第七十四幕 道化師と記憶
「まあ、ここに呼んだ理由なんて言わずもかなって感じだけれど……スイの事よ」
俺が気を取り直して、机を挟み藍雛の対面に座ると、藍雛は真剣な表情になり、そう切り出した。
「我達は同じなのだし、表情から察するに同じことを考えていたのでしょう?」
「まあな。人間の間で暮らす以上、あのままはまずい」
俺がそう言うと、藍雛はそうねと呟いて、紅茶に口をつける。
「緋焔、スイをしばらく預かってもいいかしら」
「それは俺じゃなくて本人に聞くべきなんだが……なんでだ?」
深呼吸のように、大きく息をした藍雛はいきなり指を鳴らす。すると、神殿の魔方陣が一つ増える。
「今、我の空間の中に図書館を創ったわ。それでね、その中に記憶を見る場所を創ったの」
「記憶って……他人のか?」
当然と言うように頷いた藍雛だが、その表情は明るいとは言えない。
「そうよ。ただし、今は中身が一つしかないわ」
「……藍雛のか」
「ええ、そこでなのだけれど」
藍雛がそう言ってテーブルを叩くと、手の上には見覚えのある白い球体が現れる。
「それって、ミリアンが俺達に記憶を見せたときのアレじゃないか?」
微妙には違っているが、多分そうだろう。しかし、それにしては何も感じない。想いがこもっていないというか……。
「そうよ。まだ中身は真っ白で、誰の記憶も入っていないけれど」
「なるほどね。それで、どうしてほしいんだ?」
俺が最も大事なことを聞くと、藍雛はすっと目を細めて、凛とした声で言った。
「緋焔には、記憶を集めてほしいの。一人や二人ではなく、いろんな人のね」
―――――
「……記憶を集めろ、って地味に無理難題だよな」
「御主人様を信頼しているのではないですか。それに、スイお嬢様の為ですし、私も協力は惜しみません」
「フィルマはいつもだろ?」
そう言うと、フィルマは苦笑いをしながら、ごもっともです。と、返してきた。
「……全く、スイの為とはいえ、俺も無理してるな」
藍雛の考えは、かなり変わっていた。
スイは、種族が違うし、価値観も違う。俺や藍雛に褒められれば喜ぶが、他は一部を除いて褒められるくらいが当たり前で、むしろ尊敬が普通。既にその基盤が出来上がり始めているスイの価値観を変えるにはどうしたら良いか。
藍雛は、多くの人の記憶をスイに見せることで、精神的な成長を促すことにしたのだ。もちろん、普通の人がするように本を読んだりもするが。
「まあ、俺と藍雛はほぼ被ってるしな。とりあえず、知り合いに頼むのが妥当か」
俺は、その計画の要である、記憶の収集を頼まれた。さすがに、二つ返事でオッケーするわけにはいかなかったが、スイの為とあらば引き受けないわけにもいかない。
藍雛はスイを連れて空間に戻った。手始めに藍雛の記憶を見せて、あとは俺が送ってきてからだそうだ。
「でしたら、私の記憶をどうぞ」
横で馬車を走らせていたフィルマが、手を止めずにこちらを向いて微笑む。
「いいのか?」
「はい、あまり美しい記憶とは言えませんが、御主人様方に会うことが出来た喜びがあります。それに……スイお嬢様の立派になられた姿も、拝見したいですし」
そこまで言ってくれるなら、正直お願いしたい。藍雛からのお達しで、悲しい事も苦しい事も、紛れもない記憶なんだから、あまり選別するなと言われているからな。とはいえ、極端なのは話が別だが。
「……それじゃあ、頼む」
「はい、今は手が離せないのですが、どのようにしたら?」
「ああ、そのままでいい。これを入れるだけだからな」
俺は《ジッパー》から真っ白な記憶の塊を取りだし、フィルマの体に押し付ける。
それは思ったよりも抵抗がなく入っていき、さながら、豆腐にビー玉を押し込んでいるようだった。
「痛みなどはありませんね。どちらかというと、御主人様や藍雛お嬢様が近くにいるような暖かさを感じます」
「大げさだな」
そんな風なやり取りをして、苦笑いを浮かべているうちに記憶のコピーは終わったようで、フィルマの体からずぶずぶと浮き上がってくる。……浮き上がってくるのに、ずぶずぶっていうのも不思議だな。
「よし、回収完了」
俺がフィルマの中から出てきた記憶の塊を受け止めると、どうこうする暇もなく消え失せた。恐らく、藍雛の元に自動で行くようになっていたんだろう。
「どこか変なとことかは無いか?」
「ございません。それに、藍雛お嬢様が作ったものですし、危害はないかと」
「まあ、一応って事だよ。俺も藍雛も、完全無欠って訳じゃないからな」
誤解してる人も多いだろうが、所詮俺と藍雛は出来ることの幅が他の人よりも大きいだけで、それ以外はまるっきり人間だ。それがいやなら、機械でもなんでも使えって話だな。無論、この世界に機械なんて物はない。……はず。
「その様に驕らない姿もまた、素晴らしいです」
「……フィルマ、どうやっても俺達を褒めるだろ」
なんだかなぁ。ほめられなれていないから、あんまりそう言われると困るんだが。
「いえ、主が間違った方向に向かおうとすれば、それを止めることもまた、従者の役目です」
「それならいいけど」
ともあれ、俺は大会が始まるまでに出来るだけ多くの記憶を集めなきゃならないんだ。のんびりはしていられない。
