新しい日常①
とりあえず服とか必要なものを揃えなくちゃ、と出掛けたユウキを見送って、俺は一人ユウキの部屋で留守番をしている。ここはたくさんの人や家族が住んでいる集合住宅というやつらしい。こんなに規模は大きくないが、向こうでも確か南の方にはあったはずだ。通っているダイガクの近くであるため、ユウキはここで一人暮らしをしているらしい。
外に危険なことはないから心配するなと言われたが、魔力を感じないというのが初めての経験でなんとなく落ち着かない。一通り家の中のものについても教わったが、魔道具と似た役割でも、魔法の無いこの世界では動力が全く違うらしい。
ふと、机の上にたくさんの紙が広げられているのが目に入った。あまりじろじろ見るのは良くないと思いつつ、描かれたものが気になり覗き込んでしまった。これは……
「俺、か?」
こっちはバルト、スピカ。それにほかのやつらも──旅の道中の絵、だろうか。なにがしかの文章も一緒に書いてあるが内容まではわからない。
そういえば向こうでも何かよく描いていたな。ルカと紙束を覗き込んで楽しそうにしていた。それにしても、こんなにたくさん。
ああ、そうか。俺にはつい先日のことだが、悠希にとっては既に何ヶ月も前の出来事になるのか。
描いてある絵は俺が多い、と思う。なんとなく覚えのある光景、俺たちの故郷の衣装、アインヴェルトの文字……これは皆の名前だな。こっちの世界に戻ってきてからこうして書き出していたんだろう。
声をかけた俺に振り返ったとき、信じられないものを見たように目を丸くして……それから泣きそうな顔で見上げていた先程のユウキを思い返す。
無事に世界を渡る扉が繋がってくれてよかったと、本当にそう思う。もっともっと長い時間が経っていなくてよかった。それに、ユウキがあちらの世界でのことを覚えていてくれて安堵した。闇の神との戦いの前「望むなら全部忘れてもいい」と伝えたが、あんなものは本心な訳がない。自分の世界に帰ってからもずっと忘れないで、俺だけを想って生きればいい、と……そんなことを考えていたなんてあいつにはとても言えない。
ユウキが帰ってきたら、絵を見てしまったことを謝ろうか。それとも見なかったふりをしておくほうがよいだろうか。どちらにしても、俺もこちらの文字を習いたい。あいつの名前は、一体どんなふうに書くんだろう。
◆
1DKの決して広くはない部屋にシャワーの音が響いている。
ひとまずは適当な服をというところで近くの庶民的価格チェーン店で一通り揃えてきた。本当はもっともっと時間をかけて選びたかったけれど、急いでいたし間に合わせの最低限だけにとどめた。出かける前に軽くサイズを測ったし大きさは問題ないと思うけどどうだろう。当たり前だけど自分とは全然違うサイズで、その差にびっくりした。私の部屋着も大きめを着ているけれど全然足りない。
……うーん、やましいことはないけれど、お風呂入ってる音っていうのは落ち着かないよーー!
なんでもないことを考えて気を紛らわしているけれど、どうしてもそわそわしてしまう。
そう、明日は実家に顔を出しに行くんだ。もとからこの連休には帰る予定だったけど、テオドールが居ることを予め伝えておかなければならない。なんて言うのがいいのかな。しょ……紹介したい人がいるから、とか?!?!
お母さんに送るメールの内容に四苦八苦していたところ、テオドールがバスルームから出てきた。
はー、素材がいいとどんなシンプルな服でもキマるものだなあ。立ち姿が洋服屋さんの広告みたいだ。
「服、悪いな。助かった」
「ううん、大きさも大丈夫そうだね」
湿ってぺしょっとした髪のテオドールにどぎまぎする。いや、そりゃ一年も一緒に旅をしてたし、濡れた髪のテオには何度も遭遇してきた。してきたけれども。
「か、髪、乾かそうか!」
「そのうち乾くからそのままでも──」
「風邪ひいたら大変だから!ね!」
繋いでおいたドライヤーのスイッチを入れて風が出ることを見せる。向こうにもこんな感じで風を起こせる魔道具があるみたいだけど、めったにお目にかかれない高級品らしい。だからかテオドールは大人しくソファに座ってくれた。
テオを見下ろすのって新鮮だ。緊張しながら髪に手を差し入れると、想像したよりも柔らかかった。濡れているからか少しクセが強めで、ちょっとくるくる度が上がってるのがかわいい。あ、襟足にホクロだ。この位置だともしかして本人は気がついていないかも? テオの髪から私と同じシャンプーの匂いが……いかん、無心、無心になるんだ。
テオドールはされるがままになりながら、つけておいたテレビをじっと見つめている。こちらの文化に慣れるという意味で色々見られるテレビがいいかなと思ったのだ。タイムスリップものや異世界ものでよく見るようなリアクションを期待したけど、あちらにはホログラム系通信機もあるぐらいだ、テレビぐらいではそんなに驚かれなかった。まあ、不思議道具のおかげで大きな街はシャワーやトイレも現代と大差なくあったし、おかげで精神的にかなり助かったよなあ。
「……髪、切ったほうがいいか?」
テレビで出てくる男の人に髪の長い人がほぼいないことが気になったのかな。テオドールが少し振り返って聞いた。ぐぅ、上目遣いは刺激が強いよ!!!
「うーん、長い人もいなくはない、よ?」
「ほとんどいないってことか」
「確かに、身近ではあまり見たことはないかな」
アインヴェルトは男の人の髪も長いことが多かったもんな。あまり目立たない方がいいなら切るか、と呟いているけど、たとえ髪が短くてもテオはとても目立つと思うよ。背も高くて、この国の大多数と顔立ちも違うし、しかもその顔がモデルさんのように整ってるんだもん。
こちらのシャンプーの威力でテオドールの髪はサラサラでふわふわだ。切るのはちょっともったいないな、たまにこうして乾かさせてもらえないかな。せっかくだからと、今だけかもしれない感触を堪能した。