第六十七幕 道化師と大会
「よく考えたら、飛ぶ必要なんてなかったんだよな……」
セリアさんとアリスから別れてから約三十分ほど経ったころに、唐突にそんなことを思い出す。自分では便利な魔法の一種として《転移》をバンバン使ってるくせに、こういういざという時に忘れてしまうのは何なんだろうか。痴呆にはまだ早いぞ。この先何年生きるのか分からないというのに。
そんなことを考えながら、踵で地面を蹴るようにして魔方陣を展開。目的地であるホテルの一室に向かって《転移》を発動させた。
「お帰りなさいませ、御主人様」
「お帰りなさい! お兄ちゃん!」
「……なんだこりゃ」
思わず声を漏らしてしまったが、これは当然だと思う。想像してみろ。ただホテルの一室で待っていてと言って数日帰らなかっただけなのに、帰ってきたら狙ったかのように仲間全員がメイド服もしくは執事服で出迎えをしたら驚くだろ? そういうことだ。
「フィルマ、どうしてこんな格好を?」
「藍雛お嬢様が、仕えるのならやはりこの格好でなければと仰いまして」
「ああ、藍雛が来てたのか」
まあ、俺達のほうにも付いてきてたしな。よくよく考えれば藍雛が可愛いモノから会えるのに数日も離れてるわけが無かったんだ。ましてや、魔力で分身なんかを作れる以上、天竜の巣で留守番する必要もあんまり無いわけで。
「というか、フィルマのそのしゃべり方は?」
「はい、藍雛お嬢様がこちらにいらっしゃった際に、《幻惑》を使って特殊な教育を施していただきました」
「……よくまあ、そんな使い方を思いついたな」
俺じゃあそんな使い方は思い付かないだろうし、思い付いたとしても、記憶に無理矢理植え付けるのは、ちょっと抵抗がある。
「それじゃあ、あらかたの事はわかってるのか?」
「本当にお仕えするのに必要な事はお教えいただきました。服飾から、掃除まで家事と多少の事なら完璧に行えます」
「おお、それなら大分仕事が楽になりそうだな」
「はい、ただ……」
「うん? どうかしたのか?」
「……いえ、なんでもございません。それよりも、お屋敷の見当がつきました」
「本当か!」
一つ前の沈黙と、憐れむような視線も激しく気になる所ではある。だが、それよりも屋敷の見当がついたというのは、俺にしては幸先のいい情報である。
「はい、御主人様がお出掛けになられた翌日に、ギルド本部が管理する自治区から世界全てのギルドに対して、武闘大会を開催する旨の伝令がありました」
「あー、大体予想がついた」
「さすがは御主人様です。一応、お伝えいたしますと、御主人様。並びに藍雛お嬢様は大会の出場義務があるそうです」
「……そういえば、ギルドのランクはエクストラだったな」
すっかり忘れていた。というか、最近が濃密な日々過ぎてこの世界に来てからの薄い思い出が消えかけている。まあ、その場所に馴染むっていうのは良いことだよな。
この手の話は大体ギルドなどの組織の広告塔として扱われる。より優秀な人材を集めるためや、何かしらの繋がりがある人物たちへ現状の戦力を示すといった側面もあるしな。そう言うものが開催される以上、つい最近突然出てきた新設の最高ランクの二人組、というのは数多くの人々の興味を誘うだろう。
そうでなくても、実際に魔物なんかがはびこるこの世界での上位ランカーというのは、数々の魔物をなぎ倒してきた英雄であり尊敬の的であるのが一般的だ。そんな名声を持つ人物は、自分達の手駒である。それだけで、軍事的にも政治的にも効果は大きいはずだ。
「はい。それの優勝賞品が自治区内に存在する土地の一区画だそうです」
「行っても損は無い……が、ちょっと話がうますぎる気がするな」
「御主人様の前であれば、どんな画策も無駄と思いますが」
確かに、俺と藍雛がいれば大体のことはどうにでもなる。それこそ、制限をはずせば敵無しだ。しかし、ついこの前に王女の元へ物件をねだった直後に土地を簡単に手に入れられるような大会を開くのはいかがだろうか? それに、冒険者のほとんどは定住せずに依頼を受け続けて自分の収入を稼ぐ、いわば根無し草。そんな人々の大会にモチベーションを上げることの出来ないような景品。あまりにもあからさま過ぎて、裏で何かしらの意図が働いているのが見え見えだ。
「……まあ、考えても仕方無いか。どっちにしろ義務なんだし」
さて、俺は出場すると決めたものの、藍雛は行くと言うかどうか。最悪、俺だけでも出たことで許してもらえないだろうか。そんなことを考えていると、スイがそわそわしながら俺の服の裾を摘まんで引っ張る。……癒されるなぁ。
「お兄ちゃん! スイも大会に出るんだよ!」
「うん? 危ないからダメだよ?」
主に対戦相手と俺たちの堪忍袋の緒が。
「だって……お姉ちゃんが一緒に出ようって電話してくれたんだよ?」
「……フィルマ、どういう事だ?」
