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瀕死の辺境伯様に『滋養強壮スープ』を振る舞ったら、うっかりバフを盛りすぎて独占欲の塊に変貌させてしまいました。「地味だ」と私を捨てた元婚約者様、二度と手に入らない極上の味に絶望して朽ち果てなさい

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/01/06

 

 カチ、カチ、カチ。


 無駄に重厚な柱時計の秒針が、まるで私の神経を逆なでするみたいに響いている。


 ここはカトゥラリー公爵邸。

 成金趣味な装飾が所狭しと並ぶダイニング。


 目の前に座っているのは、私の婚約者――だったはずの男、フォークス・ナイフン・カトゥラリーだ。


 三日間。

 私がその時間のすべてを、アク取りと温度管理に捧げて作り上げた究極のコンソメスープ。


 なのに彼は、銀のスプーンを手に取ることさえしないで、汚いものを見るような目で私を見つめている。


「――レオーラ。悪いけど、もう君の料理には飽き飽きなんだ」


 フォークスの口から出たのは、煮詰めすぎたソースみたいにドロッとしてて不快な、婚約破棄の言葉だった。


「飽きた……? 毎日、完食してたじゃない」


「ああ、義務感でな。見てみろよ、このスープ。今日もまた『琥珀色』だろう? もう見飽きたんだよ。何時間も無駄に煮込んだだけで、鼻を突くような強いスパイスも、胃がもたれるような濃厚なバターの風味も入っていない。地味で、薄っぺらで……。まるで君という人間そのものみたいに、華がないんだよ」


 フォークスは吐き捨てるようにそう言った。


 彼の隣には、いつの間にかこの屋敷に居座るようになった「自称・聖女」のメルティが、ベタベタとしなだれかかっている。

 その顔、脂でギトギト。厚化粧が浮いてるわよ。鏡見ろ。


「そうですよぉ、フォークス様。レオーラさんの作るお料理って、なんだか病院食みたいで味気ないんですもの。私の作る『特製・背徳のトリプルガーリックバター・ステーキ』の方が、ずっと殿方の活力を引き出しますわ。こんな、お白湯に毛が生えたようなスープを飲んでいたら、戦う男の精気が吸い取られてしまいますぅ」


 メルティがクスクスと、私の神経を逆撫でするように喉を鳴らす。


(……はあ? 病院食? こいつ、今、私のコンソメを病院食つった?)


 その単語を聞いた瞬間、私の脳裏に前世の記憶が鮮明に蘇った。


 そう。私は、前世は日本という国で、病院の管理栄養士として働いていたのだ。

 過労で倒れて、気づけばこの世界の公爵令嬢に転生していた。


 だからこそ知っている。

 「出汁だし」の深みこそが、至高の贅沢だということを。


 脂と砂糖で塗り固めただけのこちらの料理が、いかに野蛮で身体に悪いかということを!


(あー。うざ。この味音痴な馬鹿ども、マジで一回脳みそをブイヨンで洗浄してやりたいわ)


 正直、呆れすぎて言葉も出ない。


 香味野菜を刻んで、肉を叩いて、温度を一度単位で調整して……。


 水晶みたいに透き通ったこの琥珀色を作り出すのがどれだけ大変か、一ミリも理解してないわけね。


 すべては、魔法過敏症で常に神経を尖らせ、慢性的な胃弱で食が細かった彼、フォークスのためだった。


 私の実家、リストランテ家に代々伝わる秘伝……ということにしているが、実はこれ、私の前世の知識(栄養学)と、この世界の魔力を掛け合わせたオリジナル魔法だ。


 本人は最近まで「ちょっと料理が得意なだけ」だと思ってたけど、実は私の料理、とんでもない付与魔法の塊なんだよね。


【レオーラの極上コンソメスープ:バフ内容】

 ・状態異常無効(24時間持続)

 ・魔法抵抗力+50%

 ・全疲労の即時回復

 ・魔力回路の不純物デトックス

 ・精力増強(限界突破)


 フォークスがこの三年間、王宮魔術師として一度も体調を崩さず、「俺ってば天才魔術師!」なんてドヤ顔でいられたのは、間違いなく私のスープのおかげ。


 夜の生活だって、手を握るくらいしかさせてもらえなかったけど、彼が無駄にギラギラと仕事に邁進できたのも、私の『精力増強』バフが効きまくっていたから。


 なのに、この男。

 その恩恵を「自分自身のポテンシャル」だと完全に勘違いしちゃったらしい。


「レオーラ・リストランテ。君との婚約を破棄する。今すぐこの屋敷から出て行け。……幸い、メルティが『聖女の加護』をたっぷり込めた情熱的な料理で俺を支えてくれる。君の薄味な人生は、どこか寂れた場所で細々と終わらせるといい」


 フォークスは、最後の一口すら飲まずに席を立った。


 あっそ。

 なら、いいわ。


 正直、悲しいとか裏切られたとか、そういうエモーショナルな感情は一瞬で霧散した。


 残ったのは「あー、これで三日間のアク取りから解放される! やったぜ!」という、清々しいほどの解放感だけ。


 あんなに弱りきった胃腸に、メルティの「ラードでバターを揚げてニンニクを塗りたくった」ような暴力的な料理を流し込んだら、一体どうなるか。


 私の『状態異常無効』のバフが切れた瞬間、今まで蓄積されていた過労と魔法の反動が、どれほどの勢いであいつを襲うか。


 教えない。

 絶対に教えてあげない。

 死ぬ気で後悔すればいい。


「承知いたしました。……今まで、本当にお世話になりました。どうぞ、その脂ぎった幸せを噛みしめてくださいね」


 私は優雅に、けれど心の中では中指を立てながら一礼した。


 キッチンに残していた私専用の愛用の鍋と、研ぎ澄まされたナイフ。

 それだけをトランクに詰めると、私はカトゥラリー公爵邸を後にした。


 背後からは、メルティの「おーっほっほっほ! あーせいせいしたわ! やっと本物のご馳走が食べられますわね、フォークス様!」という下品な高笑いが聞こえていた。


(どうぞどうぞ、お幸せに。私のいない場所で、勝手にのたうち回ってろ)


