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ユンベ村編11『導かれたシナリオ〜神の奇跡と天使の決意〜』


 正午の陽光が、ユンベ村を白く焼いていた。


 礼拝堂前の中央広場。

 普段は子供たちが駆け回り、行商人が声を張り上げる石畳の空間が、今は二百人の沈黙で埋め尽くされている。


 広場の中央に、処刑台があった。


 即席で組み上げられた粗末な木組みの台。その中央に打ち立てられた柱に、一人の少女が縛りつけられている。

 銀色の髪が正午の陽に透けて白く輝き、黄金の瞳は何かを決意した様子で、遠くを見据えていた。


 処刑台の足元には、枯れ草と薪が積み上げられていた。


 火刑。


 その二文字が、沈黙の群衆の頭上に、鉛の雲のように垂れこめている。


 聖職者ヴェルナーは、処刑台の前に立っていた。


 群衆に向き直り、声を張る。


「——皆、聞きなさい」


 広場が一層静まり返る。


「この女は、神の使いを騙り、聖なる森に魔物を呼び込み、ユピ様の聖域を穢した冒涜者である」


 言葉を切る。間を、置く。

 群衆の不安が十分に膨らむのを、ヴェルナーは待った。


「ユピ様の教えは慈悲深い。だが、慈悲にも限度がある。神を冒涜する者に与えられるのは——浄化の炎のみ」


 群衆の中で、リオが叫んだ。


「やめてください!! 彼女はミアを助けてくれたんです!!」


 声は群衆のざわめきに呑まれた。

 リオの隣で、村長ガルドが息子の肩を押さえていた。


 ヴェルナーはリオを一瞥すらせず、処刑台に歩み寄った。


 柱に縛りつけられた少女を見下ろす。銀色の髪。黄金の瞳。美しい顔立ち。

 確かに天使の伝承そのものだ。だが、


「なんだその目は……」


これほど絶望的な状況だと言うのに。


「なぜそんな目でいられる……」


 ヴェルナーは手を伸ばし、少女の顎を掴んで顔を上げさせた。


「本当は恐怖しているのだろう?」


 黄金の瞳が、ヴェルナーの目を見つめた。

 恐怖はなかった。怒りすらも……。


「……信じているんです」


 少女の唇が動いた。


「仲間を……」


 ヴェルナーは鼻で笑った。


「黙れ」


 平手が少女の頬を打った。


 乾いた音が広場に響いた。


 群衆がざわついた。

 だが少女は、声を上げなかった。

 ヴェルナーを睨み返すこともしなかった。


 ただ——その強い眼差しは消えない。


 ヴェルナーはその反応に、苛立ちを覚えた。


 拳——。


 腹部に、

 一回。


 後ろの方で目を逸らす者がいた。リオが何か叫んだが、ガルドに押さえつけられていた。ミアが泣いていた。


 二回。


 ——抵抗しろ……泣き叫べ……命乞いでもしろ!! そのほうが「浄化」の演出として映える……ッ!


