ユンベ村編5『胸糞悪い三流シナリオ〜天才演出家の逆襲準備〜』
「【冷却】(コールド)!」
リオの魔法で、シルフィの赤らんだ顔が少しだけ穏やかになる。疲れ果てて、眠っている様だ。
リオの家。いつもは両親に8歳の妹が居るらしいが、誰もいないようだった。
「村の人はシルフィと関わりがあったりするの?」
ハルが切り出した。
「それが心当たりが全くと言っていいほどないんです。僕自身シルフィさんとは初めて会いましたし。僕がいなかった半年の間に何かがあったとしか……」
そんな短期間で、あれほどの視線を向けられるようなことが起こるだろうか。ハルはふと——心理操作——の文字が脳裏の浮かんだ。誰かが、人々の心を操作している……?
とすると、これは情報戦だ。
「ねえ、この村に書斎ってある?」
「書斎ですか? それなら礼拝堂に誰でも見られるものがあります」
「少しシルフィを見ててもらってもいい?」
「勿論です!」
ハルは書斎へと向かった。
◇
礼拝堂の奥にひっそりと設けられた書斎。
埃と古い羊皮紙の匂いが漂う薄暗い空間で、ハルは一冊の分厚い歴史書をめくっていた。
前半の古びたページに記されていたのは、このユンベ村に伝わる古い伝説だった。
——世界が荒れ果てていた時代。一人の青年が自らの命と引き換えに、神を降臨させた。
——神は世界を救い、最後に『一人の天使』と共にこの地へ舞い戻った。神は青年の犠牲に涙し、その涙はやがて森となり、魔物を阻む絶対の聖域『ユンベルングの森』となった。
「……神と共に舞い戻った天使の姿は、銀色の髪に、黄金の瞳、か」
ハルは静かに呟き、視線を宙に泳がせた。
村の広場に足を踏み入れた時の、シルフィの様子が脳裏をよぎる。四メートルほどの巨大な神像——この村の神である『ユピ像』を見上げた彼女は、確かに「じいじ」と呟いた。
銀髪に黄金の瞳という、天使と全く同じ容姿。そして神像に対する、まるで旧知の家族にでも会ったかのような親しげな素振り。
そして何より、「天使のシルフィです」という口上。
彼女が物語の重要な立ち位置だとは予想していたが、ただの旅人などではない。シルフィこそが、この世界の根幹に関わる『本物の天使』そのものだと仮定すれば、すべての辻褄が合う。
しかし、ページを進めたハルの手は、本の中盤でピタリと止まった。
指先の感触が変わったのだ。
ボロボロだった羊皮紙が、そこから急に真新しい紙質に変わっている。インクの匂いすら新しい。まるで、『後から強引に書き足された』かのように。
その新しいページに書かれていたのは、現在この大陸の半分を支配する『聖王』と、その配下である『七聖天使』と呼ばれる幹部たちに関する記述だった。
——聖王国を統べる七聖天使の御使いは、皆、その背に神聖なる『羽』を有し、世界を正しき道へと導いている。
「……羽を持つ、七聖天使ね」
ハルは目を細め、本を閉じた。
この強引に改ざんされた三流の『台本』は、後でじっくりと読み解き、粗探しをする必要がある。
ハルは分厚い歴史書の表紙に手を置いたまま、小さく呟いた。
「【ブック】——《スキャン》」
淡い光が歴史書を包み込んだかと思うと、全く同じ装丁の『複製本』が空中にふわりと生成された。それは波紋に沈むように、ハルの足元の影(異空間)へとスッと吸い込まれて消える。
焦土帯での過激な『教育』の結果、現在のハルのレベルはその実『56』という異常な数値に達している。その恩恵として獲得したのがこの【ブック】というスキルだ。
対象の本や魔導書を瞬時に複製し、レベルに応じた容量の異空間に保存・自由に取り出せるという、情報収集に特化したスキル。現在のハルのレベルなら、この小さな書斎の蔵書を丸ごとコピーして持ち去ることも容易いが、今は人目もある。重要そうな数冊のスキャンに留めた。
ふと視線を上げると、書斎の隅で村の男が静かに清掃作業をしている。ハルはゆっくりと立ち上がり、彼に向かって別の『スキル』を試してみることにした。
これも、レベル56に達した恩恵の一つだ。【クエスチョン】というスキルだった。
『自身のレベル+10以下の対象に質問した際、その答えが嘘か本当か判別できる(1日に3回まで)』という、シナリオの裏付けにはうってつけの能力だ。
「少しお聞きしてもいいですか?」
清掃作業中の男に、ハルは至極穏やかな声で話しかけた。
「ん? なんだい、旅の方」
「この世界に、天使は実在すると思いますか?」
男は不思議そうに目を瞬かせ、呆れたように首を横に振った。
「……いや、しないだろうね。ただの御伽噺さ」
——スキルの判定は『真』。
男が心からそう信じていることが、確かな手応えとしてハルに伝わってきた。
もう一度【クエスチョン】を発動する。
「もし、本物の天使が目の前に現れたとしたら、信じます?」
「バカ言ってんじゃない。天使なんてのは居ないんだ。今は七聖天使様達が、俺らを守ってくれてるんだから」
——真。
その瞬間、ハルの脳内でバラバラだった情報が、一つの明確な『論理』として結びついた。
ハルは内心で推察を組み立てる。
現在、この世界は『七聖天使』という存在によって支配されている。彼らは自らを天使と名乗り、その権威で君臨しているはずだ。
それなのに、なぜ末端の民衆は「天使の存在」を全否定しているのか。
答えは簡単だ。七聖天使とやら本人が『本物の天使』を否定しているのだろう。
本物の天使の存在が、都合が悪いのだ。
もし仮にシルフィが本物の天使だとして、その存在が大衆に認知されてしまえば、自分たち「偽物の天使」の絶対的な支配体制が脅かされる。
だからこそ彼らは、本物の天使の存在を全力で否定し、隠蔽する必要があったのだろう。
過去の伝説をただの「御伽噺」へと貶め、自分たちにとって都合のいいように歴史を書き換えたのだ。
だが、とハルは思考をさらに深める。
一つだけ、強烈な違和感があった。
——……おかしいな。リオが村を空けていたのは、たったの『半年』だぞ?