 

 ◇◆◇


 

 それから一ヶ月。


 私はなけなしの貯金をかき集めて、王都から遠く離れた、地図の端っこにある極寒の地――トラットリア辺境伯領へと向かっていた。


 ここは「死者の雪原」なんて呼ばれるほど、一年中吹雪いてて、野菜なんてペンペン草も生えない不毛の地と言われている場所。


 だけど、私の実家に伝わる古文書には、とんでもないことが書いてあった。


「極北の雪の下で、魔力を吸って凍りながら育つ『氷晶カブ』こそが、スープに爆発的な旨味とバフを与える」と。


 誰かの顔色を伺って献立を考える日々はもう終わり。

 これからは、私が作りたい「最強のスープ」を作るために人生を使いたい。


 そう決めた私の心は、凍てつく空気とは裏腹に、驚くほど晴れやかだった。


 雪がしんしんと降り積もる、夕暮れ時。

 私は辺境の宿場町へ向かう馬車の揺れに身を任せていた。


 旅の途中、道端で凍えていた老人や、お腹を空かせた子供たちに、簡易魔導コンロでコトコト温めたスープを振る舞いながらの、のんびりとした移動だ。


(……ふぅ。やっぱり、私のスープを飲むとみんな元気になってくれる)


 私のスープを飲んだ御者の男性は、今や吹雪の中だというのに「暑い! 暑すぎるぜ!」と上着を脱ぎ捨てようとしていた。


 彼の頭上には、私にしか見えない『寒冷無効(極)』のアイコンが、ネオンサインみたいにギラギラと輝いている。


「お嬢さん、あんたのスープは魔法そのものだ! 体の芯に太陽を詰め込まれたみたいだぜ!」


「ふふ、あまり暴れないでくださいね。馬が驚きますから」


 そんな冗談を言い合っていた、その時だった。


 突然、馬車が急ブレーキをかけた。


「わっ!? 言ったそばから!?」


「お、お嬢さん、大変だ! 道に……誰か倒れています!」


 慌てて外へ飛び出すと、純白の雪の上に、黒いマントを纏った大男が倒れていた。


 マントの隙間から見えるのは、銀色の刺繍が施された重厚な軍服。


 けれど、その身体は驚くほど痩せ細っていて、雪に埋もれた手は青白く透けている。


「ちょっと、大丈夫ですか!? 息をして!」


 駆け寄り、肩を抱き起こした瞬間。

 私の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。


 ――なんて、恐ろしいほどに美しい人。


 冷たく透き通るような白銀の髪。

 彫刻のように整っているけれど、死人のように青ざめた頬。


 睫毛の下の瞳は固く閉じられ、唇は紫に変色している。


 けれど、その頭上に浮かんでいたのは、今まで見たこともないような「真っ黒」なデバフの羅列だった。


【重篤な状態異常:ダイナー・バル・トラットリア】

 ・深刻な魔力枯渇

 ・不眠症(Lv.MAX)

 ・重度拒食症

 ・死の呪い

 ・生存意欲喪失


(……えっ、待って。これ、生きてるのが奇跡じゃない? ほとんど幽霊じゃないの)


 私は迷わず、馬車の中で保温魔法をかけておいた鍋を引っ張ってきた。


 本来は宿に着いてから自分で飲むはずだった、渾身のスープ。


 ……さっき一時間ほど前、馬車を止めて休憩した時に見つけたアレ、入れておいて正解だったかもしれない。


 それは、凍りついた滝の裏側、ありえないほど濃密な魔力の溜まり場に、ぽつんと生えていた真っ白なカブ。噂の『氷晶カブ』。


 まさか本物に出会えるなんて思わなくて、興奮のあまりその場で皮を剥き、手持ちの「リストランテ特製・万能ベーススープ」に放り込んで、ずっと弱火で煮込み続けていた。


 鍋の蓋を開けた瞬間。


 ふわぁっ、と、この世のものとは思えないほど甘やかで、けれどキリリと澄んだ香りが吹雪の中に広がった。


「聞こえますか? 少しだけでいいから、これを口に含んで。……死んじゃダメですよ」


 私はスプーンを手に取り、彼の震える唇の間に、温かな黄金色の液体を少しずつ流し込んだ。


 一口。


 二口。


 琥珀色の液体が喉を通るたび、彼の喉仏が小さく動く。

 氷晶カブの持つ爆発的な魔力が、スープに溶け出し、彼の身体の奥底に眠る「生命の火」に直接薪をくべる。


 その瞬間だった。


 彼の指先がピクリと動き、深い闇の底から這い上がるように、ゆっくりと瞼が開かれた。


 現れたのは、燃えるような、けれど凍てつくような、深いサファイア色の瞳。


「……あ……?」


「よかった、気がついたのね。今、スープをもう一杯……」


「…………なんだ、これは」


 掠れた、低い、けれど心地よい声。


 彼は私の手を掴もうとして――けれど力が入らず、そのまま私の膝の上に、ずしりと重い頭を預けた。


「……香りが……、いや、温かさが……。止まっていた……俺の時計が、動き出すような……」


 彼は朦朧としながらも、本能的に私の差し出すスープを求めた。


 まるで砂漠で水を求める遭難者のように。

 三杯、四杯と飲み干すたびに、スープが空になる頃には、彼の顔に、微かに、けれど確かな血色が戻っていく。


【バフ発動:劇的な回復】

 ・生命維持システム再起動

 ・魔力回路超活性化

 ・精力増強(限界突破)

 ・激しい渇望(対象:レオーラ)


(……ん? 最後の一つ、今なんて書いてあった? 渇望? 対象:私? ちょっと、氷晶カブのバフ、盛りすぎた?)


