第四十八幕 道化師と獣の少女
「着いたわよ。ここが目的地」
「……なんかなぁ」
「ヒエン、どうかしたの?」
「いや……なんかいかにもだなぁ。って思ってな」
俺達は今、裏通りを歩いてしばらくの場所にある、学校の体育館を彷彿とさせる様な、しかしそれには大きすぎる建物の前に立っている。
俺がいかにもと言ったのには理由があり、辺りには浮浪者とは違い、明らかに地位の高い人達が来る事を想定して、そこにいるように雇われたであろう複数人のガードマンの様な人々。そして、明らかにこの場にそぐわない重厚な鉄製の扉。
どう考えても、何かから何かを守る為に、この二つは存在する。
「思っていたより警備が厳しいわね……」
「ねぇ、アイス。ここってやっぱり特品売買の会場?」
「そうよ」
「ガラクタから奴隷の人達まで、様々な物が取引されてるっていうアレ?」
藍雛はコクにそうよ。と、返してから震えているマウの手を握る。ちなみに、反対の手は俺が握っている。いつの間にかスイまでも俺の手を握っているのは不思議なんだが、まあ気にしない。
「落ち着いたか?」
「……うん。ありがとう。緋焔、藍雛」
よし、それじゃあマウも落ち着いた事だし……。
「救出作戦のスタートだ」
−−−−−
「……ここね。売りものの搬入口は」
俺達は息を殺し、さながら獲物を待つハンターの様に周囲に注意を払いながら、近くの路地から特品売買の会場に潜入する方法を考えていた。そして、3人の文珠の知恵を通り過ぎた5人の熟考の末に、俺とコクが奴隷として裏から潜入し、藍雛とスイとマウは客のフリをして表から堂々と入ってもらうことになった。強いて理由を言うとすれば、まず第一に女をこっちにして出品となる前に何かあったら嫌だから。かといって誰も裏から入らなければ、中の状況が分からなくなり、あとで奴隷の人達を助けるのに不利になる。
俺と藍雛が別々の班なら、念話で情報を伝え合ってタイミングを計って行動する事もできるしな。
「と、いうわけで俺とコクは瞬間移動で裏から入る。藍雛達は中で他の客達の様子を見ててくれ」
俺はそう言いながら俺とコクの真下に魔法陣を展開させ、魔力を巡らせる。
「分かったわ。何かあったら逐一報告という形でいいわね?」
「それで頼む。じゃあ、後で」
俺はそう言って足元の魔法陣を発動させ、コクと共に中に侵入した。
中は薄暗く、しかし、俺の予想していた所よりは明るかった。まあ、流石に数メートルに蝋燭が一本ずつ何て言うのはありえないか。それに、ここはゲームじゃないんだし、気を引き締めていかないといけないな。
「それにしても、藍雛達は無事に中に入れたのかな……?」
「藍雛がいればなんでも出来ると思うんだけど」
まあ、それもそうだ。そもそも俺と別れた存在の藍雛に対して心配なんて間違いだったな。……あ、それだと藍雛に今まで助けてもらった分のお礼が出来ないな。やっぱり、ここは藍雛の欲しがってそうな物でもあげるべきか……。
(緋焔? 藍雛よ。我達は中に入ったわ。中はどこもかしこも高そうな服を着た奴らばかりね)
と、薄暗い廊下を考え事をしながらコクと一緒に歩いていると、藍雛から念話が入る。
(あー、こちら緋焔。こっちも侵入に成功したよ。そっちの合図を待ってから事を起こした方がいい? それとも独断でいい?)
