第九十二幕 自分勝手な振る舞いで
「お兄ちゃん、そんなに心配しなくても暴れたりしないよ?」
「もし変なおじさんに声かけられたら?」
「吹き飛ばす!」
「スイ、暴力は暴れるに含まれるからな……」
試合後の待合室。
俺は試合終了後に大急ぎで観客席に向かい、一人だったスイを確保した。幸いにも、まだ誰にも声を掛けられていなかったため、特に騒ぎになるようなことは無かった。
まあ、誰かに声をかけられたら騒ぎになるというのが前提な辺り、どうにか教えなきゃならないな。
安堵と癒しを求めてソファーでくつろいでいると、部屋の扉がノックされる。面倒だとは思うが、スイがいる以上安易に入ってこいとも言えない。
「はーい」
ソファーから体を起こして扉を開けると、目の前にはジークが立っていた。腕や体には包帯が巻かれているものの、魔法があるこの世界では、大丈夫な傷と判断されたのだろう。
彼女は満面の笑みで俺の顔を見つめ、くすりと笑った。
「やあ。迷惑だったかな?」
「タイミングは悪いがそんなことはないな。入ってくれ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
俺は先程まで寝転がっていたソファーを軽く直し、ジークを座らせる。《ジッパー》から紅茶と茶菓子を取り出して、反対側の席に着いた。
その様子を眺めていたらしいスイが、ジークをにらみつつも俺の隣につく。しかし、席に着いた途端、お茶菓子に手を伸ばす辺り、威厳と言うものはないらしい。
それを見ていたジークは笑顔を深め、一拍遅れて同じように茶菓子に手を伸ばす。
「あ、これ美味しいね」
「それはどうも。ところで、何の用事だ?」
嬉しそうな顔で茶菓子を口に運ぶジークとスイだが、その動作とは裏腹に雰囲気は険悪だ。とはいえ、それはスイの一方的な悪意なのだが。
何はなくとも、このままではスイが暴れかねないので、手早く話を済ませようとこちらから話題を振る。
「脅迫しに来た」
「は?」
「白いローブの中の人物が、冒険者史上最強の人物で、それを承認した大会運営側と結託して出来レースを仕組んでるってことをネタに、交渉をしに来た」
「……懇切丁寧な説明をどうも」
淡々とお菓子を頬張りながら語るジークだが、目の前で必死にスイを止めているのを分かっていただきたい。
そんな話をすれば、家族大好きなスイの熱量が許容量を越えるのは明らかだ。わざわざスイがいるときに来る辺り、本当に人が悪い。
「で、何が欲しいんだよ?」
「話が早くて助かるよ」
ジークは一通り堪能した茶菓子を紅茶で流し込み、満足そうな顔で話を進める。その間、俺はスイを膝の上にのせて抱き締める事で固定する。
これは他人を傷付けないようにする最大限の努力であって、事案ではない。
「あたしも、しばらく旅に同行させてくれないかな?」
「理由を聞いていいか?」
流石に、他にも沢山の同行者がいる中で、彼女を二つ返事で受け入れる訳にはいかない。彼女の旅の理由が俺たちとそぐわなかったら、彼女が損をするわけだしな。
「あたしは、強いモノと戦うために旅をしてるんだけどね。そういうのって中々出会えない訳なんだ。どうしてかはよく分からないけど」
まあ、国家間で評判になるような有名人と遭遇しようというのはなかなか困難だろう。冒険者は得てして旅を好むものだし、ファンネルの様に国の要職に就いているため、一個人と剣を交える時間は無いって人間もいるだろうしな。魔物と戦うっていうのでも構わないんだろうが、ジークの表情や口ぶりからすると、そちらも琴線に触れるものは中々いないらしい。
「噂通りに出会えたとしても、戦ってみればあたしより弱くて落胆したことも一度や二度じゃない。その時の無駄足を踏んだ倦怠感は言葉じゃ言い表せないよ」
「それは運が悪かっただけじゃないか……?」
思わず口に出てしまう。というか、自分が強すぎるのはもはやどうしようもないだろう。
「で、あなた達と出会って思ったんだよ。絶対勝てないって」
「それは……」
その言葉は正しくもあり、間違いでもある。俺と藍雛は持っている素質であれば世界中のだれよりも……いや、神に届くことすらできる力をもっている。しかし、持っているのは素質だけだ。技能が熟練していない故に、一般人に勝てないことだってきっとあるのだろう。
表面的にしか物事を解決しなかった頃は、力押しで無理やり突破していたこともあったが、自分を高めるという目的が出来た以上、そう言うわけにもいかない。
「だから、あなた達についていく。そして、あたしと剣を交えてほしい」
「…………」
俺は黙り込む。そもそも、彼女の見立ては間違っている。さっきも言った通り、俺たちは絶対に勝てない存在じゃあない。だが、俺たちが鍛錬を積めば、いつか勝てない存在にもなるだろう。俺たちの時間は、文字通り無限なのだから。
