第七十一幕 道化師と出発準備
「……重っ」
フィルマの神業練りきりから五日後。優秀執事が手配した馬車は今日完成らしく、フィルマは朝早くから発注した工房の元に出払っている。今日の昼食が終わったら出発するようだ。
本当なら急がなければいけないところだが、時間が無くなれば《転移》でも使って時間を短縮すればいい。チート万歳。
「って、違う。なんだこれ」
チート万歳は別にいい。それよりも、スイや白雪、それに若葉が俺の手や体を拘束するかのようにまとわりついているのはどういう事だろうか。
「起きてもらわないと動けないしな……」
かといって、気持ち良さそうに寝ているところを起こすのもはばかられる。……しばらくこうしてるか。
「緋焔、フィルマから聞いたのだけれど、今日からまた馬車らしいから我もついて――」
……寝たふりだ。
「……ペドフィリア」
「ふざけんな!」
ちなみにペドフィリアとは十三歳以下の子供の事を性的な意味で好きな人の事を指す。もちろん、俺は違う。断じて違う。
「はぁ……なにをやってるのかしら?」
「起き上がれない」
「そう。……と、言いたいところだけれど、どうせそれを剥がすのはフィルマなのでしょう? ただでさえ仕事が多いのにかわいそうじゃない」
藍雛はぶつぶつと言いながら、俺の上の子供たちを一人ずつ剥がしていってくれる。……が、スイがまるで木にへばりついたコアラのように離れない。無理矢理剥がせば剥がれるのだろうが、そんなことをすれば皮膚まで剥がれる。もちろん、ネタとかじゃなくて。
「……緋焔、諦めていいかしら」
「今日、スイが起きるまでこれで活動しろと?」
普段、スイが目をさますのは昼前くらいで、間違いなく朝には目覚めない。そうなると、昼まで十代半ばの見た目の少女を抱き着かせて活動しなきゃならないわけだ。世間体とか自尊心とかが木っ端微塵だ。元々あるのかは知らないが。
「仕方無いわね……。
《言葉の重み》。《スイ、緋焔から離れなさい》」
藍雛がそう言うと、少しだけ抵抗したようだが寝ていたのが幸いしたのようで俺の皮膚は剥がれずに済んだ。
「おお、体が軽い。ありがとうな」
「全く……そんなに羨ましい姿になっていると分かっていたら、もう少し苦しめる方法を考えてきたというのに」
「……自分がアレだったらって考えてみろよ」
「歓喜してそれで一日過ごすわ」
藍雛はどうなっても藍雛だった。
―――――
「御主人様、準備が出来ました」
「うん、ありがとうな」
あの後、俺が藍雛に呆れた視線を向けて、理不尽な制裁を藍雛から受けていたところでフィルマが帰宅。一命を取り留めた。
フィルマはその後、全員を何の被害も起こさずに起床させるという謎の技術を見せ、そのまま遅めの朝食というか、早めの昼食を作りに行った。そして、俺達が食事の支度を済ませている間にこうして馬車の準備まで済ませていた。こうなってくると、最早フィルマ自体が謎にしか思えなくなってくるから不思議だ。
「フィルマは昼一緒に食べないのか?」
「いえ、私は――」
フィルマがそう言って断ろうとしたところ、机をはさんだ反対側にいた若葉がガタッと立ち上がる。
「ええー! ふぃるまおにいちゃん、いっしょに食べないの?!」
「いいじゃない。どうせ、一緒に食べる事なんて滅多に無いのでしょう?」
「そうよ! ふぃるまも、たまにはいっしょにご飯食べようよ!」
若葉に続き、どこからか見ていたのかと聞きたくなるようなこと言う藍雛と、珍しく照れないでフィルマの事を誘う白雪に圧されたのか、少しだけ考えたような表情を見せてから、輝かんばかりの笑顔を向ける。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
「ほら、緋焔もこれくらいカッコいい笑顔が出来るようになりなさい」
「無理言うな」
顔の造形をそっくりそのまま作り替えなければ無理だろ。
「それじゃあ、ご飯にするか」
―――――
「美味しかったわ。流石フィルマね」
「恐縮です」
