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ユンベ村編10『開演前夜〜天使の涙と舞台裏の影〜』

 


 森の火事から一夜。村はすっかり寝静まっていた。


 深い闇に紛れ、音もなく動く人影がある。ハルだ。


 彼は見張りの死角を縫うように、村の奥にある礼拝堂——その前の広場へと忍び込んだ。二日後、ここでシルフィの公開処刑が執行される。


 広場の中心には、すでに無骨な処刑台の土台が組まれ始めていた。


 ハルは警戒するように周囲を見回すと、おもむろに懐から、リオに借りたハンマーとタガネを取り出した。


 処刑台の下から広場全体にかけて、だいぶ風化の進んだ石畳が敷き詰められている。ハルはその端に膝をつくと、タガネを当て、ハンマーを軽く振り下ろした。


 コン……コン……。


 深夜の空気に、控えめな音が吸い込まれていく。


 十分ほど地道な作業を続け、ハルは額の汗を拭った。


「ふう……こんなもんかな」


 石畳の目地に沿って入れた絶妙な亀裂は、広場の中央から処刑台の真下へと、計算された直線を描いて伸びている。


 一見すればただのひび割れだが、本番で「ある衝撃」が加わった時、この物理的な『導線』が完璧な仕事をするはずだ。地味だが、舞台の根底を覆すための重要な仕込みだった。


 さて、次なる大道具ターゲットは――。


 ハルは広場の中央にそびえ立つ、立派な神像を見上げた。近づいて石の表面を軽くノックすると、コツン、と中に水が溜まっているような鈍い反響音が返ってくる。


「やっぱりだ。長年の雨水がしっかり溜まってるね」


 予想通りの音に満足げに頷くと、ハルは「ちょっと失礼して……と」呟き、足場を探して器用に神像をよじ登り始めた。

 あっという間に顔の高さまで到達し、精巧に彫られた神像の両目へ狙いを定める。


 ハルは躊躇うことなく、神像の目に向かってハンマーを振り下ろした。


 カーン!


「痛ッ!?」


 思わずハンマーを取り落としそうになる。自身の右目に、まるで直接石をぶつけられたような鋭い痛みが走ったのだ。


「……なんだ? 気のせいか?」


 片手で目を擦り、もう一度ハンマーを握り直す。


 カーン!


「いてっ!」


 カーン!


「いててっ!」


 神像の目を叩くたびに、ハルの目がズキズキと痛む。目にゴミが入ったとかそういうレベルではない、神経に直接響くような奇妙な痛みだった。


「なんなんだよこれ……。神像への破壊行為に対する呪いか? 異世界の防犯システム、タチが悪すぎないか?」


 バチ当たりな自覚はあるようだが、まさかこんなピンポイントでダメージが返ってくるとは予想外だったらしい。


「……まあいいや」


 ハルはじんじんと痛む目を片手で押さえながら、暗闇の中で口元に不敵な笑みを浮かべた。


「これくらいで僕の演出プランが狂うわけじゃない。最高の舞台を完成させるためなら、目から火が出るくらいの呪い、甘んじて受けてやる」


 カーン!


「いてっ」


 カーン!


