第七十六幕 道化師と幼女
「っと、ただいま」
「おかえりなさいませ、御主人様」
リックの魂の叫びは虚しくも届かず、まあ、仕方ないかと馬車に戻ってきた。幸いなことに、俺達の目的地にフィア達がいるらしいので、そこで記憶をコピーさせてもらえばいいだろう。
「アーサー達は?」
「御主人様が出かける前のように、特に何事もなく馬車を走らせています」
「まあ、スイの事もあるし、引け目を感じてるんだろ。助けた分一日遅れたが、今日の晩が終われば間違いなく自治区には着くし、問題はないな」
「はい、本来の馬車の速度よりも早かった事が幸いいたしました」
もちろん、この馬車には防御性能のみならず、馬車自体に《創造》で軽量化の魔法をかけて、更には馬にも体力脚力その他諸々の魔法がかかるようになっている。
オーダーメイドは伊達じゃないぜ。まあ、魔法を付加したのは俺だけど。
「かといって、アーサー達を置いていくわけにもいかないからな。適当な距離で頼む」
「承知しました」
俺はそれを伝えてから、滑るように馬車の中に入り、《ジッパー》の中の家へと入る。ちなみに、この中はキチンと時間が流れている。そうじゃないと、馬車に乗っていても移動できないからな。
「ただい……ま?」
笑顔でドアを開け、やっと引きこもれると喜び勇んで帰宅した俺の目に入ったのは……水浸しになっている廊下と、びしょ濡れ半泣きの白雪と、何故か水鉄砲を片手に白雪を追い回す若葉の姿。
「……つまりどういう事だってばよ」
そうじゃねえよ、俺。そして一人ツッコミは寒い。
―――――
「……あのな、風呂に入るのは当然の事だし、そこで遊ぶのも少しだったらダメなんていわない」
所変わってリビング。仁王立ちする俺の前には、少しだけ髪を湿らせてしょんぼりした顔の若葉と、不満げな表情でそわそわと居住まいを正している白雪がいた。
「だけど、やるなら浴場だけにしろ! 廊下でも構わずに水鉄砲なんか撃ったら、濡れるに決まってるだろうが!」
「わ、わたしは若葉においかけられただけで――」
「白雪おねえちゃんもたのしそうにしてた!」
「わたしは逃げてただけでしょ! 若葉ってばわたしがやめてって言ったのにやめてくれなかったんだよ!」
「さいしょにおふろのお湯かけてきたのはおねえちゃんだったのにー!」
「ストッープ!」
目の前でだんだんとヒートアップする二人。だが、このまま聞いていても埒が明かないし、何より話が逸れてきてる。……そもそも、小さい子の相手なんかしたことないって。
「とにかく、今度から水鉄砲は浴場だけ! 喧嘩もしないようにな?」
「わかった……」
俺が呆れながらそう言うと、しょんぼりとしながらうなずく若葉。しかし、白雪の方は未だ納得がいっていないようで、むくれたままこっちを向こうともしていない。
……はぁ、こういうのは藍雛のほうが得意なんだろうけどな。
「よし、若葉はもう寝な。遊んだから疲れただろ?」
「うん、おやすみ!」
頭を撫でてそう微笑むと、若葉はニッコリと笑い、そのまま寝室へと駆け出していく。そうなれば、残るのは不満げなままこちらを向かない白雪だけだ。
「白雪、こっち向きな」
「……」
無視。こちらを向こうともしなければ返事もしようとしない。が、予想の範疇だ。
「大事な話するから、こっちを向いて」
人と話をする時は、相手の顔を見る。これは忘れてる人が多いみたいだが、結構大事な事なんだよな。相手の顔を見ないで、どうやって相手の気持ちを読み取ったり出来るんだ。と俺は思う。
まあ、表情以外にも読み取る方法はあるが、表情が一番読み取りやすい。
「……ふんっ」
大事な話、と前置きをしたことで返事の代わりに鼻を鳴らし、こちらを向く。当然というか、その顔はしかめられていて、目つきもいつもよりいくばくか鋭い。だが、どことなく目が潤んでいる気もする。
全く、いつもの強気な白雪はどこにいったんだか。
「……俺は、白雪の方がお姉ちゃんだと思ってるぞ」