フィルマが用意していたのはいつもよりも少し量が多めの中華であった。藍雛が教えた、というか藍雛に与えられた知識の中にあったのだろう。大皿から各々取るタイプであったが、子供たちの分は藍雛とフィルマで取り分けていたため、栄養バランスが崩れているという事は無いだろう。まあ、俺とは違ってそもそも好き嫌いすらないのだが。
「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」
「はい。支度はすでに済ませてありますので、皆様の御支度が終わり次第出発となります。本日は馬車に乗るだけですので、必要以上の用意はせずにお願いいたします」
「分かった。それじゃあ、着替えだけ済ませたらホテルの前に出てくれ」
「我はちょっと馬車に用事があるから、先に行くわね」
藍雛はそう言って白雪の頭を梳くように優しく撫で、微笑みかける。
「若葉の支度もお願いね。お姉ちゃん」
白雪はそれを聞いて、ほわぁっと花の咲くような笑顔を浮かべ、満面の笑みでうなづく。それを満足そうに見届け、藍雛は踵で床を叩いて黒い裂け目に落ちていく。なんか某スキマ婆を彷彿とさせるな。
「さて、俺も特に支度は無いな。フィルマ、後は頼んだ」
「承知致しました」
フィルマが仰々しくお辞儀をしながら俺を見送るのを横目に、《転移》の魔方陣を発動させてホテルの前に転移する。
馬車は探すまでも無くホテルの目の前に横付けされており、その後ろの入り口に藍雛が立っていた。
「待っていたわよ。女性を待たせるなんてひどいじゃない」
「いや、約束もしてないし言われてもいないのにひどいってのもどうなんだか」
「細かい事は気にしてはダメよ? それより緋焔、《ジッパー》の中に建ててある家とここを繋いでくれないかしら」
「……なんで知ってるんだよ」
まあ、もはや藍雛だからという理由でいい気がしているが、それに慣れてしまうのも良くはない気がする。
「我はあなたなのだから、それぐらい気にしていてはダメよ。さあ、早く」
藍雛は無駄にキラキラした瞳をこちらに向けて上目遣いでおねだりをしてくる。美少女にこんな事をされたら断れないだろうが……まあ、断る要素もないからいいといえばいいんだけど。
俺は馬車の後ろ側に回って、馬車の中に入る。そして、本来なら薄いものの収納スペースになっている床板を開ける。中は予想通り毛布などが何枚か入りそうな感じの、薄い収納になっていた。
「ここと、この四隅と……中心を基点にして……後は俺達だけが入れるように認証用の魔方陣っと……」
その収納スペースの角と真ん中に、自分の魔力で《ジッパー》の魔方陣を描き、《ジッパー》内部の屋敷のドアに直結するようにセットする。なんだかんだで、結局魔法は想像力が一番の肝なので魔方陣なんかは補助。なので、小難しい理論なんかで固めるよりも、柔軟性の高い想像で自分の好きな様に弄くり回せるのが個人的には好きだ。
「おっしゃ。完成」
魔力で刻み込んだ魔方陣を、縦に真っ二つにするように指をはしらせると、それぞれの魔方陣が淡く発光する。
「出来たみたいね。それじゃあ……」
俺が一息つくと、藍雛が脇をすり抜けるように魔方陣に乗り、箱のような光に包まれて消える。しばらくして魔方陣が再度発光して箱が出現し、藍雛が現れる。
「中々いい感じじゃない」
まあ、藍雛は俺なので俺が趣味にあわせて作れば、藍雛の趣味にもある程度合うのは当然だ。とはいえ、褒められれば嬉しい事に代わりはない。
「あの研究施設は若干悪趣味だけれど……我も度々使うことになりそうだし、良しとしましょう」
「それはどうも」
「いいのよ。……あぁ、ところで緋焔」
藍雛はふと思い付いたように人差し指を立てて、あどけない顔で言う。
「こんな所があるなら、館を探す必要はなかったのではない? 少し手狭だけれど、創り変えればなんとかなるでしょう」
「……いや、この世界での家があった方がいいじゃないか」
「あー……何と言うか、ごめんなさいね」
藍雛にマジで謝られた。その事実の方が辛すぎて、少しへこんだ。
1月更新で定期になりかけている気がする。
またも2話連続。
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