張っていたとしたら?
——あの純粋無垢でポンコツな天使は、まるで光に群がる虫のように、自ら喜んで死地へと向かってしまうぞ……!
村人が誰も近づかない、危険な場所。そして、門番の目を盗んで入ることができる場所。
答えは一つしかなかった。
「——ユンベルングの森か!」
ハルが血相を変えて本を閉じ、駆け出そうとした、その時だった。
ドォォォォン……ッ!!
突然、鼓膜を揺るがすような重低音が夜の空気を震わせた。
ハルが弾かれたように村の奥——防壁のない北側の森へと視線を向ける。
「……なっ」
ハルは息を呑んだ。
村人が決して足を踏み入れない禁足地、『ユンベルングの森』。
その真っ暗なはずの森の奥深くから、夜空を焦がすような真っ赤な『火の手』が猛烈な勢いで立ち上っていたのだ。
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