 見間違いだと思いたかったけれど、膝の上にいた彼の手に、突然、恐ろしいほどの力がこもった。


 彼は私の腰を、大きな掌で強引に引き寄せる。


「……名を、教えてくれ。俺を地獄の淵から引きずり戻した……この毒のように甘美な癒やしの、作り手の名を」


「レオーラ……。レオーラ・リストランテです。今はスープを飲んだばかりなんだから、安静にして……」


「……レオーラ。……逃さないぞ。君を……誰にも、渡さない」


 彼はそう呟くと、再び深い眠りへと落ちた。


 けれど今度は、死への誘いではなく、回復のための、安らかな眠り。


 その直後、森の奥から無数の騎士たちが駆け寄ってきた。


「辺境伯様! ダイナー様! どこへ行かれたのですか!」


「い、いたぞ! 介抱されてる!」


「よかった! 無事だ! あんたが助けてくれたのか? お嬢ちゃん」


 騎士たちが数人がかりで彼の身体を起こす。


「助けたというか、スープを分けただけですが」


「この方はダイナー・バル・トラットリア辺境伯様だ。この地の絶対的な支配者。そんな人の命を救ったんだ、あんた……相当いい()()が貰えると思うぜ」


 御者の男性が、震える声で私に囁いた。




 ◇◆◇



 

 それからの展開は、まさに嵐。いや、猛吹雪並みの怒涛だった。


 私は辺境伯を救った「奇跡の薬師」か何かだと勘違いされ、そのままトラットリア城へと担ぎ込まれた。


 通されたのは、豪華な客室……ではなく、城のメインキッチンに最も近い、特別に設えられた一室。


 そして翌朝。

 私の前に、一人の男が立っていた。


 ダイナー・バル・トラットリア。


 昨夜、雪の中で死にかけていた男とは別人のような威厳。

 銀髪を美しく整え、サファイアの瞳は鋭利なナイフのように私を貫く。


 軍服のボタンを上まで留めた彼の姿は、まさに北方の猛獅子。


 ……けれど。


(……わあ。めちゃくちゃ健康的。というか、色気がすごい)


 彼の頭上には、まばゆいばかりのアイコンが躍っていた。


『完全回復』

『全能力200%UP』

『激しい渇望(レオーラ限定)』


「……辺境伯様。お元気そうで何よりです。私はこれで失礼しても……」


「だめだ」


 彼は一歩、私に近づいた。

 背が高い。見上げるような威圧感。


 彼は私の目の前で足を止めると、熱を帯びた指先で、私の頬をそっと撫でた。


「君のスープを飲んでから、身体の奥が……疼いて止まらないんだ。……何を食っても石のようだった俺の胃が、君の料理以外を、いや、君以外の存在を受け付けなくなった」


「えっ? それは……」


「今朝、城の料理長が作った最高級のポタージュを飲んだが、一口で吐き出した。……不味いわけではない。だが、決定的に足りないんだ。君が込めた、あの……魂を震わせるような、熱い何かが」


 彼は私の手を取り、そのまま自分の胸元へと導いた。


 服越しでも分かる、硬く、盛り上がった胸板の感触。

 ドク、ドク、ドク、と、激しいビートを刻む心音。


「レオーラ。……君は、俺に何を飲ませた? ただのスープではないだろう。……呪いか? それとも、愛か?」


「そ、そんな大層なものじゃありません! ただ、材料の声を聴いて、丁寧にアクを取っただけで……!」


「……アクか。そうか、俺の中に溜まっていた不純物を、君がすべて掬い取ってくれたのか」


 ダイナーは恍惚とした表情を浮かべ、私の手のひらに、濃厚な口づけを落とした。


「君を、俺の専属料理人として雇用する。給与は望むままに。……だが、条件がある。……一生、俺の目の届く範囲で、俺のためだけに火を使え。……他の誰にも、その琥珀色を味わわせないで欲しい」


 これって、求人広告? それとも、事実上の独占宣言?


 以前の婚約者、フォークスが私の料理を「当たり前の背景」として扱っていたのに対し。

 この目の前の猛獣は、私の料理を「唯一無二の酸素」として、奪い合い、独占しようとしている。


「……私の料理は、地味ですよ? 派手な飾りも、バターの海もありません。鼻腔をくすぐるような刺激的なスパイスの香りも、パンチもない」


「それでいい。……俺が求めているのは、君の、一点の曇りもない清らかな『味』だ」


 ダイナー様のサファイアの瞳が、暗い欲望を湛えて細められる。


 彼は私の腰をグイと引き寄せ、耳元で低く囁いた。


「レオーラ。……今すぐ、俺のために作ってくれ。……腹が減って、死にそうだ。……君なしでは、もう一秒も生きていられない」


 私の無自覚な『精力増強』バフは、辺境伯様のなまじ強いポテンシャルを、とんでもない方向へ限界突破させてしまったらしい。




 ◇◆◇



 

