第八十八幕 道化師と第二戦(後編)
現状使える魔力の全てを霧に注ぎ込む。途端、霧が今までと比較にならないほどに密度を増す。その濃さは、よほど顔を近づけなければ手のひらすら見るのが難しい程だ。
霧は徐々に密度を増し、今まで《創造》してきた武器を形作る。流石に神話の武具はレプリカ程度のものだが、今は数を作る。そうして、蓑の中にいるセリアさんを囲むよう全方位に配置して――。
「一斉射出」
幕引きは、一瞬だ。
霧が晴れ、やっと会場が姿を表す。見えなくなっていた期間はそれほど長くはなかった。
けれども、息を飲むような接戦を期待していただけに、我を含む観客一同は辟易としていた。
無論、セリアさんの能力を知る我としては、通常通りの闘いが見られるとは思っていない。残念な気分ではあるものの、仕方がない事でしょう。
さて、霧が晴れた。すなわち、見せたくない行いが終わった。つまり、この闘いが終わった事を示す。そして、その結果はいかに、ね。
「……っち、棄権だ棄権。やってられっかよ」
セリアさんはステージの中心で、両手を上げる様にして諦めの表情を浮かべていた。どこか清々しささえ感じる表情で。隣にいるスイは嬉しそうに黄色い声をあげているけれども、我自身は苦い表情を浮かべる他なかった。なぜなら――。
「何やってんだテメェー!」
「もっと正々堂々戦いやがれ!」
「もう一戦やり直しやがれ!」
――やはりね。まあ、当然の結果ともいえるでしょう。ここにいる観客はもっと激しいぶつかり合いを期待していたでしょうから、目隠しをされたようなこの結果には納得いかないでしょう。各国の重鎮だってそうね。持つ技を見て、その実力を見極め、必要とあらば抱え込む。口には出さなくても、求めていたものが見られなかったことを恨むでしょう。
「勝ちにこだわりすぎて、やり方を間違えてしまったわね」
とはいえ、勝ちにこだわるのは悪い事じゃあないわね。向上心がなくては成長しないのだから。それに、実質死なないのと同じな我達には他の人間よりも向上心と言うものがずっと重要になってくるのだし。
パフォーマンス会場である以上、観客の期待には答えなくてはいけない。しかし、大会である以上両者引き分けで続行するわけにもいかない。となると、答えを出すのは難しいわね。少なくとも、運営側は現状に頭を抱えることになるでしょう。
「全く、次から次へと問題を起こすのだから」
この場合、観客が怒りの矛を一旦収めてさえくれればそれでいいのよ。その次の試合で挽回すれば良いのだから。
「……はぁ。全く、しょうがないわね」
ダメな子ほど可愛いとも言うのだし、こっそりと、ひっそりと、暗躍してあげましょう。
―――
うーん。もう少し考えて闘うべきだったな。観客の事なんてすっかり忘れていた。
「どうするかなぁ……」
聞こえるのは罵声。鳴り止む兆しが見られないそれは、滝のごとくステージに降り注ぐ。
自分でなんとかなるのならそうしたいのだが、生半可なことでは許してもらえそうにない。もしも認めてもらうなら、手の内を明かさなければならないが、今後の戦いがどうなるか分からない以上、それは避けたいところだ。
頭に手を当てて考える。いっそローブを剥いで闘えば……いや、そんなことをしても今後が辛くなるだけだな。まだ大会の最中だというのに、ギルド最上級ランカーだとバレるわけにはいかない。
「後悔先に立たず、か」
次はもう少しやり方を考えて闘おう。うん。
で、それはそれとして。
「どうしたもんかな……」
再度頭を悩ませようと顎に手を当てた時だった。頭上から、咆哮が鳴り響く。
「グガアァァァァアアア!」
「んー?」
あれは……ドラゴンか? それも風属性の。なんだかこちらに落下するように垂直降下してきているように見えるが。
「いやいや、ありゃあ見えるだけじゃねぇぜ。神使さま」
「というと、それはどういう理由で?」
同じように上を見ながらトコトコと歩いてくるセリアさんを横目に、その意味と理由を問う。
「あのトカゲ、こっちに落ちるように体を細めてるだろう? アレは、自分の前に風の魔法でも展開してるぜ」
「なるほど。完全に攻撃体制って訳ですか」
「ちなみに、この会場を覆うように守っている結界なんかは、あいつらにとっては薄い金属盤みてぇなもんだ。つまり」
「簡単に壊される。そういうことでよろしいでしょうか?」
「大正解。花丸はいるかい?」
「ご遠慮しておきます」
しかし、ドラゴンの乱入か。このままじゃあ大会の続行もままならないんじゃあ……あ。
「良いこと考えた」
「神使さま、にやけた顔になってるぜ」
「まあまあ、ここは一つ芝居を打ってくださいよ」
セリアさんは一瞬眉をひそめて訝しげな表情を浮かべる。が、すぐににっこりと笑って大げさに肩をひそめる。