「大会には個人戦、それと団体戦もあるようでして……そちらの団体戦に藍雛お嬢様がスイお嬢様と出場する希望を示していらっしゃいます」
「……成る程な」
どうせなら癒しを得ながらという訳か。確かに、それなら藍雛も、スイにかっこいい所を見せるためにやる気を出すだろう。しかし、藍雛が団体側で出場するという事は、俺は個人戦で出ないといけないわけだ。
俺だけ癒しは無しか……。
「出すぎた真似かも致しませんが、お嬢様たちや他のメイド数名がご主人様の勇姿を見たいと仰っていまして……連絡が来た際に応援席を特別に設けるように交渉したのですが、ご迷惑だったでしょうか」
「ナイスだフィルマ」
こちらの願いをむげに断る事は出来ない以上、応援席もちょっと特別なものになるだろう。そうなれば、近くで応援されたり癒しを得る事だって出来るじゃないか。
「日程なんかは決まってるのか?」
「二週間後でございます」
二週間。ここからだったら馬車で一週間ほどの場所だったはずだ。馬車を発注したとしても、一日やそこらでは出来ないだろうから、五日ほどは見積もった方がいい。それに、行き方の確認なんかも必要になるし、俺は当然ながら馬車もひいた事がない。うーん、そう考えると、二週間じゃあ意外ときついかも知れないな……。
まあ、もしものことがあれば馬車ごと転移してみればいいか。
「分かった。今日はとりあえずそれぞれで自由にして、明日からは行くための支度をしよう。フィルマは付き添いをお願いしたいんだ」
「分かりました」
「ひえんごひゅ……ごしゅじんしゃま……おにいちゃん、もうお話しおわり?」
とりあえず、今後の指示をフィルマにして一息つくと、若葉が俺の服を引っ張る。フィルマを真似て御主人様と言おうとしたらしいが、噛んでしまって諦める。何だかんだで、小さい子って可愛いよな? 健全な意味で。
「うん、今日はもうお仕事は無いよ」
俺が笑顔でそう言うと、若葉は白雪の方を見てこちらを向いていない事を確認すると、耳打ちをするジェスチャーをしたので、屈んで耳を近付ける。
「あのね、しらゆきおねー……おにーちゃんが、ひえんおにーちゃんとお買い物いきたいって言ってたから、行ってもいい? あ、しらゆきおねー……おにーちゃんにはナイショだよ!」
……待て待て。もちろん、買い物に行くのは全然構わない。ついでに白雪に内緒にしておくのも全く問題ない。だがしかし、白雪の名前を呼ぶたびにおねーで止まっているのはどういうことだ? 普通、あのくらいの子供がおねーで言う事といったら、俺にはお姉ちゃんくらいしか思いつかないんだが。
でも、もし白雪が女の子だったとして、どうして偽る必要があるのだろうか。別に、そんなことをする必要は無いだろう。と、ここまで考えてあることを思い出す。
白雪たちを救出した直後。白雪や、あそこに閉じ込められていた人を助けた時の不信感のこもった眼差し。そして、俺が白雪たちに性別を聞いたのは、その眼差しが消えるに至らない、その日の夜。という事は……。
「若葉、他の人には絶対に言わないから、ひとつだけ聞いてもいいかな?」
「なにー?」
「若葉と、白雪は、本当は女の子じゃないのかな?」
そう言った瞬間。若葉の表情が凍りついて、うつむき、声を震わせる。
「ご、ごめんなさい……。しらゆきおねーちゃんが、女の子だってしられたら、ひどい目にあうからないしょだよって……。でも! しらゆきおねーちゃんはわるくないから! お仕置きはわかばだけにしてください!」
……予想通りで、予想以上だった。たった一つの疑問だけで、ここまで追い詰めてしまうだなんて、思っても見なかった。それに、言っている事がまるで子供とは思えない。白雪も白雪だ。性別を知らせなかったという事は、それを知られただけで恐ろしい目に遭うと言うことを知っているからこそ。もう何日も前? 違う。白雪や若葉、それに、元そう言う立場だった面々にとっては、『まだ何日しか経っていない』んだ。甘かった。俺の世界でもそう言う人がいると知っていた。だけど、知っていただけだったんだ。
目の前で、迫り来る脅威に耐えるために体を小さくするその頭を、そっと撫でる。
「大丈夫、心配しないでいいんだよ。ここには若葉も、白雪も、みんなをいじめる人なんていないからね」
「ふぁ……うわあああぁぁぁ!」
「ひえん! なんで若葉を泣かしてるのよ!」
「うわあああぁぁぁん! お姉ちゃんー!」
「よしよし、ここにいるからね」
「……なんか、俺が悪役みたいだな」
「憎まれ役を買って出るご主人様も、すばらしいと思います」
「お兄ちゃん優しいー」
とにかく、俺に出来る事をしよう。大事な家族なんだ。
ちょっと過ぎちゃったけど、ギリギリって事で許してください。
なんだかんだで傷が癒えていなかった元奴隷組。そりゃそうだよね、早々簡単に癒えるものじゃあないだろうし。所詮本物を知らない立場だけれど、それでも、真実に近づくのは大事だと思う。
……と、中二病が申しております。