 一方その頃。

 王都のカトゥラリー家では、異変が起きていた。


「……メルティ、なんだ、この……この油の塊は……」


 フォークスが、顔を青ざめさせて皿を見つめていた。


 以前のような血色はなく、肌は土気色になり、自慢の金髪もツヤが消えてバサバサになっている。


 レオーラのバフが切れて、早一ヶ月。

 王都最高の若手魔術師と呼ばれた男の、緩やかな、けれど確実な「崩壊」が始まろうとしていた。


「何言ってるんですかぁ、フォークス様。これは最高級のラードをたっぷり使った、情熱的なお料理ですわよぉ」


「……気持ち悪い。……吐き気がするんだ」


 フォークスは皿を突き飛ばした。


 彼の胃腸は、すでにメルティの「自称・聖女のスタミナ飯」という名の暴力に耐えきれなくなっていた。


 さらに深刻なのは、魔術師としての生命線。

 レオーラのスープによる『魔力回路洗浄』がなくなったことで、彼の体内には魔法行使による「不純物(澱)」が溜まり続け、指先が痺れ始めている。


「レオーラ……レオーラはどこだ。あいつなら、もっと……もっと優しい味を……」


 フォークスが呻くように呟いたその言葉に、メルティの顔が怒りで引きつった。


「またあの地味女の名前!? あの女なら、北の果てで凍え死んでるに決まってますわよ!」



 ◇◆◇


 

 トラットリア城のメインキッチン。

 私はさっそく、ダイナーのための「朝食」を作っていた。


 メニューはシンプルだ。

 『氷晶カブのポタージュ』と、焼きたての黒パン。そして、地元の森で採れたハチミツを添えたヨーグルト。


 カブを薄く切り、自家製のバターで焦がさないようにじっくり炒め、野菜の出汁で煮込んでから、丁寧に裏ごしする。

 そこに、絞りたての濃厚なミルクを少し。


 完成したスープを銀のカップに注ぐと、ふわっと、優しくて甘い香りが立ち上った。


「……待たせたな」


 ガウンを羽織っただけのダイナーが、私の背後から抱きついてくる。


 近い。近すぎる。


 激しい渇望(対象:レオーラ)


 あの効果……強すぎない!?


「あ、あの、ダイナー様、お着替えは……」


「そんなことより、飯だ。……それから、君の匂いだ」


 彼は私のうなじに顔を埋め、深く息を吸った。

 ゾクゾクとするような感覚が背中を走る。


「……いただきます。俺の、生命の源(レオーラ)


 彼は私の手からスプーンを奪うと、それを私に握らせ直した。


「……あーん、しろ」


「はっ!?」


「これは命令だ。君が俺に食べさせろ。俺が拒食症を克服するまで、ずっとだ」


 ……絶対この人、もう拒食症治ってるだろ。


 バフの効果で、食欲も、その他の欲求も、全盛期の三倍くらいになってるな、これ。


 私は真っ赤になりながら、スプーンを彼の唇へと運んだ。何度も、何度も。彼が満足するまで。




 ◇◆◇




 トラットリア城の朝は、早くて、そして何より「熱い」。


 極北の冷たい空気が窓を叩いているっていうのに、この城のメインキッチンだけは火力のせいで夏みたいに感じる。

 私は大きな銅鍋を火にかけながら、額に浮かんだ汗を軽くぬぐった。


 今朝のメインは、辺境伯領で獲れた新鮮な「雪見イワナ」の包み焼きと、地元の濃厚なクリームをたっぷり使ったクラムチャウダー。

 それに、焼きたてのライ麦パンだ。


 鉄板の上で、バターがじゅわわっ! と音を立てて弾ける。

 そこにすりおろしたハーブ入りの岩塩を振りかけると、香ばしい香りが立ち上って、私の胃袋を直接掴んでくる。


(……ああ、いい匂い。つまみ食いしたくなる)


 味見をしようと木べらを口に近づけた、その瞬間だった。


「――待て。それは俺のものだ」


 背後から、低くて甘い、けれど有無を言わせない声がした。

 同時に、腰に回された強靭な腕。


 振り返らなくてもわかる。


「おはようございます、ダイナー様。……って、まだお着替えも済んでないじゃないですか。寝間着のままキッチンに来るのは禁止ですよ? 衛生的によくないですし」


 私が小言を言うと、ダイナーは私のうなじに顔を埋め、深く息を吸い込んだ。


「ちょっ!?」


「……君の匂いが、俺の空腹を最悪の形にするんだ。……早く、俺を満たせ、レオーラ」


 ちょっと待って。その言い方、絶対勘違いされるから。


 っていうか、この人、一ヶ月前に行き倒れてた人とは本当に同一人物なの?


 今のダイナーは、軍服の袖を捲り上げると、私の精力増強バフのせいでパンパンに盛り上がった筋肉が脈打っている。


 肌は艶やかで、サファイア色の瞳は飢えた獣みたいにギラギラ輝いている。


(……精力増強バフ、絶対盛りすぎたわ。副作用で独占欲がカンストしてる気がする)


「さあ、できましたよ。冷めないうちに配膳します」


「ここでいい。君が作ったその場所で、最初に口に入れたい」


 そう言って、彼は私の手からスプーンを奪うと、チャウダーを一口啜った。


 ……。

 …………。


「……っ、ふ……」


 ダイナー様の喉が、艶っぽく鳴る。


 魚介の旨味が凝縮されたスープが、濃厚な生クリームと溶け合い、野菜の甘みが後を引く。

 一口飲むごとに、彼の頭上にはアイコンがポコポコと浮かび上がった。


【レオーラの魔導クラムチャウダー:バフ発動】

 ・魔力回復速度+300%

 ・集中力極大アップ

 ・身体強化(永続蓄積)

 ・愛の執着(Lv.99)


