第八十幕 道化師と誤解
パタパタと。
「フィルマ、フィアは起きているかしら?」
静かに、しかし速度は駆け抜ける程に速く。
「いえ。ですが、そろそろ目が覚める頃合いかと」
「分かったわ」
フィルマの返事のみを聞いて、廊下を抜ける。目指す先は、本来フィルマの部屋であった、現フィアの寝室。
そこへ、静かな怒りを胸に秘めた俺と藍雛は向かっていた。
「フィルマ、少し騒がしくなるかも知れない。一応、《ジッパー》に行ける札は渡しとくから、何かあったらそっちへ行っていてくれ」
「畏まりました」
フィルマとのすれ違い様に紙で出来た御札を渡し、そのまま部屋へと向かう。
一応、女の子が寝ているのだから、遠慮とかそう言うものの必要があるのだろう。しかし、今回は藍雛が一緒だ。俺が居ては不味い状態なら、藍雛に任せて後でかいつまんで聞けばいい。
「フィア、失礼するわよ」
先に入るのは藍雛。意識しているのかいないのか、音もなく入り込んで、室内から俺を手招きする。
「……寝てるのか」
フィアはまだ寝ているらしく、ベッドの上では、フィアにかけられた布団が規則正しく上下していた。しかし、そのフィアの表情を見れば、決して柔らかいとか、安心感に溢れたとは言えないだろう。
「寝ていると言うのに顔をしかめて……どれだけの負担を抱えていたのかしら」
寝ているのにも関わらず、眉間にはシワがより、全体的に苦い表情だ。
「それを知ってるのは本人だけだろ。それより、どうする?」
「どうすると言うのは、どういう事かしら?」
「とぼけるなよ。起こすか、それとも起きるまで待つのか、どっちにするんだ?」
フィアを挟んで反対側にいる藍雛。その本人は、ニヤニヤと楽しげに笑いながら、フィアの頬を人差し指でつついている。
「起こすに決まっているでしょう。見たところうなされているようだし、その方が良いわよ」
「表情と一致してないんだが」
「気のせいよ。木の精よ」
「全くの別物だ」
しかし、藍雛の言ったことは間違っていない。
ここは、何をしでかすか分からない藍雛よりも、俺が無難に起こした方がいいだろうな。
「おいフィア。起きろー」
もしも目が覚めたときのため、心の中に潜む悪戯心はそっと封印。余計なことをして、目を覚まされた際に燃やされては洒落にならない。
「起きないと緋焔がキスするわよー」
「余計なこと――」
言うなと。釘を刺すつもりだったが、時すでに遅し。
ただ言ってしまうだけならまだしも、それによって目が覚めてしまった。正しく飛び起きるといった様相で、顔をその瞳と同じような色に染め上げてだ。
これは……断罪コースっ……!
「起きた起きた起き――」
「ばっ! 近い――」
フィアの額と俺の額が、フィアの飛び起きた勢いそのままにぶつかる。
「いってぇぇぇえええ!」
「――っ!」
よりによって《制限》をかけ直した時に! 一般人と同じ状態のこの時に!
「――ホントにあり得ない! 変態! 痴漢!」
「俺は起こしただけだっ! 藍雛が冗談で言っただけに決まってるだろ!」
「……ふっ」
「藍雛も鼻で笑うな!」
むしろ元凶、言い方を変えると諸悪の根元たる藍雛が無事で済んでいるのが気に食わない。無事どころか、失笑してやがる。タンスの角に小指でもぶつければいいのに。
「と、ところで、なんであんた達が?! ここはどこ?! 私は誰!?」
「落ち着きなさいフィア。意味が分からないわ」
「ネタが古すぎるだろ」
この世界の流行は一世代分おくれてるのか。いや、むしろ世紀単位で足りてないが。
「ホントに……自分で言ってても意味が分かんないわよ。頭冷やすからちょっと待って」
「むしろあれだけで起きるとは思っていなかったのだし、全然構わないわよ」
別段時間制限があるわけでもないしね、と付け加える藍雛。俺は深呼吸で自分を制しているフィアの様子を眺める。
……起きている間には、とても辛そうには見えない。言われても気付かないだろうし、寝ているときの姿を見ていなければ、嫌がらせを受けて悩んでいるなどとは微塵も思わないだろう。
「……もう大丈夫。思い出したから」
「本当に思い出したのかしら……? 今も顔が真っ赤よ?」
「わ、分かってていってるでしょ!」
「当たり前じゃない」
……まあ、楽しいのは一向に構わないんだが、話が進まないからあんまりやり過ぎるのはなぁ。そう考えながら二人を眺めていると、藍雛もフィアと一通りじゃれ終わって満足したのか、にこやかな表情で椅子に座る俺と交代した。その時、周りには聞こえないように、俺の耳元でささやく。
「後は任せたわよ」
