ユンベ村編1『職業は【演出家】〜魔物限定の理不尽な物理チート〜』
ハルは死んだ。間違いなく。学校の屋上から転落して——
それなのに。
目を開けると、透き通った空が広がっていた。
雲が近い。生暖かい風に乗って、乾いた土と錆びた鉄の匂いが肺の奥まで入り込んでくる。
「…………生きてるな」
身体を起こし、周囲を見渡す。
目に入ったのは、彼方まで続く広大で禍々しい地上だった。黒く焼き焦げた大地。見たことのない植物が点在し、大気そのものが異様な熱を帯びている。
遠くの空から、咆哮が響いた。
空を泳ぐように飛翔するのは、全長数十メートルはあるであろう蒼い翼竜が三体。彼らが羽ばたくたびに、陽光を反射した鱗が宝石のように煌めいている。
さらに視線を巡らせれば、遥か彼方の地平線に広がるものがあった。巨大樹の森だ。
この不毛な焦土と世界を隔てるかのように、数多の巨木が密集している。距離にして何十キロ離れているかわからないが、はっきりと視認できるほどの圧倒的な緑。あの木々の根元だけが、この鉄臭い世界で唯一、清浄な空気を保っているように見えた。
そして何より、ハルの目を奪ったのは――焦土の中央に突き刺さる「それ」だ。
森と対極の方角。空そのものを両断するかのように聳え立つ、超巨大な漆黒の岩壁。
頂上が見えない。幅も計り知れない。まるで神が世界に打ち込んだ楔のようだった。
「これは、あれだな——」
そう。異世界転生だ。
数秒前まで、別の世界で生きていたというのに、ハルは冷静だった。何の疑いもなくこの状況を受け入れていた。
それもそのはずだった。彼は自身のイかれた趣向を実行するために、あらゆるジャンルの物語・シナリオを頭に叩き込んでいた。異世界転生ものも例外ではない。
それに何より、彼にとって、あの世界は少し窮屈で、少し退屈な場所でもあった。
勿論、嫌な思いでも数え切れぬほど置いてきた。
『ピロリン♪』
広大な異世界の舞台のど真ん中、思考を遮るように、スマホが鳴ったような音が何処からともなく聞こえた。その直後、ハルの視界の端にウィンドが立ち上がる。
ハルは迷いなくそのウィンドを押した。
いくつかのウィンドが一斉に立ち上がる。
システムログ
----職業獲得【演出家】
もう一方のウィンドウには、ステータスという文字が書いてあった。
ステータスを押すと——
----ステータス
LV1ユニークジョブ:演出家:舞台・対象をスキルを用いて演出し操る。
HP200
SP100
攻撃50
防御50
ゲームの画面のようだ。
「演出家——演出して操る——か。都合のいいほど僕らしい職業だな」
この世界が現実なのか、ゲームの中なのか、はたまた死の間際ハルの脳が作り出した空想なのか、そんなことはこの際ハルにとってどうでも良かった。
世界中のスポットライトを浴びて、人々に賞賛される物語の主人公や勇者。
そんなものとはかけ離れたこの【演出家】というユニークジョブが、たまらなく彼の琴線に触れていたのだ。
彼は変わっていた。
ハル——彼は「現実の人間のシナリオ」を書いた時、言葉で言い表せないほどの至高の悦びを感じる体質だった。
日本有数の名門校に進学しようが、将棋やチェスなど、世界中のオンライン大会で優勝しようが、決して得ることのできない快感がそこにはあった。
数十、数百手読んだ先——
誰も気づかない場所で糸を引き、
誰も知らない意図で他人の感情を誘導し、
誰も予期せぬ結末へ役者を導く。
——その状態で、すべてが自分の書いた『筋書き通り』に動いていく。
これを物語の中じゃない——現実で実践するのだ。
そんな人間関係を崩壊させかね無いような危険な行為の依頼を裏サイトで募集し、「激辛カレーパン」などと言う謎の報酬で請け負う。
それほどに人間という生物の演出が好きだった。
それがハルという男だった。
ハルの口角が緩む。胸躍らせていた。
ここは新しい舞台だ。国があり、歴史があり、おそらく魔法がある。
前世の学校という箱庭とは比べ物にならない、壮大なシナリオが描けるだろう。
「でも、この世界にカレーパンあるのかな……」
同時に、心配もしていた。それほどに、彼は辛党だったから……。
とりあえず、人間がいそうな所へ。ハルの目的は明確だ。
演出したい。人間を。たまらなく演出したい。あと、辛い物を食べたい。それだけだった。
周りを見渡せば焦土——。人気は全くない。
とりあえず、あの遠くに見える巨大樹の森。あちらは人が生きていけそうな雰囲気があった。
「よし、あそこにカレー……じゃない、人がいるかも」
ハルは一歩を踏み出した。
その一歩、足元にグニャっという感触があった。足を上げてみると、踏んで潰れたコケのような植物が青白く発光していた。淡く幻想的な光だった。
踏む圧力に反応する発光植物。
ハルは興味深そうにそれをむしり取り、観察する。
「これは……夜間の演出に使えそうだな」
彼は即決でシャツを脱ぐと、それを即席の袋にして光るコケを詰め込み始めた。
その作業中だった。
茂みが揺れ、一匹の奇妙な生物が顔を出した。
銀色の毛並みに、四つの耳。尻尾の先が光る、子犬のような生物。
それはハルを見上げ、「きゅう」と愛らしく鳴いた。
「…………」
ハルは手を止めた。
マスコット的な造形。媚びるような角度の上目遣い。
計算され尽くした「可愛さ」だ。
不覚にもちょっと可愛いと思ってしまった。
ハルはしゃがみこむ。
「チッチッチ」
指をちょんちょんさせて、そいつを誘き寄せる。
指先がその銀色の毛並みに触れる寸前——
「グルァッ!!」
「——っ?」
生物の表情が一変した。
口が裂け、三列の牙が露出し、凶暴な殺意と共にハルへ飛びかかってきたのだ。
幾重もの牙が、ハルの右腕を引きちぎらんばかりに食い込む。
ハルは「何だこいつ」と、ちょっとムカついて腕を振り払った。
その瞬間だった——
ドォォォォォォォンッッ!!!!!!!!!!
