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ユンベ村編4『天才演出家の初演〜ホラーショーとユンベ村の異変〜』

 


 焚き火の火がパチパチと爆ぜる音だけが、夜の森に響いていた。


 顔に傷のある男は、ニヤリと下劣な笑みを浮かべた。


 少し離れた場所で、天使を名乗る少女と、剣を帯びたお人よしの青年が、毛布にくるまって心地よさそうな寝息を立てている。


 あの女は上玉だ。奴隷商に売れば一生遊んで暮らせるほどの金になる。


 警戒していた剣士の男も、俺たちが差し出した睡眠薬入りのスープを何の疑いもなく飲み干し、あっさりと眠りに落ちた。


 残るは、あのヒョロい黒髪のガキだけだ。あいつも少し離れた木陰で、背中を向けて丸くなっている。


「……おい、そろそろいいだろ」


 仲間の一人が小声で促す。傷の男は頷き、腰のナイフに手をかけて立ち上がろうとした。


 ――その瞬間だった。


「……ぐっ?」


 急に視界がぐにゃりと歪んだ。強烈な眩暈が襲い、足から力が抜けてその場に膝をつく。


「おい、どうした……? 俺も、なんだか頭が……」


 仲間たちも同様に頭を押さえ、ふらついている。

 体が異常に熱い。動悸が激しくなり、呼吸が荒くなる。毒でも盛られたのか? いや、そんなはずはない。


 混乱する男たちの周囲に、突如としてシューッという異音と共に、濃密な白い霧が立ち込め始めた。


「な、なんだこの霧は!?」


 一寸先も見えない白濁の世界。

 その霧の向こうから、ボワッ、ボワッと、いくつもの『青白い光』が浮かび上がった。


 ——『そういえば……この辺りの森には「欲深い者の前にだけ現れる亡霊」が出るそうですね』

 ——『裏切られて死んだ者の無念が、不気味な光になって彷徨うとか……』


 夕方、あの黒髪のガキが口にした言葉が、不意に脳裏にフラッシュバックする。


「ぼ、亡霊……?」


 若い男が震える声で呟いた。

 その直後。


『゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛……゛オ゛マ゛エ゛カ゛ァ゛……ッ゛!!』


 地獄の底から、死体の喉を無理やり震わせて捻り出したような、おぞましい怨嗟の声が響き渡った。


「ヒィィィィッ!!?」

「出た! 亡霊だ!! 許してくれ、俺じゃない!!」


 男たちの思考は完全に崩壊した。幻覚と恐怖に支配され、互いを亡霊だと思い込んでデタラメに剣を振り回し始める。


 そして、彼らは馬車も荷物もすべて放り出し、絶叫しながら転がるように逃げ去っていった。


 ◇


「……あーあ、行っちゃった」


 男たちの絶叫が遠ざかっていくのを聞きながら、ハルは毛布を退けてゆっくりと起き上がった。


 パニックホラー映画のモブ役としては、百点満点の素晴らしい逃げっぷりだった。


 ハルがやったのは、ほんの簡単な仕掛け(演出)だけだ。

 まず、夕方のうちに『亡霊=青白い光』という設定を刷り込んでおく。


 次に、男たちがシルフィとリオのスープに入れようとしていた睡眠薬をかすめ取り、水で極限まで薄めて、男たちの鍋に戻した。


 現実の医学知識だが、この手の睡眠薬は微量だけ摂取すると、脳のタガが外れて幻覚剤として作用するのだ。


 ちなみに、シルフィとリオのスープに入っていた睡眠薬はあえて抜かなかった。

 彼らが起きていると、この後のショーの『邪魔』になるからだ。結果として、二人は今も横で幸せそうに爆睡している。


 男たちに幻覚剤が効き始めたタイミングで使ったのはスキル【スモーク】——単純な煙幕だ。【エフェクト】と組み合わせれば、一体を覆う霧となる。


 そこへ、あらかじめ集めておいた『ヒカリゴケ』を霧の中にぶん投げて、青白い光を演出する。


 最後の仕上げに、ハル自身が息を吸い込みながら出したデスボイスを、スキル【エフェクト】で極大まで増幅し、森中に響かせただけだ。


「まさかここまで綺麗にハマるとはね」


 三流の役者たちは、ハルが用意した舞台装置と幻覚剤の効果で、勝手に自滅してくれた。


「さて、と」


 ハルが息をついた直後、騒ぎに引き寄せられたのか、焦土帯から異様な数の魔物がガサガサと姿を現した。


 グルルル、と低い唸り声が響く。

 だが、ハルにとって焦土帯の魔物たちはもはや脅威では無い。


 パチンッ。

 ハルが軽く指を鳴らす。


 ――条件反射(パブロフの犬)。



 キュウ……。という悲鳴と共に、魔物たちが霧散し、再び静寂が戻る。


「おやすみ」


 ハルは欠伸を一つして、再び毛布に包まった。


 ◇


 翌朝。チュンチュンと小鳥が鳴く爽やかな朝。


「ふわぁ〜、よく寝ました!」


 シルフィが気持ちよさそうに伸びをして起き上がった。リオも隣でスッキリとした顔をしている。

 二人がふと周囲を見回すと、行商人たちの姿がないことに気づいた。