たった半年で、村人全員の信仰や常識が、本人が微塵も疑わないレベルで完全にすり替わるものだろうか。情報操作や同調圧力だけで、ここまでの完璧な『書き換え』は不可能だ。
「……直接的な『操作』が行われていると考えた方が自然か」
ハルは歴史書から魔導書の棚へと視線を移し、背表紙を指でなぞりながら数冊を抜き出した。
ページをめくり、ある一節に目を留める。
『広域精神干渉術式』――対象の記憶や認識を強制的に書き換える禁術。
術に掛けられた者は『首の裏に特有の紋様が浮かぶ』こと、そして『対象の奥底にある強い感情(愛情や悲しみなど)が揺れ動いた瞬間、一時的に術式の拘束力が弱まる』という性質が記されていた。
——なるほど。これを使ったわけか。
この世界の住人たちは、七聖天使という三流の脚本家たちによって、都合のいい『舞台設定』を強制的に演じさせられている。それがハルがたどり着いた答えだった。
魔導書数冊も【ブック】で《スキャン》——複製する。
そして最後に、書斎の最奥で静かに祈りを捧げている聖職者に目を向けた。
白髪交じりの髪を持つ、三十代後半とおぼしき男だ。
足音を殺して背後に近づき、ハルは声をかける。
「すみません」
その男が振り返るよりも早く、ハルは微かな違和感に気づいた。
……発動しない。
先ほどとは違い、【クエスチョン】のスキルがうんともすんとも反応しないのだ。
発動条件を満たしていない理由は、ただ一つしかない。
——対象のレベルが、僕のレベル+10を上回っている……?
ハルのレベルは56。つまり、目の前にいるこの物静かな男は、最低でもレベル67以上ということになる。人間の平均レベルが15の世界において、ただの辺境の村の聖職者が、だ。
「どうかされましたか、旅の方」
穏やかに微笑んで振り返る男。だが、ハルの視線は彼の顔ではなく、ゆったりとした神官服の『背中』に注がれていた。
服の生地の下、左の肩甲骨のあたりだけが不自然に盛り上がっている。
微かに透けて見える白い輪郭——それは、紛れもなく『片羽』だった。
……確定だ。
不自然に真新しい歴史書の後半ページ。本物の天使を「御伽噺」だと思い込まされている村人。レベル67以上の異常な実力。そして、支配者の象徴である背中の『羽』。
この村は今、森を守るために存在しているのではない。
七聖天使の息がかかったこの聖職者によって、本物の天使であるシルフィの痕跡を隠蔽し、歴史の上書きを監視するために、記憶の改竄を行われた村なのだろう。
「……ふふっ」
ハルの口元から、思わず楽しげな笑みが漏れた。
聖職者が怪訝そうに眉をひそめる。
「いや、素晴らしい造りの礼拝堂だと思いましてね」
適当な賞賛をごまかすように口にしながら、ハルは内心で熱い喝采を送っていた。
偽物が本物を迫害し、都合よく世界を書き換えた傲慢なシナリオ。
虫唾が走るほど陳腐で、酷く胸糞が悪い。
だが、だからこそ——天才演出家の手で、この世界のふざけた台本を徹底的にぶち壊し、最高傑作へと書き直してやる甲斐がある。
ハルは、細目でこちらを窺う聖職者を背に、書斎を後にした。
◇
礼拝堂を出て、夕暮れ時の村の小道をゆっくりと歩く。
頭の中で、先ほど手に入れた情報を整理し、今後の配役を俯瞰する。
「さて、どう書き換えてやろうか……」
ハルの中で、演出家としての血が静かに沸き立っていた。
主役は勿論、あの純粋無垢で、足が攣って倒れていた本物の天使、シルフィだ。
敵役は、背中に羽を生やした傲慢な七聖天使と、その手先であるあの聖職者。
問題は、手駒の少なさだ。
いくらハルのレベルが上がっているとはいえ、相手は国家規模。たった数人の役者では、舞台が小ぢんまりとしてしまう。
もっと派手で、観客の度肝を抜くような『大舞台』にするための配役が足りない。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと、村の広場にある掲示板が目に留まった。
風に煽られ、一枚の古びた羊皮紙がパタパタと音を立てている。
無意識に視線を向けたハルは、そこに書かれた文字を見て足を止めた。
それは、聖王国が発行した『指名手配書』だった。
『聖王国転覆を企てる凶悪な武装集団——【リ・プルーム】。目撃・通報した者には金貨百枚の懸賞金を与える』
「リ・プルーム……」
国家転覆を企てる、武装集団。
つまり、この腐った支配体制に抗おうとしている「反逆者」たちがいるということだ。
「……なるほど」
ハルの口角が、三日月のように吊り上がる。
「使える役者が、向こうから転がってきてくれそうだ」
夕闇が迫る村の小道に、誰に聞かれることもない楽しげな独り言が溶けていった。