「他ならぬ神使さまの頼みだ。聞かないわけにはいかねぇな」
「それじゃあ、ちょっと失礼します」
体を少しだけセリアさんの方に寄せ、観客席には聞こえないようにこっそりと耳打ちをする。
「それじゃあ、そういうことで」
「まあ、負けちまったんだから素直に従うさ。とはいえ、貸し一つだぜ?」
嬉しそうにニヤニヤと笑うセリアさんを見、すこし憂鬱な気分になる。この貸し一つで何をさせられるのか分からず、背中がうすら寒いが……必要なことだと割り切ろう。そうでなきゃ、今回の事の授業料ということで。
「それじゃあ、お願いします」
「あいあい」
セリアさんは不適な笑みを浮かべながら上を見上げる。運動により血色が良くなった為に、真っ赤に染まる唇が頬を押し上げつり上がる。そして、その口を開く。
「きゃー、ドラゴンよー」
「……えっ」
間の抜けた悲鳴とも言えない悲鳴を上げて、天へ指を指す。
俺がしたお願いは、ドラゴンに怯えたフリをしてほしいという内容だ。恐らく、セリアさんという人は、自分の体の性能をフルに使えばドラゴンの一体くらいは相手にできるのだろう。それゆえ、実際に怯えることはないのだろうから、演技程度にお願いしたのだ。しかし、しかしだ。
「それにしたって下手くそ過ぎやしませんかね……」
とんだ大根役者だった。
「なんだ? こんなに美しくも完璧な演技を前にして、声も出なくなっちまったのか?」
そう言いながら恥ずかしそうに頬を掻くセリアさん。
も、もしかしてこれは……いや、もしかしてではない。セリアさんはさっきの自分の演技にたいして、美しくも完璧と言う評価を下した。つまり、そういうことなんだろう。
人間、知らなくても良いことなんか沢山ある。俺が口をつぐむだけでセリアさんが幸せでいられるなら、それでよしとしよう。
それに、あんな残念な演技でも一応の目的は達成できたようだしな。
「ゴァァァアアア!!」
ドラゴンは雄叫びを上げながら結界に爪を突き立てる。結界にほんの少しの亀裂が入った。それを目撃した次の瞬間には、亀裂は結界全体に行き渡り、結界は崩壊した。
「――ど、ドラゴンだーっ!」
一瞬の間をおいて、なにが起こったのかを理解した観客たちはパニックに陥る。そんな状況の中、ドラゴンは悠然とステージに降り立つ。
仰々しく翼を広げ、虫を払うように羽ばたかせてから折り畳む。辺りに烈風が駆け抜け、王者の風格を漂わせながら鼻を鳴らす。
――カッコいい。
やっぱりドラゴンはこうでなくちゃいけない。今日び雑魚キャラとして扱われがちだが、やっぱり大物でなくちゃあロマンがないよな。まあ、そんなロマンも圧倒的な力の前には消え失せてしまうんだけど。
「セリアさん。大会スタッフにアナウンスをお願いします」
「了解だぜ」
セリアさんはそう言うと、地面に陥没を残してその場から立ち去る。結界は消えていることだし、恐らくは直接VIP用の観客席にでも乗り込んだのだろう。あの辺りには知り合いもいるだろうし、事の重大性を知らしめるためにも悪くは無い。
さて、目の前のドラゴンと言えば、相変わらず威圧感たっぷりにこちらを眺めている。相手の技量を推し量ろうとしているというよりは、目の前にいるちっぽけな生き物がなぜ逃げださないのか興味を持っている。そんな相手をなめた視線を向けている。
……不愉快だ。確かにこの能力は自分の努力で手に入れたものではないので、本質的な自分は弱いままだ。
しかし、弱いからと言って侮蔑の視線を向けられるのは、非常に不愉快だ。
頭の後ろがチリチリというしびれる感覚と共に、少しずつではあるが怒りが湧いてくる。
体感的には十秒ほど、ドラゴンと目力で対決をしていると、やっと会場全体にアナウンスが流れる。
「えー、会場内の皆様にご報告申し上げます。会場に出現したこのドラゴンは、当大会で用意したものです。繰り返します。ドラゴンは、皆様のご不満を解消するために、当大会で用意したものでございます。これより内容を一部変更し、勝者とドラゴンの一騎打ちを行うものと致します」
なるほど、そういう筋書きになったのか。まあ、妥当なところではあるし、好都合なところでもある。少し都合がよすぎる気もするが、そんなことを気にするよりも、せっかく与えてもらったチャンスをものにしたい。
視線で藍雛の位置を探し、アイコンタクトを送る。
藍雛はあきれたような、つまらなそうな顔をしながらも、会場とステージとの間に結界を張る。無論、ドラゴンの攻撃でも壊れないような、より強固なものをだ。
「そるぇでは! これより第二回戦を、開始するぜぇぇぇえええ!」
「グルァァァアアア!!」
さて、疑惑を晴らす第二回戦を始めよう。