「どうだ? レオーラ。俺の胃が、喜んで暴れているのが聞こえるか?」


 彼は私の手を掴むと、自分の硬い腹筋に押し当てさせた。

 ドク、ドク、ドク、と、力強すぎる鼓動が伝わってくる。


「……喜んでいるのは胃だけじゃないみたいですけど」


 私は真っ赤になって手を引っ込めた。


 

 ◇◆◇


 

 一方その頃。

 王都のカトゥラリー公爵邸では、まさに「地獄の食卓」が繰り広げられていた。


 フォークスは、目の前に並んだ料理を見て、激しい吐き気を催していた。


 皿に乗っているのは、メルティ特製の「聖女のスタミナ・超絶チーズ・ハンバーグ(油増し)」。


「さあ、フォークス様ぁ。もっと召し上がって? 最近、お仕事でミスばかりされてるって聞きましたわよぉ? 活力が足りないんですのよぉ!」


 メルティが甲高い声で迫る。


 フォークスは震える手でフォークを持った。

 一口、口に入れる。


 ……ぐにゃり。


 安いラードの匂いが鼻を突き、酸化した油が舌にまとわりつく。


「……う、ぐっ……!」


 彼はたまらず口を押さえた。


 かつては、琥珀色の透き通ったスープが、魔法の反動で傷ついた胃腸を優しく癒やしてくれていた。


 どんなに疲れていても、レオーラの料理を食べれば、身体中のおりが消え去り、魔法の回路が洗浄されるような心地がしたものだ。


 だが、今はどうだ。


 私の『状態異常無効』バフが完全に切れて二ヶ月。

 彼の身体には、魔法使い特有の「魔力汚染」が蓄積し、深刻な魔力不全を引き起こしていた。


 肌はボロボロ、自慢の金髪は枯れ草のようにパサついている。


「……メルティ。レオーラ、レオーラを呼び戻せ。あいつのスープさえあれば、俺はまた王宮筆頭魔術師の座に戻れるんだ……!」


「なんですって!? まだあの地味女の名前を出すんですの!? あんな女、今頃どこかの雪山で干物になってるに決まってますわ!」


「うるさいッ!! お前の飯は……お前の飯は、泥を食っているみたいなんだよッ!!」


 フォークスが怒鳴り声を上げ、皿を投げ飛ばした。


 かつてレオーラに浴びせた暴言が、今、そのままブーメランとなって自分に突き刺さっていることにも気づかずに。


「……こうなれば、無理矢理にでも連れ戻してやる。リストランテ家の娘なら、この俺に従う義務があるはずだ……!」


 彼は狂ったような目で、北の空を見上げた。




 ◇◆◇


 


 私はトラットリア城で「新メニュー」の試作に励んでいた。


 辺境伯領の特産品、氷晶カブだけじゃない。

 この雪の下には、もっと素晴らしい食材が眠っていたのよ。


 例えば、これ。「凍て星の鹿肉」。

 魔力を帯びた草を食べて育った鹿の肉は、普通のジビエとは比べ物にならないほど滋味深い。


 私はそれを厚切りにし、表面を強火で一気に焼き上げた。


 ジューーーッッ!!


 立ち上る湯気と共に、甘い脂の焼ける匂いが充満する。

 仕上げに、北方の森で採れたベリーと赤ワインを煮詰めた、ルビー色のソースをたっぷりとかける。


「……できたわ。名付けて、『辺境伯様を骨抜きにする・超回復ロースト・ジビエ』!」


「その名前、気に入った」


 い、いつの間に来たのよ、ダイナー!


 彼は私を後ろから抱きしめ、首筋に熱い吐息を吹きかけた。


「レオーラ。……昨日よりも、さらに香りが濃くなっている。君の料理は、単なる栄養じゃない。……俺を、別の生き物に変えてしまう劇薬だ」


「劇薬だなんて、失礼な。ちゃんと健康にいい成分しか入ってませんよ」


「健康? ……フッ。君のせいで、俺は夜も眠れないほど元気すぎるんだが? ……どう責任を取ってくれる?」


 ダイナーのサファイアの瞳が、とろりと熱く溶けている。

 彼は私の手からフォークを奪うと、ルビー色のソースが絡んだ肉を一片、口に運んだ。


 ……。


 その瞬間、彼の身体から青白い魔力のスパークが飛び散った。


「……ああ……、これだ。全身の細胞が、歓喜で震えている。……指先まで力がみなぎる」


 彼は恍惚とした表情で、私の指を一本ずつ、丁寧に舐めとるように口に含んだ。


「ひゃ……っ!? ちょっと、何してるんですか!」


「ソースがついている。……もったいないだろう? 君が作ったものは、一滴たりとも他人に、地面にさえ渡したくない」


 ダイナー様の独占欲バフが、ついに暴走を始めた。

 彼は私を抱き上げ、キッチンの作業台の上に座らせた。


「……レオーラ。俺はもう、君を料理人としてだけでは見てはいられない。……君を、俺の正妃として、この城の奥深くに隠しておきたくて仕方がないんだ」


「はっ!? 私、地味ですよ? フォークスには華がないって言われたし……」


「フォークスか……あの男は、宝石を泥だと思って捨てた愚か者だ。……俺にとっては、君こそが唯一の光。君の琥珀色のスープがなければ、俺は今頃、雪の下で冷たくなっていた。……俺の命は、君が繋ぎ止めたものだ。……だから、君が責任を持って、最後まで飼い殺せ」


 辺境伯様のあまりにも重たい愛に、私の心臓が爆発しそうになる。私って、惚れっぽくは……無いはずなんだけどな。



 

 ◇◆◇


 


