命乞いはドラゴンへの告白〜何故ここで恋愛フラグ?〜
薄暗いダンジョンの奥、古びた扉を押し開けた瞬間、ルナの視界は一変した。
神殿のような石造りの部屋、中央には宝石と金貨が山のように積み上げられている。
赤、青、緑。陽の光一つ差さない地下にもかかわらず、宝石は煌めきを放ち、金貨の山は目に痛いほど輝いていた。
「うっひょ〜〜……! マジで!? これぜんぶ!? 私の!?ラッキー!!」
ルナは歓声を漏らし、すぐさま袋を引っ張り出して金貨を詰め込み始めた。片っ端から宝石をかき集め、小さな声でニヤニヤと呟く。
「これ売れば馬買えるな……いや屋敷……いや城いけるなコレ……ふふっ、ふふふふ……っ!」
これで夢のお姫様生活ができる。
それは、幸せの絶頂だった。
——が。
ドォォォン……と、地の底から鳴るような唸り声が、部屋全体を震わせた。石畳がビリリと震動し、積んだ金貨の一部がカラン、と零れ落ちる。
「……え?」
声の主は、背後にいた。
ゆっくりと、ルナは振り返った。
そこに立っていたのは、ありえないほど巨大な影
…全身を黒曜石のような鱗に覆われた、目つき最悪なドラゴンだった。
顔に刻まれた傷。熔けた角の欠片。爪には乾いた血のこびり。何人も屠ってきたことが、見ただけで分かった。
明らかにこいつはこのダンジョンのボス。
そしてその口が、ゆっくりと開かれる。牙の奥、喉の奥。ほの青く脈動する光。
……あ、死んだわ
ルナは静かに悟った。
自分は井戸の中の蛙だと。
腰にあるナイフをチラリと見る。
考えるまでも無い。普通に無理。あんな鱗、ナイフでどうこうなるような感じじゃない。
火炎耐性?そんなもの無い。
逃げ足?自信ない。歩幅が違いすぎる。
なんで他の冒険者いないのか分かった。これ詰んでる。完全に人生詰んだ。
ルナはそっと、ナイフを床に置いた。両手を挙げて、あからさまに降伏ポーズを取る。土下座の一歩手前で止めたのは、最後の矜持だった。
だがドラゴンは止まらない。口内の光が、明らかに増していく。
あー……青い……あれブレスだ。
死ぬな。普通に死ぬなこれ。絶対痛いやつだ。
妙に冷静だった。絶望というやつは、思ったより静かだった。
やだ……まだお金持ちになってない……
やっと叶いそうだった夢のお姫様生活。
パンがなければお菓子うんぬん。
一度でいいからガチで言って見たかった。まだ若くてピチピチだと言うのに、こんな所で終わろうとは。
だがしかし、諦めたくなかった。
そんな一心で、ルナの口が勝手に動いた。
「……とっても素敵な牙ですね……」
自分でも何を言っているのか分からなかった。
一体何を言ってるんだ?
めちゃくちゃこの噛まれたら痛そうな牙のどこが素敵なのかが全く分からない。
だが次の瞬間、ドラゴンの光がすっと収まり、口が閉じられた。
ルナは目を見開いた。生きている。なぜか分からないけど、生きている。
そして気づいた。
このドラゴン、ちょっとだけ、喉を鳴らした気がした。
……え、え、こいつ人の言葉分かるの?
気づけばルナは、にっこりと営業スマイルを浮かべていた。必死に己の語彙力の底上げをした。
口元は笑っていたが、全身の筋肉はガチガチ。もはや震えが止まらない。
「牙の曲線が……なんというか、芸術的ですね。男らしいというか…研ぎ方、何かこだわりとか……?」
ドラゴンは、まばたきを一つ。
その金色の瞳の奥で、ほんのわずかに感情が揺れた……ような、気がした。
もしかしたら遊ばれているのかもしれない。
虫ケラがなんか変なこと言ってんなみたいなテンションで。
しかしルナは、逃げ道など無いことを知っていた。褒め続けるしか、生きる道はない。
「それとですね、鱗っ……すっごく綺麗です! まるで……あの……黒曜石?はい!黒曜石の中に夜空を閉じ込めたみたいな神秘さがあります!」
おそらくその鱗を擦り付けられただけで私は三枚おろしにされるレベルの鋭さと切れ味があるんでしょうね。
しかしなんとか引き延ばしたい。他に褒めれそうな点を探し始める。
「ツ、ツノもっ……! すごく立派で……威厳に満ちていて……でも鋭すぎず、ちょうどよく風格があって!」
ちょうど良い風格の定義を是非知りたいものだった。
「なんというか……古き伝統と、戦いの歴史が刻まれてて……! むしろ“欠け”があることで個性が際立つっていうか……世界に一つだけの造形美というか……!」
なんとも口から出まかせが出る女である。
我ながら呆れるものだった。
しかし…
ドラゴンの目が面白そうに細くなる。
ほんのわずか、尻尾の動きがゆるんだ。
明らかに……ご機嫌、かもしれない。
うそでしょ……褒めるって、こんなに命に関わるの!?