呟くように、しかし、確実に聞こえるギリギリの声音でそう言った。それを聞いた白雪は、まるで鳩が豆鉄砲を食らったかのようにおどろいている。なにもそこまで驚かなくてもいいだろうと、内心思うが、それほど意外だったのだろうか。
「年上なのもそうだけどな。若葉はまだまだ子供っぽいし、見ていて不安になるような事も沢山ある。今回のだってそうだぞ?」
今回逃げたのは白雪だけど、立場が逆であったら追い掛け回して水鉄砲を打つなんてしなかっただろう。そう言うところを見ると、スイよりもずっと大人びている。まあ、普通と比べて、という前提があっての話だけどな。
「白雪は俺が出来なかった若葉やスイの相手をしてくれたよな。あれ、すごく助かったんだぞ。フィルマも人間なんだし、疲れることもあるから、出来るだけ不安は減らしてあげたいしな」
「……ホントに?」
不安そうな目で、ジッと俺のことを見つめる。
ついこの前までは、俺のことを信頼しないでまともに会話もしなかったというのにだ。
俺は出来る限り白雪が安心するように微笑み、優しく頭を撫でる。
「ホントだよ」
「嘘じゃない?」
「もちろん」
「……分かった」
白雪はそう言うと嬉しそうに笑い、そのまま寝室へと走っていった。
「白雪も、スイがいない間に成長していてくれると良いな」
白雪も若葉の二人が、ちゃんとした方向に進んでくれる事を願いながらキッチンに立ち、フィルマ達にもって行く夜食を作る。……まあ、フィルマに家事で勝てるわけもないから、そこそこの味ならいいよな。
フィルマが夕べ作った夜食のおかげで、アーサーたちが自分達の食料について本気で悩んでいるのを見たときは、フィルマがいてよかったと感じたな。
―――――
「……ぁあ?」
《ジッパー》の家。その中に数部屋用意されている寝室の中の、ベッドの上で目が覚めた。
思わず不良かヤンキーの様な声を出してしまったのには、それ相応の理由がある。
まず、利き腕の右側。
今はスイと共に固有空間にいるはずの藍雛が、腕を抱き抱えるようにして横になっている。 次に反対側の左。
これまた藍雛と一緒にいるはずのスイが、豊かな物体を腕に押し付けた状態で寝ている。が、羨ましいと思うことなかれ。リアルに腕の骨が軋んで、悲鳴をあげかけているのだからネタにもならない。
一歩間違えれば普通に骨折だ。多分、ものの数秒で完治するんだろうけどな。
それよりも、今はここから抜ける方が先決だろう。この格好は、精神衛生上好ましくない。いろんな意味で。
とりあえず、軋む腕を危機から逃れさせるべく、まずは左腕を抜こうとする。
スイが目を覚まさないように、ゆっくりとした挙動でスイの腕を剥がしにかかる。……が、離れない。
それ以前に、両腕が使えないのに、一体どうやってスイの腕をどければいいのか。かぐや姫もビックリの難題である。
だがしかし、俺はこれを解かなければいけない。さもなければ、俺の左腕の未来は骨折だ。
こうなったら、ダメ元でやってみるしかない。試しに、腕を剥がさずに引き抜こうと、力をいれる。
だが、当然の如く抜けない。
……うぬぬ、なら、引いてダメなら押してみろだ!さっきは抜こうとしたので、今度は逆に力の限り押し込む。
ふにょん。そんな擬音がなりそうな感触が俺の腕に伝わる。
「……緋焔、一応聞くけれど、何をしているのかしら?」
「え?」
俺は首から軋むような音を立てつつ、声の元である反対側へと首を向ける。
「ア、アイス……」
目線の先には、バッチリ目を覚まし、何故かドドドドドドという効果音が聞こえる笑顔をした藍雛が、腕をさっきよりも強く抱き締めていた。
「ねぇ、何をしたのか、我にも教えてくれないかしら?」
「…………オハヨウゴザイ――」
「ぽきっ」
藍雛の口から出た可愛らしい効果音とは違い、右腕からはゴキッという音が聞こえる。
「いっ――」
「んむぅ……お兄ちゃん……」
そんな愛らしい声が聞こえるのと同時に、左腕が更に強く抱かれ、一瞬前の右腕と同じ音が鳴った。
……ちなみに、完治までは一秒もかからなかったことは、こことは関係無いだろう。
紳士ホイホイ。