 三回。


 三日の磔、絶食。少女が胃液だけを吐き出す。

 それでも、少女はその目に恐怖を宿すことはなかった。


 ——この女をここまで支えるものはなんだ。


ヴェルナーは自分の心にざわつく不安を振り払いきれない。


「まあいい……」


 ヴェルナーは踵を返し、村の男に目配せした。


「——点火せよ」


 男が松明を振りかぶった。


 群衆が息を呑んだ。


 少女は——祈るように目を閉じた。


 その瞬間だった。


 ピカッ——と眩い光に、その場の全員が目を伏せた。


「うぁ!!」

「なんだ!!」


 光の出所はわからない。原因も。ヴェルナーさえも、状況が掴めない。


 光が収まった直後、更に異変は畳み掛ける。


 ——パキッ。


 乾いた音が、広場に響いた。


 小さな音だった。松明の爆ぜる音よりも小さい。

 だが、その音の出所を見た者たちは、息を呑んだ。


 広場の隅に建つ、ユピ像。

 石造りの偉大なる主神の顔。

 その右の瞳に——亀裂が走っていた。


 亀裂は蜘蛛の巣のように広がり——


 像の目から、水が溢れ出した。


 涙だった。


 ——少なくとも、この場にいたすべての人間には、そう見えた。


 透明な水が石の頬を伝い、台座を濡らし、石畳の上に細い川を作っていく。

 止まらない。溢れ続けている。まるで、堪えていたものが決壊したかのように。


 広場が——凍りついた。


 男の持った松明が、振りかぶられた姿勢のまま止まっていた。


「ぞ、像が……」


 最前列にいた老婆が、震える声で呟いた。


「泣いて……おられる……?」


 ヴェルナーは像を凝視した。


 心臓が跳ねた。


 ——なんだ?


 思考が一瞬白くなる。


 さらに畳み掛けるように——


 ズズ……ッ。


 像が、傾いた。


 涙を流し続けるユピ像が、まるで悲しみの重さに耐えかねたかのように、ゆっくりと前に——処刑台の方向へ——倒れ始めた。


「あ、危ない!!」


 誰かが叫んだ。


 だか像は、誰の上にも倒れなかった。


 主神の顔が、涙を流しながら、大地に伏した。


 祈るように。嘆くように。


 ——ドォォンッ!!


 石像が地面に激突した衝撃が、広場全体を震わせた。


 その衝撃が——走った。


 ズガガガガッ!!


 石畳に、亀裂が生まれた。

 像が伏した地点から、処刑台に向かって、一直線に。

 まるで神が指で大地を引き裂いたかのように、


 バキバキバキッ!!

 

 亀裂は真っ直ぐに、迷いなく、処刑台の真下に到達した。


 木材が弾け飛び薪が散乱する。積まれていた枯れ草が風に舞い上がった。


 少女を縛っていた縄が、柱の崩壊に巻き込まれてブチブチと千切れた。


 少女の体が、崩れた台から地面に投げ出される。


 ——静寂。


 ヴェルナーの思考が、完全に停止していた。

 

 突然の閃光。

 涙を流し、倒壊する像。

 走る亀裂。

 崩れる処刑台。


 ——偶然?


 偶然で、ここまでの連鎖が起きるのか?


 ヴェルナーの額に、冷や汗が浮かんだ。


 群衆の声が、ヴェルナーの思考を引き裂いた。


「ユ、ユピ様が……」


 最前列の老婆が、膝から崩れ落ちた。


「ユピ様が、泣いておられる……処刑を、悲しんでおられるのだ……」


 ざわめきが、波紋のように広がった。



「像が、あの娘を庇うように倒れた……」

「地割れが、処刑台だけを壊した……」

「さっきのは神のご来光だったんだ……」

「まさか……俺たちは、本当に天使を殺そうとしていたのか……?」


 空気が変わった。


 さっきまでヴェルナーの言葉に従っていた群衆の目に、困惑と——恐怖が宿り始めている。


 心が揺れる——首筋の紋様が強く明滅する。


「——待て!」


 ヴェルナーは声を張った。裏返りそうになるのを、必死に抑えた。


「惑わされるな! これは魔女の仕業だ! 像を操り、地面を割ったのは、あの女の魔術に他ならない!」


 だかその声は、さっきまでのような絶対的な響きを持っていなかった。

 自分でもわかる。声に説得力がない。

 なぜなら——ヴェルナー自身が、目の前の現象を説明できていないからだ。


 ——クソ。何だ。何が起きている。


 焦りが、内臓の奥から這い上がってくる。


 リオの声が響いた。


「ユピ様が答えてくださったんだ!! 彼女は無実だ!!」


 今度は、その声を遮れる者はいなかった。


 群衆のざわめきが、うねりに変わっていく。


 ヴェルナーは処刑台の残骸に目をやった。地面に投げ出された少女が、伏した像を見つめている。

 