(そうね……基本的には合図。いざとなったら独断でいいわ。こちらに知らせるのを忘れないでちょうだい)
(了解)
俺はそう言った後、念話を切り、隣で周囲を警戒していてくれたコクの肩を叩く。
「コク、合図が来たら教える。それまでは目立つなよ」
「はいはいー。それにしても、この人達皆奴隷? 人の欲って深いねー」
コクは返事をして、物珍しそうに辺りをグルッと見渡してからそう言った。コクの目線の先。つまり、俺たちの周囲はほとんど人で埋まっておりそのすべての人に、鉄製の鎖でつながれた鉄の首輪がかけられている。要はこれから始まる特品売買の商品の中の一つである奴隷と言うわけだ。
「……まあな。それよりコク、今この人たちがつけてる首輪を忘れるなよ。これが助ける人たちの目印なんだからな」
「それくらい僕でも分かるって。緋焔はちょっと僕を舐め過ぎだよ?」
コクはそう言って近くの壁を背もたれにして座り込んで目を閉じ、静かに寝息を立て始めた。……これから始まるかもしれないって言うのに、どうして寝るかな……。まあ、そんな事を気にしてる場合じゃないか。
(白龍、聞こえるか? 緋焔だ)
俺は天龍の巣にいるであろう白龍に念話を飛ばす。向こうが念話を使えない為、こっちが一方的に伝えるだけになってしまうが、白龍なら許してくれるだろう。
(少ししたらそっちに複数の人間を転移させる。絶対に怪我させるなよ)
俺はそれだけを伝えて一息つく。藍雛からの合図が分かる程度に気を抜き、近くの壁に寄り掛かる。……ふと気付いたが、最近やたらとハードスケジュールだな。戦争で軍一つを崩壊させて、更には奴隷解放か……。元の世界にいた時なら間違いなく体験出来なかっただろうな……。
「……俺も寝るか」
これだけ人数がいれば、一人や二人増えていても気付く事はないだろうしな。
俺は着ていた服を枕代わりにして頭の下に敷き、そこに頭を乗せて目をつむり、寝息を立てる。
−−−−−
がやがやと煩く、右を向いても左を向いても、明らかに装飾過剰な服を身に纏った人物達が、これから始まる特品売買を今か今かと待ち望んでいる。
「……この中で、どれだけの人数が奴隷を買おうとしてるのかな」
「分からないわね。けれど、分かったとしてもやる事は変わらないわ」
我達の知らない、マウだけの昔を思い出したのか、体が微かに震えている。必死に押し止めようとはしているみたいだけれど、効果が無いのか体は震えている。我はその体を優しく抱きしめ、和らぐ程度に恐怖心を破壊する。ちょっとすればマウの体の震えは自然とおさまり、顔色も赤みが増す。
マウは我に抱きしめられた体勢のまま、我の方に顔を向ける。
「ありがとう、アイス」
「いいのよ。大事なマウだもの」
はたから見れば、そこだけ違う色をした空気を見られそうな程マウを可愛がり、落ち着いた頃に腕を離す。すると、マウから離れた直後にスイがすっぽりと我の腕の中に収まる。
「……スイ?」
「マウお姉ちゃんばっかりずるいもん。スイもお姉ちゃんに抱っこして欲しいな……」
計算か天然か、さっきのマウの様な状態で我を見上げるスイ。流石の我でも二人続けてのこの可愛さには勝てず、出来るだけ優しく、しかし全力で抱きしめる。この可愛さは危ないわね……。と、我が両手に花の状態で、この状況を満喫していると辺りがふっと暗くなる。かと思えば、檀上が明るくなり、いきなりオペラ座の○人のような仮面を着けたタキシード姿の男が現れる。手には握りこぶしより少し大きなサイズの石の様な物が握られており、それをマイクの様に口に近付けて、大袈裟に腕を広げる。
『さあさあ皆様! 特品売買にようこそおいで下さいました! 商品は全て一点物でございます! 故に、欲しいものは確実に手に入れ、ご満足しておかえり下さいますよう、よろしくお願い致します!』
そして、また急に真っ暗になり、辺りがざわつき始める。それを確認した我は、さっきとは違う意味で、スイとマウを抱きしめる。
「さあ、我達も始めるわよ」
チャンスは一度きり。それが失敗すれば警戒は厳重になり、下手をすれば奴隷の人達にも危害が加わる。
それだけは、絶対にさせない。その為なら……。
我はそこで思考を打ち切り、合図を送ってから緋焔が禁忌としている《幻惑》でこの場にいる我達以外の全員の意識を落とす。
−−−−−
「合図だ、コク」
「……ふぁあ。おはよう」
俺は無言でコクの頭をひっぱたき、痛がるコクをよそ目に奴隷の人達に指示をする。