 そんな甘い空気の中に、トラットリア城の重い鉄の扉を叩く音が響いた。


「報告します! 城門の前に、王都からの使者が到着しました! ……元王宮魔術師、フォークス・ナイフン・カトゥラリーと名乗っております!」


 その報告を聞いた瞬間、ダイナーの瞳から甘さが消え、凍てつくような光が宿った。


「……ほう。ゴミが自ら片付けられに来たか」


 彼は私の頬に優しく口づけを落とすと、低い声で囁いた。


「レオーラ。……君はここで、温かいスープを作って待っていればい。……不法投棄されたゴミを処理してくるだけだ。……すぐに戻る」


 ダイナーは、圧倒的な「生命力」による威圧感を放ちながら、食堂へと向かった。


 一方、城門の前で震えていたフォークスは、出迎えた辺境伯軍のあまりの強さと、城内から漂ってくる「レオーラのスープ」の香りに、驚愕していた。


「な……なんだ、この香りは。……胃が、身体が、あの味を求めて叫んでいる……! レオーラ! レオーラはどこだッ!!」


 彼は、自分がかつて「飽きた」と言って捨てた幸せが、今や自分には一生手の届かない神の領域にあることを、まだ知らない。


 そして、レオーラという「生命の源」を奪おうとする者に、北の獅子がどれほどの牙を剥くのかも。


 


 ◇◆◇



 

 食堂の大きな扉が開く。


 そこには、み窄らしいほどに痩せこけ、肌が土気色になったフォークスと、必死で虚勢を張るメルティが立っていた。


「……ダイナー辺境伯様! 不躾ながら、我がカトゥラリー家が追放したレオーラ・リストランテを返していただきたい! 彼女は、我が家の財産の一部であり……」


 フォークスの言葉は、最後まで続かなかった。


 部屋の奥から放たれた、重力さえ歪めるほどの凄まじい威圧感。


「――貴様、今、誰を返せと言った?」


 玉座のような椅子に深く腰掛けたダイナー様が、冷ややかにフォークスを見下ろした。


 フォークスは、その場に膝をついた。

 恐怖のせいではない。あまりにも圧倒的な「生命力の格差」に、身体が拒絶反応を起こしたのだ。


(な……なんだ、この男は。……この溢れ出す魔力、鋼のような肉体……。俺とは、住む世界が違いすぎる……!)


「レオーラは俺の婚約者だ。……そして、この極北の新しい女主人だ」


 ダイナーは立ち上がり、ゆっくりとフォークスに歩み寄った。


「飽きた、と言ったそうだな? ……ならば、もう二度とその腐った舌で、彼女の名を呼ぶな。……その舌、引き抜いてやろうか?」


 フォークスの顔から、完全に血の気が失せた。


 


 ◇◆◇




 トラットリア城のメインキッチン。

 私は一人、火にかけたスープ鍋の前で立ち尽くしていた。


 コトコト、コトコト。


 穏やかな煮込み音が響く中、私の心臓だけが嫌なリズムで早鐘を打っている。


「……ダイナー様、大丈夫かな」


 彼は「ゴミを処理してくる」と言って出て行ったけれど、相手は一応、王都から来た貴族だ。

 万が一、フォークスが変な魔道具でも持っていたら……。


 それに何より、私の過去の因縁を、彼一人に背負わせたままでいいのか?


『レオーラ! レオーラはどこだッ!!』


 その時。


 遠く離れた玄関ホールの方から、耳障りな絶叫が微かに聞こえてきた。


 フォークスの声だ。


 あんなに弱々しかったはずなのに、私の名前を呼ぶ時だけは、執着心で声量が戻っているみたい。


 ゾワリ、と背筋が寒くなった。

 でも同時に、腹の底からフツフツと熱いものが込み上げてくる。


「……都合のいいやつ。マジムカつく」


 私を捨てておいて。

 散々「地味だ」「味気ない」と馬鹿にしておいて。

 自分の都合が悪くなったら、また私のスープを求めてのこのことやって来る?


(ここで隠れて待ってるなんて、性分じゃないわ)


 私はエプロンの紐をギュッと結び直した。

 ダイナーには「待ってろ」って言われたけど、ごめんなさい。

 これは私の戦いでもあるから。


 私は、仕上げのハーブを鍋に放り込むと、足早にキッチンを飛び出した。

 向かう先は、声のした大食堂。

 自分の過去と、きっちり決着をつけるために。




 ◇◆◇




 食堂の扉を少し開けると、そこには地獄絵図が広がっていた。


 フォークスは必死に声を絞り出そうとしていたけれど、その姿はあまりにも無様だった。


 一ヶ月前に王都で見た「エリート魔術師」の面影なんて、どこにもない。


 肌は乾燥してひび割れ、目は血走り、何より指先が痙攣している。


 魔力回路が不純物で詰まりきって、魔法の制御どころか、身体の維持さえ限界に来ている証拠だ。


 横にいるメルティも、あまりの威圧感に膝をガクガクさせて、今にも失神しそうな顔でしがみついている。


「とっとと、俺の城から消え失せろ。でなければ」


 ダイナーが指先を動かすと、フォークスの周りの床がピキピキと凍りついた。


「ひぃぃッ!?」


 もう見ていられない。

 私は扉を大きく開け放ち、堂々と中へ入った。


「……お久しぶりね、フォークス。それにメルティ」


 私の声が響くと、三人の視線が一斉に私に向いた。

 ダイナーは驚いたように目を見開き、そしてすぐに「まったく、君は……」と甘く苦笑した。


 一方、フォークスは弾かれたように顔を上げた。

 その瞳には、縋るような、そして浅ましい希望の色が宿っていた。


「レ、レオーラ! 無事だったのか……! 探した、探したんだぞ! さあ、帰ろう。僕の家へ! 君のスープが必要なんだ!」


 彼は地を這いながら私の足元へにじり寄ろうとする。

 ゾンビ映画のワンシーンみたいで、正直ちょっと引くわ。


(ほー。一ヶ月も私の『デトックススープ』を抜いて、メルティの『脂ギトギト不摂生飯』を食べ続けたら、ここまで劣化するんだ)