轟音と共に世界が揺れた。
ハルが腕を振った瞬間、やつは爆弾のように弾け飛び、その余波だけで大気がガラスのようにひび割れた。
衝撃波が大地を一直線に消し飛ばし、遥か彼方の岩壁に巨大な風穴を穿つ。
『ピロリン♪』
『ピロリン♪』
『ピロリン♪』
----システムログ
レベルアップ:LV2
レベルアップ:LV3
レベルアップ:LV4……
連続して場違いなファンファーレが流れる。
砂煙が舞う中、ハルは自分の拳と、彼方に消えたやつのシミを見比べた。
先ほど、岩を殴った時はただ痛かっただけだ。
しかし、あの生物に対してのみ、核弾頭のような威力が発揮された。
「……なんだこれ。目立つんだけど……」
ハルは冷めた目で、抉れた大地を見つめた。
と同時に鳥肌がハルを襲った。
何処からともなく、
——これで勇者にでもなってくれ〜♪
——俺TUEEEEEE〜♪
そんな声が聞こえた気がしたのだ。
「やばいな。この設定なんなんだ……」
不思議な設定だった。岩や物理法則には干渉しない。では発動条件は何か——
ハルは実験を行った。
岩を殴り、石を投げ、またやつを見つけては殴り——その実験の末、答えを導き出した。
「この核だな……」
ハルの手に握られていたのは、やつの胸に形成された紫色の禍々しい石だった。これを引き剥がしてもやつはかろうじて生きているが、そいつにデコピンしても、何も起こらない。
この核が形成された相手にのみ、力が発動するようだった。
「演出には使いにくそうだな……。はぁ、とりあえずこの力で世界を救って欲しいとか言われないように気をつけなきゃ……」
目立つ役回りを何よりも嫌うハルにとって、この『主人公っぽい謎の物理チート』は、正直言って不快でしかなかった。
だが——悪いことばかりでもなかった。
大きなため息をつきながらステータス画面を閉じる直前、ハルの目に『新たな通知』が飛び込んできたのだ。
----システムログ
レベルアップに伴い、スキルを獲得しました。
【エフェクト】:現象の演出をレベルに応じて増幅する(※威力は変わらない)。
【スモーク】:任意の場所に煙を発生させる。
【ズーム】:視界の倍率を変更する。
「…………ほう」
それを見た瞬間、ハルの冷めきっていた瞳に、妖しい光が宿った。
一気にレベルが上がったにも関わらず、攻撃力や防御力の数値は微動だにしていない。手に入ったのは、戦闘には全く役に立たない、文字通り『舞台装置(裏方ツール)』だけだ。
だが、それがいい。
一見するとハズレにしか見えないこれらのスキルは、ハルにとっては喉から手が出るほど欲しかった『演出のための小道具』だった。
「このバカみたいな物理チートは気に食わないが……核がくっついてるやつを倒してレベルを上げれば、こういう『演出用のスキル』が増えていくってことか」
だとしたら、悪くない。
勇者になって世界を救う気など毛頭ない。だが、人間関係を裏から操り、理想の『舞台』を作るための最強の小道具が集められるなら、このクソみたいな主人公補正も、上手く隠しながら使えば利用価値がある。
「ふっ……面白くなってきたじゃないか」
ハルは先ほど集めた光るコケの袋を肩に担ぎ直すと、今度は足取りも軽く、胸を躍らせながら巨大樹の森へと歩き出した。