思わず振り返り、驚愕の表情で藍雛を見る。が、当の本人は惚けた顔でこちらを見返すばかり。
……少しでもフィアに悟らせないためか。
俺が振り向いてしまったせいで、既に違和感は感じているようだが、まだバレている訳ではない。せっかく和ませた雰囲気を散らしては、フィアも話しづらい。だったらそのお膳立て、ありがたく受けようじゃないか。
俺は未だ顔を赤くするフィアに歩みより、逃げないように部屋ごと魔方陣を張る。魔術使用禁止と、範囲内の出入禁止だ。
「フィア」
「な、何よ緋焔。というか、そんなに近づいてなんなの?! もう少し離れなさいよ!」
「離れない」
逃げられては困る。と、心の内で続け、自分の顔が赤くならないように血の流れを保つ魔術をかけてから、フィアの手に自分の手を被せる。
フィアは驚いて手を引こうとするが、そんな事を許すはずもない。
「ひ、えん……?」
フィアの顔が赤い。近づく。唇も、頬も、涙に潤むその瞳も――自分が燃え尽きてしまいそうなほど、真紅だ。
「あ、う……」
瞳は逸らさせない。そんな事が出来ないくらい、俺たちの距離は近い。
「フィア、隠してることがあるだろ」
「――っ!」
そう言った瞬間、さっきまで真っ赤だったフィアの顔から血の気が引いていくのが見てとれる。青くなっていないのは、さっきまで真っ赤だったからだろう。よかった。これで貧血になられても困る。
「なん、で……?」
「全部聞いた」
「え……」
フィアの瞳が動き、俺の向こうにいる藍雛を見据える。今、藍雛はどんな顔をしているだろうか。藍雛のことだから、にやにやと笑っているのかもしれない。
「フィア」
「あの……えっと……」
俺が呼び掛けると、その真紅は俺を捉える。顔も、近くにいることを再認識したせいか、また赤くなってしまっている。
言葉は繋がらず、初対面の様に吃り、唇も震えている。
「フィアの口からちゃんと聞きたい。いや、聞かなきゃダメなんだ」
「緋焔……」
名前を呟くフィアに思わず心臓が高鳴り、血流の魔法も解けてしまう。体の事だからと、キツい魔法にしなかったことが仇になった。
心拍は上がり、その音がフィアに聞こえてしまわんばかりに感じる。出来ることなら、心臓を縛りつけて黙らせたい。だが、そんなことをすれば体に負担がかかるし、何よりフィアに悟られる。
フィアの目を見る限り、もう少しで言ってくれる。ほぼ強制している様で心苦しいが、そうでなきゃ言ってはくれないだろう。
「フィア……」
「……き」
「え?」
今、何か言った。が、俺の耳が悪かったのではなく、フィアの声があまりにも小さかった為に、俺には届かず、聞き返す。
その瞬間、近かった俺達の距離がゼロになる。唇に押し付けられる柔らかい感触。
「緋焔の事が好きなの!」
……え? なにこれ聞きたいことってこれじゃないんだけど。藍雛は笑いすぎだろそうじゃなくて聞きたいことはフィアがされてる嫌がらせの話でフィアが俺を好きか否かじゃないんだけどなにこれどういうことなの。
あまりに突然の告白に固まっていると、外野の声が聞こえたらしく、フィアが段々と現実に戻ってくる。
「……あれ? なんで藍雛が笑って――いや、そもそもこの話なら一緒に来るのはおかしいじゃない。それに――っ!」
フィアは、自分の間違いに気付いたらしい。
「は、離しなさいよ! お願いだからこの場から離れさせて!」
俺の腕の下でじたばたと暴れるフィア。まあ、そうなるのも当然だろう。正直、俺も今現在何がなんだかほとんど分かっていない。いや、理解はしているけど、だからどうこうという事でもない。
「おい、落ち着けって!」
「そんなこと出来るわけないじゃない!」
デスヨネー。まあ、俺も逆の立場だったら羞恥がヤバイだろう。だがしかし、だからと言って逃がすというわけにもいかない。
「フィア」
「何よもう! いいから離し――」
今度は自分から、フィアの唇を奪う。その様子は、傍から見たら、正しく奪うという表現が正しいだろう。こうしなければ止まらない、と判断したとはいえ、多少強引だったかもしれない。
「フィア、落ち着け」
「あ、う、うん……」
いつものように真っ赤になって気を失わなかったところを見ると、短時間の内に何度も恥ずかしい目にあったから、耐性が出来たのかも知れん。
俺はフィアが落ち着いたのを見計らい、フィアの目を覗き込むようにして見つめる。
「フィア、俺と藍雛が聞いたのは、お前が何かされてるってことだ」
「……え? 私、何かされてたの?」
「……はぁ?」
……藍雛、笑うな。
答えを今出すかは別の問題。