 私は冷めた目で彼を見下ろした。


「帰る? 何言ってんの? あの夜、あんたははっきり言ったわよね。私の料理には飽きた、薄っぺらで華がない、出て行けって」


「そ、それは……! あの時は、その、少し気が立っていただけで……! 今は反省している! 一ヶ月……不味い飯と吐き気を我慢して、死ぬ気で馬車を飛ばしてここまで来たんだ……! 君こそが最高の料理人だったと気づいたんだ!」


「私は一度捨てられた鍋は二度と使わない主義なの。あんたの元へ戻るなんて、一ミリも考えてない」


 私がきっぱりと言い放つと、フォークスは絶望に顔を歪めた。


「そ、そんな……! 頼む、一度だけでいい! 君のスープを飲ませてくれ! このままじゃ、僕の体は……魔術師としての未来は……!」


 見苦しい。


 けれど、その言葉を聞いて、ダイナーがゆらりと立ち上がった。


 彼は私の隣に来ると、腰を抱き寄せて自分のものだと誇示する。


「……ほう。一度だけでいい、か」


 ダイナーが私の耳元で低く囁く。


「レオーラ。……こいつらに、引導を渡してやろう。俺たちの『格の違い』を、その舌と胃袋に刻み込んでやるんだ」


 ああ、なるほど。


 ダイナーのサファイアの瞳にあるのは、慈悲ではなく、完全なるトドメを刺す意志。


 その意図を察して、私はニヤリと笑った。


「そうね……。ここで追い返すだけじゃ、彼らは一生『あのスープさえあれば』って夢を見続ける。……現実はもっと残酷だって、教えてあげなきゃ」


 私は二人に宣告した。


「いいわ、フォークス。メルティ。あんたたちが北の果てまで来た敬意を表して、私が作る『最高の料理』を最後に振る舞ってあげる」


「ほ、本当か!?」


「ええ。ただし、これが最初で最後。……食べ終わった後、あんたたちがどうなるかは知らないけど」




 ◇◆◇




 一時間後。

 大食堂のテーブルには、信じられないような光景が広がっていた。


 メインディッシュは、『極北・雪解けドラゴンの赤身ステーキ』。


 この辺境伯領の奥地、雪原の深部でしか獲れない幻の食材。

 氷雪竜のヒレ肉は、魔力をたっぷりと含み、ルビーのように赤く輝いている。


 キッチンの奥から、ジュウゥゥゥッ!! という暴力的な音が響いてきた。


 私が熱々に熱した厚手の鉄板の上で、肉を焼き上げた音だ。


 立ち上る湯気と共に、上質な脂の甘い香りと、香ばしい焦げ目が鼻腔をくすぐる。


 ソースは、数種類のハーブと香味野菜、そしてあの『氷晶カブ』を極限まで煮詰めて作った、漆黒に輝く特製デミグラス。


 添え物は、雪の下で二冬越して熟成させた『黄金ジャガイモ』のクリーミーなマッシュ。


「……どうぞ、召し上がれ。これが、あんたたちが『病院食』と笑った私の、今の全力よ」


 フォークスとメルティの前に、その皿が置かれた。

 二人は、まるで餓えた野良犬のような勢いでナイフを掴み、肉に食いついた。


 一口、噛みしめた瞬間。


「……っ!? ふ、あ…………!!」


 フォークスの目から、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。


「柔らかい……。なんだ、これは。……噛んだ瞬間、肉汁が溢れ出して……細胞のひとつひとつが、歓喜の声を上げている……」


 彼は震えながら、次々と肉を口に運ぶ。

 止まらない。止められない。


「温かい。……身体中の毒が、この一口で……消えていく……。魔力が、戻ってくる……!」


 メルティもまた、肉を飲み込むなり、自分の喉を掻きむしるようにして泣き叫んだ。


「美味しい……! 美味しいわ、これ……! 私が作っていた油まみれの料理なんて、これに比べたら……ただの、ただの生ゴミだわ…………!!」


 当然だっつの。あんなモンと比べんな。


 私のスープの技術と、北方の最強食材が組み合わさったこの一皿は、もはや料理を超えた「魔法」そのもの。


 けれど。

 私には見えていた。夢中で肉を貪る彼らの頭上に浮かぶ、残酷な「宣告」が。


【レオーラの最期のご馳走:デバフ効果】

 ・絶対的喪失感(永続)

 ・味覚の呪い(他のすべての料理が砂の味に感じる)

 ・絶望の底(バフの効果終了後、現在の能力値がさらに半分に低下)


 そう。一度、この究極の味とバフを味わってしまったら。


 そして、それを永遠に失うと知ってしまったら。


 人間は、二度と前を向いて歩くことなんてできない。


 この料理は、希望を与えるためのものじゃない。

「二度と手に入らない楽園」を見せつけるための、劇薬だ。


「フォークス、メルティ。あんたたちは、この味を一生忘れられない。これから何を食べていても、この一皿と比較して、自分の愚かさを呪い続けることになる。……それが、私の復讐よ」