 ヴェルナーは少女に歩み寄り、襟首を掴み上げた。


「貴様、何をしたッ!!」


 少女の黄金の瞳が、驚きに見開かれた。


「神の、神の奇跡です——」


「嘘をつけ!! あの閃光も、この像も、地割れも、貴様の魔術だろう!!」


 少女の目が、真っ直ぐにヴェルナーを見つめた。

 その目に嘘はなかった。

 ありえない。認めるわけにはいかない。

 認めたら、すべてが——


 その時だった。


「魔物だぁぁぁああかっ!!!!」


 村の南側、見張り台の男が、絶望の形相で叫んでいた。


「みっ、南の焦土帯のほうから——魔物の群れがっ!!!」


 群衆が南を向いた。

 防壁の奥から覗く地平。それを見て、全員の顔が同時に凍りついた。


 地平線が——動いていた。


 黒い波。

 数百——いや、それ以上。獣型の魔物が大地を埋め尽くし、土煙を巻き上げながら、一直線に村へ向かって突進してきている。


 地鳴りが腹の底に響く。地面が、揺れている。


 見張りの男が、泣きそうな声で叫んだ。


「数が違う…………地面が、動いているみたいだ!!」


 パニックだった。


 群衆が悲鳴を上げ、逃げ惑い始めた。子供を抱える母親。転ぶ老人。あれほど心強かった防壁の男たちも何をすればいいかわからず立ち尽していた。


「嘘だろ……あんな数の魔物……」

「村が……村が終わる……」

「ユピ様、お助けください……!」


 ヴェルナーの顔は蒼白だった。


 ——なぜだ。


 あのコケはもう使い果たした。それに誘因できるのは二体か三体。

 なのに——あの数は何だ。

 ——俺ではない。では、誰が——


 思考が空転する。何もかもが想定外だ。自分が書いたシナリオに、一本、また一本と亀裂が入っていく。それを止める術が、全く分からない。


「——っ!!」


 思考の暇、少女がヴェルナーの手を振りほどいた。


「まずいッ! 逃すか!!」


 いや、逃げてなんていなかった。少女ははヴェルナーのことなど、眼中になかった。


 少女の目が、南を向いた。


 黒い波が迫っている。地面が揺れている。悲鳴が聞こえる。


 体は限界だった。三日間の磔。絶食。殴打。立っているだけで膝が笑う。魔力はとうに空だ。何もできない。何も——


 視界の端で、ミアが泣いていた。


 リオが、ミアを抱きしめて庇おうとしていた。


 その光景が——胸の奥の、とっくに枯れたはずの場所を、焼いた。


 ——ああ、また同じだ。


 少女は思った。


 守った村で石を投げられた。癒した子の親に呪いだと叫ばれた。何度も、何度も裏切られた。


 だから、もう何もしなくていいはずだった。


 このまま黙って死ねばいい。誰も恨まず、誰も助けず、静かに終わればいい。それが一番楽だって——もう、わかっているのに。


 なのに。


 ——『困ってる人がいたら、助けなさいって』


 昨夜の声が、蘇った。


 パンの柔らかい甘み。冷たい水。小さな手の温もり。


 ——『僕を信じろ。諦めるな』


 足が、動いた。


 頭より先に。理屈より先に。諦めより先に。


 枯れた体の、どこにこんな力が残っていたのか、自分でもわからない。


 ただ——あの子が泣いている世界が、嫌だった。


 それだけだった。理由なんて、それだけで十分だった。


 少女は群衆を掻き分け、広場を駆け抜け、防壁の下を潜り抜けた。


 膝が何度も折れそうになった。視界が明滅した。それでも足を止めなかった。


 そして走る。


 魔物の群れに、一直線に。



「あの娘、何を……!?」

「逃げるんじゃないのか!?」


 少女は村の外壁の前で立ち止まった。


 そして——魔物の大群に向かって、両手を広げた。


「逃げて!!」


 背中越しに叫んだその声は、群衆に向けられていた。