ルナは恐怖で内臓がバクバクしていたが、口は止まらなかった。ドラゴンに恐怖など抱いていませんよ?本当です。そんな感じをだしていた。
それこそが生への執着。
その後も鱗、牙、ツノ以外にも……褒められるたびに、ドラゴンは微妙に表情を動かしていた。
そしてついに、喉の奥から、低く……だが確かに音が漏れた。
「……それは……賛辞か?」
その声は、石壁を震わせるような重低音。だが、意外にも淡々としていて、ルナは一瞬だけ時が止まった。
しゃべった…?
「はっ……は、はいっ!?もちろんです!! いやぁ、もう一目見た瞬間から『あ、これはイケ角だな』って……!」
ルナは震える笑顔で即答した。イケ角とは何だ。だが引き返せない。
ドラゴンは、その巨大な顔をぐぐっとルナの方へ近づける。
ああ、距離近い怖い!!!!吐息が火山!!!!
「お前……我が牙の、研ぎ方に“こだわり”があるかと……申したな……」
「ええ、ええもう!それはもう!表面処理の均一さといい、エッジの取り方といい、匠の域というか……いや、“匠そのもの”というか……!」
何言ってんだ私!? 何だよエッジの取り方って!!
だがドラゴンは、ふむ、と鼻息を鳴らしただけで、口を閉じたまま火を吹こうとはしなかった。
「……なかなか目が利くな、人間」
来た…?いや、助かるフラグ立った!?
ほんの少し、ルナの足元から緊張が抜けた気がした。だがここで気を抜いてはいけない。まだ喰われてないだけであって、生き延びたとは言っていない。
今、このまま話術で、このドラゴンを……口説き落とせたら……!
「えぇっ!!もちろんですともっ!それにですね、牙も!ツノも!鱗も!お声も!迫力も!素敵!かっこいい!めっちゃタイプ!好き!!」
最後のは完全に意味不明だったが、言ってしまったものは仕方ない。ルナはそのまま拍手までつけて褒めちぎる。もう止まれない。
「すごい!伝説の生き残りって感じ!きっとどんな冒険者でも一撃で焼き払ってきたんですよね!?カッコよすぎです!!惚れちゃう!!」
ドラゴンの金色の瞳が、ぱちりと瞬いた。
「……ふん……当然だ。貴様のような小娘に褒められても……別に……嬉しくなど……」
ぼそりと呟いたその声には、明らかに照れが混じっていた。
そしてドラゴンは、ほんの少し視線を逸らし、鼻を鳴らす。そしてそのまま何やらモジモジと1人でブツブツ話出す。
今だ…今しかない。
ルナの脳が鐘を鳴らした。
チャンス。今しかない。あのバケモノにスキが生まれた、歴史的瞬間。
ルナは笑顔を貼り付けたまま、クルリと後ろを向き、何気ない風を装って一歩、二歩。
そして…三歩目で全力疾走。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ命だけは持って帰るうううううぅぅぅぅぅ!!!!!」
袋に詰めた金貨をぶち撒きながら、ルナは走った。全力で、己の人生の最高スピードで。
「ん?えっそんな、待ってくれ!!」
ドラゴンはさっきの威厳は何処にいったのか、なんとも悲しそうな声で呼び止める。
だがそんなこと知ったこっちゃない。
「お姫様になってから死ぬんじゃあ!!!!」
そんな叫び声を上げるルナを、ドラゴンは呆然と見つめていた。
全力疾走の末、ルナはようやくダンジョンの外れにある岩陰で、ぐったりと腰を下ろした。
呼吸は荒く、額には汗が滲む。だが…生きている。それだけで、今は十分だった。
「……ふっ、私ってば天才かも……いや、強運の女神って呼ばれるべき……」
震える手で、命からがら持ち出した金貨袋を取り出す。少しでも、報酬があることを願っていた。だが——
手応えが、ない。
おそるおそる袋の口を覗き込む。そこには、風が吹き抜けるばかりだった。
「……うそ……でしょ……?」
あの命懸けの逃走劇の中で、袋の底に空いた小さな裂け目から、金貨のすべてがこぼれ落ちていたのだった。
その現実に打ちのめされ、ルナは草の上に崩れ落ちる。膝を抱えて、しばし動けなかった。
そして、そのまま疲れ果てた末に仮眠をしていた。
——その時だった。
地を揺るがす、重低音が近づいてくる。ドスン、ドスンと、確かに知っている足音。
「うそでしょ……いや、嘘であって……お願い、もう帰って……」
目を閉じたまま、震える声でそう呟いたが、足音は止まらない。明らかに覚えしかない。