「じゃあフィルマ、俺はしばらく記憶を集めに向かうから、自治区に向かってくれ。着くまでには戻る」
「お気を付けて」
フィルマの声を聞きながら、羽を広げて舞い上がる。……さて、誰から行こうかな。
―――――
「……人選がおかしいじゃろう。そもそも、警備の者もおるというのに、そのように侵入して……。罰を受けるのは彼らなんじゃぞ?」
「大丈夫だって。聞くところによると、俺はもはや人外みたいな扱いなんだろ? それなら、怒られないって」
「全く、妾とていつも暇という訳ではないんじゃぞ? まあ、今日は偶然暇じゃったが」
久々のネイト城。その中でも一番重要な部屋に俺はいる。
まあ、要するにカトレアの私室だな。
「どうせやることなんて顔を合わせる程度だろ。それより、頼みがあるんだが」
あまり話し込むと話題がそれるからな。その前に、本題に入る。だが、それを聞いたカトレアは隠すことなく顔をしかめる。
「今度はどんな難題を吹っ掛ける気じゃ?」
「うわー、超失礼だな。まだ内容も話してないのに」
仮にも顔を合わせる事が仕事の王族が、こんな風にしていいんだろうか。いや、良くない。
「今までが今までじゃろうに……省みるなどをしようとは思わぬのか?」
「省みても、だ。仮にも王族なんだし、できる範囲のことしか頼んでないだろ」
「それでできる範囲などと言われるとも思わなかったわ……」
そう落胆の表情を浮かべるカトレアだが、とにかく本題に入る。
「で、頼みって言うのはだな、記憶が欲しいんだ」
俺がそう言うと、やはりのぉ……と呟くカトレア。別に単身でスイに勝てって言ってる訳じゃないんだから、そこまで気にする必要も無いだろうに。
「お主の……妾は王族なんじゃぞ? その記憶にどれだけの価値があると……」
「大丈夫だって。別に利用してどうこうしようとしてる訳じゃ無し」
「そうは言ってものぉ……」
やはり、というか当然渋るカトレア。まあ、俺だってどれだけ大事なものか分からない訳じゃあ無いからな。もちろん、手札は揃えてある。
「カトレア。それで龍種に恩を売れるって言ったらどうする?」
いつもより若干声音を低くし、ボリュームも下げて呟く。すると、それを聞いたカトレアの目がすっと細くなり、交渉をする時の表情になる。
「その記憶はな、スイ……つまり、龍種の王の精神的成長を促すのに使うんだよ」
「龍種の王に恩を売るという事は、すなわち龍種全体に恩を売ることじゃと、そう言っているんじゃな?」
「そう言うことだ。どうする?」
カトレアは唸りながらソファーに体を預け、目をつぶる。
俺はさっき、組織的な利益を提示した。それについては、カトレアも問題にしてはいないだろうし、龍に護られている国なんてレッテルが付くことを考えれば、恐らくオッケーしてくれるだろう。
では、今カトレアは何について悩んでいるのか。それは、プライバシーの問題だろう。俺は交渉をする際に、記憶の部分指定をしなかった。その事から、記憶イコール今までの人生全てと言うことを理解してくれているだろう。これは、嬉しいことや楽しいことだけではない。さっくり言うと、恥をさらけ出すと言うことになる。
それも、今までの生涯丸々のとなれば、躊躇うのも当然だろう。
まあ、俺と藍雛は考えるべくもないがな。大事な大事なスイと、自分のプライドを天秤にかけたところで、スイ側に傾くのは明白だ。ちなみに、これに関しては藍雛も同じくだな。
「……分かった」
俺はカトレアをじっと見詰めていたが、数分ほどの熟考の後に、カトレアが口を開く。
「そうか。返事は?」
「その申し出、受けさせてもらう」
そう答えたカトレアの瞳は、さっきまで俺とふざけていたそれではなく、いつか俺に初めて会った際に見た、上に立ち、下を守ろうと言う気持ちのこもった、貫禄のある瞳だった。
「そっか。今から始めてもいいか?」
「構わぬよ。痛みとかはないんじゃろう?」
「もちろん、安心安全。ついでに、体験者曰く、俺と藍雛が側にいるようなあたたかさだそうだ」
俺が笑いながらそう言うと、カトレアは口の端を吊り上げながら、苦い表情をつくる。
「そんなものがあったら、恐ろしくて夜も眠れそうにないのぅ」
「言うに事欠いてそれかよっ!」
笑って突っ込みを入れる間に、手に記憶の塊を取り出す。それを確認したカトレアはきちんとした形に座り直し、俺が近付きやすいようになる。そして、微妙に目を細めて流し目にし、腕で体を抱き抱える。
「初めてだから……優しくして欲しいのじゃ」
「……王女がなんでそんな事知ってるんだよ」
「ここは商業で栄えた都市なのでの。たまに検閲を行う際には、そう言うものも見るのじゃよ。家によっては、夜伽の教えを受ける事もあるそうじゃぞ?」
「……腕が邪魔だ」
ため息が出そうになるのをこらえた俺は、カトレアがつまらなそうに腕をどけるのを確認すると、真っ白なそれをカトレアの体に押し付け、沈めていく。
もちろん、記憶だけで成長できるとは思っていませんけど、大事な足がかりにはなると思ってます。
次はいつになるかも分からない。と、いいつつ21日には更新できるように頑張ります。場合によってはそれより早いです。
感想評価エトセトラ、お待ちしています。