「あれ? あの人たちは……?」


 シルフィが首を傾げる。

 すでに朝の支度を終え、焚き火の前に座っていたハルは、平然と答えた。


「急用ができたらしい。夜明け前にどこかへ行ったよ」


「ええっ? 馬車も荷物も置いてですか!? よっぽど急いでいたんでしょうね……」


 リオが腕を組んで深く頷く。


 なんだかんだで納得する二人をハルは内心で呆れ半分、感心半分にため息をついた。


 ——……確かに、このお人よしのバカ二人は、色々誤魔化すには便利かもしれないな


 ハルはしれっと、男たちが残していった路銀を自分のポケットに滑り込ませた。


 こうして、思いがけず馬車という快適な移動手段を手に入れた一行は、道中の時間を大幅に短縮することに成功した。


 道中、馬車に揺られながら、ハルは久々に楽しいと感じた。久々に笑った。この天然二人の底知れないお人よしさに触れたのだろう。

 前世では絶対に感じなかったであろう感情が、ひしひしと彼の心に積もっていった。


 そして数日後――。


 ついに、遠くの地平に人工的な巨大建造物が見えてきた。


 ◇


「あれがユンベ村ですよ。すごく良い村なんです!」


 リオは確かに「村」と言った。だが、そこにあったのは見上げるほどの巨大な防壁だった。


「村って普通、こんな感じだっけ……?」


 ハルの疑問はもっともだった。村の南側から西側にかけては、威圧感のある石造りの防壁がそびえ立っている。しかし、北側に目を向けると、そこには壁が一切存在しなかった。

 代わりにそこにあるのは、昼間でも薄暗く、どろりと淀んだ空気を湛える『ユンベルングの森』だ。


「リオ君、あっちには壁がないみたいだけど?」


「ああ、あそこは聖域ですから。神様の涙で作られた森そのものが、どんな壁よりも強く僕らを守ってくれているんです。……もっとも、村の人間は怖がって誰も近づきませんけどね」


 リオは事もなげに言ったが、ハルはその境界線に、物理的な壁よりも強固な『心理的な拒絶感』を感じ取っていた。


 そんなハルの思考を切り裂くように、獣の咆哮が響く。


「グゥルグガガガ!!!」


 10体ほどだろうか、防壁の下に群がって、口を鮫のように開いては涎を垂らしている。


「お! 久しぶりだなリオ! やっと帰ってきたか!」


 その声は防壁の下から聞こえてきた。

 数人の男達が魔物と対峙している。


「みんなただいまー!」


 みんなリオに手を振る片手間で戦っていた。


「リオさん人気者なんですね!!」


「えへへ」


 能天気な話をしている二人の背後では、見張り台からの的確な指示のもと、男たちが無駄のない連携で魔物を処理している。


 いつだって魔物と隣り合わせの村——と言うことらしい。


 そんな風景を横目に、3人は防壁の門をくぐり、ユンべ村へと足を踏み入れた。


 村は、ハルの予想より栄えていた。


 石畳の通りの両脇に、木造の家屋と商店が並んでいる。

 行商人の荷車も行き交い、ちょっとした市場ができていた。


 通りの奥には紋章が刻まれた礼拝堂が見える。屋根の上に掲げられた太陽と翼のシンボルが、夕陽を受けて金色に光っていた。


「ハルさん。ありがとうございます。もう立てそうです」


 シルフィがそっと地に足をつく。


——『あの村が旅の終着点です』


 シルフィのいつかの言葉がふとハルの脳裏によぎる。


 シルフィは、とても懐かしい様子で村を眺めた。本当に、懐かしむ眼差しで。


 そして視線が止まる。見つめる先は礼拝堂の広場。そこには4メートルほどの神像が佇んでいた。


「じいじ……」


 確かに、その神像の瞳を見据えて、シルフィはそう呟いた。何処か切なく、何かを確信した様な目だった。


 その時ハルはとある違和感に気づいた。

 楽しげだった市場のざわめきが、潮が引くようにスッと消えたのだ。

 すれ違う人々が露骨に顔を背け、母親たちは慌てて子供の目を隠している。村人達の目線がやけに冷たかった。


 それはハルに向けられたものではなかった。

 シルフィに。

 この小さな少女に向けられたものだった。


 ただならぬ雰囲気は、伝播する様に村に伝っていった。



「えっと……何か良くない雰囲気ですね……」


 リオもその違和感に気づいたようだが、その原因までは分かっていないようだった。


 不意に、シルフィの身体の力がスッと抜け、足で体を支えられなくなる。

 顔が赤い。


「熱っぽいですね……僕の家がもう直ぐです。そこで休んでください」


 ハルは確信した。この村には、シルフィとの間にただならぬ何かがあると。

苛立ちさえ覚えた。この無垢な少女が、なぜそんな冷たい目を向けられなければならないのか。


「行こうか——」


 村人の不自然な視線を横目に、ハルはシルフィを抱えてリオの家へと急いだ。




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