「いてっ」


 深夜の静寂な広場に、硬質な打撃音とハルの情けない呻き声が、シュールなリズムを刻んで響き渡っていった。



 ◇


 同じ夜。


 刑の執行を待つ少女は、村の端の納屋、即席の十字架に磔にされていた。


 納屋の小窓から月明かりが差し込み、少女の神聖な、そして力無い姿を映し出していた。


 見張りの男が一人、納屋の入口で船を漕いでいる。もう深夜の二時を回った頃だろう。

 納屋の空気は冷え込んでいた。


 丸一日絶食、さらには磔柱に縛られ続け、少女の意識が朦朧とする。

 ふと、小窓——木造の柵越しに、夜空が見えた。


 星が見える。

 天界にいた頃は、あの星々のすぐ傍にいた。今は、こんなにも遠い。


 体の感覚はもうほとんどなかった。腕を縛る縄が肉に食い込んでいるはずだが、痛みすら鈍くなっている。唇は乾ききって裂け、喉の奥がひりついていた。


 ——また、こうなった。


 少女は思った。


 何度目だろう。数えるのはとうに止めた。




『じいじはどこ……?』


『ユピ様は姿を消された——』


 父とも言える人が姿を消した。頼れる人が一人、減った。



 冤罪で天界を追われた。


『この者は、女神ユノを毒殺した——』


 母とも言える、最愛の(あるじ)を毒殺した——という身に覚えのない罪で。

 母の死を悲しむ時間も、弁明の機会すら与えられなかった。

 理由を問う声は、誰にも届かなかった。


 最愛の姉に拒絶された。


『貴方を愛したことは一度もない——』


 下界に落とされる直前の姉の言葉。

 何度も、何度も、本当に何度も脳裏をよぎる言葉だ。

 もう頼れる者はいなかった。


『この羽を使えば、我々は神の力を得られる……』


 下界に降り立つと、聖王国の人間たちは無慈悲に羽をもぎ取られた。


 それでもずっと、ずっと、


 あの教えを——信じた。


『弱きを助け、手を差し伸べること……』


 その言葉を胸に、この世界で旅をした。


 遠い昔——ユピと旅した記憶を辿り。



 少女は下界で人々を助け続けた。


 病に倒れた子供がいれば、癒した。

 魔物に襲われる村があれば、守った。

 飢えた旅人がいれば、最後の一切れのパンを分けた。

 いつだって、誰よりも笑顔を務めた。誰よりも優しくあろうとした。

 いつか、この行いが届くと信じて。


 だが、人間たちの反応は——いつも同じだった。


 助けた村で「魔女」と呼ばれた。銀の髪を指差され、「人間じゃない」と石を投げられた。

 癒した子供の親が、「うちの子に呪いをかけた」と叫んだ。

 守った村の長が、「お前のせいで魔物が来たのだ」と追放を宣告した。


 何度も。何度も。何度も。


 人は争いを止めない。

 平気で嘘をつく。

 嘘を信じる。

 目の前の真実よりも、都合の良い物語を選ぶ。


 そしてその物語の中で、正しいことをした者が「悪」にされる。


 いつしか、少女を狙うものが現れた。

 理由はわからない。けれど、少女を狙う者たちは皆、神の使いだと語る。

 少女が知る、最も信頼がおける神の名を語る。


 怖かった。どうしようもないほどに。

 だから、逃げるしかなかった——。


 逃げる場所など、とうに無い。そんなことは自分が一番わかっていたのに。


 だけど、一つだけ希望があった。あの村を思い出した。神が、人々に森の奇跡を与えたあの村——。ユピと旅した終着点のあの村を。


 少女は、村を目指した。


 歩いて、


 歩いて、


 歩き続けて、


 そしてたどり着いた。


 でも、この村も……

 やっぱり同じだった。


 ミアという女の子を魔物から守った。

 その結果が——これだ。


 冒涜者。魔女。火刑。


 もう何も感じないと思っていた。感じないはずだった。


 なのに——磔にされた瞬間、胸の奥で、とっくに枯れたはずの何かが、微かに軋んだ。


「じいじ……姉さん……。ユノ様——」


 ——わたしは、教えを守れていましたか……


 ——どうして、こうなっちゃったんだろう……


 返事はない。


 ——じいじ……どこに居るのですか……?