「全員、今から助けます。そして、これは冗談でも夢でもなんでも無いです。ここから……奴隷という身分から解放されたいなら、指示に従ってください」
「おお、本当か!?」
「どうすればいいの?!」
……と、こうなれば1番なんだがそんなに想像通りになるわけが無く。数人が何の感情も伴わない、死んだ目をしてこちらを向くが、それ以外は顔を俯けたまま上げようともしない。
信頼されていないのは分かってるが……。やっぱり、ここまで無反応だといっそ助けない方がいいのではないのか、という気さえしてくる。
どうしたものかと頭を思考を始めると、俺の目の前に座り込んでいる、垂れたイヌミミをした獣人の男性が俯いたまま、なにやらぼそぼそと呟いている。
「すみません、聞き取れなかったんでもう一度言ってもらえますか」
「……なんでこんな所に入って来たのかは知らないし、聞く気も無いが、いらない希望を振り撒くのは止めてくれ。俺達にはもう……」
男性はそこまで言って、ぱたりと話すのを止めてしまう。だが、俺はその人に歩み寄り、横にしゃがみ込む。
「出たくない訳じゃあ無いんですよね?」
「……当たり前だろう。俺だって出られるものなら出たい。だが……」
男性はまたも口をつぐみ、顔を逸らそうとする。が、それを見ていて苛々したのか、コクが男性の胸倉を掴んで軽々と持ち上げる。
「いい加減にしな? 希望を持たせるなと言いつつ、自分は出たいと言う。目の前には自分の理解が及ばないような事をする二人組がいるというのに、その二人が差し出した手を拒む。あんた、ホントに出る気あるの?」
「……コク、手を離せ。人間とお前じゃあ違うんだ」
「……分かったよ」
コクは男性を降ろし、近くの壁に寄り掛かる。が、瞳には未だ怒りの色が見て取れる。
……全く、他の人達もコクの重圧にあてられて萎縮してるし、コクもすっかりへそを曲げてるし。一体どうしろって言うんだ。
そう考えても、時間は過ぎていくばかり。藍雛からも合図は受けているし、半ば強引にでも連れていくべきか? ……いや、それじゃあ奴隷商人が連れていくのと変わらない……。
(緋焔、奴隷の人達は助けられた?)
内心、焦りが生まれ始めて来た頃。藍雛からの念話が入る。
(あー……。全然ダメ。皆動こうとすらしない)
(何をやってるのよ……。何で動きもしないのか分かる?)
(いや、それも分からない。口ごもる人はいるんだけど、コクに萎縮しちゃって……)
(コクに萎縮するのは当然でしょう。強者に対して畏怖を覚えるのは生物としての本能よ。それより、口ごもると言うのはどういう事なの?)
藍雛から呆れたような感情と共に念話が伝わるが、その中には半ば確信のような感情も混じっている。
(出たいには出たい。だけど、余計な希望を持たせるなー、っていう感じの事を言ってる)
(……あー。そういう事ね)
(うん? 分かったの?)
(ええ、多分合っているわ。今からそっちにマウを行かせるから、そこにいてちょうだい)
藍雛はそう言うと、こちらが言い返す間もなく念話を一方的に切ってしまう。何でマウ? なんて疑問を頭の片隅に持ったまま、マウの到着を待つ。
「ヒエン、捕まってる人達は?」
……まあ、よく考えれば時間も押し迫ってる時に、安全じゃない普通の道をのんびり歩かせる訳無いか。かと言って、空間がいきなり裂けてそこからいきなりマウが出て来るのは俺でも予想外だけど。
「マウの真後ろだ。何をするのか、藍雛から聞いてる?」
俺がそう問い掛けると、マウはその目に力強い決意を浮かばせて無言で頷く。
俺はそれを見届けて、いつもの様に優しくマウの頭を撫でる。
「……俺には無理みたいだ。だから、お願いだ。助けてあげてくれ」
「……うん。ありがとう、ヒエン」
そのありがとうは、この場をお膳立てした事に対する礼か。それとも、こうなる事が出来るようになるまでにしてくれた事の礼か。俺には分からない。
もしかしたら前者で、後者は俺の偽善が入り交じった深読みのし過ぎなのかも知れない。だけれど、この場で大事なのはそんな些細な事ではなく……。
「皆、聞いてください」
こうして、マウが立派に他の人達に手を差し延べる事が、そして、その手を他の人達が掴む事が、大切な事なんだと思う。
お久しぶりです。ザ・遅筆こと、神薙でございます。
またも半月近くかかってしまいました。やる気は衰えていないと言うのに、時間が無いせいでペースが落ちまくっています。
もういっその事、一日が48時間になればいいんだ。