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ユンベ村編2『変出者と天使の出会い〜パブロフの犬で魔物を調教する〜』


 だいぶ歩いた。数時間は歩いただろう。

 あの遠くに見えていた緑が、今目の前に絶対的な質量で存在している。


「デカい木だ」


 根本から見ると尚更に。前世の世界にはこんな大きな木があったのだろうか。とても神聖な雰囲気の森だった。それと同時に、何人も受け入れない——とでも言うような圧も感じられる。とりあえず、森に沿って歩くか——そう思い数分歩いた頃だった。


「——大丈夫ですか?」


 鈴を転がした様な声がハルに掛けられた。

 ハルの眼前、そこには一人の少女がいた。


 銀色の髪だった。

 銀とはっきりと分かる美しい色だった。

 そして目。大きく、澄んだ——黄金色の瞳。自ら発光しているかのように輝いていた。


 着古した旅の外套に身を包み、肩には小さなバッグを斜め掛けにしている。


 顔立ちは整っている、なんて言葉では足りない。

 人間の造形の限界を、一歩だけ超えている。美しさというより、「存在の格」が違う。


「私は天使のシルフィです! 困っている人がいたら助ける。私の信条なんです!!」


 天使。

 ハルは彼女の背中と頭上をさりげなく確認した。

 だが、天使の象徴たる純白の羽も、光の輪っかも見当たらない。ただの比喩か、それともそういう種族名なのか。


 そんな、THE美少女(自称・天使)が目の前に現れた。これだけ聞いたら、きっと思うだろう。親切な異世界のヒロインが、助けに現れたのかな? と。


 だが、少し様子が違った。


「えっと……君の方が大丈夫?」


 ハルが心配そうに声をかけた少女は、道端で仰向けに倒れ、片足だけを天高く突き上げていた。


「足が攣ったの? 大丈夫?」


「私は大丈夫です! あなたは大丈夫ですか??」


「うん。僕は大丈夫」


 それもまたおかしかった。ハルも大丈夫な見た目ではなかった。何故かってハルは——

 パンツ一丁だった。


「すごく寒そうです」


「いやぁ、小道具の為なら些細な犠牲だよ」


 小道具集めが行きすぎた結果、シャツ、ズボン、靴下までもが、袋代わりになっていた。


「ねえ君、シルフィって言ったっけ。この辺で一番近い村とか街とか知ってる?」


 パンツ一丁の青年が、奇妙な体勢の少女に尋ねる。

「ああ、それなら——」


 少女は当たり前に答える。


「——ユンべ村が一番近いです! 今ちょうど行く所だったんですよ」


「おお、それはラッキー。ちなみにどっち方面?」


「あっちです!」


 少女はその体勢のまま、先を指差した。このまま進めばその村があるらしい。


「ありがとう……。えっと、君は本当に大丈夫?」


「私はなんとかします!! それより誰かの役に立てて本当に良かった!!」


 そう言うシルフィの顔は本当に嬉しそうで、淀みのない心からの満面の笑みだ。


 誰かの役に立つということがそんなに嬉しいのだろうか。

 そう言いつつも、額には冷や汗が滴っていて、絶対自分でなんとか出来そうな状況ではない。


「その村に君も行きたいんだよね。おぶって行こうか?」


 ハルは自分でも珍しいと思った。自分が人に手を差し伸べるなんて。

 シルフィもまた驚きの表情でこちらを見ていた。


「私を助けてくれるんですか……?」


「うん。村の場所教えてくれたし、お互い様ってことで」


「人に助けてもらえるなんて、本当に久しぶりです……」


 涙目で喜ぶシルフィに、ハルはそっと手を差し伸べた。


 ◇


 ハルはシルフィを背負い歩き出した。

 彼女は一見10代前半に見える。背負った感触もだいぶ軽かった。詳しい素性は話さなかったが、旅の目的は教えてくれた。


「『じいじ』を探しているんです」


 シルフィの声色はどこか寂しそうだった。


「異世界、過酷だね……」


 こんなに幼く見える少女が、失踪した祖父を捜しながら、ここまで人を気遣い、人に尽くそうとし、一人で旅を続ける。こうなるまでに一体どんな経験をしてきたのだろう。ハルは、役者としてのシルフィに興味が湧き始めていた。


 だが、その思考を空腹が遮る。


「ねえ、シルフィ。この先の村には辛い食べ物ってある?」


「辛い食べ物……ですか? どうでしょう。私もずっと行っていない村なので。お腹が空いたんですか?」


 そう言うとシルフィは、肩に掛けていた小さなバッグを探り始めた。


「あった! これ! 辛い食べ物!」


 シルフィが差し出したのは、赤いソースのかかったパン。一口だけ食べた跡があった。


「ごめんなさい。私の食べた残りだけど……」


 ハルは目を輝かせた。


「ありがとう」


 そのパンを受け取るとすぐさまかぶり付く。

 辛い。いやこれは辛い。多分常人なら、悶絶するほどに。だが、ハルにとってそれは、ご褒美に他ならなかった。いやそれ以上に、このソースの辛さの配分、パンとの絶妙なコンビネーション。前世で食べたどんな物よりも、うまかった。


