第八十三幕 道化師と予選
「うーん、ベストポジション」
雄叫びをあげながら目の前を通過していく、配られていない側。俺はそれを下を向いて眺めていた。一応、注意しておくと飛んではいない。
では、なぜ下を冒険者達が走っていくのかというと――
「気分はヤモリだな」
――大闘技場の壁に張り付いているからだ。
―――――
「……いない、か」
町のなかでもっとも高くそびえ立つ塔。その頂点から町を見下ろすが……白いローブは見当たらない。
「やはりスティラと行動するべきだったか……いや、それでは個人戦の意味がないか」
戦いになればいざしれず、こういう探索は俺の性分とは合わないんだが、仕方がないか。
とにかく、今はこの予選を抜けるのが最優先。白いローブ――神薙緋焔との再戦は、本選でするとしよう。
「まずはあれにするか」
俺は眼下でいちゃつく短髪のボーイッシュな美少女と、美しい金髪をした青年へと、塔から落ちながら剣を振るう。
―――――
突然、上から気配を感じた。
僕は本能のままに身を任せて、笑顔のジークを突飛ばし、自身も後ろに跳ぶ。それとほぼ同時に、地面に敷かれていたタイルがくだけ、土埃が辺り一面に舞い上がる。まるで、濃霧に覆われたように。
僕はとっさに剣を振って、視界を遮る土埃を払う。が、その判断が間違っていた。
一瞬にして出来上がった出来上がったクレーターの中心から、まるで野性動物の如く、鎧姿の人物がこちらに飛びかかる。刃がやけに輝いて見えた、その時だった。
「アーサー!」
ジークの叫び声と共に、バコンというタイルが砕ける音が響き、続いて金属音が鳴り響く。
「おぉっ?!」
恐らく鎧の人物だろう、間の抜けた声がきこえるが、弾き飛ばされたのはジークの方だった。
「うぁー……何あのおっさん、気は使ってるのになんでこっちが……」
「気……ねぇ。東方の武術家に伝わるっていう魔法の一種か」
鎧の上からゴキゴキと首を鳴らし、歩くその姿はどこか狂戦士のような凶悪さを感じてしまう。
ジークの使う『気』というものは、決して弱いわけじゃない。僕だってそれによって被害を受けたことはあるが、下手をすれば腕の骨がやられてもおかしくなかった。しかし、それもジークが手を抜いてというレベルだ。今回は、手を抜いていない。
「生憎、そういうのは東方だけのものじゃないんでね。俺も同じようなもんだ。まあ、普通の奴は魔法として使ったほうが強いから、滅多にそんなことはしないがな」
そう言いながらヘルメットを外し、それを放り投げた。どうやら適当に放ったわけではないらしく、投げられたヘルメットは近くの観衆がキャッチしている。
「外すなんて、随分と余裕があるじゃないですか」
思わず挑発の言葉が口をつく。自分でも抑えられないほどに口元が緩む。
「なぁに、王からの命とはいえ、ただの大会だ。それに--」
男性はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、持っていた剣を肩にかける。
「--本命は別にいるんでな」
「……上等」
ジークは笑い、こちらではあまり見ない珍しい形の剣--カタナを構え、腰を落とす。
「おっさんの本気、否が応でも出させてあげるよ」
「いいねぇ、おじさんもまだまだ若い子にモテそうだ」
「僕のことも忘れないでくださいよ?」
僕もそう言いながら笑い、剣を構えて、『光を纏わせる』。
「……っくくく。こいつはいい。東方の武芸家に、光魔法の剣士とは楽しめそうじゃねえか」
いい加減、ジークたちのことを戦闘好きとは言えないかもな。
「アーサーだ」
「ジークよ」
名乗りを上げ、重心を落として足に力を込めて--
「王都騎士団団長、ファンネル! いざ参る!」
――そのまま、閃光を振り抜く。
―――――
「うわぁ……こんなんでこの街機能するのかよ……」
俺が大闘技場の壁から街を眺めていると、街の一角――具体的には、街でもっとも高い塔の根本辺り――で閃光が走り、同時に土煙の塔が出来上がっていた。
いくらこういう大会とは言えど、街があの様子では、生半可な事では直せないだろう。
塔の周りが広場になっているのが、唯一の救いだろうか。
「どちらにせよ、あんな事ができる相手とはやりあいたくないな」
どうせ本選で当たるだろうけどな! フラグとは、機能するからフラグなんだよ……。
ともあれ、今は休憩タイムだ。日頃休んでばっかりではあるが、それはそれ。どうせ本選になればいくら嫌がろうとも戦う羽目になるのだから。
「見ぃつけた」
と、ヤモリの様に壁に張り付いていると、突然下から声がする。一体なんなのか、と下を向くより早く腹を抉るようなパンチが突き刺さる。
「が、ぁ……!」
当然、俺は衝撃で壁から落ち、地面に叩きつけられる。
「全く、街中探し回っても見当たらないから、予選には出てねぇのかと思ったじゃねぇか」
制限は超人程度には解除していたのにも関わらず、あまりの衝撃に視界がくらくらする。
俺を殴った女性の声は、俺に近づき、その目に痛い緑の髪を揺らす。
「んんー? なんだ、随分弱っちくなったな。それとも、人違いだったか?」
この声、しゃべり方、目に痛い緑の髪、そして何より、地面から飛び上がり人を殴り飛ばす程の人外じみた身体能力。俺はこの人を知っている。
「な、にしてるんですかこんな所で!」
「あははは、決まってるじゃねえか。聖国代表として、出張ってきてんだよ」
セリアさんは豪快に笑うと、その笑みのまま、全力で拳を降り下ろす。
「ちょっ――!」
瞬時に転移し、同時に《時空魔法》で空間に壁を作り、それを蹴って遠ざかる。下ではセリアさんの拳骨により、道路の石畳が陥没していた。
あんなので殴られるとか、冗談じゃない!