「で、どうかな?」
「分かった。この大会が終わったら一緒に旅に出よう」
「やった!」
ジークが目の前でガッツポーズをする。
確かに、俺たちは今現在最強ではない。しかし、ジークが期待している高みにも、何時かはたどり着くことができるだろう。だとしたら、俺はその申し出を断る理由がない。彼女が俺達を見て失望したら、それまでの存在だったということだ。
「スイちゃん、これからよろしくね」
「……ふん」
とりあえず、隣のお姫様のご機嫌をとるところから始めなければいけないな。
―――――
パラパラと紙をめくる音が部屋に響く。文字を目で追って、脳内に映像として状況を投影する。理解だとか、感傷だとか、自身だとか。
そういった現実の全てを置き去りにして、別の世界に没頭する。かつて、緋焔がそうしたように。
「ん……」
ベッドからあがるうめき声で現実に引き戻される。そちらに目を向ければ、フィアがベッドから体を起こしているところだった。
我は目印を付けつつ、ナイトテーブルに本を置く。寝起きで辺りの様子をよく理解していないフィアも、我と緋焔が入れ替わるような形で残ったことは理解できたようだ。
「おはようフィア。よく眠れたかしら?」
「……えぇ、ありがとう」
我がそう声を掛けると、フィアはぎこちない表情でそう呟いた。しかし、それも束の間。我が何を話すべきかと考えているうちに、顔をうつむかせてしまった。
我は静かに口を開く。
「ごめんなさいね」
「え……」
フィアは蚊の鳴くような声で疑問の声を上げる。我はそのことをあえて無視し、言葉を続ける。
「フィアがどんな目にあったのか我は知らなかったというのに、勝手な妄想を膨らませて、怒りに飲まれて、挙句フィア自身の気持ちを考えることもなく感情的に突き進んでしまったわ。本当にごめんなさい」
「ちょ、ちょっと待って」
「我は緋焔と同じく一人の人間が持つには行き過ぎた力をもっているわ。だというのに、我は理性を働かせることもせずにあんなことをして、フィアを無意味に苦しめることになってしまった」
「待って!」
我が自身の反省点を淡々と述べていると、ベッドから身を乗り出したフィアが我の服の袖をつかむ。
やっぱり、フィアは甘い。
……そして、我はズルい。
「そんなことを、言わないで」
彼女は顔を上げず、絞り出すようにそう言った。我は知っている。彼女は優しい娘であると。
――それではダメ。
「あなたは、悪意があって行動した訳じゃない。私がこれ以上苦しまないように、自分にできる最高の手を打ってくれただけでしょ? だから、あなたに非は――」
「――そこがダメなのよ」
フィアの声を遮るように、はっきりとそう返す。あなたに非はない? 自分のことを考えて行動してくれた? だからあなたは悪くない?
我達の能力は、そんなに甘いものではない。
「あなたは、我達が持っている能力を理解している?」
「……《破壊》、《創造》、《時空》、《幻惑》と、秘匿されている以外のすべての魔法を使える事。人間では得ることのできない魔力と、身体能力」
「なるほどね」
間違いではない。だが、それは回答として不十分でもある。
「フィア、よく聞きなさい」
「…………なに?」
「私達に、出来ない事はないの」
「…………」
フィアは我の言葉を聞き、冷ややかな視線を返す。まあ、その気持ちは十二分に理解できる。
「我が使うことのできる《破壊》の魔法は、恐らく神が行使できるものとほぼ同等なの」
「……冗談でしょう?」
フィアの視線は嘲笑のものから懐疑的なものに変わる。この場面で、我が嘘をつかないと理解しているからだろう。
「《破壊》の魔法は、高みに至れば事象すらも破壊することができるわ」
過去も、現在も、数秒先の未来でさえも、我の《破壊》にかかれば、すべからく例外なく壊される。ちょっとした失敗談から、その人物がこの世に存在していたかどうか。そんなことさえも、自由自在に操ることができてしまう。
「魔法は優秀よ。世界の不正を利用するがゆえに、それによって発生した欠損は、世界そのものが補填してくれる。だからね、『無かった』という事実を破壊すれば、破壊によって空いた穴は『あった』ことになるのよ」
「それが、今回のことと何か関係あるの?」
『無かった』という事実を破壊すれば、『あった』ことに書き変わる。それを利用すれば――。
「我がね、『あなたを悲しませる事象を、あなたが悲しまず無くす手段を知らないという事実』を破壊すれば、そんな手段すら使えたかもしれないのよ」
フィアの呼吸が、一瞬止まる。
「我は、ただ怒りをぶつけただけなの」
貰い物の力を使って、出来過ぎた凶器で永遠に人間を苦しめる。
そんな手段を、取っただけだ。
その代償に、フィアを泣かせる結末にしてしまった。
結局のところ、我にも緋焔のことを、考えなしだと批判する資格もなかったのだ。