「皆さんは逃げて!! わたしが、わたしがなんとかします!!」


 群衆が凍りついた。

 首筋の紋様が未だかつて無く強く禍々しく光っていた。


 つい先ほど、この少女を「魔女」と断じて殺そうとした人々。

 目を逸らし、黙認し、松明を投げ込もうとした人々。


 その人々を——少女は守ろうとしていた。


 数百の魔物の前に、たった一人で立ちはだかって。


「な、なんで……」


 群衆の中から、誰かの声が漏れた。


「なんで、あの人が俺たちを……」


 地鳴りが近づく。魔物の群れが、もう数百メートル先まで迫っていた。


 少女の肩が震えていた。足も震えていた。

 だが、広げた両手は下ろさなかった。


 少女は目を閉じた。


 もう何もできないことは、わかっていた。

 森での戦いで力は使い果たした。魔法は出せない。


 それでも——逃げることだけは、しなかった。


 魔物の先頭が、視界を埋め尽くす距離まで迫った。


 地面が弾け飛ぶほどの蹄の音。喉の奥から漏れる獣の唸り。

 あと数秒で、少女の体は跡形もなく蹂躙される。


 少女は目を閉じたまま、最後の息を吸った。


 ——じいじ。シルフィは、じいじの教えの通りに——


 その瞬間。


 世界が、白く染まった。


 光が——爆ぜた。


 またあの閃光だ。しかし、さっきよりも出どころが近い。


 少女の足元——眩いばかりの白銀の光が噴き上がった。


 あまりに強烈な光に、誰もが目を覆った。


 同時に——


 バヂィィィィンッッ!!!!


 轟音。


 空気を叩き割るような、凄絶な破裂音が村全体に轟いた。


 鼓膜が痺れるほどの音圧。家の窓が震え、木の葉が一斉に散った。


 魔物の群れが——停止した。


 先頭の数体が、悲鳴のような鳴き声を上げた。


 そして群れ全体が、一斉に踵を返した。


 数百の魔物が、互いを踏み越えるようにして、我先にと逃走していく。

 あれだけの大群が、光と音に触れた瞬間、恐慌状態に陥って潰走した。


 地鳴りが遠ざかっていく。土煙が南の地平線へ退いていく。


 やがて——静寂が戻った。


 光が少しずつ収まっていく。

 立ち込めていた光の粒子が空気中に散り、雪のようにゆっくりと広場に降り注いだ。


 その中に——少女が、立っていた。


 両手を広げたまま。目を閉じたまま。


 自分の周りで何が起きたのか、わかっていない顔だった。


 だか——村人たちの目には、少女の姿が、こう映った。


 神のご来光。涙を流す神像。処刑台を砕く大地の怒り。そして——光を纏い、魔物の大群を退けた、銀髪と黄金の瞳。


 一人の老人が、膝をついた。


 それが合図だったように、次々と村人の首の紋様が爆ぜた。



「……天使様……」

「お許しください……」

「俺たちは、なんてことを……」


 広場中の人間が、少女に向かって頭を垂れていた。


 少女はようやく目を開けた。

 黄金の瞳に映ったのは、ひれ伏す群衆と、足元に散る光の粒子と、泣きながら駆け寄ってくるミアの姿だった。


「天使様ぁ……! ごめんなさい……ごめんなさいぃ……!」


 ミアが少女の腰にしがみついて泣いた。


 少女は何が起きたかわからないまま、ただミアの頭をそっと撫でた。


 ヴェルナーは、広場の隅に立ち尽くしていた。

 足が動かなかった。


 数日間に及ぶ自身の計画が頭をよぎる。その全てが、音を立てて崩れていく。


 なぜだ。なぜこうなる。まさか、神の奇跡のはずがない。

 誰かが仕組んだのだ。この状況を。ヴェルナーの筋書きを壊すために——


 群衆の中に、一つの顔が見えた。


 笑顔でこちらを見ている。本当に笑顔で。


 書斎であったあの青年だった。


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