嘘であって欲しいがその他の可能性を考えられない。
影が落ちる。熱気が肌にまとわりつく。
無視して10秒、どく気配はない。
意を決して、ルナはゆっくりと顔を上げた。
——そこにいたのは案の定、先ほど別れたはずの、あのドラゴンだった。
今度こそ確実に召されるんだろうな。
そう思って覚悟をし、強く痛むだろう衝撃に覚悟を決めていたが…
何も来ない。
しかも何故か雰囲気が怖くない。
心なしかめっちゃモジモジしてるし、なんならショボン…て感じの空気感が漂っていた。
「えっ……ちょ、ま……なんで……?」
ドラゴンは、気まずそうに目を逸らしつつも、その巨大な爪先に、一つの袋を提げていた。
「お前が……落としていった金貨だ」
「……え?あ、ああ、ありがとう……うわ、めっちゃ入ってる……え?なんで……?」
金貨の袋をルナの前にそっと置いたドラゴンは、しばしの沈黙の後、ぷいっと視線を逸らした。
「……べ、別に……お前のために拾ったわけではない」
「は?」
ルナが呆けた声を漏らすと、ドラゴンはわずかに眉間を寄せ、ぶっきらぼうに言い放った。
「……お前が、無様にぶち撒けていったからだ。ダンジョンの床が見苦しくてな……それだけだ」
だが、その尻尾の動きは、まるで期待に揺れる犬のようにゆらゆらしていた。完全に感情が隠せていない。
そしてその尻尾により犠牲になる樹木たち…
「えっ、そうなんだ…ん?」
スッパスッパと切られて行く樹木に処理が追いつかずに混乱中のルナを置いて、ドラゴンはさらに顔を背けて鼻を鳴らす。
「……ふん、そんなもの……お前が我の元を去る時、涙ながらに抱えていたではないか。……まったく、健気なやつめ」
「けっ健気?一体何処にそんなのが?」
しかしドラゴンはその疑問を聞こうともせず、ますます真面目な顔になる。
「……分かっているぞ。お前の“想い”……あの、無言の背中に込められていたもの……」
重厚な声でそう語ると、ドラゴンは真っ直ぐにルナを見つめて言った。
「叶わぬ恋と悟って、あえて言葉を告げずに去ったのだな。……ふ、愚か者め……!」
ルナは目を見開いた。
「……は?????」
何を言ってんだコイツは。
「……我ほどの存在、確かに雲の上に見えたであろう。だが、だからといって逃げ出すとは……あまりにも早計だ」
口調は厳しいのに、なんだか顔が照れている。
まるで怒っているようでいて、ひたすら気まずそうに目を逸らし、言い訳のように続ける。
「……その、べ、別に……その想いが、迷惑だなどと……言っておらぬ」
頬?のあたりを爪でかくような仕草までしながら、ひときわ小さな声で呟いた。
「むしろ……少しくらいなら、考えてやっても……よい、かもしれん……」
「ちょっと待ってほんとに何言ってんの!?」
「だっ、だからっ! そうやってお前が騒ぐから余計に話しづらくなるのだ! 我は、誠実に応えようとしているだけであり……!」
ぐるぐるしっぽを巻きながら吠えるドラゴンに、ルナはもはや何も言えなかった。
だって地形が変わってるんだもの。
この生物、命を狙ってくるタイプじゃなくて、乙女脳の恋愛ストーリーモードに入ってる。
いったいどこで何をどう誤解したら、こんなことになるのか。コイツは1人でいる時間が長すぎて、距離感というものを無くしてるのかもしれない。
そんな結構失礼な事を考えられているとは知らずに、ドラゴンは再び堂々と顔を上げた。
「……よいか。貴様のような娘に惚れられても、我は別段……動揺など、しておらん」
「惚れてないって言ってんのに!!!???」
「ふん、強がるがよい。だがその真心、確かに受け取った。……我に、すべて任せておけ」
ドラゴンは静かに言い残すと、宝石の袋をツン、と鼻先でルナの方へ押しやった。
「お前と私の思い出の証だ。……大事にしておけよ?」
「思い出って何の思い出!?」
混乱して叫ぶルナを置いて、ドラゴンはその後もブツブツと意味が分からん事をしゃべり続けていた。
ルナは知らない。
この後どんなに逃げ回っても
決して引き剥がすことなど出来ないことを。
そしてドラゴンも知らない。
恋愛には引き際がある事を。
その後もブツブツというドラゴンを置いてけぼりにして逃げ去っていったルナだが
先回りして「おかえり」とドラゴンに言われてしまう事を知るのは、まだ先のことである。