 皿が空になった。

 最後の一滴のソースまでパンで拭って食べた二人は、呆然とした顔で私を見上げた。

 そして、狂ったように叫び出した。


「おかわりを! 金なら払う! なんでもするから!」


「いやぁぁ! もうあの不味い料理に戻りたくないぃぃ!! レオーラ様、私を弟子にしてぇぇ!!」


 その醜態を見下ろし、ダイナーは無慈悲に騎士たちに命じた。


「連れて行け。……カトゥラリー家は取り潰しだ。こいつらは領地の鉱山で、一生土を掘らせろ。……食事は、一日に一杯の、味のない薄い粥だけだ。どうせ何を食ってもなんの味もしないんだからな」


「あああああッ!! レオーラ! レオーラぁぁぁ!!」


 フォークスの絶叫が遠ざかっていく。


 一度は全てを与えられ、それを「地味だ」と笑って捨てた男。


 これからの彼は、永遠に満たされない空腹と、かつての琥珀色のスープの幻影に怯えて、暗い地下で生きていくことになる。




 ◇◆◇




 静寂が戻った食堂。

 残されたのは、私と、そして異常なほどに体温を上げているダイナーだけ。


「……レオーラ」


 ダイナーが、後ろから私の肩に顔を埋めた。

 声が、熱っぽく掠れている。


「あんな奴らに、あんな美味いものを食わせる必要があったのか? けしかけたのは……俺だが、まさかあそこまでのものを出すとは……。今の料理を食べているあいつらの顔を見て、嫉妬で気が狂いそうだった」


 彼は私の腰に回した腕に力を込める。痛いくらいに。


「君の琥珀色を、俺以外の奴の胃袋に入れるなんて……耐えられない」


 ダイナーは私の首筋に鼻を押し付け、獣のように匂いを嗅いだ。


 精力増強バフが臨界点を超えているのか、彼の身体は岩のように硬く、熱い。


「レオーラ。……もう、料理人なんて肩書きは脱ぎ捨てろ。……今夜から、君は俺の妻だ」


「なっ!? ま、待ってください! まだ結婚式の準備も……! そ、それにまだ正式にお付き合いも……!」


「そんなもの、後回しだ。……俺の飢えが、もう待てないと言っている。……君を、骨の髄まで喰らい尽くしたい」


 彼は私を軽々と横抱きにすると、キッチンを通り抜けて寝室へと向かった。


 大股で歩く彼の顔は、もう隠そうともしない独占欲と情欲で染まっている。


 あ。


 途中で、私が自分用に取っておいた『デザートの氷晶ベリーのタルト』を見つけて。

 ダイナーは立ち止まった。


「これも、君が作ったのか?」


「え? はい。食後に食べようと思って……」


「……ダメだ。これも俺のものだ」


 彼はタルトを一口に含むと、そのまま私の唇を奪った。


「……んむっ……」


 ダイナーの熱い唇が、私の唇を完全に塞ぐ。


 逃げ場のない口内で、甘酸っぱいベリーの果汁と、彼の熱が混ざり合う。口移しで与えられる甘い蜜と、とろけるような深い口付けに、私の頭の中まで真っ白になっていく。


 息ができない。


 バフの副作用か、それともダイナー自身の本能か。

 彼の独占欲と溺愛は、私の想像を遥かに超えて、どこまでも重く、深かった。





 ◇◆◇





 それから数年後。


 トラットリア辺境伯領は、「世界で最も美食に溢れ、最も最強の軍隊を持つ地」として、大陸中にその名を轟かせていた。


 中心にある城のキッチンでは、今日も今日とて、麗しき女主人の指示が飛ぶ。


「アク取りは丁寧に! この透明度が、バフの純度を決めるんだから! 愛を込めなさい、愛を!」


 すっかり「伝説の料理聖女」として崇められるようになった私は、忙しく鍋を振るっていた。


 そんな私の背後には、いつものように、一秒たりとも私を離そうとしない、あまりにも色っぽすぎる「北の獅子」が張り付いている。


「レオーラ。……今日のスープの出来はどうだ?」


 彼は後ろから私を抱きしめたまま、耳元で甘く囁く。


「最高ですよ、ダイナー様。……『永遠の愛』のバフが、さらに強化されましたから」


「……ほう。なら、早く俺に飲ませてくれ。……一生、君の味しか喉を通らない俺のために」


 彼は私のスプーンを持った手を握りしめ、自分の方へと引き寄せる。


 琥珀色のスープが、窓から差し込む陽光に照らされて、黄金色に輝いた。


 地味で飽きられた料理。

 けれどそれは、たった一人、価値のわかる男に出会ったことで。

 この世で最も尊く、甘い、愛の劇薬へと変わったのだ。


 ――元婚約者のフォークスが、今頃どこかで「あのスープをもう一度だけ……!」と泣き叫んでいるとしても。


 私を独占するこの猛獣が、その願いを叶えることなんて、万に一つも、ありはしない。


 だって、私の琥珀色は。

 私を愛してくれた、この人のためだけのものだから。


ここまでお読みいただきありがとうございました!

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【ご質問への回答】

『短編の投稿速度がおかしいけどAI執筆ですか?』と聞かれたので、タネ明かし(執筆の裏側)と自己紹介を活動報告に書きました! 是非ご覧下さい!


そんなの読む時間はねぇ!答えだけ教えろ!

という、ワイルドな方には、【AIは1ミリたりとも関わっていない(断・言!)】のでご安心ください!


明日も12時頃に短編を投稿いたします!

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【スカッとしたい方へ】

『その聖水、ただの麻薬ですよね?』

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『冷徹公爵様の心の声 (テロップ)がピンク色で大暴走している件について』

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『触れるもの全てを殺す『死神公爵』様、なぜか私だけ触れても平気なようです』

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他にも投稿済みの短編がございますので、作者マイページからお好みのものを見つけてご覧いただけると嬉しいです!

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