「これ、どこで売ってる?」


「これは私の自作です! 美味しかったですか!? ソースの作り方なら覚えているので、また作れますよ!」


 ハルは久々に人に感謝する感覚を覚えた。


 その時だった。


「きゅう! きゅう!」


 奇妙な鳴き声と共に、道端の草むらが揺れた。何かが飛び出してくる。


「魔物です!」


 シルフィが声を上げる。


「魔物?」


「はい! 胸にあるあの核、『魔核』を持つ生き物のことです!」


 ハルの中で色々と繋がった。彼女の指差す先、魔物の胸部には石のようなものが埋まっている。


「グゥルガガア!!!」


 可愛らしい見た目から急な変貌を遂げ、歯を剥き出しにした魔物たちが、ジリジリと距離を詰めてくる。

 だが、ハルは動じない。パンツ一丁のまま、悠然と指を構えた。


「エフェクト」


 パチンッ——。


 エフェクトのスキルによって爆音と化した指パッチンの音が響く。効果は劇的だった。


「キュウウウッ!?」


 音を聞いた瞬間、魔物たちはビクリと体を縮こまらせた。  

 そして一目散に、蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのだ。  


 あっという間に静寂が戻る。  


 シルフィは目を丸くして、背中越しにハルを覗き込んだ。


「す、すごいです……ハルさんは魔法使いなんですか?」


「いや? これは科学だよ」


「カガク?」


「心理学ともいうね。『パブロフの犬』だよ」


「ぱぶろふのいぬ……? 初めて聞きました」


 ハルは足取りを止めずに説明を始めた。


「僕のいた世界の言葉なんだけどね。例えば、目の前に美味しそうなものがあるとよだれが出るでしょう?」


「はい、出ますね」


「じゃあ、そのご馳走を出す前に、ベルを鳴らしたらどうなると思う?」


「ベル、ですか?」


「そう。ベルが鳴ってからご飯が出る。これを繰り返すんだ。そうすると、脳が勝手に学習する。『ベルが鳴ればご飯が出る』ってね」


「なるほど……予感するわけですね」


「そのうち、ご飯が出てこなくても、ベルの音を聞くだけでよだれが出るようになる。条件反射ってやつだ」


「へぇー! すごいです! ……えっと、今のに何か関係があるんですか?」


 シルフィは首を傾げる。ハルはニヤリと笑った。


「魔物にも同じことをしたんだよ」


「えっ、ご飯をあげたんですか?」


「違うよ。ぶん殴ったの」


 ハルは焦土帯の方角を親指で示した。


「僕、あっちの方から歩いてきたんだけど、来る途中で大量の魔物に襲われてさ。毎回毎回倒すのも面倒だったから、教育することにしたんだ。指パッチンを鳴らした直後に、デコピンする」


「デコピンですか……」


「そう。指の音が鳴ったら痛い」


「なるほど……。でも、今の魔物たちは初対面ですよね? 教育されてないはずじゃ……」


「そこなんだよ、面白いのは」


 ハルは嬉々として語る。


「やってるうちに気づいたんだけど、実験を目の当たりにしていない個体まで怯え始めたんだ。恐らくあいつら、意識を共有している」


「意識を?」


「集合的無意識ってやつかな。種族全体で恐怖の情報を保存してるんだよ。だから、一匹に教え込めば、そこら中の魔物が『指パッチン=やばい』と認識するんだ」


 ハルは満足げに頷いた。


「これ、演出に使えそうでしょ? 魔物は最高のエキストラだよ」


「ハルさん……すごいです。よく分かりませんけど、とにかくすごいことをしてるんですね!」


 シルフィは純粋に称賛した。狂気じみた実験の話を、すごいの一言で済ませてくれる。純粋な子だった。


 そんな話をしているうちに、景色が開けてきた。  

 だが、村は見えない。代わりに、人影があった。


 道の真ん中に、一人の少女が立ってこちらの様子を伺っている。  


 金色の髪。背丈はハルと同じくらい。


「あれ! イリアさんじゃないですか!」


 背中のシルフィが嬉しそうに声を上げる。知り合いらしい。


「え、シルフィ!? なんでここに!? ……それに……」


 イリアと呼ばれた少女の表情が一気に曇る。


「その変質者は何……?」


 彼女の冷たい目が、パンツ一丁の変質者に向けられた。


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