いくら回復能力がトチ狂っている自分とは言え、即死だったらどうなるかも分からない。そもそも、回復能力の上限だって、失敗が怖くて確認していないのだ。それなのに、突然即死級というのは洒落にならん。
「ほー、追いかけっこは嫌いじゃないぜ?」
セリアさんはそういうと、大闘技場の壁を駆け上がり、俺と同じように壁を蹴って跳んできた。
「はぁ?!」
絶対おかしい。人間の肉体の限界だって超えてるだろ、これは。
「つーかーまーえー――」
一か八か、《時空》で空間に鉄棒のような棒を作りだし、跳ねた勢いをそのままにぐるんと回る。
「――た?」
そして、セリアさんの背中に渾身の蹴りを叩き込む。
「ぐはっ――!」
セリアさんはそのまま地面に叩きつけられ、一輪の薔薇を咲かせる。
やり過ぎたか? そう思ったのも束の間。下から雨が降るかのごとく、剥がされた石畳が飛んでくる。
「今のはちょっと痛かったぜ、神使さまぁ!」
「ぜっっったいにおかしい!」
不死とはいえ、再生能力が高過ぎる! もはや人間のポテンシャルとして考えたくない! そして、最早赤にしか見えない修道服で愉しそうに笑わないで! 怖いから!
俺の心からの悲鳴はどこへやら。ついに投げる物が無くなったのか、常人ではあり得ない速度でアッパーを繰り出してくる。
「スカイアッパー!」
技名叫びながら跳んでくるセリアさん。間違いなくアリスはセリアさんの血筋です本当に以下略。
とは言え、その姿から想像だにしない威力であるのは事実。となれば、俺がするのはただ一つ。
「逃げるんだよォ!」
「あ、待ちやがれ!」
エンドレスだっていうのに相手してられるか。だがしかし、策がない訳じゃない。
俺は目当ての物を見つけると、羽を一対だけ出して羽ばたく。
「ちっ!」
セリアさんは風に流されて、飛びはしないものの勢いを失う。というか、対抗策が両手両足を地面に突き刺すというのは、最早生物としてどうなんだろうか。
「悪いね、もらってくよ」
前方で逃げ回っていた顔も知らない冒険者。その胸に貼り付けられた札を高速で走りながら掠め取る。
「え?」
振り返っても時既に遅し。俺は札を片手に握りしめ、追いかけてくるセリアさんとの距離を計っていた。
わざとスピードを落とし、セリアさんが近付いてくるようにして、俺自身はいつでも行動できるように歩幅を合わせる。どちらかと言うと羽幅だけど。
「か、く、ほー!」
「せーのっ!」
セリアさんがこちらを捕まえようと両手を伸ばす。しかし、捕まえようと勢いづいた状態ではブレーキは利かない。俺はセリアさんの額目掛けて、さっき奪った札を思いっきり叩きつける。
「ぶべらっ!」
セリアさんは女性らしからぬ声を上げて、そのまま反対の方向に吹き飛んでゆく。割と本気で叩いたから、多分壁に当たるまでは止まらないと思うが一応その場からは全力で立ち去る。
本選での挑戦状だと勘違いしてくれれば、ここではとりあえず平和なんだけどな。
「絶対に無理だろうな……」
なぜかって? こっちに来てから機能しなかったフラグが一本もないからだ。