第九十一幕 道化師と露見
シリアスな空気が和らいだ直後、携帯が鳴り響く。画面を見てみれば、レイアさんからの連絡のようだ。
「もしもし?」
「こちらレイアです。試合の時間が近くなったので、ご報告をと思い連絡をしました」
タイミングの悪いことこの上ない。思わず顔をしかめるが、その様子を見た藍雛がクスリと笑う。
「行ってきなさい。我はもうしばらくここにいて、フィアの様子を見ているわ」
「……分かった。悪いが頼む」
「ええ、任せなさい。出来ることなら話も済ませておくけれど、恐らく緋焔がいた方が話が済むから、早くしてちょうだいね?」
「ああ、分かったよ」
藍雛はスッキリとした表情で立ち上がり、そのままフィアが寝ているベッドに腰かける。その様子はとても画になり、どこか背徳的な美しさをはらんでいる。
「じゃあ、行ってくる」
「ええ、頑張って来なさい」
俺は爪先で地面を叩くことで魔方陣を展開し、そのまま光に包まれ、会場へと戻る。
―――――
「ルゥエディースアーンド、ジェントルメーン! 大変長らくお待たせしました!」
相変わらず、鼓膜が破れるのではないかと思うほどの歓声と怒号が身を包む。
やかましさに耐えながらも、またもや見覚えのある人物に内心冷や汗をかいている。
「初めまして、白いローブさん。私はジーク。お互い変わった戦い方をするみたいだけど、よろしくね」
「…………」
「……なに、無視? 感じ悪いなぁ。そんなに人当たり悪いと苦労するよ?」
無視しているわけではない。喋ることが出来ないのだ。喋ったら間違いなくバレる。加えて、セリアさんのように経験を積んでいないため、思わぬところで俺の名前をぽろっとこぼすかもしれない。
それでは困るのだ。
俺は、この大会のエキシビションマッチに招かれた側であり、その理由というのも強いからという単純明快な理由。そんな人物が、今までの戦いで苦戦したように見えるかもしれない戦い方をしたことや、バッシングを受けたなどとなれば、半ば権力で作らせたエクストラランクの地位が危ぶまれる。
幸い、俺の正体は未だばれていない。だとすれば、ここで無視を決め込んでも何者なのか知られるわけにはいかない。
内心冷や汗な状況はさておき、目の前のジークはよほど無視されたのが気に入らなかったのか、闘争心をむき出しにしてこちらを睨んでくる。しかし、口元には隠しきれない笑みが浮かんでおり、その様子はさながら、獲物を前にした肉食獣のようだ。
「まあいいや。態度は戦ってる最中に改めさせてあげるよ」
ジークは何か企んでいるような表情を浮かべ、その笑顔を隠すことなくこちらに向ける。
全く、過去の俺はもう少し考えてから動いてほしかったよ。
―――――
会場は怒号から一変し、静寂に満ちている。風の流れる音が聞こえ、観客の息をのむ音さえも聞こえるのではないかと錯覚するほど。
「っふ!」
そんな中俺は、風さえも切り落とすジークの剣戟を弾き返していた。
ジークの戦い方とは、自己の肉体を限界以上に強化し、人間の認識が出来る限界か、それ以上の速度で切り刻むことだった。
「……っち」
現在、肉体の制限は二割ほどの解除にとどめている。常人がギリギリの研鑽を長年続けて、やっとの思いでたどり着くことができる限界の地点だ。
目の前の少女は、そんな人間を、齢十数年の年月で抑え込んでいる。
回り、脱力し、余分な力のほとんどを排除して、体全体を大きな鞭のようにしならせ、刀にも似た柔らかな剣を自らの肉体の一部であるかのように扱う。
鞭を振るう際、ただの紐であるのにも関わらず、発砲音にも似た音が生じるのはなぜか。それは、鞭の先端部分が音速を超えているからだ。
現在、俺の周囲ではその音がほぼ絶えることなく発生している。
「まだまだまだまだまだまだまだぁ!」
自転車のギアを切り替える様に、また少し速度が上がる。この制限の範囲では、対応こそ出来るもののそこから反撃に移るのは難しい。
仮に、自分が攻撃を受けてもいいというのなら話は別だ。ジークの攻撃方法では、より深くまで傷をつけることができないという欠点がある。多少の傷を覚悟すれば、反撃をする事なんて難しい話ではない。
しかし、今の俺は姿を見せてはいけないという制限の下で戦っている。俺の身を守るのはこの薄いローブ一枚。これを切り刻まれてしまえば、俺の正体は観衆の目の晒されることは間違いなく、目の前のジークやその仲間。先に戦うであろう相手達にも正体がばれてしまう。
「ちっ」
周囲に炸裂音が響く。厄介極まりない。制限を解除すれば、間違いなく勝つことはできるだろう。しかし、それじゃあイマイチ面白味に欠ける。
その時、一瞬ではあるが、視界の端にスイの姿が写る。しかも……。
たった一人で応援席に立つスイの姿が。
「藍雛ぅぅぅううう!」
俺は躊躇うことなく制限を解除した。
―――――
突然、大気の質が変わった。これは、大気の質というよりも、大気に含まれる魔力が原因なのだろう。
私は、この国から遥か東の島国で生まれた。そこでは、「気」と呼ばれる力を使い、自身の肉体を限界以上に強化することで戦う力を得るのだ。
私は、俗に言う神童というものらしい。らしい、なんて曖昧な表現をするのは、他の人の力が理解できなかったからだ。
周囲の人物は、あまりにも弱すぎた。彼らは、私のように大気を裂くことが出来なかった。彼らは、私のように音を置き去りに出来なかった。彼らは、鉄塊を二つに断てなかった。
彼らは、私を鬼と呼んだ。
悲しくはなかった。その頃には、周囲の視線は明らかに人を見る目ではなかったからだ。
それがどうだ。
「あああああああああああッ!」
目の前のローブの人物は、先程とは打って変わって、私の剣を全て打ち落としている。
大気すら切り裂く私の剣をだ。なんて馬鹿らしい。人間の所業じゃない。だか、この切り合いは、なんて楽しいことか。
私が必死に声をあげて切りかかろうとも、目の前の人物は息を荒くすることもなく、全てを打ち落とす。
まだ足りない。もっとだ。もっと早く、もっと楽しく、もっともっともっと!
速度がいっそう早くなるのを感じる。しかし、私の剣はまだ届かない。だったら。
「ぁぁぁああア嗚呼あ!」
届くまで早くするまでだ。
―――――
冗談じゃない。俺はスイが一人になっては何をするか分からないから、制限を一段外してまで勝負を決めようとしたんだ。
決して、目の前の戦闘馬鹿を楽しませるためにやった訳じゃない!
「ぁぁぁああア嗚呼あ!」
さらに速度は上がる。破裂音の出所が変わる。
見れば、ジークの腕が切れたように裂け、出血していた。
「馬っ鹿野郎が!」
俺は、ジークの剣を打ち落とすのをやめ、そのまま当て身を叩き込む。
フードの目を隠す部分が彼女の剣を振るった風で、ふわりと浮き上がり完全に彼女と目があった。
当て身を叩き込まれた彼女は、勢いを失って倒れ込む。地面に転がった彼女は、目を細めて、フードの中のこちらを見つめて言った。
「私の勝ち」
本当に、会場から音が消え失せ、一拍の間が出来る。
「――全く、お前の勝ちでいいよ」
「勝者ァ! 純白のローブぅぅぅううう!」
選手同士の戦いとは裏腹に、会場は俺の勝利判定に沸き上がる。
こうして、準決勝選出の戦いは幕を閉じた。