 ——もう……疲れました……。


 目を閉じた。


 星の光が、瞼の裏に滲んだ。




 ——ぱた、ぱた、ぱた。




 小さな足音が聞こえた。


 少女は最初、幻聴だと思った。意識が朦朧としている。まともな判断力は残っていない。


 だが足音は近づいてくる。石畳を踏む、軽い、小さな足音。


 薄く目を開けた。


 月明かりの中に、小さな影が立っていた。


 栗色の髪。大きな目。両手に、パンと革袋を抱えている。


 ——ミア。


「……えへへ。見つかっちゃった」


 ミアは照れたように笑った。見張りの方をちらりと確認して、磔柱の根元にしゃがみ込んだ。


「……だめですよ。こんなところに来ちゃ」


 少女の唇が、かすれた声を絞り出した。


「見つかったら……大変……」


「大丈夫だよ。ミアね、かくれんぼ村で一番強いんだから」


 ミアはそう言いながら、パンをちぎって、少女の口元に持っていった。


「食べて」


 小さな手が、頑固に差し出される。


 少女には、それを押し返す力が残っていなかった。


 唇にパンが触れた。乾ききった口の中に、小麦の柔らかい甘みが広がる。


 噛んだ。飲み込んだ。


 ——美味しい。


 その感覚が、枯れた体の奥底に沁み込んでいくのがわかった。


 ミアが革袋の水を少女の唇に傾けた。冷たい水が喉を通り、干上がった体に染み渡る。


「もうひとくち、食べて」


 ミアがまたパンをちぎる。少女は抵抗できず、口に含んだ。


 噛みながら、視界が滲んだ。


「……ミアちゃん」


「なに?」


「……人って、どうして——」


 言いかけて、止めた。


 この子に言う言葉じゃない。


 代わりに、別の言葉が口をついた。


「……どうして、ミアちゃんはこんなに優しいんですか?」


 ミアは首を傾げた。きょとんとした顔で。まるで、変なことを聞かれたとでもいうように。


「だって、ユピ様がそう言ってるもん」


 迷いのない声だった。


「困ってる人がいたら、助けなさいって」


 ——同じ言葉だ。


 少女が、ずっと信じてきた。


 何度裏切られても、手放せなかった。


 同じ言葉だ。


 なのに——この子が言うと。


 こんなにも、真っ直ぐに。


 涙が出た。


 止まらなかった。


 声を殺した。見張りに聞こえないように。歯を食いしばって、肩を震わせて、縄に縛られたまま泣いた。


 ミアが慌てた。


「え、えっ……!? ごめんね、ミア何か変なこと言った……!?」


「……ううん。違うんです」


 少女は首を横に振った。涙で顔がぐしゃぐしゃだった。天使の面影なんてどこにもない、ただの女の子の泣き顔だった。


「……ありがとう」


 それだけ言うのが、精一杯だった。


「あっ! そういえば、伝言だよ!」


 静寂の納屋に、不意にミアの少し大きな声が響いた。


 自分で驚いたのか「ひっ」と口を両手で塞ぎ、入り口で船を漕ぐ見張りをハラハラと振り返る。幸い、見張りの男は心地よい寝息を立てたままだった。


 ほっと胸を撫で下ろすと、ミアはこほん、と小さく咳払いをした。

 そして、なぜか少しだけ姿勢を正し、あごをツンと上げてみせる。どうやら誰かの真似をしているらしい。


「『シルフィ。僕を信じて、絶対に諦めるな。報酬は激辛ソースぱん二個でいい』」


 普段のミアからは想像もつかない、どこか芝居がかった、けれど真剣な声音。


「リオのお兄ちゃんのお友達の、ちょっと変なお兄ちゃんから! シルフィに伝えてって言われたの」


 その言葉を聞いた瞬間。

 シルフィの脳裏に、あの底知れなくて、どこか飄々とした少年の顔がはっきりと浮かんだ。


 激辛ソースぱん――出会った日に彼女が奢った、あの容赦なく辛い赤いパン。


 絶望で完全に凍りついていたシルフィの心に、ぽっと温かい灯りがともる。


 彼は、見捨てていなかった。あんなに理不尽で厄介な状況に巻き込まれたというのに、まだ、自分を助けようとしてくれている。

 ポロポロと、また別の涙がこぼれ落ちた。けれど今度の涙は、決して冷たくて苦しいものではなかった。


「……はい」


 シルフィは涙で顔を濡らしながらも、下界に降りてきてから一番の、花が咲くような安堵の笑みを浮かべた。


「わかりました……っ!」


 ◇


 納屋から少し離れた民家の屋根の上。

 その一部始終を、夜の闇に溶け込みながら見下ろしていたハルは、微かに苦笑いを漏らした。


「……僕、あんなキザな喋り方してないよな?」


 まあいいか、と小さく肩をすくめる。


 役者シルフィの目に、再び「生きる意志」という強い光が宿った。主役が絶望して舞台を降りるつもりのままでは、最高の喜劇にはならない。


 これでようやく、シナリオのピースが完璧に揃ったのだ。

 ハルは足音一つ立てずに屋根を下りると、夜の門を抜け、一人歩き出した。


 向かう先は一つ。南の方角——『焦土帯』だ。


 空には、白み始めた月が妖しく輝いている。


「さてと。あともう一仕事だ」


 ハルは歩きながら、闇夜に向けて高く右手を掲げた。


 そして、軽快に親指と中指を弾く。

 パチンッ——。


 乾いた指パッチンの音が、これから始まる大舞台の『開演ベル』のように、夜の焦土へと響き渡っていった。




 第10話、お読みいただきありがとうございました!


 絶望から一転、ついに反撃のピースが揃いました。

 次回の11話は、ハルの『演出家』としての能力が完全に爆発する怒涛の展開になります.......!


 執筆の励みになりますので、少しでも「面白い!」「続きが読みたい!」と思っていただけたら、ぜひ【お気に入り登録】と【評価】をよろしくお願いします!


 読者の皆様の応援がハルの舞台の原動力です!


 今日から感覚を空けて投稿しますm(_ _)m 次回は3/13 20:10!! お楽しみに!!

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